Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

163(U515.652) ー アイルランドは各員に期待する

とはいえ事柄の詳細に立ち入るまでもなく

 

第163投。515ぺージ、652行目。

 

Nevertheless, without going into the minutiae of the business, the eloquent fact remained that the sea was there in all its glory and in the natural course of things somebody or other had to sail on it and fly in the face of providence though it merely went to show how people usually contrived to load that sort of onus on to the other fellow like the hell idea and the lottery and insurance which were run on identically the same lines so that for that very reason if no other lifeboat Sunday was a highly laudable institution to which the public at large, no matter where living inland or seaside, as the case might be, having it brought home to them like that should extend its gratitude also to the harbourmasters and coastguard service who had to man the rigging and push off and out amid the elements whatever the season when duty called Ireland expects that every man and so on and sometimes had a terrible time of it in the wintertime not forgetting the Irish lights, Kish and others, liable to capsize at any moment, rounding which he once with his daughter had experienced some remarkably choppy, not to say stormy, weather.

 

 

とはいえ事柄の詳細に立ち入るまでもなく海がその栄耀栄華を謳歌して存在することは事実が雄弁に物語ることであり事の自然な成り行き上誰か彼かは航海に出て無謀な危険に身をさらさねばならないがはっきり言えるのは地獄の概念や宝籤や保険といったしくみで常々人々はなんとかある種の重荷を他人に負わせようとするのだ詰まるところこれらは同工異曲のことでまさに他でもないその理由により救命艇日曜日運動は極めて称賛に値する制度であると一般大衆は場合によって内陸に住むにせよ沿岸に住むにせよしみじみそう自覚するものだそれは沿岸警備隊や港長の職務に対し感謝の意を表明すべきなのも同様で彼らはいかなる季節であれ自然の猛威のただなかに艤装船に人員を配置し出航させなければならない『アイルランドが各員に期待する』場合にはね誰しも冬季においては時にひどい目に会うので何時いかなる時であれ灯台船が転覆する危険性を忘れてはならないキッシュの灯台船をかつて娘と周回した時に嵐と言わないまでも相当に波立ち騒ぐ天候を経験したものだ。

 

第16章。真夜中。娼館を後にしたブルーム氏はスティーヴンを介抱するため馭者溜りへに来ている。ブルーム氏はそこにいた船乗りに質問をするがはかばかしい答えは得られず。そこで海についての妄想を繰り広げる。その一節。

 

ブルーム氏の妄想はとめどなく続くくねくねとした文でたどられ切れ目がないので長い一節になってしまった。

 

第16章の文体の常として、慣用句が不適切に多用されていて滑稽な味わいとなっている。今回の個所からあげてみると。

 

in all one's glory  得意の絶頂に,最盛期に

in the natural course of events  事の自然の成り行きで

fly in the face of Providence 危険を招く

It just only goes to show よくわかる まさによく証明されている.

brìng…home to a person      …を人に深く悟らせる, 強く思い知らせる

 

ブルーム氏は宝籤と保険が同じ仕組みだとの慧眼を示す。彼はハンガリーの富籤の商いをしてたことがあり、また保険屋に勤めていたこともあるので、これらについて詳しいのだ。

 

彼の言う “lifeboat Sunday” とは何か。検索しても見つからない。しかし“lifeboat Saturday” 「救命艇土曜日」というのは見つかった。

 

「救命艇土曜日」とは英国の綿紡績実業家、サー・チャールズ・ライト・マカラ(Sir Charles Wright Macara, 1st Baronet   1845-1929)が、1891 年に王立救命艇協会の後援のもと、溺死した乗組員の未亡人や孤児のために組織された慈善活動。王立救命艇協会(Royal National Lifeboat Institution: RNLI)は、英国周辺の沿岸や海における救命活動を行なう英国のボランティア組織。

→ RNLI Lifeboat 1891: First street collection

 

1886年 リザム・セント・アンズとサウスポートの救命艇が、嵐で遭遇したドイツの帆船メキシコ号の船員を救助しようとして27人の乗組員の命が失われた事件があり、サー・チャールズはこの事件をきっかけに慈善活動を組織したという。

 

Giffordの注釈も集成社版の邦訳の注釈も、”lifeboat Sunday” 「救命艇日曜日」があるように説明している。しかしおそらく「救命艇日曜日」は「救命艇土曜日」の誤りで、ブルーム氏が間違えているという設定だろう。「定かでない事実」はこの第16章の特徴だから。

 

Lifeboat Saturday, Manchester, England, October 1894

1894年10月マンチェスターの救命艇日曜日。街頭募金活動の様子

File:Lifeboat Saturday, Manchester, October 1894 (01).jpg - Wikimedia Commons

 

“Ireland expects that every man” は斜体になっていることから、引用であると分かる。

 

1805年のトラファルガー海戦の際、英国海軍の艦隊を率いるネルソン提督が艦隊を鼓舞するため掲げた有名な信号文。“England expects that every man will do his duty.”「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」がもとになっている。この文は信号旗を用いて各艦に伝達された。これをアイルランドを主語にしてもじったものである。

