Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

16 (U444.3236)

いくつもの声

 第16投。444ぺージ、3236行目。

 

 

   VOICES: (Sighing.) So he’s gone. Ah yes. Yes, indeed. Bloom? Never heard of him. No? Queer kind of chap. There’s the widow. That so? Ah, yes.

 

 (From the suttee pyre the flame of gum camphire ascends. The pall of incense smoke screens and disperses. Out of her oakframe a nymph with hair unbound, lightly clad in teabrown artcolours, descends from her grotto and passing under interlacing yews stands over Bloom.)

 

 いくつもの声: (嘆きつつ。) それで、彼は死んじゃった。ああ、そう。そう、確かに。ブルームなのか。聞いたことない。ほんとに。変わった奴だ。未亡人がいる。そうなの。ああ、そう。

 

 (寡婦殉死のための薪の山から樟脳の炎が立ち昇る。香煙の柱が視界を遮り、消え去る。樫の額縁からニンフが出てくる。髪は解かれていて、茶の印刷色の薄衣をふんわりまとっている。彼女の住まいの洞窟から降りてきて、からみ合うイチイの木々の下をくぐり抜け、ブルームの上方に立つ。)

 

第15章は戯曲の形式で書かれている。幻想と現実が交代して現れる。ベラ・コーエンの娼家で、ブルームが男に変身したベラの死刑宣告を受けたところ。

 

サティ―(suttee) とはインド、ヒンドゥー教で、妻が夫の死体と共に生きながら火葬にされる慣習という。第6章でブルーム氏はこの習俗のことを考えていた。(U84.548)


薪の山はまずブルームを焼くためのもの。

 

殉死のための薪の山というと、ワーグナーの『神々の黄昏』終幕、ブリュンヒルデジークフリードを焼く薪の山に飛び込む場面が想起される。ヒンドゥーの習俗と北欧神話に関連があるのだろうか。

 

gum camphireというのが何なのかわからない。固形の樟脳をもやした炎と考えておく。

 

ニンフとはブルーム氏の寝室にかかる絵である。週刊誌の付録を額装したもの。第4章に出てきた。このニンフはホメロスの「オデュッセイア」との対応ではオーギュギアー島の洞窟の中に住む女神カリュプソ―にあたる。カリュプソ―の島に繁る木々、香木の芳香、絡みあう葡萄の蔓、彼女の美しい髪、薄手の長衣などがここに反映している。

 

「鷗の如く数知れぬ波を超えたヘルメスは、遥かなる彼の島に着くと、すみれ色の海から陸に上がり、ゆくほどに髪美わしき仙女の住む巨大な洞窟の前に出る。折しも仙女は家におり、炉には火が大きく赤々と燃え、裂き易い杉と香木の燃える芳香が、島中一面に漂っていた。・・・洞のすぐ入口には、葡萄の勢いよく伸びて纏わり、熟れた実が枝もたわわに垂れ下がる。」「仙女は銀色に輝く薄手の優美な長衣を身に纏い、腰のまわりにには美わしい黄金の帯を締めて、頭にはヴェールを被る。」
 ホメロスオデュッセイア』第5歌 松平千秋訳(岩波文庫、1994年)


イチイは寿命が長く、年中青い葉をつけることから、古代ケルトの信仰によるのだろう、ヨーロッパでは「魂の不滅性」「再生」を象徴する木とされ墓地によく植えられるという。幻想の中のブルームの死の場面なのでイチイが登場する。

 

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寡婦殉死 (Suttee)

"Suttee, with Lord Hastings shown as accepting bribes to allow its continuation. Coloured aquatint by T. Rowlandson, 1815, after Quiz." is licensed under CC BY 4.0

 

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