Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

61 (U552.312)

中段の棚には、胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ、

第61投。552ページ、312行目。

 

On the middle shelf a chipped eggcup containing pepper, a drum of table salt, four conglomerated black olives in oleaginous paper, an empty pot of Plumtree’s potted meat, an oval wicker basket bedded with fibre and containing one Jersey pear, a halfempty bottle of William Gilbey and Co’s white invalid port, half disrobed of its swathe of coralpink tissue paper, a packet of Epps’s soluble cocoa, five ounces of Anne Lynch’s choice tea at 2/- per lb in a crinkled leadpaper bag, a cylindrical canister containing the best crystallised lump sugar, two onions, one, the larger, Spanish, entire, the other, smaller, Irish, bisected with augmented surface and more redolent, a jar of Irish Model Dairy’s cream, a jug of brown crockery containing a naggin and a quarter of soured adulterated milk, converted by heat into water, acidulous serum and semisolidified curds, which added to the quantity subtracted for Mr Bloom’s and Mrs Fleming’s breakfasts, made one imperial pint, the total quantity originally delivered, two cloves, a halfpenny and a small dish containing a slice of fresh ribsteak.

 

 

中段の棚には、胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ、食塩入り調味缶一つ、油紙にくるんで団塊となった黒オリーブの実4個、空になったプラムトゥリーの瓶詰肉の容器一つ、繊維を敷いた楕円形の編みバスケット一つ、中にはジャージー梨一つと珊瑚色の薄紙の包みを半分剥され、半分空になったウィリアム・ギルビー社の強壮用白ポートワインの瓶があり、エップスの可溶性ココア1箱、1ポンドあたり2シリングのアン・リンチの銘茶5オンスの入った皴々の鉛箔紙の袋一つ、最上の精製角砂糖のはいった円筒缶一つ、玉葱2個、一つは大きなスペイン産玉葱まる1個、もう一つはより小さいアイルランド産、ニ等分され表面積の増加により匂いを発散、アイルランド模範酪農場のクリームの瓶一つ、茶色の陶器の水差し1つ、1ナギンと4分の1の悪くなった混ぜ物入りの牛乳、つまり熱により、水と酸っぱい漿液と半凝固した凝乳に変化したものが入っており、ブルーム氏とミス・フレミングの朝食により減じた分を加えるなら1英パイント、当初配達された総量となり、クローヴの実2個、半ペニー硬貨1枚、及び牛の肋肉一切れが乗った小皿1枚。

 

前回のブログと同じ、第17章。第17章はすべて問と答えで進行する。ここは、第11回のブログのすぐ後の箇所。ブルーム氏に開かれた台所戸棚に入っているものが何か、という問いへの答えで、中段に入っているものが列記されている。

 

単なる品目の列記だが、『ユリシーズ』という小説上の意味としては、ブルーム家の縮図となっていて、大変に深みあるものになる。順に見ていこう。

 

1.棚の中段の内容

 

①胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ

 

 第11回のブログの箇所の通り、棚の上段には4個のゆで卵立てがある。もともと6個のセットだったと思われる。ふちが欠けたので胡椒入れとして使っているのだ。ブルーム氏は今朝、自分の朝食を作る際、ここから胡椒をつまんでいる。(U51.279)

 

②食塩入り調味缶一つ

 

③油紙にくるんで団塊となった黒オリーブの実4個

 

 第18章で、ブルーム氏の妻のモリーは台所にオリーブが少しあることを思い出している。(U641.1481)

 

④空になったプラムトゥリーの瓶詰肉の容器一つ

 

 第10章の第5断章で、ボイランは果物店で編みバスケットにピンクの薄紙で包まれたボトルと広口瓶、つまりプラムトゥリーの瓶詰肉を入れてもらっている。その上に梨と桃を詰め合わせてモリーへ送らせた。彼は今日ブルーム家のベッドでモリーと瓶詰肉を食べたということ。プラムトゥリーの瓶詰肉は、『ユリシーズ』にでてくる最も有名な小道具。あとで詳しく見ることにします。

 

The blond girl in Thornton’s bedded the wicker basket with rustling fibre. Blazes Boylan handed her the bottle swathed in pink tissue paper and a small jar.

—Put these in first, will you? he said.

—Yes, sir, the blond girl said. And the fruit on top.(U187.299-)

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⑤繊維を敷いた楕円形の編みバスケット一つ、中にはジャージー梨一つと珊瑚色の薄紙の包みを半分剥され、半分空になったウィリアム・ギルビー社の強壮用白ポートワインの瓶があり、

”an oval wicker basket bedded with fibre and containing one Jersey pear, a halfempty bottle of William Gilbey and Co’s white invalid port, half disrobed of its swathe of coralpink tissue paper”

 

 ボイランが果物店で詰め合わせてもらったものがここにしまわれている。

 bedded,  disrobed という単語は、ボイランとモリーの密会を踏まえて用いられていると思う。

 

 ジャージー梨は “Louise Bonne of Jersey”というフランス原産の梨の品種。ジャージー島を経由して英国につたわってこの名になったという。

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File:Hedrick (1921) - Louise bonne de Jersey.jpg - Wikimedia Commons

