Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

159(U240.26)ー チキン小路の謎

―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

第159投。240ページ、16行目。

 

 —What are you doing round those parts? says Joe.

 

 —Devil a much, says I. There’s a bloody big foxy thief beyond by the garrison church at the corner of Chicken lane—old Troy was just giving me a wrinkle about him—lifted any God’s quantity of tea and sugar to pay three bob a week said he had a farm in the county Down off a hop-of-my-thumb by the name of Moses Herzog over there near Heytesbury street.

 

 —Circumcised? says Joe.

 

 ―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

 

 ―てんてこ舞いよ。と俺が言う。とんでもねえ泥棒猫がいてよ、あっちの駐屯地教会のそばチキン小路の角だって、トロイ爺さんから裏ネタを仕入れたんだけれど、週に3ボブ支払うとかダウン郡に農場を持ているとかいって紅茶や砂糖をしこたま巻き上げやがったんだ、モーゼス・ハーツォグとかいう親指小僧からよ、向こうのヘイツベリー通りのあたりに住んでるやつさ。

 

 ー割礼の民かい。ジョーが言う。

 

第12章の冒頭近く。午後5時ごろ。新聞記者のジョー・ハインズが、この章の語り手である、わたし “I” に声をかけたところ。

 

ハインズは、ブログの第122回でふれたとおり、シティーアームズホテルで開催された畜牛業者の口蹄疫に関する集会に取材に行った帰りで、ストーニー・バター通り(Stony Batter)を南下してきた。

 

語り手はアーバー・ヒル通り(Arbour Hill)の角にいるらしい。

 

語り手は借金の取り立て屋らしく、情報をあつめている。彼のターゲットである債務者はこのすぐあとに続くパロディ断章によれば、ガーラティ(Geraghty)という男で住所はアーバー・ヒル通り29番地、つまり確かに駐屯地教会のそばである。

 

 For nonperishable goods bought of Moses Herzog, of 13 Saint Kevin’s parade in the city of Dublin, Wood quay ward, merchant, hereinafter called the vendor, and sold and delivered to Michael E. Geraghty, esquire, of 29 Arbour hill in the city of Dublin, Arran quay ward, gentleman, hereinafter called the purchaser,

(U240.33-)

 

 語り手

▂▂ ジョー・ハンイズ

〇 駐屯地教会

▲   ガーラティ氏の住所

▂▂ アーバー・プレイス

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

 

語り手のいうチキン小路(Chicken Lane)を調べてみたが当時(1904年)近辺の地図には見つからない。さらに昔の地図をみていくと1847年の地図にチキン小路の名があった。現在のアーバー・プレイス(Arbour Place)のことのようだ。チキン小路はどうも駐屯地教会のそばの道(上の地図の黄緑色で示した道)ではない。

 

▂▂ チキン小路

Ordnance Survey Ireland City of Dublin : sheet 13 (1847)

 

ちなみに、集英社版邦訳の注釈、つまりGiffordの注釈もチキン小路の場所について理解を間違っていて、黄緑で示した道と考えているようだ。

 

どうしてわざわざチキン小路という分かりにくい地名を持ち出しながら、間違ったことを言わしているだろうか。作者の意図が分からない。”foxy thief”(=狐のように狡猾な盗人、ここでは泥棒猫と訳した)の縁語として獲物の鶏(chicken)を掛けた冗談なのだろうか。

 

債権者であるハーツォグ氏の住所も先に引用した一節では、セント・ケヴィン通り13番地となっており、語り手のいうヘイツベリー通りではない。ヘイツベリー通りに近いといえば近いのだが。そういうわけで、語り手のいうことはなぜか少しづつ間違っている。

 

”Circumcised” というのは、「割礼した」ということで「ユダヤ人」という意味。ハインズは、「モーゼス・ハーツォグはユダヤ人かい」と聞いているということになる。

 

河出書房新社版の訳者の柳瀬さんによると、この章の語り手は「犬」という説で、ハインズは語り手のいう(吠える)ことが分からないまま一方的に話しかけているという解釈になる(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)。それでは、ジョーはなぜ突然ユダヤ人か?と聞いているのか。ここは犬説では少々無理があるような気がする。

 

