まったく泣かせるぜ。嘘っぱちぬかしやがって。
第44投。249ページ、401行目。
The tear is bloody near your eye. Talking through his bloody hat. Fitter for him go home to the little sleepwalking bitch he married, Mooney, the bumbailiff’s daughter, mother kept a kip in Hardwicke street, that used to be stravaging about the landings Bantam Lyons told me that was stopping there at two in the morning without a stitch on her, exposing her person, open to all comers, fair field and no favour.
まったく泣かせるぜ。嘘っぱちぬかしやがって。家に帰っちまえよ、愛しい夢遊病のあばずれんとこへよ、あいつの女房はムーニーって、執達吏の娘で、母親はハードウィック通りに安宿をやってんだが、あの女は階段の踊り場あたりをふらふら、バンタム・ライアンズから聞いたっけ、夜中の2時にそこで立ち止まって一糸まとわず丸裸、ハンデなしで来るもの皆にさらけ出してたってよ。
第12章.バーニー・キアナンの酒場。今日はパティ・ディグナムの葬儀があった。死を悼み客のボブ・ドーランが泣きじゃくっている。それを罵るこの章の語り手の心中の言葉。
”talk through one's hat”「帽子を通して話す」とは「大法螺を吹く」との意味。語源は不詳。
ボブ・ドーランは、ジョイスの『ダブリナーズ』の一篇「下宿屋」にも登場する人物。彼は、ワイン商に勤めていて、ムーニー夫人の下宿屋の住人だったが、ムーニー夫人の娘のポリーとできてしまい、夫人に迫られ2人は結婚した。
今日のドーランの動向は。
午前10時前にすでに、コンウェイ(現在はKennedy’sに)でバンタム・ライアンズ、C.P.マッコイと飲んでいる。昼過ぎには、グラフトン通りのラ・メゾン・クレール礼装店の前でボイランによびとめられた。その後自由区(Liberties)へと向かう。自由区は、当時(1904年)リッフィー川南岸の貧民街。安い飲み屋があったのか。そして、夕刻5時までにはここバーニー・キアナンへ来てくだを巻いてる。
ドーランについて、“he’s on one of his periodical bends”(U60.107) “On his annual bend” (U137.595)、と言及がある。bendはスラングで「飲んで浮かれる」との意味。彼は、妻か義母の圧力で、普段は禁酒の誓いを立てておとなしく過ごし、年に一度の解禁日を決めているようだ。きょうはその日で、朝から酒浸り。
sleepwalking 夢遊病ー夜間彷徨、はブログの第17回でふれたように『ユリシーズ』のキーワードの一つ。
bumbailiff とは bound bailiff。
まず、執行官(Sheriff) という、裁判所の命令や法の執行などの職務を遂行する政庁の役人がいる。Bailiff はSheriffに下属し、実際に、立ち退きや抵当権設定、未払税金の徴収に携わる。要は末端の執達吏。ドーランの女房ポリーの父親ムーニー氏は元肉屋の主人だったが落ちぶれて執達吏に。
執行官はこの小説に頻出する。ロング・ジョン・ファニングは副執行官。ちょうどこの酒場にいるアルフ・バーガンはファニングの下役というので、bailiffなのかもしれない。
この章の語り手は、犬であるというのが柳瀬尚紀さんの説だが、それを採らないで普通に読んだとして、この語り手は自分を「債権の取立屋」(Collector of bad and doubtful debts)と称している。
取立屋は、官の執達吏とは競合あるいはそれに劣後する仕事であるので、語り手は、執達吏であったムーニー氏のことをよく知っていて悪感情があるかもしれない。だからドーランやムーニ一の家のことを悪くいうのではないか。
landing は階段の踊り場。踊り場と階段は短編「下宿屋」で重要な舞台装置となっている。
File:Hardwicke Street with St. George's Church at end, Dublin.jpg - Wikimedia Commons
ムーニー夫人の下宿屋があったとされるハードウィック通り(1912年ころ)。突き当りの教会の前の道を左に行ったところに小説の主人公ブルーム氏の家がある。
このブログの方法については☞こちら