Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

104 (U584.1464)

1904年6月16日の収支報告を作成せよ。

第104投。584ページ、1464行目。

 

 

 

第17章。この章は始めから終わりまで、問と答で書かれている。ブルーム氏の本日の収支について回答が示される。この収支表は『ユリシーズ』の本文中に掲載された異質な要素として目を引く有名なもの。

 

この表を詳しく見ていくといろいろな問題がある。

 

 

Budget とは、通常は「どれくらいの資金をどのように使うかという計画、予算」の意味だが、ここはブルーム氏の今日のお金の出入りの記録を作れということなので、「収支報告書」とした。

 

英国の通貨

まず、英国のお金の整理から。

1ポンド(£)  は  20シリング (s)
1シリング (s) は  12ペンス (d)

 

Currency converter というサイトで過去の金額について現在での価値が計算できる。

 これによると

当時の1ポンドは現在の78ポンドに相当し円でいうと約13,000円。

1シリングは現在の4ポンドで660 円に相当。

1ペニーは現在の0.3ポンドで55円に相当。

 

貨幣および商品の流通

時系列にそってお金の出入りを見てみよう。(貸方つまり入金は青字)

 

第4章

①まず、手持ちのお金が4シリング9ペンスだった。

 

②エクルズ通りの自宅の近所、ドルーガックの店で朝食用の豚の腎臓を購入。

 

第5章

③自宅からからサー・ジョン・ロジャースン河岸通りまでのどこかでフリーマンズ・ジャーナル紙を購入

 

リンカーン・プレイスのスウィニー薬局で、モリーのために化粧水を注文する。2シリング9ペンス。石鹸を4ペンスで購入。合計3シリング1ペニー。これは化粧水を取りに来た時にまとめて払うことにしたのだが、結局取りに行かなかったので、支出していない。ブルーム氏は石鹸は受け取って風呂で使っている。収支報告に記載はない。

 

⑤薬局の近くのトルコ風呂で入浴。Gratificationはチップの古い言い回し。

 

第6章

⑥入浴後、ナッソー通りの駅からサンディマウント行の路面電車に乗りトライトンヴィルで下車したと推測。亡くなったディグナムの家を訪問。

 

⑦ブルーム氏がディグナムのお悔やみに5シリング出したことが第10章で語られている。

—Look here, Martin, John Wyse Nolan said, overtaking them at the Mail office. I see Bloom put his name down for five shillings.

—Quite right, Martin Cunningham said, taking the list. And put down the five shillings too.

(U202.974―)

 

しかし、ブルムー氏の手持ちのお金が4シリング9ペンスだったとすると、この時点で5シリングは払えないはずだ。⑧の報酬をもらった後なら払えるのだが。

 

第7章

⑧墓地でのディグナムの葬儀の後、フリーマンズ・ジャーナル社で広告取の手数料をもらっている。

 

第8章

⑨オコンネル橋のあたりで物売りの老婆から2つ1ペニーのバンベリーケーキを買い、リフィー川のカモメに投げている。バンベリーケーキは、干しブドウ、砂糖煮のレモンなどを入れた楕円形のパイ。

 

"File:Banbury cake.jpg" by Redrose64 is licensed under CC BY-SA 3.0.

⑩デューク通りのデイヴィ―・バーンでゴルゴンゾーラのサンドイッチとブルゴーニュワインの昼食。昼食ではチップを払っていない。

 

第10章

⑪マーチャンツアーチの貸本屋で妻のモリーのため「罪の甘美」を借りている。貸本屋の保証金の更新料が1シリングなのだろう。

 

第11章

⑫文通相手のマーサに手紙を書くため、オーモンド河岸通りのデイリーの店で2枚+予備1枚のクリーム色の模造皮紙と封筒2枚 “Two sheets cream vellum paper one reserve two envelopes” を購入。Packet Notepaper の packet はなんだろうか。紙の大きさだろうか。調べても分からない。便箋1セットの「セット」ということと思う。

 

⑬オーモンドホテルのレストランで夕食。シードル1瓶とマッシュポテト付きのレバーとベーコンを食べた。2シリングのうち2ペンスがチップ。ここでマーサへの手紙を書いた。

 

⑭ホテルを出てその近く、オーモンド河岸通りにある郵便局で、マーサ宛ての手紙を出す。ブルーム氏はマーサへの手紙に郵便為替(postal order)を同封している。郵便為替とは、差出人が郵便局の振り出す為替証書によって送金する制度。受取人は郵便為替を郵便局で換金する。

 

1922年アイルランド独立後の郵便為替

File:Postal Order Provisional Govt Ireland overprint 1922.jpg - Wikimedia Commons

 

ブルーム氏は第8章でマーサに金を送ることを思いついている。

Postoffice. Must answer. Fag today. Send her a postal order two shillings, half a crown. Accept my little present. Stationer’s just here too. Wait. Think over it.

(U149.1132)

 

第11章でさらにお金の勘定をして、マーサに送る金を決めている。

Five Dig. Two about here. Penny the gulls. Elijah is com. Seven Davy Byrne’s. Is eight about. Say half a crown. My poor little pres: p. o. two and six.