駐屯地教会(garrison church)は、アーバー・ヒル拘置兵舎(現在はアーバー・ヒル刑務所)に付随する駐屯地礼拝堂のことで、現在はアーバー・ヒルの「聖心教会」 “The Church of the Sacred Heart”と呼ばれる。

 

アーバー・ヒル聖心教会

"THE CHURCH OF THE SACRED HEART [ARBOUR HILL DUBLIN 7]-158525" by infomatique is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

このブログの方法については☞こちら

158(U502.61) ー 柔術の奨め

途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならば 

第158投。502べージ、61行目。

 

 En route to his taciturn and, not to put too fine a point on it, not yet perfectly sober companion Mr Bloom who at all events was in complete possession of his faculties, never more so, in fact disgustingly sober, spoke a word of caution re the dangers of nighttown, women of ill fame and swell mobsmen, which, barely permissible once in a while though not as a habitual practice, was of the nature of a regular deathtrap for young fellows of his age particularly if they had acquired drinking habits under the influence of liquor unless you knew a little jiujitsu for every contingency as even a fellow on the broad of his back could administer a nasty kick if you didn’t look out.

 

 

 途次、口数の少ないそして忌憚なく言うならばまだ完全には素面とはいえぬ同伴者に対しとにもかくにも正気を保ち常になく実際いやになるほど素面のブルーム氏は夜の町の危険性、即ちかの悪名高い女たち、紳士のなりをした掏摸に係る警告を発した。それは時折ならいざ知らず常習的訪問はおよそ許容できず、彼の年頃の若者にとって本質的に全き死の穽陥である。酒精の影響下飲酒の習慣を帯びているならば殊にそうであると。但しいささかのジュ―ジュツの心得があるなら話は別で仰向けの男が不意に繰り出す厄介な蹴りといった不測の事態にも対処できよう。

 

第16章のはじめの方。夜中の午前1時。ベラコーエンの娼館を出たブルーム氏とスティーヴンが、アミアンズストリート駅の前を通って、ベレスフォードプレイスにある馭者溜まりへと歩いている。ブルーム氏のスティーヴンへの語りを描写した一節。

 

第16章の例によって、たわいのないことを言っているのだが、外来語と慣用句を多用し、従属節がはびこる長文で、読みにくい。

 

“en route” はフランス語で「…への途中,途上で」。

 

“re”ラテン語で「…に関して」。

 

“jiujitsu”は、日本語の「柔術」つまり「柔道」のこと。(外来語だが、原文では斜体になっていない。)

 

小説の現在は1904年であるが、当時英国に属す都市ダブリンに住むブルーム氏がなぜ日本の柔術を知っているのか。そのあたり検索して調べてみた。掘ってみるとかなり奥が深い。

 

ブルーム氏が柔術を知っている背景をまとめると以下の通り。

 

イギリスへの柔術の紹介で記録に残るものとしては、1892年ロンドン日本人協会における志立鉄次郎氏および呉大五郎氏の講演と実演が最初である。

 

②のバートン=ライトの招きで1900年イギリスに渡って人気を博した柔道家谷幸雄のポストカード。

File:Apollo-Tani-postcard.jpg - Wikipedia

 

柔術がイギリスでよく知られるようになったことについては、イギリスの技術者・実業家・理学療法士・武術家であるエドワード・ウィリアム・バートン=ライト(Edward William Barton-Wright 1860 - 1951)によるとことが大きい。彼は1895年技術者として神戸に滞在した時期に柔道を学んだ。その後彼は柔術にボクシング、棒術などの要素も取り入れ、バーティツ(Bartitsu)と呼ばれる独自の護身術のトレーニング方法を考案した。

エドワード・ウィリアム・バートン=ライト

コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズが、宿敵モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになったが、無事帰還できたのは「バリツ」(baritsu)の心得があったからということにしている。

 

だがぼくはーこれまでにも何度か役に立ったが―日本の格闘技であるバリツの心得があったので、相手の腕をさっとすり抜けた。

 

(「空き家の冒険」(1903年) ー『詳注版シャーロック・ホームズ全集7』中野康司訳、ちくま文庫、1997年)

 