 

 ウィリアム・ギルビー社はダブリンの酒類商だが、ジンやウオッカで有名なギルビー社(W&A Gilbey)の創業者ウォルター・ギルビー(Walter Gilbey 1831 – 1914)の一族の経営なのだろうか。検索しても分からなかった。

 

 強壮用 (invalid) というのは、ボイランが果物店で病気見舞い(It‘s for an invalid)といって発送をたのんだことから。(ボイランがそういって買ったのはまちがいないが、1890年代、ロンドンのギルビーズ社が、健康に良いという宣伝文句で、「ギルビーズ強壮用ポート」(Gilbey’s Invalid Port)というブランド名の商品を売り出している。実際にそういう商品名であったということ。ー2022年6月25日追記)

 

           

 

⑥エップスの可溶性ココア1箱

 

 この後、ブルーム氏は、家に連れて帰ったスティーヴンのためにココアをつくってやり2人で飲むことになる。彼はココアを入れるためこの戸棚を開けたと考えられる

 

 エップスのココアとは、ロンドンの裕福なカルヴァン派の食品商の息子で、英国の医師、骨相学者、ホメオパシーの先駆者、ジョン・エップス博士(Dr John Epps, 1805 –1869)により商品化されたココア。

 

 ココアは、滋養と強壮の飲み物として、今世紀初頭にポピュラーになった。カフェインもアルコールも入っていないココアは、健康志向のブルーム氏的な飲料だ。

 

⑦1ポンドあたり2シリングのアン・リンチの銘茶5オンスの入った皴々の鉛箔紙の袋一つ

"five ounces of Anne Lynch’s choice tea at 2/- per lb in a crinkled leadpaper bag"

 

 “2/-” は、お金の単位で2シリングの意味。“lb”は重さの単位でポンドの意味。

1ポンドは約453グラム。1904年の2シリングは現在の価値で約8£つまり1200円くらい。

 

 アン・リンチはダブリンの茶商。それ以上は調べても分からない。今朝ブルーム氏はモリーと自分のため茶を入れている。モリーの飲むお茶なので質の良い茶 choice tea なのだ。

 

 “leadpaper” が何かわからない。辞書を調べると「鉛糖紙」とあるのだが。鉛を箔にした紙だろうか。

 

⑧最上の精製角砂糖のはいった円筒缶一つ

 

 今朝ブルーム氏は2人の茶に砂糖を添えているが、モリーも使うので砂糖は上質なのだ。

 

⑨玉葱2個、一つは大きなスペイン産玉葱まる1個、もう一つはより小さいアイルランド産、2等分され表面積の増加により匂いを発散

 

 スペイン玉葱はジブラルタル出身のモリーに、アイルランド玉葱はダブリン生まれのブルーム氏に対応していると思う。

 

アイルランド模範酪農場のクリームの瓶一つ

 

 アイルランド模範酪農場は、農業近代化教育のために設立されたアルバート農業大学(Albert Agricultural College)のことと思われる。

 

 クリーム瓶のイメージはこのようなもの。

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 今朝ブルーム氏は紅茶に砂糖とクリームを添えているが、クリームはモリーのためと言っている。

Everything on it? Bread and butter, four, sugar, spoon, her cream. Yes.(U51.298)

 

 第8章で、ノーランは一昨日、ブルーム氏がモリーのためクリームを買うところを目撃している。

It’s not the wife anyhow, Nosey Flynn said. I met him the day before yesterday and he coming out of that Irish farm dairy John Wyse Nolan’s wife has in Henry street with a jar of cream in his hand taking it home to his better half. She’s well nourished, I tell you. Plovers on toast.(U145.951)

 

 クリームはモリー専用で、高価で質の良いもののようだ。

 

⑪茶色の陶器の水差し1つ、1ナギンと4分の1の悪くなった混ぜ物入りの牛乳、つまり熱により、水と酸っぱい漿液と半凝固した凝乳に変化したものが入っており、ブルーム氏とミス・フレミングの朝食により減じた分を加えるなら1英パイント、当初配達された総量となる。

 

 ナギン "naggin " というのは、アイルランドの英語で小瓶の酒のこと。もともとは0.25 英パイント (約140 ml)の量を意味するよう。ここも容量の意味。

 

   牛乳中のバクテリアは、ラクトースという糖を分解し乳酸を産みだし、これが酸っぱくなる原因となる。乳酸により牛乳全体が酸性となり、牛乳内に存在するカゼイン分子が互いに凝集し始め沈殿する。それで牛乳が腐ると分離する。

 

   ミス・フレミングはブルーム家に通いで来ている家政婦さん。牛乳を飲むのはブルーム氏とフレミングで、モリーは飲まないようだ。だから牛乳の質は悪いのだろう。

 

⑫クローヴの実2個

 

 クローヴはモリーが口臭消しに使っている。(U233.1057)

 

⑬半ペニー硬貨1枚

 

⑭牛の肋肉一切れの乗った小皿1枚

 

 これはモリーがブルーム氏の夕食のためにとっておいたものではないだろうか。

 

2.プラムトゥリーの瓶詰肉

さて、プラムトゥリーの瓶詰肉について。この小説に何度も登場する。

 

①第5章、街頭でマッコイと会った時、ブルーム氏は新聞を広げて、プラムトゥリーの広告を目にする。今日、ディグナムの葬儀があり、新聞の訃報欄を見ようとしたのだと思われる。

He unrolled the newspaper baton idly and read idly:

 

What is home without

Plumtree’s Potted Meat?

