Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

36 (U10.315)

塔の中の薄暗い穹窿天井の居室で、

第36投。10ページ、315行。

 

 

 

In the gloomy domed livingroom of the tower Buck Mulligan’s gowned form moved briskly to and fro about the hearth, hiding and revealing its yellow glow. Two shafts of soft daylight fell across the flagged floor from the high barbacans: and at the meeting of their rays a cloud of coalsmoke and fumes of fried grease floated, turning.

 

 塔の中の薄暗い穹窿天井の居室で、バック・マリガンのガウン姿が暖炉のあたりをせわしなく行き来し、黄色い光が見え隠れする。高所の銃眼から二筋の柔らかい陽光が床の敷石に射す。光線の交点で石炭の煙の雲と脂を炒めた蒸気がたゆたい、渦巻く。

 

 

第1章。『ユリシーズ』は、後半の大胆な実験に気を取られて初めの方は読み飛ばしがち。しかしこんな目立たない一節も実に凝った美しい文章になっている。

 

gloomy domed livingroom Mulligan mの連続

hearth, hiding hの頭韻

yellow glow lowの脚韻

flagged floor from,  fumes fried floated    fの頭韻

cloud coalsmoke cの頭韻

 

第1章は朝の場面であり、光が主導的。この一節にも光が溢れる。

 

サンディコーヴのマーテロー塔。英国政府は民間人にこの塔を賃貸しており、ジョイスと、友人のオリバー・セント・ジョン・ゴガティが1904年にそこに住んでいた。

 

マーテロー塔は、19世紀始め、ナポレオン統治のフランスの侵攻から、英国およびその植民地の海岸線と戦略拠点を守るため、英国政府が、各地に築いた防御砦。

 

ユリシーズ』では、主人公のスティーヴンとゴガティをモデルにするバック・マリガンも、このマーテロー塔に住んでいる設定となっている、

 

現在マーテロー塔は「ジェイムス・ジョイスタワーと博物館」となっている。内部に再現された居室の写真は下の画像の通り。

 

ドーム dome とあるが、写真のとおり、日本語の「ドーム」のイメージである半球状の天井ではない。

 

辞書で調べてみると、domeに次の説明がある。

 In architecture, a cupola; a vault upon a plan circular or nearly so; a hemispherical or approximately hemispherical coving of a building.
(Century Dictionary and Cyclopedia)

 

dome にはカマボコ型の屋根、つまり vault の意味もあるようだ。vault の日本語は穹窿とされる。

 

barbacans も辞書で調べると、普通は「城などの楼門,橋楼」という意味だが、ここはそれでは意味が通らない。英語の辞書を検索すると、次の語義もあった。
An opening in the wall of a fortress, through which missiles were discharged upon an enemy.
(Webster's Revised Unabridged Dictionary)

だから銃眼とした。しかし写真で見る限り、これは銃眼ではなさそうだ。

 

塔の壁は曲線なので、窓から射し込む朝日は交差するのだろう。

 

f:id:ulysses0616:20210206210155j:plain

マーテロー塔(Martello Tower)

 "File:James Joyce Tower and Museum, living area (1).jpg" by Rrburke is licensed under CC BY-SA 4.0

 

このブログの方法については☞こちら

 

 

35 (U78.259)

デッダラス氏はよぼよぼ歩くその姿を見送り、

第35投。78ページ、259行目。

 

今日はジェイムズ・ジョイスの誕生日なのですね、生誕から139年。『ユリシーズ』がパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から出版されて99年目の2月2日。

 

 

  Mr Dedalus looked after the stumping figure and said mildly:

 —The devil break the hasp of your back!

 Mr Power, collapsing in laughter, shaded his face from the window as the carriage passed Gray’s statue.

 —We have all been there, Martin Cunningham said broadly.

 His eyes met Mr Bloom’s eyes. He caressed his beard, adding:

 —Well, nearly all of us.