バリツ」とはバートン=ライト氏の「バーティツ」のこととの解釈が有力である。このように『ユリシーズ』の描く時代(1904年)において、日本の武術はイギリスの一般大衆に知られるようになっていた。

 

1902年に終結したボーア戦争をきっかけに、20世紀初頭のイギリスにおいて、国民の体力衰退が問題視されていた。1904年政府によりにまとめられた「体力衰退に関する部局間委員会報告書」“Report of the Inter-Departmental Committee on Physical Deterioration Fitzroy Report” (1904)において、懸念される衰退の要因として以下が挙げられている。

  • 都市化
  • アルコール依存
  • 人材流出による地方の衰退
  • 出生率の低下
  • 食品
  • 子どもの生活環境

これらはこの小説の内容にかかわりのあるテーマばかりなのでとても興味深い。

 

こういった社会状況の影響下に、一般庶民のあいだでも、退化に抗する活動、つまり郊外でのレクレーション、自然療法、菜食主義、禁酒、清潔・衛生、滋養強壮につながる飲食物、運動による体力増強といった方面への関心が高まった。

 

その例にもれず、ブルーム氏は、とりわけ健康の増進に関する問題意識が高い。この一節でスティーヴンの飲酒を戒めていることにもそれが現れている。彼はボディビルダーの先駆者でプロイセン生まれでブルーム氏とおなじくユダヤ系の父を持つユージン・サンドウ(Eugen Sandow 1867 - 1925)の考案したサンドウ式トレーニングを実践している。サンドウ氏の名はこの小説に何度も出てくる。例えば、彼の蔵書にサンドウの著書がある。

 

Physical Strength and How to Obtain It by Eugen Sandow (red cloth).

(U582.1397)

ユージン・サンドウ

File:Eugen Sandow; Life of the Author as told in Photographs Wellcome L0033356.jpg - Wikimedia Commons

 

そういうわけで彼が当時注目されていた日本の柔術の知識を持っているのも納得できるのだ。

 

 

ライヘンバッハ滝のシャーロック・ホームズとモリアーティ教授。ストランド・マガジン掲載のシャーロック・ホームズの物語『最後の事件』に付されたシドニー・パジェットの挿絵 (1893)

File:Sherlock Holmes and Professor Moriarty at the Reichenbach Falls.jpg - Wikimedia Commons

 

このブログの方法については☞こちら

 

157(U62.168) ー マッコイのおしゃべり頭

―なんで、彼がどうしたって、

第157投。62ページ、168行目。

 

 —Why? I said. What’s wrong with him? I said.

 

 Proud: rich: silk stockings.

 

 —Yes, Mr Bloom said.

 

 He moved a little to the side of M’Coy’s talking head. Getting up in a minute.

 

 —What’s wrong with him? He said. He’s dead, he said. And, faith, he filled up. Is it Paddy Dignam? I said. I couldn’t believe it when I heard it. I was with him no later than Friday last or Thursday was it in the Arch. Yes, he said. He’s gone. He died on Monday, poor fellow.

 

 

 ―なんで、彼がどうしたって、おれが言ったんだ。

 

 高慢。金持ち。絹のストッキング。

 

 ―それで、ブルーム氏が言った。

 

 彼はマッコイのおしゃべり頭をかわして少し脇へ動いた。もうすぐ乗るぞ。

 

 ―彼がどうしたって、だと、死んだんだよって、あいつが言ったんだ。まじで、あいつ泣きそうだったよ。本当にパディ・ディグナムかい、とおれ。信じられなかったんだ。ついこの前の金曜だか木曜にアーチで一緒に飲んだんで。そう、死んじゃったんだ、とあいつが言う。月曜のことさ、かわいそうに、って。

 

 

第5章。街角でブルーム氏はマッコイ氏と出会う。ここは2人の会話。英語そのものは難しくないが、ここだけ切り取ると何のことだか分からない。文脈を見れば意味が分かってくる。

 

マッコイ氏は、いまは検視官の下働きをしている男で、ここに来る前まで、コンウェイ(Conway)の酒場にいてボブ・ドーランと会話した。(今まだ午前中なのだが。ドーランが飲んでいる理由は第45回でふれた。)

 

ドーランから、「ディグナムは気の毒なことだったね」といわれたことをここでブルーム氏に話している。

 