Incomplete.

With it an abode of bliss.

(U61.145)

 

②第8章、ヒーリー文具店の広告をみて、ブルーム氏は、ヒーリーの思いつく広告のアイデアは新聞の訃報欄の下に掲載された瓶詰肉の広告のようなひどいものと思う。ブルーム氏の職業は広告取なので、広告に関心がある。

 

His ideas for ads like Plumtree’s potted under the obituaries, cold meat department. You can’t lick ’em.(U127.139)

 

③同じく第8章、ブルーム氏はパブで何を食べようかと思案して、訃報欄の下のプラムトゥリーの瓶詰肉の広告を思い出す。彼の連想は死者の肉や人肉食のことに発展していく。

 

Sardines on the shelves. Almost taste them by looking. Sandwich? Ham and his descendants musterred and bred there. Potted meats. What is home without Plumtree’s potted meat? Incomplete. What a stupid ad! Under the obituary notices they stuck it. All up a plumtree. Dignam’s potted meat. Cannibals would with lemon and ric(U140.743-)

 

 

④第15章。ブルーム氏の幻想場面。彼は両手に豚と羊の肉をもっているが、元カノのブリーン夫人にそれは何かと聞かれてプラムトゥリーの瓶詰肉の広告を想起する。

 

BLOOM: (Offhandedly.) Kosher. A snack for supper. The home without potted meat is incomplete. I was at Leah, Mrs Bandmann Palmer. Trenchant exponent of Shakespeare. Unfortunately threw away the programme. Rattling good place round there for pigs’ feet. Feel.(U364.495)

 

⑤第17章、今回の箇所 (U552.312)

 

⑥第17章。あってはならない広告の例として、プラムトゥリーの瓶詰肉の広告が挙げられる。続いてプラムトゥリーの瓶詰肉の詳細が説明される。

 

Such as never?

 

What is home without Plumtree’s Potted Meat?

Incomplete.

With it an abode of bliss.

Manufactured by George Plumtree, 23 Merchants’ quay, Dublin, put up in 4 oz pots, and inserted by Councillor Joseph P. Nannetti, M. P., Rotunda Ward, 19 Hardwicke street, under the obituary notices and anniversaries of deceases. The name on the label is Plumtree. A plumtree in a meatpot, registered trade mark. Beware of imitations. Peatmot. Trumplee. Moutpat. Plamtroo.(U560.597-)

 

⑦第17章。ブルーム氏がベッドに入って感知したものが描写される。パン屑と瓶詰肉のかけらがベッドには残されてた。

 

What did his limbs, when gradually extended, encounter?

 

New clean bedlinen, additional odours, the presence of a human form, female, hers, the imprint of a human form, male, not his, some crumbs, some flakes of potted meat, recooked, which he removed.(U601.2126)

 

⑧第18章。ブルーム氏の妻モリーの夢うつつの意識。昼間ボイランとポートワインを飲んで瓶詰肉をたべたことを思い出す。

 

after the last time after we took the port and potted meat it had a fine salty taste yes

(U611.132)

 

この小説において、プラムトゥリーの瓶詰肉とは以下のような意味を帯びている。

1.新聞の訃報欄の下の広告として、埋葬や死者の肉への連想。

2.ブルーム家のベッドでモリーとボイランが食べたものとして、密会の象徴。

 

さらに『出エジプト記』との関連づけられているように思う。

 

ユリシーズ』では、「エジプトの肉鍋」“fleshpots of Egypt” という言葉も何度か出てくる。スティーヴンが、第3章(U35.177)と第9章(U171.884)で、ブルーム氏が第5章(U70.548)で、ブルーム氏の祖父ヴィラーグ・リポディが第15章(U419.2365)でこのことばを発する。

 

もともとは旧約聖書出エジプト記』(16.3)で、エジプトに住んでいたイスラエル人がモーゼに率いられてエジプトから脱出するのだが、荒野で食料が尽き「エジプトでは肉鍋をたべていたのに」と不平をいうというところに出てくる言葉。「エジプトの肉鍋」というのは想像上のごちそうや欲望をあらわしている。

 

また、第7章のおしまいで新聞社から酒場への道中、スティーヴンが語る寓話のタイトルは「ピスガ山からのパレスティナ眺望、あるいはプラムの寓話」”A Pisgah Sight of Palestine or The Parable of The Plums” (モーセがエジプト脱出後、山頂から約束の地カナンを眺めたのがピスガ山。)

 

プラムトゥリーには、「エジプトの肉鍋」と「プラムの寓話」が関連付けられていると思う。

 

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