 

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trafalgar_Mensanje.png

 

ネルソン提督はこのブログの第1回に出て来たのだが、この小説の重要なモティーフとなる人物だ。小説の現在(1904年)ダブリンの街の真ん中にはネルソン像の載った塔が立っていた。英国のアイルランド支配の象徴といえる。

 

第1章では、主人公のスティーヴンの同居人、マリガンがスティーヴンに金をせびる場面でこのセリフをもじって使っている。スティーヴンにとっての簒奪者マリガンがネルソンの言葉をつかうのは主題的にマッチしている。

 

 He turned to Stephen and said:

 —Seriously, Dedalus. I’m stony. Hurry out to your school kip and bring us back some money. Today the bards must drink and junket. Ireland expects that every man this day will do his duty.

(U13.465-)

 

キッシュの灯台船は第90回で触れた。ダブリン沖に設置されていた、灯台の役割をする船である。

 

 

'England expects every Man to do his duty. Lord Nelson explaining to the officers the Plan of Attack previous to the Battle of Trafalgar'(1806)
トラファルガーの戦いの前に、将校たちに攻撃計画を説明するネルソン卿

https://www.rmg.co.uk/collections/objects/rmgc-object-128887

 

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162(U470.4073) ー 時の踊り

ピアノラ:ぼくのかわいいシャイなあの子、腰が。

 

第162投。第470ページ、4073行目。

 

 THE PIANOLA:

 

    My little shy little lass has a waist.

 

 (Zoe and Stephen turn boldly with looser swing. The twilight hours advance from long landshadows, dispersed, lagging, languideyed, their cheeks delicate with cipria and false faint bloom. They are in grey gauze with dark bat sleeves that flutter in the land breeze.)

 

 

 ピアノラ:

 

    ぼくのかわいいシャイなあの子、腰が。

 

 (ゾーイとステイ―ヴンはリズムに乗って勢いよく回転する。黄昏の時が陸の長い影から進み出る、散り散りに、佇んで、物憂い目、化粧した頬はかすかな薔薇色。グレーの薄織をまとい暗い色の蝙蝠袖が陸風にひらひらする。)

 

第15章の終盤。ベラ・コーエンの娼館の場面。娼婦たちとスティーヴン、医学生のリンチ、ブルーム氏が部屋にいる。娼婦のゾーイが踊ろうと言い出し、ピアノラにリンチが渡したコイン、2ペンスを入れると、ピアノラが曲を奏でだす。ゾーイがスティーヴンと踊り出したところ。

 

 

 

ピアノラ

 

ピアノラ (pianola)とは自動ピアノの商品名。このブログ第68回に一度出てきた。アメリカの実業家、発明家、エドウィン・スコット・ヴォーティー(Edwin Scott Votey, 1856 - 1931)により1895年に開発され1898年米国エオリアン社から発売された。ペダルによる空気圧と譜面ロールにより作動するという。

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:M0354_1951-40-004_2.jpg?uselang=ja

 

僕の彼女はヨークシャー娘

 

ピアノラが台詞として歌っている(またはピアノラの音が歌詞にきこえたのか、まあ同じことか)のは、『僕の彼女はヨークシャー娘』My Girl's a Yorkshire Girl(1908年)という曲。チャールズ・ウィリアム・マーフィー (Charles William Murphy 1870年 - 1913年) がダン・リプトン(Dan Lipton 1873年 - 1935年)の協力をえて作曲した作品。彼の曲はミュージックホールやミュージカルシアターで演奏された。

 

曲の始めの部分はこの通り。ピアノラが歌ったのは5行目のあたり。

 

  Two young fellows were talking about

  Their girls, girls, girls —

  Sweethearts they'd left behind,

  Sweethearts for whom they pined.

  One said, "My little shy little lass

  Has a waist so trim and small.

  Gray are her eyes so bright,

  But best, best of all...

 

  二人の若者が話してた

  あの子、あの子、あの子のことを

  連れてこられなかった恋人よ

  想い焦がれる恋人よ

  ぼくのかわいいジャイなあの子

  腰がすらりと細くって

  グレーの瞳はきらきらと

  でも一番好きなのは・・・

 

 

→ ♪ Youtube

 

第15章。今回の個所の少し前の部分で、ゾーイは、嘘か真か、イングランドのヨークシャーの生まれと言っている。この曲が出てきたのはそれに関連があると思う。

 

 BLOOM: (Repentantly.) I am very disagreeable. You are a necessary evil. Where are you from? London?

 

 ZOE: (Glibly.) Hog’s Norton where the pigs plays the organs. I’m Yorkshire born. (She holds his hand which is feeling for her nipple.) I say, Tommy Tittlemouse. Stop that and begin worse. Have you cash for a short time? Ten shillings?