一方、ブルーム氏は、向いのグローヴナーホテル(The Grosvenor Hotel)の前で上流階級の婦人が二輪馬車(アウトサイダー第91回でふれたジョーンティングカーと同じもの)に乗ろうとしているのを眺めつつ、面倒くさいと思いながらマッコイの受け答えをしている。

 

そういうわけで、ここには5つの層が組み合わさっている。この小説の見事なところで、読みどころだと思う、

 

①マッコイが再現するドーランとマッコイの会話(この小説では引用は斜体で示される)

②マッコイの現在の台詞(この小説では、台詞はダッシュ(“―”)で示される)

③ブルーム氏の心中の声(2行目と4行目後半)

④ブルーム氏の現在の台詞(3行目)

⑤ブルーム氏についての描写(4行目前半)

 

 

言葉を補うとこういうことになるだろうか。

 

「『なんで、彼がどうしたって』、おれがドーランに聞いたんだ。」マッコイが言った。

 

「高慢そうな女だな。金持ち。絹のストッキングをはいているぞ。」とブルーム氏は思った。

 

「それで」。ブルーム氏がうわの空でマッコイに言った。

 

ブルーム氏は女をよく見るため、マッコイのおしゃべり頭をかわして少し脇へ動いた。彼は思った。あの女、もうすぐ馬車に乗るぞ。」

 

マッコイが言った。「『彼がどうしたってだと、死んだんだよ』ってドーランが言ったんだ。まじで、あいつ泣きそうだったよ。『本当にパディ・ディグナムかい』、とおれは言った。信じられなかったんだ。ついこの間の金曜だか木曜にアーチでディグナムと一緒に飲んだからさ。『そう、死んじゃったんだ。月曜のことさ、かわいそうに。』とあいつは言った。」

 

このへんを略して書くのがこの小説の文体の基本形になっている。

 

 

 ブルーム氏とマッコイ氏が会話している場所

⬟ ブルーム氏が眺めているグローヴナーホテル

◆ マッコイ氏がここ★に来る前にいた酒場コンウェイ

▲ マッコイが先週ディグナムといたという酒場アーチ

 

 

グローヴナーホテルの絵葉書

(この小ぶりな高級ホテルは2005年に取り壊された。跡地にはCRANN〈応用ナノ構造ナノデバイス研究センター〉がある。)

 

コンウェイの酒場。

(伝統あるパブだったが2008年に閉店し現在は現在はKennedy’sになっている。)

"Patrick Conway" by the justified sinner is licensed under CC BY-NC-SA 2.0.

 

  

在りし日の酒場アーチが写っている写真(右側、1907年頃)

Tower Bar, Henry Street (ucd.ie)

 

アーチの場所は今、貸店舗になっているよう。

 

このブログの方法については☞こちら

 

156(U379.993) ー 襟を握る法廷弁護士

(J.J.オモロイが低い台座に登り、厳かに上着の襟を握った。

第156投。379ページ、993行目。

 

 (J. J. O’Molloy steps on to a low plinth and holds the lapel of his coat with solemnity. His face lengthens, grows pale and bearded, with sunken eyes, the blotches of phthisis and hectic cheekbones of John F. Taylor. He applies his handkerchief to his mouth and scrutinises the galloping tide of rosepink blood.)

(J.J.オモロイが低い台座に登り、厳かに上着の襟を握った。彼の顔が長く伸び、青白くなり顎鬚が生えてきた。目が落ちくぼみ、結核性の斑点が現れ、骨ばった頬が紅潮したのは、ジョン・F・テイラーを思わせた。ハンカチを口にあてると、薔薇色の血があふれ出るのを仔細に見つめた。)

 

第15章、現実ではないことが幻想として展開する。ブルーム氏は罪を告発され裁判の場面となる。弁護士であるJ.J.オモロイが登場してブルーム氏の弁護をする。そのト書。

 

今日の昼、第7章の新聞社の場面では、編集長クロウフォード、弁護士のJ.J.オモロイ、編集委員のマッキュー先生、スティーヴン、レネハンが、「雄弁」について会話している。マッキュー先生が自分が聞いた一番雄弁な演説として引用したのがジョン・F・テイラーのものだった。

 

