Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

95 (U269.1314)

そんで、やつはパイントをぐっと飲み干した。

 

第95投。269ページ、1314行目。

 

 And he took the last swig out of the pint. Moya. All wind and piss like a tanyard cat. Cows in Connacht have long horns. As much as his bloody life is worth to go down and address his tall talk to the assembled multitude in Shanagolden where he daren’t show his nose with the Molly Maguires looking for him to let daylight through him for grabbing the holding of an evicted tenant.

 

 —Hear, hear to that, says John Wyse. What will you have?

 —An imperial yeomanry, says Lenehan, to celebrate the occasion.

 —Half one, Terry, says John Wyse, and a hands up. Terry! Are you asleep?

 —Yes, sir, says Terry. Small whisky and bottle of Allsop. Right, sir.

 

 

 そんで、やつはパイントをぐっと飲み干した。そんなアホな。牛の小便、馬の糞。あってもなくても猫の尻尾みたいな放言高論。狸の睾丸嘘八畳敷き。シャナゴールデンに集まった群衆の所へ出かけていって気炎を吐くような危ねえまねをする気はねえだろうがね、立ち退き食らった借地人の資産を横取りしたからって、やつのどてっ腹に風穴をあけようと狙っているモリー・マクガイア団の前に面を出すようなもんだから。

 

 ―傾聴、傾聴、とジョン・ワイズ。何を飲む。

 ―帝国義勇兵をひとつ、とレネハン、この日を祝して。

 ―ハーフひとつ、テリー、とジョン・ワイズ。それと挙手ひとつ、テリー寝てるのか。

 ―はいよ、とテリー。ウィスキー小とオールソップ一本だね。ただいま。

 

第12章。酒場バーニーキアナンで、「市民」というあだ名のナショナリストと客が会話している。レネハン(フリーのスポーツ新聞の記者)とジョン・ワイズ・ノーラン(どういう職業の人かわからない)が連れ立ってやってきたところ。テリーはバーテン。

 

彼らは、かつては世界に冠たる一等国だったアイルランドが落ちぶれていることを嘆く。「市民」は今ひとたびアイルランドの港を軍艦でいっぱいにするんだと息巻いた。その直後の場面。

 

ビールを飲みほしたのは「市民」。この章の謎の語り手が「市民」の大げさな発言を揶揄している。その内心のコメントはほかの人物に聞こえていない。ダッシュ ”ー” 以下は会話となる。

 

語り手はたいへんな口語体の使い手で、ここの読解はすごく面白いのだが、結局のところ意味が十分わからないのが残念。

 

 

Moya

”Moya” ゲール語の “Mar dhea” から来ている。“moryah”ともつづる。 “as were it”, “as if” の意味で「まさか(仮のはなしだよね)」。アイルランド英語の特徴的フレーズ。懐疑的な間投詞で、疑問、反対、嘲笑を投げかけるために使われるという。

 

All wind and piss like a tanyard cat

“All wind and piss” とはなにか。“piss in the wind” という言い方もあり「中身のない話、無駄話」。これと同じではないか。向かい風に小便をするような甲斐のないことということ。「屁と小便」ではない気がする。

 

牛溲馬勃(ぎゅうしゅうばぼつ、「牛の小便、馬の糞」) という熟語があって、価値のないもの、役に立たないもののたとえ。これを訳にあてた。

 

続いて、“a tanyard cat” がわからない。検索すると “big dog of the tanyard”「皮なめし工場の大きな犬」というスラングがあり、”an important or influential person or thing” 「重要な、影響力のある人または物」とのこと。由来はわからない。

 

しかし、驚くべきことに、犬の糞が皮なめし工場の原材料であるということが分かった。

 

19世紀まで、いや正確には第一次大戦まで、犬糞は皮なめし業の貴重な原材料だったから、街に落ちているのを血眼で拾ってあるく「犬糞屋」という小商いが存在していたのだ。

鹿島茂「「お犬さま」商売の繁盛」、『パリの秘密』(中公文庫、2010年)

 

それで「皮なめし工場の犬」は「重要」との意味になったのではないかと推測。語り手は、「皮なめし工場の猫」を「役に立たないこと、重要でないこと」との意味で言っているのではないか。

 