(U407.1979)

 

また、この曲は第10章に登場していて、カレッジ公園でハイランドの若者のブラスバンドが演奏していた。

 

As they drove along Nassau street His Excellency drew the attention of his bowing consort to the programme of music which was being discoursed in College park. Unseen brazen highland laddies blared and drumthumped after the cortège:

 

  But though she’s a factory lass

  And wears no fancy clothes.

  Baraabum.

  Yet I’ve a sort of a

  Yorkshire relish for

  My little Yorkshire rose.

  Baraabum.

(U208.1246-)

 

時の踊り

 

すると4組の時間の化身の少女たちが現れて踊りだす。朝の時間たち、昼の時間たち。今回の個所は、黄昏の時間たちが現れたところ。つづいて夜の時間たちが現れる。時間たちの登場には、この小説が朝から夜中までの1日を描いていることが反映していると思う。黄昏の時間の少女は、第13章で浜辺にいた少女たちに対応する。

 

時が踊るといえば、バレエ音楽『時の踊り』La danza delle oreを思わずにはいられない。イタリア作曲家、アミルカレ・ポンキエッリ(Amilcare Ponchielli , 1834年 - 1886年)のオペラ『ラ・ジョコンダ』La Gioconda, 1876年)の第3幕で演奏される有名な音楽。

 

ディズニーの映画『ファンタジア』(1940年)ではこの曲がダチョウやカバや象により踊られた。

→  ♪  Youtuibe

 

蝙蝠袖

 

黄昏の時間たちの衣服の “bat sleeves” は、第13章で飛んでいた蝙蝠に由来するが、蝙蝠の羽を模した袖、ということではないように思う。

 

バットウィング・スリーブ “Batwing sleeve” という服飾用語があり、これではないか。バットウィング・スリーブとは、「ドルマン」‘Dolman’ または「マジャル」‘Magyar’とも呼ばれ、袖ぐり(袖のつけ根)が深く、手首が細くなっている長い袖を言う。

 

https://witness2fashion.wordpress.com/tag/bat-wing-batwing-sleeves-1926-1920s/

 

 

イタリアの象徴主義の画家、ガエターノ・プレヴィアーティ(Gaetano Previati、1852年 – 1920年)の『時の踊り』 (1899 年頃)。同曲 にインスピレーションを得て描かれた。

 

File:Artgate Fondazione Cariplo - Previati Gaetano, La Danza delle Ore.jpg - Wikimedia Commons

 

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161(U35.185) ー 空腹と歯痛

偉そうに歩いている。

第161投。35ページ、185行目。

 

 Proudly walking. Whom were you trying to walk like? Forget: a dispossessed. With mother’s money order, eight shillings, the banging door of the post office slammed in your face by the usher. Hunger toothache. Encore deux minutes. Look clock. Must get. Fermé. Hired dog! Shoot him to bloody bits with a bang shotgun, bits man spattered walls all brass buttons. Bits all khrrrrklak in place clack back. Not hurt? O, that’s all right. Shake hands. See what I meant, see? O, that’s all right. Shake a shake. O, that’s all only all right.

 

 偉そうに歩いている。誰の真似をしているつもりだ。忘れろ。家を乗っ取られた。母からの郵便為替をもって、8シリング、門衛に郵便局のドアを目の前でバンと閉められたな。空腹と歯痛。マダ2フンアル。時計を見ろよ。どうしても。ヘイテンダ。雇われ犬め。ショットガンでバンと一発木っ端微塵に吹き飛ばすぞ微塵に吹き飛んで真鍮のボタンが壁に散る。微塵の破片がカタカタと逆戻り。けがはないかい。ああだいじょうぶ。握手。言ったことがわかるかい。ああ問題ない。握手握手。ああまったく問題ないよ。

 

このブログは生成した乱数にもとづいて『ユリシーズ』をランダムに読んでいますが、これまでなぜか第3章には当たらず。161回目にして初めて第3章に当たりました。

 

午前11時ごろ、サンディマウントの海岸を散歩するスティーヴンの心中の声。

 

ティーヴンは誰の真似をして歩いているのか。おそらく同居人のマリガンだろう。スティーヴンは第1章で住居であるマーテロ―塔の鍵をマリガンに渡した。つまり家を奪われたと思っている。

 

 —Give us that key, Kinch, Buck Mulligan said, to keep my chemise flat.

 Stephen handed him the key. Buck Mulligan laid it across his heaped clothes.

 —And twopence, he said, for a pint. Throw it there.

 Stephen threw two pennies on the soft heap.

(U19.721)

 

あ、ということは、ここは第1章の冒頭のマリガンの歩みと第1章の最後のフレーズ「簒奪者め」が反映されているのか。

 

 Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed.

(U3.1)

 Usurper.