ジョン・フランシス・テイラー(John Francis Taylor  1853 - 1902)はスライゴー州出身の法廷弁護士、ジャーナリスト。若い頃はアイルランド共和主義同盟(IRB)のメンバーであったナショナリスト。1901年10月24日に法律学生弁論会でテイラーはアイルランド古来のゲール語の学習を支持する演説を行った。

 

マッキュー先生が挙げたのはこの演説がもとになっている。当時学生だったジョイスはこれを聞いている。(P.103 リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年)

 

マッキュー先生によると、テイラー氏は病気を押して出てきており、痩せて瀕死の人物に見えた。

 

 —Taylor had come there, you must know, from a sickbed. That he had prepared his speech I do not believe for there was not even one shorthandwriter in the hall. His dark lean face had a growth of shaggy beard round it. He wore a loose white silk neckcloth and altogether he looked (though he was not) a dying man.

(U116.816-)

 

レネハンが口をはさむ。テイラー氏は喀血し逝去したと。

—A—sudden—at—the—moment—though—from—lingering—illness—often—

previously—expectorateddemise, Lenehan added. And with a great future behind him.

(U118.873ー)

 

確かに演説の翌年にテイラー氏は死去しているが、検索したところでは、結核だったのかは分からない。

 

J.J.オモロイ氏は弁護士であり、第7章の場面にいたことから、今回のブログの場面ではテイラー氏に変身しているのだ。

 

テイラー氏の肖像を検索したがどうしても見つからない。

しかたなく襟をつかむ若者の肖像写真を掲げる

 

Unknown | [Young Man Holding Jacket Lapel] | The Metropolitan Museum of Art (metmuseum.org)

 

このブログの方法については☞こちら

155(U529.1263) ー マッキントッシュの男

L.ブーム氏(不正確な記述に従うならば)

第155投。529ページ、1263行目。

 

 Nettled not a little by L. Boom (as it incorrectly stated) and the line of bitched type but tickled to death simultaneously by C. P. M’Coy and Stephen Dedalus B. A. who were conspicuous, needless to say, by their total absence (to say nothing of M’Intosh) L. Boom pointed it out to his companion B. A. engaged in stifling another yawn, half nervousness, not forgetting the usual crop of nonsensical howlers of misprints.

 

 L.ブーム氏(不正確な記述に従うならば)が少なからぬ不愉快と同時に極度の愉快を覚えたのは滅茶苦茶な活字の列に、C.Pマッコイと文学士スティーヴン・デッダラスの名が顕著に認められたからで、言うまでもなく彼らはいささかも参列しておらず(マッキントッシュ氏は何をかいわんや)、L.ブーム氏は、半ば気をつかってあくびをこらえていた同席の文学士氏にそれを指し示してやった、もちろん意味をなさないとんでもない誤植の羅列のことも。

 

 

 

第16章。夜中の2時過ぎ。ブルーム氏とスティーヴンは馭者溜まりの建物の中にいる。ブルーム氏はたまたまそこにあった夕刊『テレグラフ』紙を手に取った。ここの一節は、今日の午前に行われた友人のディグナム氏の葬儀の記事を読んでいるブルーム氏を描写している。彼も葬儀に参列したのだ。ここで "Bloom" が "Boom" になっている理由は後述します。

 

この章の文章は、例によって、屈折して冗長、凝った言い回しと難しい単語を使用し、不透明な内容となっている。

 

下はここの少し手前のところで、記事で報告されている参列者を読んでいるブルーム氏の心中の声。斜字体は記事そのもので普通の字体は彼の思考。

 

The mourners included: Patk. Dignam (son), Bernard Corrigan (brother-in-law), Jno. Henry Menton, solr, Martin Cunningham, John Power, eatondph 1/8 ador dorador douradora (must be where he called Monks the dayfather about Keyes’s ad) Thomas Kernan, Simon Dedalus, Stephen Dedalus B. A., Edw. J. Lambert, Cornelius T. Kelleher, Joseph M’C Hynes, L. Boom, C P M’Coy,—M’Intosh and several others.