 

 デッダラス氏はよぼよぼ歩くその姿を見送り、声を落として言った。

 ―悪魔に背中の留め金を折られるといい。

 パワー氏が、窓から顔を隠して、笑いくずれる。馬車はグレイ像を通り過ぎた。

 ―おれたちはみんな世話になったことがあるだろ、マーティン・カニンガムが、あいまいに言った。

 彼の目がブルーム氏の目と合った。彼はあご鬚をなでながら、言い添えた。

 ―まあ、ほぼ、みんなね。

 

 

このブログでは乱数に基づいて行き当たりばったりのところを読んでいますが、ジョイスの誕生日とは縁のないところに当たりました。墓地へ行く道。

 

第6章。午前11時ごろ。ブルーム氏は友人のディグナム氏の葬儀に参列するため、ダブリンの南東に位置するディグナム家から、馬車で市の北西のはずれ、グラスネヴィン墓地まで街を縦断しているところ。

 

馬車には、スティーヴンの父サイモン・デッダラス、警察隊に勤務するジャック・パワー、アイルランド総督政庁に勤務するマーティン・カニンガム、そしてブルーム氏の4人が乗っている。

 

ブログの33回で、ダブリンには、2つの警察組織があると書いたが、パワー氏は武装警察部隊の王立アイルランド警察隊(Royal Irish Constabulary)のほう。(『ダブリナーズ』「恩寵」)

 

馬車なので、4人は向かい合って座る。進行方向にむかって左前方に後ろ向きにサイモン、その右にパワー氏、その向かいにカニンガム氏、その隣にブルーム氏が座っていると考えられる。          

                                 f:id:ulysses0616:20210924222056p:plain

第6章のおもしろさは、語り合うカルテットが馬車の速度でランドスケープを移動することを読むことにある。

 

よぼよぼと歩く姿は、ルーベン・J・ドッド。ユダヤ人の金貸しで弁護士。同名の人物は実在し、ジョイスの父親は彼に多額の借金をしていた。借金の返済のため、ジョイス家の財産は競売にかけられ一文無しとなる。(P.42 - 44、リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年)

 

馬車はオコンネル橋を南から渡り、左側通行で、南北に走るサックヴィㇽ通り(現オコンネル通り)を北上する。東西に交差するミドル・アビー通りとの交差点、南西角に、エルヴァリの店がある。この直前の一節に、ルーベンはエルヴァリの角を曲がった、背にのせた手を彼らに見せて、とある.

“A tall blackbearded figure, bent on a stick, stumping round the corner of Elvery’s Elephant house, showed them a curved hand open on his spine.
—In all his pristine beauty, Mr Power said. ”

 

おそらくサックヴィㇽ通りから角を左にミドル・アビー通りへと曲がったのだと思う。だからまず前向きに乗っているカニンガム氏が彼をみつけ、後ろ向きのサイモンが彼を見送る形となる。

    

    f:id:ulysses0616:20210924210240j:plain

 

しかし、パワー氏が窓から顔を隠す、というのが分からない。ルーベンは背を向けて歩いているのだから。葬儀馬車で笑っているのを人に見られないようにしたのか。

 

「背中の留め金を折られるといい」というのは、ルーベンは背中が曲がっているからである。(U200.892)。第10章、カウリー氏が彼に金を借りているという場面で明らかになる。ブログの19回を書いたときに、このことに気がついた。

 

We have all been there とはどういう意味か定かでない。おそらく金を借りにルーベンの所にいったことがあるという意味ではないか。

 

broadly は「露骨に、無遠慮に」という意味と「大まかに,概括的に」という意味がある。ここは前者でなく後者ではないか。はばかられるので広めの表現で言ったということ。

 

カニンガム氏はあご鬚をはやしているが、顔はシェイクスピア似である。(U79.345)

 

彼はなぜ、ブルーム氏と目が合って言い直すのか。

 

カニンガム氏は、ブルームはルーベンから金を借りたことがないと思ったということだ。聖書は同族から利息を取ることを禁じていたので、古くからユダヤ人はキリスト教徒に金を貸して利息を取った。ルーベンは、同胞のユダヤ人つまりブルーム氏には金を貸さないだろうと思った、ということではないか。

 

ジョン・グレイの大理石像がオコンネル通りとアビー通りの交差点に立つ。ジョン・グレイ (1815-1875) は、アイルランドの医師、外科医、新聞経営者、ジャーナリスト、政治家。

 

f:id:ulysses0616:20210202215908j:plain

サー・ジョン・グレイ(Sir John Gray)

"Sir John Gray statue" by Phil Guest is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

34 (U341.1231)

確かに、科學が―目下の所―答へ得ぬ幾許かの問題が

 第34投。341ページ、1231行目。

 

 

There may be, it is true, some questions which science cannot answer—at present—such as the first problem submitted by Mr L. Bloom (Pubb. Canv.) regarding the future determination of sex. Must we accept the view of Empedocles of Trinacria that the right ovary (the postmenstrual period, assert others)is responsible for the birth of males or are the too long neglected spermatozoa or nemasperms the differentiating factors or is it, as most embryologists incline to opine, such as Culpepper, Spallanzani, Blumenbach, Lusk, Hertwig, Leopold and Valenti, a mixture of both?