ブログで何度かでふれたように、柳瀬尚紀さんは、第12章の語り手は「犬」であるとの説を述べておられる。(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)もし上の読みが正しければ、ここは犬説のサポート材料になる。語り手はわざわざ犬が出てくる言い回しをもじって、悪い意味で猫を使っているのだから。

 

コノートの牛の角は長い

“Cows in Connacht have long horns.”  「コノートの牛の角は長い」(コノートはアイルランドの北西部に位置する州)は "Far away cows have long horns"「遠方の牛の角は長い」 と同じで「大げさな話をする」との意味と思われる。

 

モリーマグワイア

シャナゴールデン “Shanagolden” 、はアイルランド南部、マンスター州リメリック郡にある小村。何か歴史的に有名な事件があったわけでもなく、なぜここにでてくるのか分からない。

 

モリーマグワイア ”Molly Maguires” は、18世紀初頭に結成されたアイルランドの秘密結社。地主に対する、農民の抵抗活動、例えば土地からの小作農の追い出しに対する対抗などを組織した。後に同じ名前の結社はアメリカにあらわれ、鉱山所有者たちの搾取に対し暴力的手段を用いて対抗したことで有名となる。

 

“as much as (one's) life is worth to do …” は、「…することは危険、リスクがある」という意味。それが命にかかわる、という意味からだろう。

 

「市民」は反地主、反プロテスタントの立場だろうが、なぜモリーマグワイアズに狙われるようなことをしているのか、分からない。

 

帝国義勇兵

ジョン・ワイズ・ノーランが注文をさそう。パブのルールでは、さそった人がおごることになっている。ノーランが聞いて、レネハンが注文している。

 

なぜ、帝国義勇兵というと、酒の注文になるのか。それが何の酒か、という問題。テリーのセリフからいうとノーランが頼んだのはウィスキーとオールソップというビール。そのどちらを意味するのか。

 

帝国義勇兵 “imperial yeomanry” とは。イギリス陸軍の義勇騎兵隊で、主に第二次ボーア戦争 (1899 - 1902。小説の現在である1904年の直近の英国の戦争) で活躍。アイルランドでも募集されたという。中流階級とヨーマンから募集された。ヨーマン”yeoman“とは、14世紀半ば以降に現れた独立自営農民。16世紀以降は,ジェントリと零細農民の間の中産的生産者を指したが、18世紀半ばごろから土地買収などにより,都市または農村の労働者に転落したという。

 

さんざん検索してみたところ、下のマッチ立てが見つかった。これは、アッシャーズ・オールド・ヴァッテド・グレンリヴェットUsher's Old Vatted Glenlivet)というウィスキーのノべルティーである。これに、負傷した英国のボーア戦争兵士が描かれている。

 

書かれている詩はイギリスの小説家、詩人ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865 - 1936) の「心うつけし物乞い」(The Absent-Minded Beggar)。これは第二次ボーア戦争で戦う兵士とその家族のために資金の募金のため、デイリーメール紙の求めで1899年に書かれた。このマッチ立てはそのキャンペーンにかかわるものかもしれない。

 

つまり帝国義勇兵とはウィスキーを意味した。きっとパブのカウンターにもこのマッチ立てがころがっていたのだろう。

 

 

          


集英社文庫版の『ユリシーズ』の注釈では、帝国義勇兵は「アルコールで勇気を鼓舞して出撃したとのそしりがあることから、おれも酒が欲しいとの意になる」(Gifford·の注釈と同じ)とあるが、このグッズをみれば、私の説が正しいと思う。

 

レネハンは、このブログの第47回にもあった通り、いつもおごってもらっている人である。厚かましくも、値段の高いウイスキーをたのんだのだが、ノーランはハーフにけちった。アイルランドのシングルは35.5 mlとのことでハーフはその半分になる。おそらくウィスキーのハーフが、ノーランの頼んだビール小瓶1本と同じくらいの値段だったのではないか。自分が飲むものより高いものを人におごらないだろうから。

 

A hands up

 

ということで、ジョン・ワイズが飲むのが、オールソップ ”Allsopp” 。歴史ある英国のビールで、1935年にいったん消滅したが、2017年に復活した。赤い手のトレードマークで知られる。ノーランが “a hands up” と言っているのは、オールソップビ―ルを表している。

 

           

                       

 

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