Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

91 (U460.3729)

(ゾーイがフロリーにささやく。二人はくすくす笑う。

 

第91投。460ページ、3729行目。

 

 (Zoe whispers to Florry. They giggle. Bloom releases his hand and writes idly on the table in backhand, pencilling slow curves.)

 

 FLORRY: What?

 

 (A hackneycar, number three hundred and twentyfour, with a gallantbuttocked mare, driven by James Barton, Harmony Avenue, Donnybrook, trots past. Blazes Boylan and Lenehan sprawl swaying on the sideseats. The Ormond boots crouches behind on the axle. Sadly over the crossblind Lydia Douce and Mina Kennedy gaze.)

 

 THE BOOTS: (Jogging, mocks them with thumb and wriggling wormfingers.) Haw haw have you the horn?

 

 

(ゾーイがフロリーにささやく。二人はくすくす笑う。ブルームは手を引っ込め、何の気なしにテーブルの上に、眉墨で左傾斜の文字を書く、ゆっくリ曲線を引いて。)

 

 フロリー:何それ。

 

(貸馬車、324番、堂々とした尻の牝馬が引く、馭者ジェームズ・バートン、ドニーブルック、ハーモニックアヴェニュー在住、早足で通過。ブレイゼス・ボイランとレネハンが背中合わせの席に身をゆだねゆらゆら。オーモンドの靴磨きが車軸の上にしゃがんでいる。リディア・ドゥースとマイナ・ケネディが、半ブラインド付きの窓越しに悲しげに視線を送る。)

 

 靴磨き:(がたがたゆられ、親指を鼻にあて、もぞもぞ虫指でからかう。ほーほー、ぴんぴんかい。)

 

 

第15章。幻想と現実が交錯する。小説のこれまでの登場人物が現れ、小説中の劇を演じる。ベラ・コーエンの娼館で、ブルーム氏はゾーイに手相を見てもらっている。差し出した手を引っ込めたところ。ゾーイがフロリーにささやくのはおそらく手相から読み取ったことだろう。

 

 

Pencil

 

ブルームは、ペンシルで文字を書く(pencilling) が、娼館のテーブルに鉛筆があるのは変なので、眉墨で書いたのではないかと思う。

 

娼婦達は眉墨=ペンシルを使っている。

 

(Zoe and Bloom reach the doorway where two sister whores are seated. They examine him curiously from under their pencilled brows and smile to his hasty bow. He trips awkwardly.)(U409.2022)

 

Backhand

 

”backhand" とは左に傾いた書体をいう。

 

     

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Backhand_writing_(PSF).jpg

 

さて、貸馬車 ”hackneycar" がなぜ現れるのか?

 

これは第11章のオーモンドホテルの場面から召喚された幻想場面。

 

A hackney car, number three hundred and twentyfour, driver Barton James of number one Harmony avenue, Donnybrook, on which sat a fare, a young gentleman, stylishly dressed in an indigoblue serge suit made by George Robert Mesias, tailor and cutter, of number five Eden quay, and wearing a straw hat very dressy, bought of John Plasto of number one Great Brunswick street, hatter. Eh? This is the jingle that joggled and jingled. By Dlugacz’ porkshop bright tubes of Agendath trotted a gallantbuttocked mare.

(U229.878-)

 

ブルーム氏の妻モリーの愛人であるブレイゼス・ボイランは、貸馬車に乗ってブルーム家へ向かっている。

 

しかしなぜ今この場面が現れるのか?

 

第11章のボイランの馬車の場面の直前、ブルーム氏はオーモンドホテルのレストランで筆記用具を借りて秘密の文通相手マーサへ返事を書いている。彼は e をギリシャ文字 ε で書こうとしてやめている。

 

Remember write Greek ees. Bloom dipped, Bloo mur: dear sir. Dear Henry wrote: dear Mady. Got your lett and flow. (U229.860)

 

On. Know what I mean. No, change that ee. Accep my poor litt pres enclos. Ask her no answ.(U229.865)

 

きっと彼は証拠を残さないために、字体以外も、筆跡を変えて、つまり左傾体で手紙を書いているにちがいない。ブログの第87回のところから始まった、ブルーム氏の幻想の裁判場面で、上流婦人ミセス・イェルバートン・バリーはブルーム氏が左傾斜の書体で匿名の手紙を送ってきたと証言している。

 

MRS YELVERTON BARRY: ・・・Arrest him, constable. He wrote me an anonymous letter in prentice backhand when my husband was in the North Riding of Tipperary on the Munster circuit, signed James Lovebirch. ・・・

(U379.1017)

 

何の気なしに書いた左傾体が、マーサへの手紙の場面に隣接したボイランの馬車の場面を呼び出したのだ。

 

ちなみにブログの第88回のすぐあとの場面で、詮索好きのフリンが変なことを言っている。ブルーム氏は決してしないことがあって、それは「署名」だという。

 

—He’s not too bad, Nosey Flynn said, snuffling it up. He’s been known to put his hand down too to help a fellow. Give the devil his due. O, Bloom has his good points. But there’s one thing he’ll never do.

