Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

242 (U129.240) ー 帽子ピンをめぐる騒動 

ハンドバックを開けるんだ。

第242投。129ページ、240行目。

 

 Opening her handbag, chipped leather. Hatpin: ought to have a guard on those things. Stick it in a chap’s eye in the tram. Rummaging. Open. Money. Please take one. Devils if they lose sixpence. Raise Cain. Husband barging. Where’s the ten shillings I gave you on Monday? Are you feeding your little brother’s family? Soiled handkerchief: medicinebottle. Pastille that was fell. What is she?...

 ハンドバックを開けるんだ。革が擦り切れてる。帽子ピン。あれにはカバーを付けなきゃいけない。路面電車で人の目を突いちゃう。ごそごそ。開いた。中にはお金が。おひとつどうぞってか。6ペンス玉一個なくなっても大変だ。てんやわんや。亭主がからんでくる。月曜おまえにやった10シリングはどこへやった。弟の一家を養っているんじゃあるまいな。汚れたハンカチ。薬の瓶。トローチかあれ落ちたのは。何を探して…

 

第8章。午後1時ごろ。昼飯前のブルーム氏はローヴァー自転車店の前あたりでウェストモアランド通りを横断し、南下する。ハリソン菓子店の前あたりで、昔の彼女、ジョージ―・ブリーンに出会う。

 

 ローヴァー自転車店

〇 ハリソン菓子店

 ブルーム氏の現在地

 ブルーム氏の行路

ダブリン火災保険地図(1893年

https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Goad_fire_insurance_maps_of_Dublin

 

ここは彼女がハンドバックから何か出そうとするのを見ているブルーム氏の心中の描写。

 

帽子ピン(hatpin)は、帽子を頭に固定するための長さ15~20 cmの装飾的なピン。

 

この一節を読んで、小説の現在(1904年)に帽子ピンで人を刺す事件が実際にあったのではないかと直感。検索してみるとそうだった。

 

以下の記事をもとに帽子ピンにまつわる事態をまとめてみた。

→ Smithsonian magazine

→ wikipedia

 

  • 1903年5月28日、ニューヨーク観光中のカンザス州出身の若い女性レオティ・ブレイカーは、23丁目から5thアベニュー行きの駅馬車に乗車した。馬車は混雑しており、隣の男性が彼女に接触するのを感じたレオティは、帽子ピン(約30センチ)を男の腕に突き刺した。

  • その他、女性が身を守るために帽子ピンが使用されることが度々あった。

  • 1909年までに帽子ピンの危険性が国際的に問題となり、ハンブルクとパリの警察は長さの規制を検討するに至った。

  • 1910年シカゴ市議会は9インチ(約23cm)を超える帽子ピンを禁止する条例を可決した。

  • ミルウォーキーピッツバーグボルチモアニューオーリンズなど、他の都市でも同様の法律が可決された。

  • 1910年代までに、誤って人を傷つけないよう、帽子のピンの先端を覆うことを義務付ける条例が制定された(どこのことか不明確)。貧しい女性たちはジャガイモの切れ端やコルクといったもので代用した。

  • 1918年ノルウェーの新聞は、警察が帽子ピンの先端を覆っていない乗客には路面電車から降りるよう指示するよう勧告したと報じた。

  • 第一次世界大戦の勃発とともに帽子ピンをめぐる騒動は沈静化し、ボブカットとクロッシェ帽が流行すると完全に消え去った。

  • (そしてこの小説が出版されたのは1922年。)

 

はじめ、“Hatpin: ought to have a guard on those things.” この文の意味が分からなかった。

 

男の立場で、「帽子ピンの攻撃から身を守らなきゃいけない」と言っているか。ひょっとしたら女の立場で「これで身を守らなければならない」と言っているのかと思案した。集英社の邦訳も河出書房の柳瀬訳も前者の意味にとっている。ただ英文はそう読めないような気がする。

 

しかし帽子ピンのことを調べたおかげで、意味がわかった。「帽子ピンの先に保護するもの(ガード)を付けなければならない」と言っているのだ。明文か不文律かはともかくそのような規制が成り立っていたからだ。

 

そうすると次の文の意味も明らかになる。

 

“Stick it in a chap’s eye in the tram.” は、「電車で女が帽子ピンで男の目を攻撃してくるからな。」という意味でなく「(帽子ピンに保護を付けないと)電車でピンが目に刺さってしまうからな。」と言っているのだ。ブルーム氏は過剰防衛のことではなく過失事故の心配をしている。

 

調べてみると、帽子ピンの先に付ける ”Hat Pin Point Protector" という商品がある。こういうことが分かってと実に面白いな。読むのをやめられなくなる。

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

パスティル(Pastille)は、濃厚な液体を固めた甘味料または薬用の錠剤の一種で、軽く噛んで口の中で溶かして摂取する、トローチのようなものとのこと。

 

しかし、“Pastille that was fell.” という文がわからない。文法的にどうなっているのだろう。 “(He thought)that was a pastille and then (it) fell.” 「あれはパスティルだ、落っこちた。」が崩れた形なのかな、と取りあえず理解する。

 

ジョージ―・ブリーンがバッグから出そうとしているのは、夫のブリーン氏が受け取った差出人不明の葉書。ブログの第112回で言及した。しかし、今気が付いたが、なぜ彼女が持ち歩いているのだろう。

 

英国の製薬会社Allen and Hanburys LtdのパスティルAllenburysの広告(1930s)

 

昔のパスティルの入れ物は残っているので実物の画像はたくさん見つかるが、中身のわかる画像がなかなかない。このポスターにはかろうじて描かれている。

 

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