―あの男は運に見放されたようだね。
第236投。506ページ、237行目。
—He is down on his luck. He asked me to ask you to ask somebody named Boylan, a billsticker, to give him a job as a sandwichman.
At this intelligence, in which he seemingly evinced little interest, Mr Bloom gazed abstractedly for the space of a half a second or so in the direction of a bucketdredger, rejoicing in the farfamed name of Eblana, moored alongside Customhouse quay and quite possibly out of repair, whereupon he observed evasively:
—Everybody gets their own ration of luck, they say. Now you mention it his face was familiar to me. But, leaving that for the moment, how much did you part with, he queried, if I am not too inquisitive?
―あの男は運に見放されたようだね。誰かボイランとかいう名のビラ張り人にサンドイッチマンのような仕事を紹介してくれるよう頼んでくれないかと貴方に頼んでくれないと僕に頼んでたよ。
この情報に接するや、いささかも興味を示す様子もなく、ブルーム氏は、半秒ほど呆然と宙を見つめたが、その方向には鋤簾式浚渫船、名にし負うエブラナと名付けられたその船は税関河岸に繋留されていたのだが故障中であることは極めて確からしいことであった。そして返答を回避しつつこう言った。
―誰もが自分の分の運を与えられている、っていうだろ。そういえば、あの男には見おぼえがあるな。それはさておき、君はいくら渡したんだい、煩く尋ねるようだけど、と訊いた。
第16章のはじめの方。夜中の午前1時。ベラコーエンの娼館を出たブルーム氏とスティーヴンは税関の裏を通ってループ線の高架橋をくぐったあたりまで来た。
⇒ ふたりの行路
★ ふたりの現在地このあたりか
■ 行先の馭者溜まり
ー 税関河岸

Dublin OS 1912 map
スティーヴンは友人のジョン・コーリーに出会うが、彼は失業中らしく、金をせびられ半クラウンを渡す。その直後の場面。一つ目の台詞はスティーヴンが、コーリーについて、ブルーム氏に言ったもの。
第16章の例によって、ここも悪文で書かれていて、常套句が多用されている。
ボイランは、興行師なので、ビラ張り人ではないが、間違いとも言えない。ボイランはブルーム氏の妻の愛人であって、親しい間柄ではないので、スティーヴンの問いに困惑させられている。
ところで、ブルーム氏のいるあたりから税関河岸に繋留されている船が見えるだろうか。グーグルマップのストリートビューで見てみたが、下のような感じになり、おそらく見えないだろう。そもそも夜中だ。

唐突に言及される“bucketdredger”とは何か。
バケット浚渫(しゅんせつ)船というもので、「多数の鋼製籠(バケット)を取り付けた腕(バケットライン)を持ち、土砂を連続的にすくい上げる浚渫船」とのこと。

ウィリアム・サイモンズ社製造の英国浚渫船「セント・オーステル号」
File:Britannica Dredge and Dredging 3.jpg - Wikimedia Commons
調べてみると、Dublin Port Archiveに『ダブリン港の浚渫の歴史』との記事があった
ダブリン港の浚渫の近代化に向けて第一歩を踏み出したのはジョージ・ハルピンでした。彼はバラスト委員会に蒸気浚渫船パトリック号を購入するよう説得した。それはバケットラダー浚渫(bucket-ladder dredging)であり、バケットチェーンを蒸気エンジンで駆動するものでした。自走はできず、牽引する必要があった。ダブリンに本拠を置く造船所アンソニー・ヒルが新しい浚渫船を建造したが、モーターと設計図はフェントン・マレー・アンド・ウッド・オブ・リーズ社が供給した。パトリックの最初の仕事は、1815 年にグランド カナル ドックスにつながる水路であるリングズエンド・ガットの水路を浚渫することでした。その後 45 年間を通じて、港は他の 2 台のバケット浚渫船をスコットランドの会社に委託しました。
ダブリン港の浚渫船第一号という、パトリック号を検索してみるとグリニッジ博物館に模型が見つかった。

St Patrick (1901); Service vessel; Bucket dredger
Terms and Conditions | Royal Museums Greenwich
セント・パトリック号(St Patrick)を作ったLobnitz & Co Ltdはスコットランドの会社なので、これは先の記事にいう、パトリック号ではなく、後に注文された「他の 2 台のバケット浚渫船」の一つではないかと思う。
いずれにせよ、セント・パトリック号はエブラナ号ではない。エブラナ号が実在かどうかわからない。
「エブラナ」”Eblana”は、古代ギリシャの天文学者プトレマイオス著書「地理学」に登場する古代アイルランドの集落の名で、古来エブラナは現代のダブリンを指すと信じられてきた。
実際、浚渫船に聖人の名前を付けていることからすると、エブラナ号というのも大げさな命名ではないと分かる。
ブルーム氏は、
"Everybody gets their own ration of luck." 「誰もが自分の分の運を与えられている」
と諺めいたことをいうが、このような諺も格言も存在しない。
わたしはデカルトの『方法序説 』(1637)の冒頭のフレーズを連想した。
“Good sense is the best distributed thing in the world.”
「良識は世界で最もよく分配されているものである」
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