(U19.744)

 

彼は1年前(1903年)に留学していたパリのことを思い出している。母から送ってもらった為替(money order)を郵便局で換金しようとしたが、扉をしめられてしまったことがあったようだ。

 

Money orderとは ブログの第104回でふれた、郵便為替(postal order)と同じ仕組みのものだろう。差出人が(おそらく)郵便局の振り出す為替証書を郵送し、受取人は為替を郵便局で換金する。当時すでに英国とフランス間で郵便為替を相互に換金できる取り決めがあたのだろう。検索したところ "Convention between Her Majesty and the President of the French Republic for the Exchange of Post Office Money Orders" (December 8th 1882)、という取り決めがあり、これではないかと思うが。本文は見つけられなかった。

 

ティーヴンは、パリ時代、虫歯だったが、お金がなくて(あるいは医者嫌いで)治療できず、貧しくて(あるいは歯が痛いのでものが食えず)空腹だったのだろう。今日も歯痛をかかえていて、この章の終わりでも「歯が悪くて医者に行かくべきか」と言っている。

 

My teeth are very bad. Why, I wonder. Feel. That one is going too. Shells. Ought I go to a dentist, I wonder, with that money? That one. This. Toothless Kinch, the superman. Why is that, I wonder, or does it mean something perhaps?

(U42.494)

 

“Encore deux minutes.” “Fermé.”はフランス語で、それぞれ「まだ2分ある」「閉店」の意味。

 

ティーヴンは、郵便局の戸を閉めた門衛を、ショットガンで吹き飛ばすことを空想する。ばらばらの人体が壁に飛び散って、また逆戻りで戻ってくる。今でいうアニメーションのようなイメージだが、当時そんなものはないない。何が元ネタなのだろうか。

 

スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(The Killing,1956)のポスター

 

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160(U355.179) ー 轢かれかける男

 (急いで道を渡ろうとすると、浮浪児たちが大声を出す。)

第160投。355ページ、179行目。

 

 

 (He darts to cross the road. Urchins shout.)

 

 THE URCHINS: Mind out, mister!

 

 (Two cyclists, with lighted paper lanterns aswing, swim by him, grazing him, their bells rattling.)

 

 THE BELLS: Haltyaltyaltyall.

 

 BLOOM: (Halts erect, stung by a spasm.) Ow!

 

 (He looks round, darts forward suddenly. Through rising fog a dragon sandstrewer, travelling at caution, slews heavily down upon him, its huge red headlight winking, its trolley hissing on the wire. The motorman bangs his footgong.)

 

 

 (急いで道を渡ろうとすると、浮浪児たちが大声を出す。)

 

 浮浪児たち:気負付けな、おっさん。

 

 (2台の自転車が、紙のランタンを揺らゆら、すうっとやって来てベルをガタガタ言わせて脇をすり抜ける。)

 

 ベル:停まれい令令令令。

 

 ブルーム:(痙攣に襲われ立ち尽くす。)いてて。

 

 (周りを見て急いで横断する。立ち込める霧の向こうから徐行運転の化け物じみた散砂電車がのっそり向きをかえて迫ってくる。大きな赤いヘッドライトを点滅させ、トロリーが架線に接触してシューシュー言う。運転手が足で警鐘を鳴らす。)

 

 

第15章の冒頭。ブルーム氏はスティーヴンとリンチの後を追って、アミアンズ通り駅を出て、娼館街へやってきたところ。現在彼はタルボット通りとマボット通りの交差点にいる。

 

 

自転車の灯火

“lighted paper lantern”とは紙の提灯だが、当時(1904年)自転車は灯火として紙の提灯を使っていたのだろうか。検索したがそういう記録は見つけられなかった。

 

日本についてのブログで「黎明期・明治期の自転車ライトには提灯が使われていた=光源はロウソク( 蝋燭 )。」という記事は見つかった。

→ バリエーションサイクリング

 

"Haltyaltyaltyall."  は自転車のベルが発しっているセリフだが、”halt you all. halt you all.” が縮まっているのではないかと思う。

 

路面電車の進路

砂を撒く路面電車については、ブログの第140回 のところですでに出てきた。砂を撒くのは掃除のためか、線路の摩擦のためか、定かでない。

 

“slew” は和英辞典では意味がよくわからないのだが、英文の辞書で調べると“(of a vehicle) to turn or be turned round suddenly and awkwardly:” Cambridge Dictionary 「(車両が)突然、ぎこちなく旋回する」との意味がある。

 

ブルーム氏と路面電車の位置関係は定かではない。ブルーム氏はタルボット通りを北へ渡ろうしていると思われる。下の地図で路面電車の路線は茶色で示されている。①路面電車が南から来て右折したという可能性(下の地図で水色の矢印)と②北東から来て120度向きをかえたという可能性(黄緑の矢印)が考えられる。この一節の表現からして、②がマッチするように思う。

 

★ ブルーム氏の位置

A & C Black map of Dublin showing main tram routes. (c. 1912)

OW! ー 痛みのリスト

“ow”は、日本語で「おお」にしてしまうと、いろんな意味に使えてしまえそうだが、辞書をしらべると “used to express sudden pain:” (Cambridge Dictionary) とあり、英語では「突然の痛み」を表す間投詞ということである。

 

この小説では大事な場面でこの "ow" が意識的に使われているような気がする。

順にみてみる。

 

第6章。ディグナム氏の葬儀に参列したブルーム氏はお祈りのためひざまずき、膝に痛みを感じる。ひざまずくというのもこの小説の大事な動作だ。

 

My kneecap is hurting me. Ow. That’s better.