 His hand scrawled a dry pen signature beside his grog.

 —I know, Davy Byrne said.

Nothing in black and white, Nosey Flynn said.

(U145.984―)

 

ブルーム氏は、どうも手書き文字に特殊な慎重さをもった人らしい。

 

Hackney car - Jaunting car

 

ハックニー・カー“hackneycar” はジョーンティング・カー “jaunting car” と同じで「人の座席が背中合わせに配置されてた、前方に運転席のある単馬用の軽二輪馬車。」

 

栩木伸明さんの著書『アイルランドモノ語り』にこの馬車についてのエッセイがある。『ユリシーズ』における馬車についてもたっぷり述べられている。

 

「御者の背後に左右に各々二人掛けの座席を背中合わせにしつらえ、足置き車輪の上にぶらさげるように下ろした(中略)構造の、この小型軽装・屋根なしの二輪馬車は、アイルランド独特の乗り物である。その名も楽しい〈遠足馬車(ジョーンティング・カー)〉。「ジョーント」とは英語で「遠足にいく」、「(行楽)の小旅行をする」という意味だから、文字通り現代のタクシーに相当する存在だった。」

 「遠足は馬車に乗って」、『アイルランドモノ語り』(みすず書房、2013年)

 

           

 

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『静かなる男』The Quiet Man(1952年)のジョーンティング・カー

 

馬車の車軸に乗っている "Boots"" とは、ブログの第75回にでてきたオーモンドホテルの靴磨き。ホテルのバーの女給、リディア・ドゥースとマイナ・ケネディにちょっかいを出していた。

 

Crossblind

 

オーモンドホテルの窓には、クロスブラインド “crossblind” というものがかかっている。

 

Bronze by gold, Miss Kennedy’s head by Miss Douce’s head, appeared above the crossblind of the Ormond hotel.

(U202.963)

 

Miss Douce’s brave eyes, unregarded, turned from the crossblind, smitten by sunlight.

(U220.460)

 

これが何なのかは難題で、『ユリシーズ』の訳者である柳瀬尚紀さんが著書で詳しく論じている。(「連桁ブラインド」(2004年)、『ユリシーズ航海記』(河出書房新社、2017年))

 

柳瀬さんの説は、

“A window shade that pulls down from a roller at the middle of a window” つまり

「窓の真ん中にあるローラーから引き下げるタイプのシェード」(私訳)ということ。

 

日本の業界用語では、「カフェカーテン」“cafe curtain/café curtain”と呼ばれるものが近いという。

 

窓を部分的におおうように取り付ける丈の短いカーテン。おもに目隠しや装飾を目的とし、通常のカーテンレールではなく、横に渡したポールなどに通して取り付けることが多い。

『家とインテリアの用語がわかる辞典』

 

横に渡したポールと窓枠の縦のラインが十字になるのでクロスブラインドと呼んだのだろう。しかしオーモンドホテルのは、カーテンではなくいわゆるブラインドかシェードだろう。下のような形状が近いと思う。

 

        



柳瀬さんは第11章の翻訳を雑誌に発表したときには、「crossblind とは何か、訳者の定義を記すとそれはいわゆるスラット slat と称される羽板が横に走っているブラインドである。要するに、最もありふれたブラインド。・・・木製のものだ。」と説が変わっているよう。(「第11章について」(2004年)、同前書)

 

しかし、今回の一節や先の引用のように crossblind には over とか above がついているので、前の説の方が合っていると考える。

 

“Sadly over the crossblind Lydia Douce and Mina Kennedy gaze.”

“Miss Kennedy’s head by Miss Douce’s head, appeared above the crossblind.

 

Thumb one's nose

 

”mocks them with thumb and wriggling wormfingers” とは、"thumb one's nose" と呼ばれる西欧人のジェスチャーだろう。鼻先に親指をあて他の指を扇形に広げて振って人をばかにするしぐさ。

 

          

英国、アシュトンアンダーラインの銅像
Cocking a snook Statue of a street urchin on Old Street, Ashton-under-Lyne

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cocking_a_snook_-_geograph.org.uk_-_1136252.jpg

 

 

"Haw haw have you the horn?"  とは? 

”have the horn”  は、辞書によると勃起するとの意味。

"To be or become lustful or sexually excited, especially of a man; to have an erection."

   The Free Dictionary

 

おなじく第11章、ブルーム家へ向かうボイランの馬車の場面に由来してる。

 

By Bachelor’s walk jogjaunty jingled Blazes Boylan, bachelor, in sun in heat, mare’s glossy rump atrot, with flick of whip, on bounding tyres: sprawled, warmseated, Boylan impatience, ardentbold. Horn. Have you the? Horn. Have you the? Haw haw horn.

(U222.527)

 

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