(U229.866-)

 

半クラウン銀貨は2シリング6ペンス。2シリング6ベンスの郵便為替を送ろうと考えている。それには1ペニー手数料がかかるのではないだろうか。手数料は調べても分からなかった。そして封筒に張る切手代が1ペニーで合計2シリング8ペンスになったと推測。

 

第12章

⑮ブルーム氏はバーニー・キアナンの酒場で2ペンスらしい葉巻を吸っているが、これは買ったのでなくハインズにもらったらしい。

 

第13章

⑯サンディマウント駅から路面電車に乗車、おそらくマウント通りで下車してホリス通りの産科病院へ行った。

 

第14章

⑰ホリス通りのバークの酒場で、ブルーム氏はおそらくジンジャー・コーディアルを飲んでいるようだが、おごってもらったのか、支払っていないようだ。

 

⑱娼館街に行くためウェストランド・ロウ駅からアミアンズ通り駅まで鉄道に乗車したはずだが、賃は収支報告に記載されていない。

 

当時の電車賃がわからないが、検索した記事から3等の最低料金は1ペニーのようだ。

 

第15章

アミアンズ通りの駅から出てきたときすでにどこかでチョコレートを買っている。チョコレートが  Fry’s Plain Chocolate であることはこの収支で初めてわかる。

 

これは英国の J.S.Fry & Sons 社のチョコ。フライ社は1847年世界ではじめて固形のチョコレートを製造した。フライ社は、CadburyおよびRowntree'sと並んで、19 世紀から 20 世紀にかけて英国の 3 大菓子メーカーの 1 つであり、3 社ともクエーカー教徒によって設立されたという。のちにフライ社はCadburyに吸収され現在もフライブランドのチョコはCadbury社により生産されている。

 

Plain Chocolate とは、乳製品を加えないチョコレートのことで、板チョコという意味ではない。

 

フライ社のの広告用ポストカード

"Advertising postcard for Fry's Chocolate - early 1900s" by Aussie~mobs is marked with Public Domain Mark 1.0.

 

⑳チョコとおなじくどこかでパンを買っている。15章では単に bread と呼ばれているが、収支報告では soda bread と記載されている。

 

ソーダブレッド(soda bread)とは、膨張剤としてイースト菌の代わりに炭酸水素ナトリウム(重曹)を用いたクイックブレッドの一種。

          

"Irish soda bread #snow" by John C Abell is licensed under CC BY-NC-SA 2.0.

 

㉑トールボット通りのオルハウセン肉店で豚の腿肉と羊の脚肉を購入。

 

チョコやパン、豚や羊の肉をなぜ買っているのは謎だ。

 

㉒ベラ・コーエンの娼館でややこしいお金のやりとりがある。

 

ティーヴンがベラにお勘定(1人10シリング、3人で30シリング)を要求されて1ポンド紙幣(20シリング相当)、さらに半ソヴリン金貨(10シリング)とクラウン銀貨2枚(10シリング相当)を支払う。ブルーム氏は半ソヴリン金貨(10シリング)を出しスティーヴンの渡した1ポンド紙幣(20シリング)を返してもらいスティーヴンに渡す。結局スティーヴンが2人分、ブルーム氏が1人分払ったことになる。

 

しかしブルーム氏のこの支払は収支報告に記載されていない。

 

㉓酔っぱらったスティーヴンを心配して、彼の持ち金1ポンド7シリング(正確には1ポンド6シリング11ペンスのようである)を預かる。

 

㉔スティーヴンが壊したシャンデリアの弁償代としてベラに1シリング支払う。

これも収支報告に記載がない。

 

第16章

㉕ベレスフォードプレイスの馭者溜りでスティーヴンのために丸パンとコーヒーを買ってやる。“bun”は小型の丸いパンのことをいう。

  

これはホットクロスパン。

"Hot cross buns" by Akane86 is licensed under CC BY-NC-ND 2.0.

 

第17章

㉖自宅に連れてきたスティーヴンに先ほど預かった1ポンド7シリングを返却。

 

㉗残金が16シリング6ペンス。

 

㉘ブルーム氏はチョッキの左下のポケットに1シリング銀貨を発見しており、それはおそらく昨年シニコウ夫人の埋葬の際にそこに入れたものだった。この1シリングは残金に含まれていると思われる。なぜならこの1シリングの発見の直後に収支報告をしているのだから。

 

チョコレートの価格

お金の出入は以上だが、借方(支出)を合計してみると、2ポンド18シリング4ペンスとなり総額と合わない!

このブログはThe Project Gutenberg のテキストからコピーして使っているが、チョコレートの値段が1ペニーになっているのが問題のようだ。ベージ数と行数の根拠としてみているGabler版によると、1シリングとなっており、これなら計算が合う。

 

当時のチョコはいくらしたのだろう。フライ社のチョコのことは分からなかったが、検索した記事(Snack History)によるとアメリカのハーシー (Hershey) 社のチョコバーは1900年に5セントだったという。The Infration Calculator という米ドル換算サイトによれば、1900年の5セントは現在の1.65ドルというから、今の220円くらい。

 

ということでフライ社のチョコが1ペニー(現在の55円)である可能性はあるが、1シリング(現在の660円)であることはなさそうだ思われる。しかし総額がまちがっているこということは考えにくいので、やはり収支報告上の数字は1シリングと表記するのが正しいとみるべきでしょう。

 

可能性として、①ジョイスがうっかり1シリングと間違った、②ジョイスがわざと1シリングと間違えた、③ほんとうにチョコが1シリングした、ということが考えられる。その答えはわからない。

 

問題とその解決

いったい誰がこの収支報告の作成を命じて、誰が作成しているのかという問題。これは第17章全体にわたる謎だ。

 

⑰夜の町への交通費、㉑娼館での支払い、㉓娼館のシャンデリアの弁償、が省かれてていることから見て、この収支報告には、娼館に行ったことを隠蔽したいとのブルーム氏の意思(またはその深層意識)が反映していると考えられる。

 

残金は報告書作成の時点であるものなので報告書と合っていると考えるべきだろう。

 

⑰の1ペンス+㉑の10シリング+㉓の1シリングの計11シリング1ペンスの支出が消去されているので、本当は始めの持ち金が11シリング1ペンス多かった、つまり4シリング9ペンス+11シリング1ペンスで15シリング10ペンスだった、ということではないか。そうするとディグナムのお悔やみが払えないはず、という矛盾も解決する。

 

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103 (U443.3210)

ベロ:死んじまえ、お前に少しの良識や自尊心でもあるならな。

第103投。443ページ、 3210行目。

 

 BELLO: Die and be damned to you if you have any sense of decency or grace about you. I can give you a rare old wine that’ll send you skipping to hell and back. Sign a will and leave us any coin you have! If you have none see you damn well get it, steal it, rob it! We’ll bury you in our shrubbery jakes where you’ll be dead and dirty with old Cuck Cohen, my stepnephew I married, the bloody old gouty procurator and sodomite with a crick in his neck, and my other ten or eleven husbands, whatever the buggers’ names were, suffocated in the one cesspool. (He explodes in a loud phlegmy laugh.) We’ll manure you, Mr Flower! (He pipes scoffingly.) Byby, Poldy! Byby, Papli!