 

確かに、科學が ー 目下の所 ー 答へ得ぬ幾許かの問題があるやも知れぬ。例へば、L.ブルーム氏(廣告.勧誘士)が將來の性決定に関して提起した最初の問題の如きものである。我々は如何なる見解を受け入れるべきであらうか。トリナクリアのエンペドクレスの、右の卵巢(月經後の期間によるとの説も有り)が雄の誕生の原因であるとの説、或は、あまりに長く放置された精子または精蟲が分化因子であるとの説、或は、カルペパー、スパランツァーニ、ブルーメンバッハ、ラスク、ヘルトヴィッヒ、レオポルド、ヴァレンティら多數の胎生學者の趨勢である見解、即ち两者の混合説であらうか。

 

 第14章。舞台は、国立産科病院の談話室。スティーヴンとブルーム、医学生らが談笑している。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所はトマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825 - 1895)の科学的著作の文体による。

 

Pubb. Canv.とはなにか。
ここは科学論文のパロディになっているので、広告勧誘員  Public Canvasser を学術的な肩書の略語のようにしたものだ。医学博士  Medicinae Universae Doctor を MUDr. とするように。

 

ブルーム氏の職業は、個人営業の新聞社の広告取り。新聞広告を出したい業者の新聞社への紹介や広告のデザインの考案を新聞社から受託する仕事のようだ。

 

エンペドクレス(B.C. 490頃 – B.C.430頃)は、シチリア出身の自然哲学者、医者、詩人、政治家。彼は、性分化について彼はこのようなことを言ったのだろうか。

 

検索してみると、彼の学説はアリストテレスの著作に引用されて残っているよう。アリストテレスの『動物の発生について』を見てみると、エンペドクレスの学説は何箇所にも、しかし批判的に引用されている。

 

そのうちに下の一節があった。

 

「アナクサゴラスやほかの自然哲学者たち・・・は「精液は雄から生じるのに対して、雌は場所を提供するだけであって、雄は右側の睾丸からやってくるが、雌は左側の睾丸からやってきて、雄は子宮の右側に宿り、雌は子宮の左側に宿る」と主張している。その一方で、エンペドクレスのように「雄と雌の対立は母胎内において生じる」と主張する人々もいる。すなわち、彼は「子宮が熱い状態の時にそこにやってきたものは雄になるのに対して、冷たい状態の時にそこにやってきたものは雌になるが、この熱さと冷たさの原因は月経血の流出であって、月経血が冷たかったり熱かったりするのは、それが古いものであるか、または新鮮であるかによる」と主張している。」

アリストテレス『動物の発生について』今岡正浩、濱岡剛訳(岩波書店、2020年)

 

ジョイスはこの一節を変形したのだろう。

 

この小説と『オデュッセイア』のモティーフとの対応では産科病院は太陽神の島トリナキエ島にあたる。トリナキエ島-トリナクリアとはシチリア島の別名。そのため、ここでエンペドクレスが呼び出された。

 

ちなみに、ブルーム氏は15章で、自分の睾丸は右側が重く、2つともズボンの右側にあると言っている。(U388.1300)

 

  ZOE:  How’s the nuts?

  BLOOM:  Off side. Curiously they are on the right. Heavier, I suppose.

       One in a million my tailor, Mesias, says.