(U86.613)

 

第11章。ブルーム氏は、オーモンドホテルのレストランで食事をすましたあと、帰ろうと立ち上がる。

 

Well, I must be. Are you off? Yrfmstbyes. Blmstup. O'er ryehigh blue. Ow. Bloom stood up. Soap feeling rather sticky behind. Must have sweated: music. That lotion, remember. Well, so long. High grade. Card inside. Yes.

(U235.1126)

 

ここでいう ”ow” の意味は定かでない。集英社版は「おや」。河出書房新社版は「おっと」と訳している。 "ow" は痛みだとすると、立ち上がった時に腰が痛んだのではないかと思う。第15章で彼は父からの遺伝で左臀部に座骨神経痛を患っているという。

 

BLOOM: (Cowed.) ・・・I have felt this instant a twinge of sciatica in my left glutear muscle. It runs in our family. Poor dear papa, a widower, was a regular barometer from it. He believed in animal heat. ・・・ (He winces.) Ah!

(U431.2782)

 

第12章。バーニー・キアナンの酒場で、この章の語り手がおごってもらったビールを飲んで ”ow!" と言う。

 

集英社版の邦訳では、「うめえ!」と訳している。河出書房新社版の訳者、柳瀬さんは、語り手は犬なのでビールをもらえてたわけではなく、飲みたくて、「胃の腑にキューっと痛みを感じた」という解釈。(P.80『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年) "ow" の意味からして、後者が整合すると思う。

 

 —Health, Joe, says I. And all down the form.

 Ah! Ow! Don’t be talking! I was blue mouldy for the want of that pint. Declare to God I could hear it hit the pit of my stomach with a click.

(245.242)

 

同じく第12章。語り手は店の裏で用足しする。内心の声で2回  "ow!" という。集英社版では、語り手は小便をしており、性病のため痛みを感じていると注釈で説明している。河出書房新社版は、語り手は犬という説なので、ビールを飲んでいない。犬が下痢をしていて腹が痛んでいるとの解釈。(P.195『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)

 

Goodbye Ireland I’m going to Gort. So I just went round the back of the yard to pumpship and begob (hundred shillings to five) while I was letting off my (Throwaway twenty to) ・・・ (ow!) all a plan so he could vamoose with the pool if he won or (Jesus, full up I was) trading without a licence (ow!) Ireland my nation says he (hoik! phthook!) never be up to those bloody (there’s the last of it) Jerusalem (ah!) cuckoos.

(U275.1568)

 

第13章。サンディマウントの浜辺でポケットに手を突っ込んでいかがわしいことをしたブルーム氏(ブログの第152回のところ)は、おそらく下着に引っかかった〇〇の包皮を戻そうとして "ow!" と痛がる。

 

This wet is very unpleasant. Stuck. Well the foreskin is not back. Better detach.

 Ow!

(U306.981)

 

第15章。今回の個所。

 

ブルーム氏は痙攣におそわれて "ow" と言っている。少し前の個所で走ったために脇腹に痛みを感じたといっている。

 

BLOOM: (Halts erect, stung by a spasm.) Ow!

(U355.183)

 

おなじく第15章。⑤のすぐ後の箇所。ブルーム氏は頭痛のようなものを感じている。これは何のことだかわからない。この章の大部分は幻想の場面でできているが、そのことと関係があるのだろうか。これは案外とても大事な箇所かもしれない。

 

Bit light in the head. Monthly or effect of the other. Brainfogfag. That tired feeling. Too much for me now. Ow!

(U356.210)

 

おなじく第15章。娼館にて。娼婦のフロリーが立ち上がったとき足がしびれて "ow!" という。そのあと、娼婦たちのうちで誰が言ったわからないが、だれかにつねられたのかで、"ow!" という。

 

 FLORRY: (Strives heavily to rise.) Ow! My foot’s asleep. (She limps over to the table. Bloom approaches.)

 

 BELLA, ZOE, KITTY, LYNCH, BLOOM: (Chattering and squabbling.) The gentleman... ten shillings... paying for the three... allow me a moment... this gentleman pays separate... who’s touching it?... ow! ... mind who you’re pinching... ・・・

(U414.3553)

 

ジョセフ・ ピューリッツァー発行の新聞ニューヨーク ワールドの日曜版サンデー ワールド(1896年5月3日)の宣伝ポスター。

 

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159(U240.26)ー チキン小路の謎

―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

第159投。240ページ、16行目。

 

 —What are you doing round those parts? says Joe.

 

 —Devil a much, says I. There’s a bloody big foxy thief beyond by the garrison church at the corner of Chicken lane—old Troy was just giving me a wrinkle about him—lifted any God’s quantity of tea and sugar to pay three bob a week said he had a farm in the county Down off a hop-of-my-thumb by the name of Moses Herzog over there near Heytesbury street.