 ベロ:死んじまえ、お前に少しの良識や自尊心でもあるならな。レア物の古ワインをのませて地獄めぐりさせてやることもできるんだぜ。遺言に署名して有り金ぜんぶ渡しな。持っていなけりゃ、なんとか工面しな、盗んで来い、かっぱらって来い。裏の茂みの便所に埋めてやる、おれの元旦那で、腹違いの兄弟の息子、痛風病みの変態じじい、首の筋を違えたクック・コーエンといっしょに汚物にまみれてくたばっちまえ、おまけに10人やそこらの元夫と、奴らの名前はどうでもいいさ、いっしょにくそ溜めで溺れさせてるさ。(痰のからんだ笑いを放ち)ミスター・フラワー、肥やしをやるぜ(甲高い声で嘲る)バイバイ、ポールディー。バイバイ。パパりん。

 

ちょうど前々回の場面で登場した、娼館の女主人ベラ・コーエンが、男性化し、ベロとなって、ブルーム氏を罵倒している場面。第12章の語り手の批評的罵倒と、第15章のベロの対面的罵倒は双璧の過激な口語表現。

 

ブルーム氏の自虐的な深層心理が幻想として具現化していると思われる。昼間の出来事が変形されて夢を見るように、今日の出来事がもとになっているようだ。

 

"… and be damned" は「…しちまえ」と言うくらいの感じかと。

”… to you”  がわからない。"… by yourself"  ということだろうか。

 

"go to hell and back" で「非常に不快、苦痛、困難を経験する」との意味がある。

なぜ "a rare old wine" でそうなるのか分からない。おそらく、第8章で、ブルーム氏が飲んだブルゴーニュワインに由来するのだと思うが。

 

"sign a will"  というのも、第8章でブルーム氏が、決して署名しないと噂されていることをからかっているように思う(88回参照)。

"jakes"とは、スラングで屋外に設けられた便所(一般には"outhouse"「外便所」という)のこと。北米では"John"というらしい。ともに人名にかかわるが、由来については検索したが確たることはわからない。

 

ブルーム氏は、今朝、第4章の場面で、自宅の離れの便所を使っていて、これは jakes と呼ばれている。ここから呼び出されたものと考えられる。

 

He kicked open the crazy door of the jakes. Better be careful not to get these trousers dirty for the funeral. 

(U56.494)

He pulled back the jerky shaky door of the jakes and came forth from the gloom into the air.

(U57.539)

 

「便所に埋められて溺れ死ぬ」というのはもちろん、第6 章のディグナムの埋葬から連想されている。ブルーム氏はまた「溺死は一番気持ちのいい死に方」と思っている。

 

Earth, fire, water. Drowning they say is the pleasantest.

(U94.887-)

 

”Poldy!” はブルーム氏の名前レオポウルドの愛称で、妻のモリーが彼をこう呼ぶ。

”Byby,” ” Papli!” は、今朝、第4章の場面で受け取った、娘のミリーの手紙において、ミリーがブルーム氏に呼びかける言葉。

 

Dearest Papli

(本文略)

                    Your fond daughter

                        Milly

P.S. Excuse bad writing am in hurry. Byby.

                        M.

(U54.397‐414)

 

ミスター・フラワーはブルーム氏が秘密の文通で使っている彼の偽名。肥やしをやるというのはフラワーに因んで。ブルーム氏は第4章で便所に行く時に、肥料としての鶏や牛の糞のことを考えている。

 

The hens in the next garden: their droppings are very good top dressing. Best of all though are the cattle, especially when they are fed on those oilcakes. Mulch of dung.

(U55.478-)

 

ベロが甲高い声を出すのは、モリーやミリーの声をまねているのだ。

 

        

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pahnila_Outhouse_Simo_20090630.JPG

 

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102 (U382.1114)

(長手袋のボタンを勢いよく外し。)もちろんよ。生まれついての豚犬め。

第102投。382ページ、1114行目。

 

 THE HONOURABLE MRS MERVYN TALBOYS: (Unbuttoning her gauntlet violently.) I’ll do no such thing. Pigdog and always was ever since he was pupped!

 

このブログでは、乱数に基づいてランダムに『ユリシーズ』読んでいます。今回は第94回と同じところが当たったのでパスです。同じところが当たったのは2回目。まだ第3章には一回も当たらないのに。

 

"Pig-Dog" by pterjan is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

101 (U430.2749)

(ドアが開く。ベラ・コーエン、娼館の女主人の巨体が現れる。

 

第101投。430ページ、2749行目。

 

(The door opens. Bella Cohen, a massive whoremistress, enters. She is dressed in a threequarter ivory gown, fringed round the hem with tasselled selvedge, and cools herself flirting a black horn fan like Minnie Hauck in Carmen. On her left hand are wedding and keeper rings. Her eyes are deeply carboned. She has a sprouting moustache. Her olive face is heavy, slightly sweated and fullnosed with orangetainted nostrils. She has large pendant beryl eardrops.)