 

さて、列記された人物はみな実在の学者。彼らが混合説を支持したのかは分からない。

 

ニコラス・カルペパー(Nicholas Culpeper 1616 – 1654)  

英国の植物学者、ハーバリスト、医師、占星術師。

 

ラッザロ・スパッランツァーニ (Lazzaro Spallanzani 1729 - 1799)

イタリアの博物学者。実験動物学の祖。

 

ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach 1752 - 1840)

ドイツの比較解剖学者、動物学者、人類学者。

 

ウィリアム・トンプソン・ラスク  (William Thompson Lusk 1838 - 1897)

アメリカの産科医

 

オスカー・ヘルトヴィッヒ(Oscar Hertwig  1849 – 1922 )

ドイツの動物学者。

 

クリスチャン・ゲルハルト・レオポルド (Christian Gerhard Leopold  1846 - 1911)

ドイツの婦人科医

 

ジュリオ・ヴァレンティ(Giulio Valenti 1860 - 1933)

イタリアの医師、胎生学者

 

これを書いていて気がついた。ブルーメンバッハ(Blumenbach)とレオポルド (Leopold)
をつなぐと、主人公の名前、レオポルド・ブルーム(Leopold Bloom)  になるということ。これはそういう遊びなんですね。

 

このブロブ7回でこの小説『ユリシーズ』とスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』には意外にたくさんの共通点があると書いた。

 

あの映画で、地球から木犀まで長い道のりを航行する宇宙船ディスカバリー号精子の形を模している。乗員のボーマンは映画のおしまいに、寝室のベッドの上で胎児(スターチャイルド)となる。

 

一方、この小説の第14章の構想に関して、ジョイスはフランク・バッジェン宛1920年3月20日付けの手紙でこう述べている。「ブルームは精子であり、病院は子宮、看護婦は卵子、スティーヴンは胎児です。」

 

トマス・ヘンリー・ハクスリーはイギリスの動物学者で、ダーウィニズムの唱導と防衛に活躍した。文学の好きな人には『すばらしい新世界』のオルダス・ハクスリー(1894 - 1963)が知られているが、その祖父にあたる。現在の日本人にはなじみのない人だが、意外に岩波文庫でその文章が読める。

 

「數へ切れぬ長い時の經過中に於ける鰐魚の、引續いては現はれた多數の種が、一々特別に創造されたことを信ずるための筋合ひを私は見出すことが出來ない。科學はこのやうな粗雜な空想に同意しないし、また聖書註解者の横紙破りの聰明が、創世記の筆者が、創造の第五日と第六日の過程を記録してゐる簡単な言葉に、この意味を發見すると僭稱することも出來ない。」

T.H.ハックスリ「一塊の白堊」『科学談義』小泉丹訳(岩波文庫、1940年)

 

f:id:ulysses0616:20210130205548j:plain

ルカ・シニョレッリによるエンペドクレス( Empedocles by Luca Signorelli)

"Empedocles" by █ Slices of Light █▀ ▀ ▀ is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 

このブログの方法については☞こちら

33 (U259.859)

―ナナンも行くって、ジョウが言う。

第33投。259ページ、859行目。

 

 

 —Nannan’s going too, says Joe. The league told him to ask a question tomorrow about the commissioner of police forbidding Irish games in the park. What do you think of that, citizen? The Sluagh na h-Eireann.

 

 ―ナナンも行くって、ジョウが言う。連盟から明日、警察長官が公園でアイリッシュ・ゲームを禁止した件を質問するように言われたんだ。あれどう思う、市民よ。「アイルランド軍団」のこと。

 

第12章。酒場バーニーキアナンで、「市民」というあだ名のナショナリストとジョー・ハインズらの酔客が会話している。

 

ナナンはナネッティのあだ名。実在の人物、ジョーゼフ・ナネッティをモデルにする。彼は新聞社の印刷所主任。ダブリン市会議員でかつ英国下院議員だった。

 

1904年当時、アイルランドは英国の一部なので、アイルランド選出の議員というのは英国下院の議員ということになる。質問とは英国議会での質問のことをいっている。

  

19世紀末ごろから英国の支配に反発する民族主義運動が盛んになる。この文脈でさまざまの団体が形成された。

 

「連盟」とは、「ゲール語連盟」(The Gaelic League)。ゲール語は古くアイルランドで話されていた言語。ゲール語とゲール文化の復興を掲げてアイルランドで活動した団体。

 

アイルランド軍団」(ゲール語で Sluagh na hÉireann 英語ではThe Legion of Ireland あるいはThe Irish Brigade) はゲーリック体育協会 (Gaelic Athletic Association) とゲール語連盟を結合するために設けられた。ゲーリック体育協会 はアイルランドの古来のスポーツと習慣の復活を促進した愛国団体、

 

「市民」はゲーリック体育協会の創始者マイケル・キューザックをモデルにしている。

 

ナネッティは、実際に1904年6月16日(この小説では翌日の17日とされている)ロンドンの英国議会で質問している。

 