 

 —Circumcised? says Joe.

 

 ―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

 

 ―てんてこ舞いよ。と俺が言う。とんでもねえ泥棒猫がいてよ、あっちの駐屯地教会のそばチキン小路の角だって、トロイ爺さんから裏ネタを仕入れたんだけれど、週に3ボブ支払うとかダウン郡に農場を持ているとかいって紅茶や砂糖をしこたま巻き上げやがったんだ、モーゼス・ハーツォグとかいう親指小僧からよ、向こうのヘイツベリー通りのあたりに住んでるやつさ。

 

 ー割礼の民かい。ジョーが言う。

 

第12章の冒頭近く。午後5時ごろ。新聞記者のジョー・ハインズが、この章の語り手である、わたし “I” に声をかけたところ。

 

ハインズは、ブログの第122回でふれたとおり、シティーアームズホテルで開催された畜牛業者の口蹄疫に関する集会に取材に行った帰りで、ストーニー・バター通り(Stony Batter)を南下してきた。

 

語り手はアーバー・ヒル通り(Arbour Hill)の角にいるらしい。

 

語り手は借金の取り立て屋らしく、情報をあつめている。彼のターゲットである債務者はこのすぐあとに続くパロディ断章によれば、ガーラティ(Geraghty)という男で住所はアーバー・ヒル通り29番地、つまり確かに駐屯地教会のそばである。

 

 For nonperishable goods bought of Moses Herzog, of 13 Saint Kevin’s parade in the city of Dublin, Wood quay ward, merchant, hereinafter called the vendor, and sold and delivered to Michael E. Geraghty, esquire, of 29 Arbour hill in the city of Dublin, Arran quay ward, gentleman, hereinafter called the purchaser,

(U240.33-)

 

 語り手

▂▂ ジョー・ハンイズ

〇 駐屯地教会

▲   ガーラティ氏の住所

▂▂ アーバー・プレイス

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

 

語り手のいうチキン小路(Chicken Lane)を調べてみたが当時(1904年)近辺の地図には見つからない。さらに昔の地図をみていくと1847年の地図にチキン小路の名があった。現在のアーバー・プレイス(Arbour Place)のことのようだ。チキン小路はどうも駐屯地教会のそばの道(上の地図の黄緑色で示した道)ではない。

 

▂▂ チキン小路

Ordnance Survey Ireland City of Dublin : sheet 13 (1847)

 

ちなみに、集英社版邦訳の注釈、つまりGiffordの注釈もチキン小路の場所について理解を間違っていて、黄緑で示した道と考えているようだ。

 

どうしてわざわざチキン小路という分かりにくい地名を持ち出しながら、間違ったことを言わしているだろうか。作者の意図が分からない。”foxy thief”(=狐のように狡猾な盗人、ここでは泥棒猫と訳した)の縁語として獲物の鶏(chicken)を掛けた冗談なのだろうか。

 

債権者であるハーツォグ氏の住所も先に引用した一節では、セント・ケヴィン通り13番地となっており、語り手のいうヘイツベリー通りではない。ヘイツベリー通りに近いといえば近いのだが。そういうわけで、語り手のいうことはなぜか少しづつ間違っている。

 

”Circumcised” というのは、「割礼した」ということで「ユダヤ人」という意味。ハインズは、「モーゼス・ハーツォグはユダヤ人かい」と聞いているということになる。

 

河出書房新社版の訳者の柳瀬さんによると、この章の語り手は「犬」という説で、ハインズは語り手のいう(吠える)ことが分からないまま一方的に話しかけているという解釈になる(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)。それでは、ジョーはなぜ突然ユダヤ人か?と聞いているのか。ここは犬説では少々無理があるような気がする。

 

駐屯地教会(garrison church)は、アーバー・ヒル拘置兵舎(現在はアーバー・ヒル刑務所)に付随する駐屯地礼拝堂のことで、現在はアーバー・ヒルの「聖心教会」 “The Church of the Sacred Heart”と呼ばれる。

 

アーバー・ヒル聖心教会

"THE CHURCH OF THE SACRED HEART [ARBOUR HILL DUBLIN 7]-158525" by infomatique is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

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158(U502.61) ー 柔術の奨め

途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならば 

第158投。502べージ、61行目。

 

 En route to his taciturn and, not to put too fine a point on it, not yet perfectly sober companion Mr Bloom who at all events was in complete possession of his faculties, never more so, in fact disgustingly sober, spoke a word of caution re the dangers of nighttown, women of ill fame and swell mobsmen, which, barely permissible once in a while though not as a habitual practice, was of the nature of a regular deathtrap for young fellows of his age particularly if they had acquired drinking habits under the influence of liquor unless you knew a little jiujitsu for every contingency as even a fellow on the broad of his back could administer a nasty kick if you didn’t look out.