(ドアが開く。ベラ・コーエン、娼館の女主人の巨体が現れる。裾を折り返しで縁どった房付き七分丈のアイボリーのガウンを着て、カルメン役のミニ―・ホークみたいに黒い角製の扇をあおいで涼をとる。左の手には結婚指輪と止め指輪。目に黒々シャドーを入れ、口ひげが生えている。でっかいオリーヴ色の顔にうっすら汗をかいて、小鼻に橙色の染みのある鼻があぐらをかいている。大きな緑柱石のイヤリングをぶら下げて。)

 

第15章。夜中の。ブルーム氏はスティーヴンとリンチの2人を追って、夜の町の娼館へやってきた。娼館の女主人ベラ・コーエンが登場する場面の描写。

 

ミニー・ホーク(Amalia Mignon Hauck "Minnie" Hauk, 1851年 - 1929年)は、アメリカ出身のオペラ・ソプラノ歌手。14歳で、ブルックリンでベッリーニのオペラ『夢遊病の娘』(『ユリシーズ』でおなじみの作品だ。)でオペラ歌手としてデビュー。1878年ブリュッセルで、ジョルジュ・ビゼーのオペラ『カルメン』で主役を演じ、以降この役で大成功を収めた。

 

                             

        カルメンを演じるミニ―・ホーク

Minnie Hauk Collection | Lucerne University of Applied Sciences and Arts (hslu.ch)

 

キーパーリング "keeper ring" とは、ダイヤなどの宝石がはめられた高価な指輪が指から滑り落ちないよう、ストッパーの役割として重ねて着けるリング。

 

日本人にとってはオリーヴ色の顔というのは変な感じがするが、西洋ではオリーヴ色は肌の色を表すバリエーションの一つなのだそうだ。

 

「橙色の染みのある小鼻」というのも変だ。どうも色が意識的に用いられていると感じて、気がついた。緑柱石のイヤリング、象牙色のガウン、橙色の染み、これはアイルランドの、緑、白、オレンジの三色旗の色になっているのだ。

 

        

 File:Irish flag (220399586).jpg - Wikimedia Commons
               

小説の現在、1904年アイルランドは英国の一部なのでその国旗はない。しかしこの旗が民族主義の象徴として使用された記録は1830年にあり、国のシンボルとして初めて使われるのは1916年のイースター蜂起ということ。三色の旗のイメージは当時も存在したはず。

 

しかし、なぜベラ・コーエンに三色旗なのかはわからない。さらに再読してみなければ。

 

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『ユリシーズ』と『2001年宇宙の旅』

2つの作品の類似について

 

ランダムに小説『ユリシーズ』を読んできましたが、ちょうど100個まで来たので2度目の踊り場として脱線、小休止です。

 

映画『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey、1968年公開)の製作50周年を記念して2018年に出版された『2001:キューブリック、クラーク』(マイケル・ベンソン著, 添野知生監修, 中村融 他翻訳、早川書房)は、映画の構想から公開までを綴ったドキュメンタリーで興味深く読みました。冒頭のプロローグはこうはじまります。

 

20世紀はホメロスの『オデュッセイア』の偉大な現代版を二作生み出した。まずはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』。 ・・・ もうひとつがスタンリ―・キューブリックアーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』だ。 

 

小説『ユリシーズ』(1922年出版。今年は出版100周年)と、映画『2001年宇宙の旅』(以下『2001年』とします)、それぞれのジャンルで一番好きな作品ですが、これを読んで、どちらもホメロス叙事詩をモチーフにしていることに気が付かされました。

 

まず固有名詞の確認です。『オデュッセイア』は古代ギリシア語で、詩人ホメロスの作として伝承された、オデュッセウスを主人公とする長編叙事詩のタイトル。オデッセイ(Odyssey)は、その英語表現。『オデュッセイア』は、ラテン語にするとUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)となり、さらにこの英語表現がUlysses(ユリシーズ)となります。

 

よく考えてみると両者には意外な類似点がたくさんあります。それを1ダース挙げてみました。なお『オデュッセイア』をモチーフにしているのだから似ているのは当然、というところは省きます。

 

手持ちの本を色々見てみましたが、キューブリックとクラークがジョイスの『ユリシーズ』を参考にしたという事実は確認できないので、これら類似点は偶然であり、単に面白がっているだけであることをお断りしておきます。

 

①3部構成

『2001年』は、第1部ー人類の夜明け(The Dawn of Man) 第2部ー木星への旅(Jupiter Mission) 第3部ー木星 そして無限の宇宙の彼方へ(Jupiter and Beyond the Infinite)の3部構成。

 

ユリシーズ』も、が第1部(第1章~第3章)、第2部(第4章~第15章)、第3部(第16章~18章)の3部構成。

 

ユダヤの印を帯びた主人公

『2001年』の人間の主人公は、ヘイウッド・R・フロイド博士とデヴィッド・ボーマン船長。

 

船長の名前が、デヴィッド・ボーマン(David Bowman)にきまったのは、『2001:キューブリック、クラーク』(P.111)によると1964年の8月ごろのこと。しかし弓(bow)の名手であるオデュッセウスとのつながりは偶然とのこと。このことは触れられていないが、デヴィッドは古代イスラエルの王、ダビデに由来する名前。ボーマンはユダヤ人かどうかはわからないが。

 

フロイド博士(Dr. Floyd)については、日本人としては、ユダヤ人で精神分析学者のジークムント・フロイト博士(Sigmund Freud)を思い出してしまうが、綴りがちがう。Floydはウェールズ系の名前のようだ。

 

ユリシーズ』の主人公の一人はレオポルド・ブルーム氏(1864年生れ)だが、彼はハンガリーからアイルランドに移住してきたユダヤ人の息子。

 

オデュッセウスに対応する2人の主人公はともにユダヤ的な印を帯びている。

 

ハンガリーといえば、『2001年』にその音楽が使われたジェルジュ・リゲティ(Ligeti György Sándor 1923年 - 2006年)はユダヤ系のハンガリー人。キューブリック(Stanley Kubrick 1928年 - 1999年)も中欧にルーツを持つユダヤ系移民の子孫。彼らはブルーム氏の孫くらいの世代になる。

 

③平凡な主人公

フロイド博士とボーマン船長は、映画の主人公らしくない個性のない人物。私はこの映画を見るたびフロイド博士が月面基地でおこなう演説に中身がないので笑ってしまう。

 