彼は、「フェニックス公園ではポロの試合をすることは許されているが、アイルランド軍団のメンバーがアイリッシュ・ゲームをすることは禁止されている。警察長官にその権限があるのか」と質問している(英国議会議事録)。

 

アイルランド長官 (Chief Secretary for Ireland)は「芝生が傷つき近隣に迷惑が出るため禁止命令が出された。また公園は王立公園であり、王室の所有物で、禁止は正当である」との趣旨の答弁をした。

 

当局は実際は民族主義の影響力を制するためこのような禁止を行ったのだろう。

 

アイルランドのトップは英国君主の名代であるアイルランド総督 (the Lord Lieutenant of Ireland)で、実質的な権力者は総督に下属するアイルランド長官 (Chief Secretary for Ireland) だった。

 

また当時のダブリンには、2つの警察組織があった。非武装のダブリン首都警察(The Dublin Metropolitan Police)と武装警察部隊の王立アイルランド警察隊(Royal Irish Constabulary)。警察長官(the commissioner of police)とは前者のトップのことだろう。警察長官は(U252.535)に言及がある。(U243.127), (U254.656)にでてくるのは王立アイルランド警察隊のほう。

 

アイリッシュ・ゲームとはアイルランドで行われている伝統スポーツで、代表的なものとしてゲーリックフットボールハーリングがある。

 

f:id:ulysses0616:20210123164736j:plain

ハーリングチーム(Hurling Team)

"Hurling Team, 1907-1908." by stmunchins is licensed under CC BY 2.0

 

このブログの方法については☞こちら

 

 

32 (U540.1753)

概していえば、『ドン・ジョヴァンニ

第32投。540ページ、1753行目。

 

 

On the whole though favouring preferably light opera of the Don Giovanni description and Martha, a gem in its line, he had a penchant, though with only a surface knowledge, for the severe classical school such as Mendelssohn.

 

概していえば、『ドン・ジョヴァンニ』の類の軽いオペラやその系列の珠玉である『マルタ』を好みにおいて、愛好するが、表面的な知識しかないものの、メンデルスゾーンのような厳格な古典派に傾倒していた。

 

 

第16章。真夜中。馭者溜りでブルーム氏はスティーヴンに自分の音楽の好みを語っている。

 

この章は、たわいのないことを難しい言い回しで述べたり、ことさら外国語をつかったり、陳腐な慣用句やことわざを多用する文体となっている。

 

ここでも、On the whole とか a gem in its line といった慣用句が不自然に用いられる。penchant は気障なフランス語。favouring preferably は同義反復的だし、though を重ねて悪文となっている。

 

内容的にもまた違和感のあるものである。『ドン・ジョヴァンニ』は『マルタ』と同系列のオペラではないし、軽いものではない。メンデルスゾーンも、厳格な古典派ではない。

 

これはブルーム氏がそう思っているのだろうか、あるいは、ブルーム氏の台詞を無知な語り手が歪めているのだろうか。

 

ドン・ジョヴァンニ』は言わずと知れたモーツアルトのオペラ。ブルーム氏の妻モリ―は、愛人のボイランの企画するコンサートツアーでこのなかの曲を歌うことになっている、

 

『マルタ』(Martha)は、ブログの18回で触れたとおり、ドイツの作曲家フリードリッヒ・フォン・フロトー作曲のオペラ。今日の昼、オーモンド・ホテルでスティーヴンの父サイモンがそのなかの曲を歌った。ブルーム氏は、偽名で会ったこともない女性と秘密の文通をしている。その相手がマーサ(Martha)。

 

ドン・ジョヴァンニ』と『マルタ』は不義のテーマで通じている。

 

メンデルスゾーン(1809年 - 1847年)はブルーム氏とおなじユダヤ系の人である。

 

                     f:id:ulysses0616:20210912162949j:plain

                       メンデルスゾーン・バルトルディ(Mendelssohn Bartholdy)

File:Mendelssohn Bartholdy.jpg - Wikimedia Commons

 

このブログの方法については☞こちら

31 (U349.1574)

リンチ! はい?

第31投。349ページ、1574行目。

 

 

Lynch! Hey? Sign on long o’ me. Denzille lane this way. Change here for Bawdyhouse. We two, she said, will seek the kips where shady Mary is. Righto, any old time. Laetabuntur in cubilibus suis. You coming long? Whisper, who the sooty hell’s the johnny in the black duds?