 

 

 途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならばまだ完全には素面とはいえぬ同伴者に対しとにもかくにも正気を保ち常になく実際いやになるほど素面のブルーム氏は夜の町の危険性、即ちかの悪名高い女たち、紳士のなりをした掏摸に係る警告を発した。それは時折ならいざ知らず常習的訪問はおよそ許容できず、彼の年頃の若者にとって本質的に全き死の穽陥である、酒精の影響下飲酒の習慣を帯びているならば殊にそうであると。但しいささかのジュ―ジュツの心得があるなら話は別で仰向けの男が不意に繰り出す厄介な蹴りといった不測の事態にも対処できよう。

 

第16章のはじめの方。夜中の午前1時。ベラコーエンの娼館を出たブルーム氏とスティーヴンが、アミアンズストリート駅の前を通って、ベレスフォードプレイスにある馭者溜まりへと歩いている。ブルーム氏のスティーヴンへの語りを描写した一節。

 

第16章の例によって、たわいのないことを言っているのだが、外来語と慣用句を多用し、従属節がはびこる長文で、読みにくい。

 

“en route” はフランス語で「…への途中,途上で」。

 

“re”ラテン語で「…に関して」。

 

“jiujitsu”は、日本語の「柔術」つまり「柔道」のこと。(外来語だが、原文では斜体になっていない。)

 

小説の現在は1904年であるが、当時英国に属す都市ダブリンに住むブルーム氏がなぜ日本の柔術を知っているのか。そのあたり検索して調べてみた。掘ってみるとかなり奥が深い。

 

ブルーム氏が柔術を知っている背景をまとめると以下の通り。

 

イギリスへの柔術の紹介で記録に残るものとしては、1892年ロンドン日本人協会における志立鉄次郎氏および呉大五郎氏の講演と実演が最初である。

 

②のバートン=ライトの招きで1900年イギリスに渡って人気を博した柔道家谷幸雄のポストカード。

File:Apollo-Tani-postcard.jpg - Wikipedia

 

柔術がイギリスでよく知られるようになったことについては、イギリスの技術者・実業家・理学療法士・武術家であるエドワード・ウィリアム・バートン=ライト(Edward William Barton-Wright 1860 - 1951)によるとことが大きい。彼は1895年技術者として神戸に滞在した時期に柔道を学んだ。その後彼は柔術にボクシング、棒術などの要素も取り入れ、バーティツ(Bartitsu)と呼ばれる独自の護身術のトレーニング方法を考案した。

エドワード・ウィリアム・バートン=ライト

コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズが、宿敵モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになったが、無事帰還できたのは「バリツ」(baritsu)の心得があったからということにしている。

 

だがぼくはーこれまでにも何度か役に立ったが―日本の格闘技であるバリツの心得があったので、相手の腕をさっとすり抜けた。

 

(「空き家の冒険」(1903年) ー『詳注版シャーロック・ホームズ全集7』中野康司訳、ちくま文庫、1997年)

 

バリツ」とはバートン=ライト氏の「バーティツ」のこととの解釈が有力である。このように『ユリシーズ』の描く時代(1904年)において、日本の武術はイギリスの一般大衆に知られるようになっていた。

 

1902年に終結したボーア戦争をきっかけに、20世紀初頭のイギリスにおいて、国民の体力衰退が問題視されていた。1904年政府によりにまとめられた「体力衰退に関する部局間委員会報告書」“Report of the Inter-Departmental Committee on Physical Deterioration Fitzroy Report” (1904)において、懸念される衰退の要因として以下が挙げられている。

  • 都市化
  • アルコール依存
  • 人材流出による地方の衰退
  • 出生率の低下
  • 食品
  • 子どもの生活環境

これらはこの小説の内容にかかわりのあるテーマばかりなのでとても興味深い。

 

こういった社会状況の影響下に、一般庶民のあいだでも、退化に抗する活動、つまり郊外でのレクレーション、海水浴、自然療法、菜食主義、禁酒、清潔・衛生、滋養強壮につながる飲食物、運動による体力増強といった方面への関心が高まった。

 

その例にもれず、ブルーム氏は、とりわけ健康の増進に関する問題意識が高い。この一節でスティーヴンの飲酒を戒めていることにもそれが現れている。彼はボディビルダーの先駆者でプロイセン生まれでブルーム氏とおなじくユダヤ系の父を持つユージン・サンドウ(Eugen Sandow 1867 - 1925)の考案したサンドウ式トレーニングを実践している。サンドウ氏の名はこの小説に何度も出てくる。例えば、彼の蔵書にサンドウの著書がある。

 

Physical Strength and How to Obtain It by Eugen Sandow (red cloth).