ボーマンBowmanというのは、Noman にも通じて、これも偶然でしょうが、オデュッセウスに通じる。オデュッセウスは、一つ目巨人キュークロプスの島で名前をたずねられたとき「ウーティス」(ギリシャ語で「誰でもない」の意)と名乗った。

 

ユリシーズ』の主人公ブルーム氏も、長編小説の主人公にはとてもなれそうもない平凡な人物との設定となっている。

 

④夜明けで始まりベッドで終わる

『2001年』の第1部は「人類の夜明け」で、地球の向こうに太陽が昇るところから始まる。映画の最後から2番目のシーンは、白い部屋のベッドに横たわるボーマン。白い部屋は、「ロココ調のルイ14世様式の部屋」(P.291『2001:キューブリック、クラーク』)といわれる。つまり18世紀の様式。

 

ユリシーズ』は、1日の物語なので、小説のもう一人の主人公であるスティーヴン・デッダラスの住むマーテロー塔の朝の場面で始まる。最後の章の舞台はブルーム家のベッドルームで、眠る妻モリーの夢うつつの意識で終わる。エクルズ通り7番地のブルーム家の建物は18世紀末に建てられた英国ジョージアン様式。映画のような立派な部屋ではないけれど。(ブログの83回

 

ちなみに、世界各国のホテルの平面図をイラストにした本、『旅はゲストルーム』(浦 一也 著、知恵の森文庫) には、『2001年』の部屋の平面図のイラストがある。

 

"Image" by jrmyst is licensed under CC BY-NC 2.0.

 

⑤「ツァラトゥストラはかく語りき

『2001年』では、Rシュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき』の導入部「日の出」が使われている。これは、曲がマッチすることに加えて、ニーチェの超人思想と映画のテーマを重ねているのと、太陽が昇る場面であることに重ねていると考えられる。

 

ユリシーズ』の冒頭第1章で、スティーヴンの友人のマリガンがふざけてニーチェ「超人」に言及する。1904年当時の流行の思想だったのだろう。キンチはスティーヴンのあだ名。

 

ー12番目のあばら骨がなくなった、と大声で、おれは超人だ。歯なしのキンチとおれはスーパーマン

 

―My twelfth rib is gone, he cried. I'm the Űbermensch. Toothless Kinch and I, the supermen.

(U19.708)

 

⑥豹が現れる

『2001年』の第1部では、猿が豹に襲われる。

 

ユリシーズ』の冒頭第1章で、スティーヴンの住居マテーロー塔に居候しているイングランド人、ヘインズは前の晩「黒豹」の夢を見て銃を振りまわした。

 

⑦食事の場面、トイレの描写

『2001年』に食事の場面が多いことはかねてよりよく指摘されている。

 

猿が草と水たまりの水と獏の肉を/豹が猿とシマウマを/宇宙ステーションでソ連の科学者が酒らしきものを/宇宙船でフロイド博士と乗務員が宇宙食を/ムーンバスで乗員がサンドイッチとコーヒーを/ディスカバリー号でボーマンとプールが宇宙食を/白い部屋でボーマンはフランス料理らしきものとワインを。

 

            

"2001 A Space Odyssey Flat Screen TV" by Dallas1200am is licensed under CC BY-NC-ND 2.0.

 

またキューブリック監督の他の作品と同様、トイレが描かれる。

フロイドは宇宙船エリアスの無重力トイレを使う。ラストの白い部屋のバスルームにトイレがある。

 

ユリシーズ』において、ブルーム氏の食事は律儀に描写される。

 

朝は自宅で豚の腎臓のソテーと紅茶/昼はデイヴィー・バーンでゴルゴンゾーラチーズのサンドウィッチとバーガンディのワイン/夕刻にはオーモンドホテルでレバーとベーコンにシードル/バーニーキアナンで葉巻/産院の後、酒場バークでジンジャーコーディアル/夜の町でチョコレートとソーダブレッド/馭者溜でコーヒーらしきものとロールパン/帰宅して台所でココア。

 

またブルーム氏の排泄も言及される。

朝に自宅の裏庭のトイレで大。昼はデイヴィー・バーンの裏庭のトイレで小、ディグナナム家を再訪したあと立小便。夜中に自宅の裏庭でスティーヴンとつれしょん。

 

⑧主人公と娘の交信

フロイド博士は宇宙ステーションで、地球にいる娘とテレビ電話で会話をしている。娘は誕生日に猿を買ってほしいという。

 

ユリシーズ』で、ブルーム氏は娘のミリーからの手紙を受け取る。ミリーは15歳になったばかりで、写真館に住み込みで働いている。手紙ではブルームに、誕生日祝いにもらった帽子の礼を述べる。

 

⑨親しい人物の死

ボーマン船長の同僚である副船長フランク・プールの死は『2001年』のストーリ上の大きな事件となる。ボーマンはプールの死骸を葬ることになる。

 

プルーム氏にとって今日の主要な用事は友人ディグナムの葬儀に参列することである。

 

⑩ストーリーと受胎発生の関連

木星へ向かうディスカバリー号精子の形をしている。(P.422『2001:キューブリック、クラーク』)意図的か確証がないが、ボーマンのスターチャイルドへの転生に関連づけられていると思われる。

 

                   

"Stanley Kubrick in EYE" by FaceMePLS is licensed under CC BY 2.0.

 

ユリシーズ』の第14章は、産院を舞台とし、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。その構想に関して、ジョイスはフランク・バッジェン宛の手紙で述べている。(ブログの34回

 

場面:産科医院。技法:サルティウスータキトゥス的序曲(未授精の卵子)に続く区切りのない9パートの挿話、・・・ブルームは精子、病院は子宮、看護婦は卵子ティーヴンは胎児

 

Scene, lying-in hospital. Technique: a nineparted episode without divisions introduced by a Sallustian-Tacitean prelude (the unfertilized ovum), … Bloom is the spermatozoon, the hospital the womb, the nurse the ovum, Stephen the embryo.