 

リンチ! はい? おれと行かねー。デンジル小路のほう。ちゃぶ屋へ乗り換え。二人で行きましょ、彼女は言った、ハマのマリーのいる宿求め。りょ。いつだって。ソノ寝牀ニテヨロコビウタフベシ。つるんでいかねー? ひそひそ、あの黒服の陰キャ誰?

 

 

第14章の一番最後の段落。夜の11時ごろ。国立産科病院をでたスティーヴン、ブルーム氏、医学生らの一行は、近くの酒場バークで飲んだ後、外へとくりだした。スティーヴンとリンチ、それを追うブルーム氏は、これから「夜の町」娼家街へ向かう。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞってきたが、ここはその最終の部分で、1904年当時の口語、俗語、隠語、方言などの混合体(マカロニ体というのか)となっている。どの台詞を誰が言っているのかも定かでないように書かれている。

 

上は混合体風に訳してみた。分解して普通に訳すと次のようになるかと思う。

 

ティーヴン: リンチ。

リンチ: 何だい。

ティーヴン: ぼくといっしょに来いよ。デンジル小路のほう。ここで売春宿へ乗り換え。「二人して」と彼女は言う「いかがわしいメアリーのいる安宿を探しましょう。」

   Sign on は join ということ

   long o’ me は along of me と思う

          We two, she said, will seek the kips where shady Mary is.

          はダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828-82)の長詩 “The Blessed Damozel”
        (1850 年初出)の一節のもじり。神秘的で神聖なものを卑俗なものに
         転倒している。

 

          若くして死んだ乙女が、天国の宮殿の手すりから、地上に残した恋人を慕う
          という内容。

   "We two," she said, "will seek the groves  

   Where the lady Mary is,

   With her five handmaidens, whose names

   Are five sweet symphonies,

   Cecily, Gertrude, Magdalen,

   Margaret and Rosalys.

   「二人して」と彼女は言う、「聖母マリア

     おわします木立を探しましょう。

    おそばには五人の侍女、その名は

     五つの甘美な交響曲

    セシリー、ガートルード、マグダレン

     マーガレットにロザリス

   
   「天つ乙女」より(松村伸一訳『D.G.ロセッティ作品集』岩波文庫、2015年)

  

リンチ: よろしい。何時だって。

  Rightoは 口語で Right you are

  any old… は口語で「どんな…でも」

 

ティーヴン: ソノ寝牀ニテヨロコビウタフベシ。

  旧約聖書の「詩編」第149篇の第5節

  「聖徒は栄光の故によりてよろこび  その寝牀にてよろこびうたふべし」
  の引用。
  「イスラエルの聖徒は回復された栄光のため喜び、日中だけでなく夜中も
  その寝床でも喜び歌え」との意だが、曲解して神聖な聖句を卑俗なものに
  転倒している。

 

リンチ: いっしょにくるかい。(小声で)あの黒服を着たくそったれは誰だい。

   come long  は come along だろう

   sooty hell   は、bloody hellと同様の罵倒

   johnny は、やつ

 

  前半はブルーム氏に話しかけ、後半はスティーヴンに話しているよう。
  ブルーム氏は今日の午前、友人のディグナムの葬儀に参列したので
  喪服を着ている。

 

 

さて、ロセッティは、後年友人や後援者に、彼の詩 “The Blessed Damozel” を絵に描くよう勧められ、下に掲載の油彩を描いた。

 

夏目漱石はこの絵に触発されて『夢十夜』(1908)の「第一夜」を書いたという。

「死んだら、埋めて下さい。大きな眞珠貝で穴を掘つて。さうして天から落ちて來る星の破片を墓標に置いて下さい。さうして墓の傍に待つてゐて下さい。叉逢ひに來ますから。」

 

読み飛ばすような一節だが、こんな色んなものが出てくるとは、思いもよらなかった。

 

f:id:ulysses0616:20210117213613j:plain

「祝福されし乙女」(Blessed Damozel)

File:Rossetti BlessedDamozel replica 1879.jpg - Wikimedia Commons

 

このブログの方法については☞こちら

 

30 (U162.476)

彼は引き返す、自分を、古傷を舐める老犬を、

第30投。162ページ、476行目。

 

今日はジョイスチューリヒで亡くなって(1941年1月13日)から80年の日だったんですね。このブログでは乱数に基づいて行き当たりばったりのところを読んでいますが、それにふさわしい場所が当たったと思います。

 

 

He goes back, weary of the creation he has piled up to hide him from himself, an old dog licking an old sore. But, because loss is his gain, he passes on towards eternity in undiminished personality, untaught by the wisdom he has written or by the laws he has revealed. His beaver is up.

