途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならば
第158投。502べージ、61行目。
En route to his taciturn and, not to put too fine a point on it, not yet perfectly sober companion Mr Bloom who at all events was in complete possession of his faculties, never more so, in fact disgustingly sober, spoke a word of caution re the dangers of nighttown, women of ill fame and swell mobsmen, which, barely permissible once in a while though not as a habitual practice, was of the nature of a regular deathtrap for young fellows of his age particularly if they had acquired drinking habits under the influence of liquor unless you knew a little jiujitsu for every contingency as even a fellow on the broad of his back could administer a nasty kick if you didn’t look out.
途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならばまだ完全には素面とはいえぬ同伴者に対しとにもかくにも正気を保ち常になく実際いやになるほど素面のブルーム氏は夜の町の危険性、即ちかの悪名高い女たち、紳士のなりをした掏摸に係る警告を発した。それは時折ならいざ知らず常習的訪問はおよそ許容できず、彼の年頃の若者にとって本質的に全き死の穽陥である。酒精の影響下飲酒の習慣を帯びているならば殊にそうであると。但しいささかのジュ―ジュツの心得があるなら話は別で仰向けの男が不意に繰り出す厄介な蹴りといった不測の事態にも対処できよう。
第16章のはじめの方。夜中の午前1時。ベラコーエンの娼館を出たブルーム氏とスティーヴンが、アミアンズストリート駅の前を通って、ベレスフォードプレイスにある馭者溜まりへと歩いている。ブルーム氏のスティーヴンへの語りを描写した一節。
第16章の例によって、たわいのないことを言っているのだが、外来語と慣用句を多用し、従属節がはびこる長文で、読みにくい。
“en route” はフランス語で「…への途中,途上で」。
“re”はラテン語で「…に関して」。
“jiujitsu”は、日本語の「柔術」つまり「柔道」のこと。(外来語だが、原文では斜体になっていない。)
小説の現在は1904年であるが、当時英国に属す都市ダブリンに住むブルーム氏がなぜ日本の柔術を知っているのか。そのあたり検索して調べてみた。掘ってみるとかなり奥が深い。
ブルーム氏が柔術を知っている背景をまとめると以下の通り。
①イギリスへの柔術の紹介で記録に残るものとしては、1892年ロンドン日本人協会における志立鉄次郎氏および呉大五郎氏の講演と実演が最初である。
②のバートン=ライトの招きで1900年イギリスに渡って人気を博した柔道家、谷幸雄のポストカード。
File:Apollo-Tani-postcard.jpg - Wikipedia
②柔術がイギリスでよく知られるようになったことについては、イギリスの技術者・実業家・理学療法士・武術家であるエドワード・ウィリアム・バートン=ライト(Edward William Barton-Wright 1860 - 1951)によるとことが大きい。彼は1895年技術者として神戸に滞在した時期に柔道を学んだ。その後彼は柔術にボクシング、棒術などの要素も取り入れ、バーティツ(Bartitsu)と呼ばれる独自の護身術のトレーニング方法を考案した。
エドワード・ウィリアム・バートン=ライト
③コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズが、宿敵モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになったが、無事帰還できたのは「バリツ」(baritsu)の心得があったからということにしている。
だがぼくはーこれまでにも何度か役に立ったが―日本の格闘技であるバリツの心得があったので、相手の腕をさっとすり抜けた。
(「空き家の冒険」(1903年) ー『詳注版シャーロック・ホームズ全集7』中野康司訳、ちくま文庫、1997年)
「バリツ」とはバートン=ライト氏の「バーティツ」のこととの解釈が有力である。このように『ユリシーズ』の描く時代(1904年)において、日本の武術はイギリスの一般大衆に知られるようになっていた。
④1902年に終結したボーア戦争をきっかけに、20世紀初頭のイギリスにおいて、国民の体力衰退が問題視されていた。1904年政府によりにまとめられた「体力衰退に関する部局間委員会報告書」“Report of the Inter-Departmental Committee on Physical Deterioration Fitzroy Report” (1904)において、懸念される衰退の要因として以下が挙げられている。
- 都市化
- アルコール依存
- 人材流出による地方の衰退
- 出生率の低下
- 食品
- 子どもの生活環境
これらはこの小説の内容にかかわりのあるテーマばかりなのでとても興味深い。
⑤こういった社会状況の影響下に、一般庶民のあいだでも、退化に抗する活動、つまり郊外でのレクレーション、自然療法、菜食主義、禁酒、清潔・衛生、滋養強壮につながる飲食物、運動による体力増強といった方面への関心が高まった。
⑥その例にもれず、ブルーム氏は、とりわけ健康の増進に関する問題意識が高い。この一節でスティーヴンの飲酒を戒めていることにもそれが現れている。彼はボディビルダーの先駆者でプロイセン生まれでブルーム氏とおなじくユダヤ系の父を持つユージン・サンドウ(Eugen Sandow 1867 - 1925)の考案したサンドウ式トレーニングを実践している。サンドウ氏の名はこの小説に何度も出てくる。例えば、彼の蔵書にサンドウの著書がある。
Physical Strength and How to Obtain It by Eugen Sandow (red cloth).
(U582.1397)
ユージン・サンドウ
そういうわけで彼が当時注目されていた日本の柔術の知識を持っているのも納得できるのだ。
ライヘンバッハ滝のシャーロック・ホームズとモリアーティ教授。ストランド・マガジン掲載のシャーロック・ホームズの物語『最後の事件』に付されたシドニー・パジェットの挿絵 (1893)
File:Sherlock Holmes and Professor Moriarty at the Reichenbach Falls.jpg - Wikimedia Commons
このブログの方法については☞こちら