(Letter from Joyce to Frank Budgen, 20 March 1920)

 

⑪天体と胎児

『2001年』は、地球と傍らのスターチャイルドのシーンで終わる。

 

ユリシーズ』の最後から2つ目の第17章では、ブルーム氏は妻モリーの寝ているベッドにもぐりこみ、半球 (hemisphere) と描写されたモリーの尻の傍らで胎児 (childman) の姿勢で眠る。

 

 そして?

 彼はキスした、ふっくら、まろやか、イエローの、匂やか、メロンの尻に、両のメロン半球に、まろやかイエローの畝に、秘められ引き延ばされ誘われて、メロン匂やかな接触

 

 Then?

 He kissed the plump mellow yellow smellow melons of her rump, on each plump melonous hemisphere, in their mellow yellow furrow, with obscure prolonged provocative melonsmellonous osculation.

(U604.2240-)

 

 いかなる姿勢で?

・・・チャイルドマンは倦み、マンチャイルドは子宮に。 

 

 子宮に? 倦む?

 床に就いた。彼は旅した。 

 

 In what posture?

・・・the childman weary, the man child in the womb.

 

 Womb? Weary?

 He rests. He has travelled.

(U606.2311-)

 

第18章について、ジョイスやはりフランク・バッジェン宛の手紙で述べている。彼はこのモリーの章を天体としてイメージした。

 

ひとつ目のセンテンスは2500語なら成り、この章は8つのセンテンスから成ります。女性の語Yesで始まり、Yesで終わります。それは大きな地球のようにゆっくり着実に等速でぐるりぐるりと回転します。

 

The first sentence contains 2500 words. There are eight sentences in the episode. It begins and ends with the female word yes. It turns like the huge earth ball slowly surely and evenly round and round spinning,

(Letter from Joyce to Frank Budgen, 16 August 1921)

 

⑫神についての映画。芸術家による世界の創造

 

最後に、これはますます主観的な意見になりますが。

 

神のごとき監督が、現実世界に拮抗するようなリアルな映画を創造したのが『2001年』。そしてそれは神についての映画でもあった。

 

キューブリック:『2001年』の核心には神の概念があると言っておこう ― だが。それはこれまでの伝統的な、人間の形をした神ではない。」

(1968年「プレイボーイ」誌のインタビュー 『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』ジェローム・アジェル編、富永和子訳、ソニー・マガジンズ

 

そして神の分身のようなモノリスを作品の中に置いた。

 

さらに、驚いたことにボーマン船長の呼吸音は、監督が吹き込んだものという。(P.492『2001:キューブリック、クラーク』)

 

旧約聖書』で「霊」は神の「息」あるいは「風」を意味し、人間の生命原理とみなされる。『新約聖書』の「精霊」(Pneuma)がこれに相当する。(『日本大百科全書』)

 

ヱホバ神土の塵を以て人を造り生氣(いのちのいき)を其鼻に嘘入(ふきいれ)たまへり人即ち生靈となりぬ

(『創世記』第2章第7節)

 

ジョイスは、神の世界創造と、芸術家の作品創造をパラレルに考えた。そして神に張り合ってこの世界に匹敵する作品を創造しようとした。それが『ユリシーズ』。(ブログの30回)そして作者である自分の分身であるスティーヴンを作品の主人公として小説のなかに登場させた。

 

  Monolith as displayed at the École normale supérieure in Paris, France.

File:ENS 2001 Monolith LILA.jpg - Wikimedia Commons

 

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100 (U22.116)

ティーヴンはいがいがする喉から声を出して答を言った。

第100投。22ページ、 116行目。

 

 Stephen, his throat itching, answered:

 —The fox burying his grandmother under a hollybush.

 He stood up and gave a shout of nervous laughter to which their cries echoed dismay.

 A stick struck the door and a voice in the corridor called:

 —Hockey!

 ティーヴンはいがいがする喉から声を出して答えを言った。

 ―狐がおばあちゃんを柊の下に埋めている、だ。

 立ちあがりぎこちなく笑い声をあびせると生徒らの面食らった喚声が跳ね返ってきた。

 スティックが戸を叩き、廊下で声が響く。

 ―ホッケーだぞ。

 

記念すべき100回目。難しいところに当たりました。

 

第2章.午前10時。スティーヴンはデイジー校長の私立学校で小学生くらいの生徒を相手に教師の仕事をしている。

 

彼が、自分が出したなぞなぞの答えを明かしたところ。スティーヴンのなぞなぞは『ユリシーズ』のうちでも代表的なの謎だろう。そして生徒たちはホッケーの試合をしに表へ出ていくという場面。

 

 

A. なぞなぞ

なぞなぞはこういうものだった。

 

The cock crew

The sky was blue:

The bells in heaven

Were striking eleven.

’Tis time for this poor soul

To go to heaven.

(U21.102-)

 

雄鶏一声

空、快晴

鐘は天界

打つ十一回

哀れな魂

召される天界

原文に即して韻を踏みました。柳瀬尚紀さんの和訳では、なぜか cock を「雌鶏」と訳しているが間違いでしょう。(『ユリシーズ』河出書房、2016年)

 

このなぞなぞには世に知られた原型があり、こういうもの。スティーヴンは微妙に修正している。

English As We Speak It in Ireland, by P. W. Joyce(1910)CHAPTER XII. 参照

 

Riddle me, riddle me right:

What did I see last night?

The wind blew,

The cock crew,

The bells of heaven

Struck eleven.

’Tis time for my poor sowl to go to heaven.

 

(answer)

The fox burying his mother under a holly tree.