(U582.1397)

ユージン・サンドウ

File:Eugen Sandow; Life of the Author as told in Photographs Wellcome L0033356.jpg - Wikimedia Commons

 

そういうわけで彼が当時注目されていた日本の柔術の知識を持っているのも納得できるのだ。

 

 

ライヘンバッハ滝のシャーロック・ホームズとモリアーティ教授。ストランド・マガジン掲載のシャーロック・ホームズの物語『最後の事件』に付されたシドニー・パジェットの挿絵 (1893)

File:Sherlock Holmes and Professor Moriarty at the Reichenbach Falls.jpg - Wikimedia Commons

 

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157(U62.168) ー マッコイのおしゃべり頭

―なんで、彼がどうしたって、

第157投。62ページ、168行目。

 

 —Why? I said. What’s wrong with him? I said.

 

 Proud: rich: silk stockings.

 

 —Yes, Mr Bloom said.

 

 He moved a little to the side of M’Coy’s talking head. Getting up in a minute.

 

 —What’s wrong with him? He said. He’s dead, he said. And, faith, he filled up. Is it Paddy Dignam? I said. I couldn’t believe it when I heard it. I was with him no later than Friday last or Thursday was it in the Arch. Yes, he said. He’s gone. He died on Monday, poor fellow.

 

 

 ―なんで、彼がどうしたって、おれが言ったんだ。

 

 高慢。金持ち。絹のストッキング。

 

 ―それで、ブルーム氏が言った。

 

 彼はマッコイのおしゃべり頭をかわして少し脇へ動いた。もうすぐ乗るぞ。

 

 ―彼がどうしたって、だと、死んだんだよって、あいつが言ったんだ。まじで、あいつ泣きそうだったよ。本当にパディ・ディグナムかい、とおれ。信じられなかったんだ。ついこの前の金曜だか木曜にアーチで一緒に飲んだんで。そう、死んじゃったんだ、とあいつが言う。月曜のことさ、かわいそうに、って。

 

 

第5章。街角でブルーム氏はマッコイ氏と出会う。ここは2人の会話。英語そのものは難しくないが、ここだけ切り取ると何のことだか分からない。文脈を見れば意味が分かってくる。

 

マッコイ氏は、いまは検視官の下働きをしている男で、ここに来る前まで、コンウェイ(Conway)の酒場にいてボブ・ドーランと会話した。(今まだ午前中なのだが。ドーランが飲んでいる理由は第45回でふれた。)

 

ドーランから、「ディグナムは気の毒なことだったね」といわれたことをここでブルーム氏に話している。

 

一方、ブルーム氏は、向いのグローヴナーホテル(The Grosvenor Hotel)の前で上流階級の婦人が二輪馬車(アウトサイダー第91回でふれたジョーンティングカーと同じもの)に乗ろうとしているのを眺めつつ、面倒くさいと思いながらマッコイの受け答えをしている。

 

そういうわけで、ここには5つの層が組み合わさっている。この小説の見事なところで、読みどころだと思う、

 

①マッコイが再現するドーランとマッコイの会話(この小説では引用は斜体で示される)

②マッコイの現在の台詞(この小説では、台詞はダッシュ(“―”)で示される)

③ブルーム氏の心中の声(2行目と4行目後半)

④ブルーム氏の現在の台詞(3行目)

⑤ブルーム氏についての描写(4行目前半)

 

 

言葉を補うとこういうことになるだろうか。

 

「『なんで、彼がどうしたって』、おれがドーランに聞いたんだ。」マッコイが言った。

 

「高慢そうな女だな。金持ち。絹のストッキングをはいているぞ。」とブルーム氏は思った。

 

「それで」。ブルーム氏がうわの空でマッコイに言った。

 

ブルーム氏は女をよく見るため、マッコイのおしゃべり頭をかわして少し脇へ動いた。彼は思った。あの女、もうすぐ馬車に乗るぞ。」

 

マッコイが言った。「『彼がどうしたってだと、死んだんだよ』ってドーランが言ったんだ。まじで、あいつ泣きそうだったよ。『本当にパディ・ディグナムかい』、とおれは言った。信じられなかったんだ。ついこの間の金曜だか木曜にアーチでディグナムと一緒に飲んだからさ。『そう、死んじゃったんだ。月曜のことさ、かわいそうに。』とあいつは言った。」

 

このへんを略して書くのがこの小説の文体の基本形になっている。

 

 

 ブルーム氏とマッコイ氏が会話している場所

⬟ ブルーム氏が眺めているグローヴナーホテル

◆ マッコイ氏がここ★に来る前にいた酒場コンウェイ

▲ マッコイが先週ディグナムといたという酒場アーチ

 

 

グローヴナーホテルの絵葉書

(この小ぶりな高級ホテルは2005年に取り壊された。跡地にはCRANN〈応用ナノ構造ナノデバイス研究センター〉がある。)

 

コンウェイの酒場。

(伝統あるパブだったが2008年に閉店し現在は現在はKennedy’sになっている。)

"Patrick Conway" by the justified sinner is licensed under CC BY-NC-SA 2.0.

 

  

在りし日の酒場アーチが写っている写真(右側、1907年頃)

Tower Bar, Henry Street (ucd.ie)

 

アーチの場所は今、貸店舗になっているよう。

 

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