 

彼は引き返す、自分を、古傷を舐める老犬を、自分から隠すために積み上げた創造に倦み果てて。しかし、彼の失うものは彼の利得なのだから、そうして不滅の人格の永遠へと歩みを進める。彼の書いた叡智にも彼が明らかにした法則にも無垢のままに。彼の顔当は上がっていた。

 

第9章。図書館で『ハムレット』について論じるスティーヴンの台詞または頭の中。第9章は演劇が主題であり、スティーヴンは自分を演じている。だから本当に彼が思っていることかはわからない。

Heは、定かでないが、シェイクスピアのことでしょう。

 

このブログの21回に書いた通り、スティーヴンの説はシェイクスピアと『ハムレット』の父王を同一視するもの。

シェイクスピアは年上の女性アン・ハサウェイに誘惑されやむなく結婚した。そして妻のアンはシェイクスピアの弟リチャードと不義の関係があった。この関係が『ハムレット』に投じられている。

父王ハムレットは、弟のクローディアスに暗殺され、王の妻のガートルードはクローディアスと結婚した。

この一節はいったいどういう意味なのか、とても難しい。ブログの21回の部分もにらみ合わせて、こういう意味ではないか、と納得できてきた。

 

ジョイスは次の2つの関係を並行して考えている

  A. 神と世界の創造

  B. 芸術家とその創作の創造。つまりシェイクスピアとその作品世界の創造

 

そして次の父子関係を並行して考えている。

  a. 神とその「同一実体」の子であるキリスト

  b. シェイクスピアとその分身、父王ハムレット

  c. 父王ハムレットとその息子、ハムレット王子

 

同一実体(consubstantial, consubstantiality)はキリスト教の根幹である三位一体説を説明する概念で、「父(神)と子(イエス)と聖霊」は三つの位格をもつが本質的に一つの実体であるということ。

この語は『ユリシーズ』に6回使われる。(U17.658) (U32.50) (U32.62) (U162.481)(U321.308) (U558.538)。この小説のキーワードの一つだろう。

古傷とは、アンに負わされた心の傷をいう。

シェイクスピアは、心の傷を、あらゆる経験を、創作に反映することで、みずからはその背後に、神の如き不朽の文豪の地位を築いた。

損失は彼の利得、とは、作中に描かれた彼のさまざまなトラウマや葛藤は、作者としての彼の利得となるということではないか。

そして、ジョイスは 、
  C. 自分とその作品、つまり自分と『ユリシーズ』 その他の作品の関係

をA.Bと並行して考え

    d. 自分とその分身スティーヴン
       e. ブルーム氏とその小説上の息子、スティーヴンの関係

をa.b.c.と並行に考えた。

 

彼は、自分自身とその家族、自分の生まれ育った町ダブリンに執拗にこだわりつづけ、その身の回りの一切を作品に反映することで、自分は神の如き創作者になろうとした。彼が『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』のような作品を書いたことの意味はこの一節に表れているのではないか。

 

顔当 beaver は、西洋の甲冑で顔を保護するシールドのこと。『ハムレット』第1幕第2場の引用である。ハムレットの腹心ホレイショーたちの前に現れた父王の亡霊は鎧をまとい、その顔当は上がっていた。

 

ハム         甲冑を着けてゐたと申すか?

マー、バー   さやうにござりまする。

ハム              頭(かしら)より爪先までも?

マー、バー   御意の通り 頭(かしら)より爪先までも。

ハム             では顏は見えなんだな?

ホレ      いや、見えましてござる、 顏當(かほあて) が引上げてござりました。

 

                   『ハムレット』(坪内逍遙譯、1933年)

 

f:id:ulysses0616:20210113224231p:plain

ハムレット、ホレイショー、マーセラスと亡霊

(Hamlet, Horatio, Marcellus, and the Ghost)

File:File-Hamlet, Prince of Demark Act I Scene IV.png - Wikimedia Commons