 

なぞなぞ、なぞなぞ、解けるかな

夕べはなにを見たのかな

風が吹いた

雄鶏鳴いた

鐘は天界

打つ十一回

哀れな魂召される天界

 

(答え)

狐が母親を柊の下に埋めている

 

 

ティーヴンのなぞなぞの答えがどうして「狐がおばあちゃんを柊の下に埋めている」になるのかがよくわからない。今のところの考えを書いてみます。

 

B.なぜ答えは狐なのか

これは『イソップ寓話』からきているのではないか。時を告げる鶏(時を告げるのは雄鶏)と狐が出てくる話がある。

 

252 犬と鶏と狐

 

犬と鶏が友だちになって、一緒に旅をしていた。・・・

夜が過ぎ、曙光がさして、鶏はいつものように大きな声で時を作った。

狐がそれを聞き、これを食ってやろうと、やって来て木の下に立つ・・・

鶏が答えて言うには、

「兄さん、木の根っこの所にいって、用心棒に呼びかけてごらん、戸を開けてくれるよ」

狐が声をかけに行ったところ、いきなり犬が飛びかかり、むんずと摑まえるなり、ずたずたに引き裂いた。

中務哲郎訳『イソップ寓話集』(岩波文庫、1999年)

 

 

                             

"aesops fables Milo winter 1919 ill the dog, cock and fox" by janwillemsen is licensed under CC BY-NC-SA 2.0.

 

イソップを持ちだすのはそれほど不自然な話ではない。第11章、ホテルのバーでレネハンが女給に歌う。「狐がコウノトリに会った。嘴をのどに突っ込んで骨を抜いてよ」。

 

She took no notice while he read by rote a solfa fable for her, plappering flatly:

 —Ah fox met ah stork. Said thee fox too thee stork: Will you put your bill down inn my troath and pull upp ah bone?

 He droned in vain. Miss Douce turned to her tea aside. 

(U245.248-)

 

これは『イソップ寓話』中の「狼と鷺」(「狼とコウノトリ」、「狼と鶴」ともいう)の狼を狐と取り違えたもの。わざわざ狐にしたのはジョイスのヒントかもしれない。

 

                                   

"aesops fables Milo winter 1919 ill the wolf and the crane" by janwillemsen is licensed under CC BY-NC-SA 2.0. 

 

つまり狐のおばあさんは犬と雄鶏に殺されたと考える。

 

このあとの、第3章、スティーヴンは砂浜で犬を見て、「おばあちゃんを埋めている」と、なぞなぞのことを思い出す。そして、「豹、パンサーが屍を引き裂く」とイメージする。

 

His hindpaws then scattered the sand: then his forepaws dabbled and delved. Something he buried there, his grandmother. He rooted in the sand, dabbling, delving and stopped to listen to the air, scraped up the sand again with a fury of his claws, soon ceasing, a pard, a panther, got in spousebreach, vulturing the dead.

(U39.359-)

 

ここは狐が犬に殺されたたということをサポートする一節と思う。

 

C.狐は誰なのか

ここの少し後にこの一節がある。「母(she)は行ってしまった。はかなく生きただけで。哀れな魂は天国へ行った。」「狐が地面を引っ掻く。」スティーヴンの母は1年前に病気で亡くなっている。

 

She was no more: the trembling skeleton of a twig burnt in the fire, an odour of rosewood and wetted ashes. She had saved him from being trampled underfoot and had gone, scarcely having been. A poor soul gone to heaven: and on a heath beneath winking stars a fox, red reek of rapine in his fur, with merciless bright eyes scraped in the earth, listened, scraped up the earth, listened, scraped and scraped.(U23.144)

 

ティーヴンは、自分を狐、狐のおばあちゃんは母と、なぞらえている。彼は母の死に際しつらいことがあり、母を祖母に置き換えた。

ティーヴンは、この小説の前の時代を描く『若い芸術家の肖像』の第5章でこう言う。この小説の有名な台詞。

 

ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも藝術のある様式で自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るためのたった一つの武器として、沈黙と流寓とそれから狡智を使って。

丸谷才一訳 集英社文庫、2014年)

 

I will not serve that in which I no longer believe, whether it call itself my home, my fatherland, or my church: and I will try to express myself in some mode of life or art as freely as I can and as wholly as I can, using for my defence the only arms I allow myself to use—silence, exile and cunning.

 

沈黙と流寓と狡智は狐にふさわしい。

 

D. 狐を殺したのは誰なのか

第15章.娼婦の館の場面。ブログの68回で当たった所。酒が出せなくなる時間である夜の11時に、スティーヴンは朝のなぞなぞを思い出す。なぞなぞは少し変形されている。

 

STEPHEN: (At the pianola, making a gesture of abhorrence.) No bottles! What, eleven? A riddle!

(U454.3561-)

・・・

 STEPHEN:

  The fox crew, the cocks flew,

  The bells in heaven

  Were striking eleven.

  ’Tis time for her poor soul

  To get out of heaven. 

 (U455.3576-)

 

その少し後、彼は、「のどの渇いた狐、おばあちゃんを殺した。たぶんそいつが殺した」という。のどの渇いた狐は酒を求めるスティーヴンのことになるが、彼がおばあさん(母親)を殺すわけがないので。「見殺しにした」とか「殺したようなものだ」という自責の思いを表しているのだろう。

 

 STEPHEN: Why striking eleven? Proparoxyton. Moment before the next Lessing says. Thirsty fox. (He laughs loudly.) Burying his grandmother. Probably he killed her.

(U456.3508)

 

第1章で、同居人の友人マリガンが、「自分の叔母はスティーヴンが母を殺したと思っている」とスティーヴンに告げている。このことが彼の心に響いているだろう。

 

He turned abruptly his grey searching eyes from the sea to Stephen’s face.

 —The aunt thinks you killed your mother, he said. That’s why she won’t let me have anything to do with you.

 —Someone killed her, Stephen said gloomily.

(U5.85)

 

さらにマリガンは、スティーヴンの母の死後「母親がひでえ死に方をしたデッダラス」と口にした。これをスティーヴンは侮辱とらえ、2人の決裂は決定的となった。

 

—You said, Stephen answered, O, it’s only Dedalus whose mother is beastly dead.

