Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

43 (U230.907)

悲しいというところは詩的すぎる。

 

第43投。230ページ、907行目

 

 Too poetical that about the sad. Music did that. Music hath charms. Shakespeare said. Quotations every day in the year. To be or not to be. Wisdom while you wait.

 In Gerard’s rosery of Fetter lane he walks, greyedauburn. One life is all. One body. Do. But do.

 

 悲しいというところは詩的すぎる。音楽のせい。音楽には魔力がある。シェイクスピアの言葉。引用句一日一言。生きるべきか死すべきか。待つ間の知恵。

 フェッター小路のジェラードのバラ園を歩く、白髪交じりの赤茶髪。一つの生がすべて。一つの体。やるんだ。とにかくやれ。

 

 ここはとても面白いところ。

 

第11章。4時ごろ。オーモンド・ホテルで食事をしながらブルーム氏は、秘密の文通相手のマーサ(Martha)へ手紙を書き終えたところ。

 

悲しい、というのは、マーサの手紙の追追伸に "I feel so sad today."と書いたから。


P. P. S. La la la ree. I feel so sad today. La ree. So lonely. Dee.(U230.894)

 

ホテルのラウンジでは、サイモンがフロトーのオペラ『マルタ』(Martha)から「マッパリ」を歌ったあと、おそらくカウリー氏がピアノで短調の即興演奏している。

 

ブルーム氏は、妻モリ―の愛人ボイランが、今ブルーム家に向かっていることを知っていて、悲しいのだ。

 

Music hath charms  は、Gifford の注釈によると、シェイクスピアではなく、英国の劇作家 ウィリアム・コングレーヴ(William Congreve 1670 – 1729) の悲劇 “The Mourning Bride” (1697)第1幕第1場からという。

 

  “Music has Charms to sooth a savage Breast,

   To soften Rocks, or bend a knotted Oak.”

 

これは世間でよくシェイクスピアのものと間違われている名文句の一つだそうだ。

 

また、Music hath Charms to sooth a savage Beast のように間違われることも多いらしい

 

しかし、ブルーム氏の脳裏にあったのは、シェイクスピアの台詞かもしれない。

『尺には尺を』(Measure for Measure 1603-1604)の第4幕第1場より。

 

    ”’Tis good; though music oft hath such a charm

      To make bad good, and good provoke to harm.”

 

    「けつこうです。もつとも、音楽には、悪人を善人にする力もあれば、

       善人を唆り立てゝ悪いことをさせる力もあるが。」

                                                                                  『以尺報尺』坪内逍遙

 

Quotations every day in the year.とは、引用句を記載したダイヤリー。

Shakespeare birthday book(1883) とか、こういう感じの本。ブルーム氏はこういう本で台詞に親しんでいる。

 

To be or not to beはもちろん『ハムレット』のもっとも有名な台詞。ブルーム氏は苦悩するハムレットと自分を重ねた。

 

Wisdom while you wait. 検索すると、そういうタイトルの本があった(1902年刊)。ブルーム氏は、この本だかわからないが、ハウツー知識や名言を載せた本を思い浮かべている。

 

while you wait は本のタイトルとしては「即座の」という意味だが、ハムレットが、狂気をよそおい父殺しの復讐の好機を「待った」こと、また、ブルーム氏が、ボイランがモリ―に会いに行くのを座して「待って」いること、にも重なっているように思う。

 

ちなみに、ブルーム氏は人生の問題の解決を求めてシェイクスピアを読むような人なのだ。(U554.385)

 

2番目の段落には、驚かされる。第9章、図書館でのスティーヴンの思考とほとんど同じ内容だから。

 

Do and do. Thing done. In a rosery of Fetter lane of Gerard, herbalist, he walks, greyedauburn. An azured harebell like her veins. Lids of Juno’s eyes, violets. He walks. One life is all. One body. Do. But do. Afar, in a reek of lust and squalor, hands are laid on whiteness.(U166.651-)

 

シェイクスピアが、ロンドンのフェッター小路にあったジョン・ジェラード(John Gerard 1545–1612) のバラ園を歩むところを空想した一節。ジェラードは、ロンドンに大きな薬草園を持っていた植物学者。

 

これはどういうことだろう。二つの可能性が考えられる。

 

A. 一つは、ここにスティーヴンの思考が差し挟まれているという解釈。

 

第10章と第11章では、映画のインサート・カットのように、本筋に別の場所の場面が唐突に挟まれる技法が使われている。

 

また、スティーヴンは、第16章でも、シェイクスピアの時代の作曲家のジョン・ダウランド(John Dowland 1563 – 1626) がフェッター小路のジェラードの近所に住んでいたと語っている。

 

Stephen, in reply to a politely put query, said he didn’t sing it but launched out into praises of Shakespeare’s songs, at least of in or about that period, the lutenist Dowland who lived in Fetter lane near Gerard the herbalist,・・・(U540.1763)

 

これはスティーヴィンの思考と考えるのはとても自然だ。

 

B. 二つ目の考えは、ここはやっぱりブルーム氏の思考だという解釈。

 

ブルーム氏は、この一節のすぐ後で、とにかくやった Done anyhow. とつぶやく。これは、直前の、Do. But do. とつながる。

 

ブルーム氏は、午後2時のスティーヴンと同じことを考えたのだ。これは一見奇妙だが、それもありうることと思わせる傍証がある。

 

この日の前の晩、スティーヴンとブルーム氏は同じ夢を見ている。

 

ティーヴンの夢。どこか中東の娼館街、男がスティーヴンにメロンをすすめる。

After he woke me last night same dream or was it? Wait. Open hallway. Street of harlots. Remember. Haroun al Raschid. I am almosting it. That man led me, spoke. I was not afraid. The melon he had he held against my face. Smiled: creamfruit smell. That was the rule, said. In. Come. Red carpet spread. You will see who.(U39.365-)

 

 

ブルーム氏の夢。モリ―がトルコ風のズボンとスリッパを履いている。

Dreamt last night? Wait. Something confused. She had red slippers on. Turkish. Wore the breeches. Suppose she does? Would I like her in pyjamas? Damned hard to answer. (U311.1240-)

 

ブルーㇺ氏とスティーヴンは、ジョイスの創造した世界における、同一実体(consubstantial)の父と子。その意識は奥底で通じている。

わたしには、後者Bの解釈のほうが面白い。

 

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バーナーズ・イン(Barnard's Inn)

 

ジェラードのバラ園は、チャンセリー小路とフェッター小路の間のバーナーズ・インBarnard's Innのそばにあったという。バーナーズ・インは創立を13世紀に遡る法学予備校。

 

"Barnard's Inn - Gresham College - High Holborn, City of London" by ell brown is licensed under CC BY 2.0

 

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