(U7.198)

 

ティーヴンは、母を殺したのはマリガンと見立てていると思う。

 

第1章、居候のイングランド人、ヘインズは前の晩「黒豹」の夢を見て銃を振りまわしたらしい。先のB項、第3章の引用の箇所でスティーヴンは「豹が死体を引き裂く」とイメージしていた。これは、マリガンと合わせてヘインズも加害者と見立てているということ思う。

—He was raving all night about a black panther, Stephen said. Where is his guncase?

(U4.57)

 

『若い芸術家の肖像』の第5章、友人のクランリー(ブログの22回で触れた)との会話で、スティーヴンはいう。犬、馬、銃器、海、雷雨、機械、田舎の夜道が怖いと。

 

 Stephen, struck by his tone of closure, reopened the discussion at once by saying:

 —I fear many things: dogs, horses, firearms, the sea, thunderstorms, machinery, the country roads at night.

 —But why do you fear a bit of bread?

 —I imagine, Stephen said, that there is a malevolent reality behind those things I say I fear.

 

犬と銃は彼の敵なのだ。

 

E. なぜ鐘は十一打つのか

11時は、第6章でブルームが参列する友人ディグナムの葬式の時間であり、11は10の次ということで、復活を象徴する数字であると、こういう説明がある。しかし、夜でも昼でも、11時に鶏が鳴くというのはどうも変だ。

 

このあいだ、エリザベス女王の葬儀(11時開始!)で、歳の数である96回鐘が鳴らされるのを見て、気がついた。お葬式では歳の数の鐘を鳴らす習慣があるのですね。

 

ユリシーズ』の時代(1904年)の王様、エドワード7世の葬儀(1910年)でも歳の数である68回ビッグベンの鐘が鳴らされている。

“Big Ben, the bell in the nearby clock tower, was rung 68 times, one for each year of Edward VII's life.”

 

狐の歳が11歳だったのではないか。狐の寿命は10年程度という。だから死んだ狐はおばあちゃんなのだ。

 

F. 柊の意味

 

これまでサンザシ(17回)とヤドリギ37回)のシンボリズムをみた。ヒイラギのシンボリズムを見てみよう。

  • (古代ケルト
    ヒイラギはキリスト教以前、ドルイドにより聖木とされた。古代ケルトでは冬至から夏至までの半年間をオークの王が統治し、夏至から冬至までの残りの半年をヒイラギの王が統治する。
  • 古代ローマ
    古代ローマにでは12月のサトゥルナリア(サトゥルヌスの祭日。農神祭)にこの木を供え犠牲のロバを殺した。
  • キリスト教
    クリスマスにヒイラギの緑の葉と赤い実を飾る習慣は,サトゥルナリアの祭式がキリスト教に採り入れられて生じたといわれる。
    ぎざぎざの葉は、十字架で処刑されたキリストの冠のイバラ、赤い実はキリストの流した血を表す。
    ヒイラギは魔力があると信じられていて、同じく魔力を持つと信じられていたアイビーとともにクリスマスの飾り付けに用いられた。
    ヒイラギの赤い実は血の象徴と女性を意味し、白い実をつけたセイヨウヤドリギは男性のシンボルとして、二つ合わせてクリスマスに飾ることで新しい生命が生まれると信じられた。

ヨーロッパではヒイラギは、古来より不死と再生の象徴と考えられた。狐のおばあちゃんは再生と復活を期してヒイラギの下に埋められた。

 

         

             セイヨウヒイラギ Holly

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ilex_aquifolium_Atlas_Alpenflora.jpg

 

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99 (U609.58)

オンタリオテラスにいたころのメアリみたいなあばずれ女

 

第99投。609ページ、58行目。

 

like that slut that Mary we had in Ontario terrace padding out her false bottom to excite him bad enough to get the smell of those painted women off him once or twice I had a suspicion by getting him to come near me when I found the long hair on his coat without that one when I went into the kitchen pretending he was drinking water

オンタリオテラスにいたころのメアリみたいなあばずれ女お尻にパッドをいれて誘惑した彼からあんな厚化粧女の匂いをかぐのはうんざり何度もあやしいことがあったわたしのそばにこさせたら上着に長い髪がついていたしそれとは別にわたしが台所におりていったら水を飲んでいるふりをしたり

 

第18章。最終章。ブルーム氏の妻のモリ―の寝床での心中。ピリオドもコンマもない単語の長大な連なり、8つでできている。ここはその1つ目のはじめのほうの一節。

 

モリーはブルーム氏がほかの女に手を出したこと想起している。メアリはブルーム家に来ていた女中のメアリ・ドリスコル。第15章でブルーム氏の罪を告発する幻想の裁判の場面にドリスコルは召喚されている。(U375.868-)

 

今回はとくに掘り下げることもないので、ブルーム氏がこれまで住んでいたと、小説上わかる場所をダブリン地図にマークしてみた。

 

Eason's new plan of Dublin and suburbs / Eason & Son, Ltd.(1908)

 

①クランブラシル通り52番地 52 Clanbrassil St.

  1866年~ ブルーム氏生まれたときの住所

 ブルーム氏を記念する看板がつけられた建物が今もある。

②プレザンツ通り Pleasants St.

  1888年~ ブルーム氏がモリーと結婚した頃の住所

③西ロンバート通り Lomberd St West

  1892年~

④レイモンドテラス Raymond Terrace

  1893年

⑤シティーアームズホテル  City Arms Hotel, 54 Prussia St.

  1893年~  

  現在は大学Free University of Ireland  と パブ Clarkes City Arms

 になっている。→ the National Inventory of Architectural Heritage (NIAH) 

 

⑥ホリス通り Holles St.

  1894年~

オンタリオテラス  Ontario Terrace

  1897年~

  今回のブログに出てきた場所で、モリーが思い出しているのはこの時代。

⑧エクルズ通り7番地   7 Eccles St.

  1903年

  小説の現在(1904年)のブルーム夫妻の住居。

  現在は病院 Mater Private Dublin になっている。

 

        現在のオンタリオテラス Ontario Terrace の建物

 

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