(U529.1255)

 

ここに書かれている参列者は

①パトリック・ディグナム(故人の息子)

②バーナード・コリガン(故人の義理の兄弟)

③ジョン・ヘンリー・メントン

(Jno.はミスタイプでなくJohnの短縮形とのこと。知らなかった。しかしなぜそうなるのかは検索しても不明だった。)

④マーティン・カニンガム

⑤ジョン・パワー

※“eatondph 1/8 ador dorador douradora” 

(これは新聞の印刷ミス。ブルーム氏が、とんでもない誤植といっているのはこれだろう。この誤植については『「ユリシーズ演義』(P.416  川口喬一著  研究社 1994年)に解説がある)

⑥トマス・カーナン

⑦サイモン・デッダラス

⑧スティーヴン・デッダラス

エドワード・ランバート

⓾コーネリウス・ケラハー

⑪ジョゼフ・ハインズ(この記事を書いた新聞記者)

⑫L.ブーム(ブルームの誤記)

⑬C.P.マッコイ

マッキントッシュ

その他

 

L.ブーム

 

今回ブログの個所で "Bloom" が "Boom" になっているのるのは、新聞記事で "Boom" と誤記されていることから、話者(だれか分からないが)がからかっているのだろう。

 

ブルーム氏が面白がっているように、スティーヴンとマッコイは参列していないのに記事には参列者とされている。

 

C.P.マッコイ

 

マッコイが記載さているのには理由がある。

 

まず、第4章、葬儀の前に、ブルーム氏は街角でマッコイに会っている。マッコイはブルーム氏に自分は葬儀に行けないが、いったことにしといてくれと頼まれてる。

 

 —Tell you what, M’Coy said. You might put down my name at the funeral, will you? I’d like to go but I mightn’t be able, you see. There’s a drowning case at Sandycove may turn up and then the coroner and myself would have to go down if the body is found. You just shove in my name if I’m not there, will you?

(U62.169―)

 

第6章、葬儀の場面で、ブルーム氏は記者のハインズに、葬儀の記事にマッコイも載せておいてくれと頼んでいる。

 

 Hynes jotting down something in his notebook. Ah, the names. But he knows them all. No: coming to me.

 —I am just taking the names, Hynes said below his breath. What is your christian name? I’m not sure.

 —L, Mr Bloom said. Leopold. And you might put down M’Coy’s name too. He asked me to.

 —Charley, Hynes said writing. I know. He was on the Freeman once.

(U92.878―)

 

そのあと、ハインズは、「あの参列者はだれ」とブルーム氏に聞き、ブルーム氏は「マッキントッシュの雨外套を来た人のことだね」と受けたのを、ハインズはマッキントッシュという姓の男だと誤解する。それで記事にはマッキントッシュ氏(M’Intosh)と書かれたのだ。だから雨外套を着た男はその場にいたが、「マッキントッシュ氏」という人は参列していないのだ。

 

 —And tell us, Hynes said, do you know that fellow in the, fellow was over there in the...

 He looked around.

 Macintosh. Yes, I saw him, Mr Bloom said. Where is he now?

 —M’Intosh, Hynes said scribbling. I don’t know who he is. Is that his name?

 He moved away, looking about him.

 —No, Mr Bloom began, turning and stopping. I say, Hynes!

(92.891―)

 

マッキントッシュ

 

さてマッキントッシュを着た男とはだれかという問題。

これはこの小説でもっとも有名な謎となっている。

 

まず、マッキントッシュの雨外套について。

 

これはスコットランドの化学者チャールズ・マッキントッシュ(Charles Macintosh, 1766 - 1843)により開発され1824年に初めて発売されたゴム入り繊維で作られるレインコートである。この呼び名は開発者にちなんだものだ。この小説では“macintosh”とつづられるが、商品名としては "k" を補った "mackintosh" の形でつづられることが一般的となっている。

 

チャールズ・マッキントッシュの肖像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Charles_Macintosh.jpg

 

この雨外套を着た男は、この小説に何度も登場する。それを一応拾ってみよう。

 

①第6章 

ディグナムの葬儀に、見知らぬ人物が参列している。ブルーム氏は「あのマッキントッシュを着たひょろっとしたやつは誰だろう。」(Now who is that lankylooking galoot over there in the macintosh?)と疑問に思う。ブルーム氏はそいつを13人目の参列者と勘定する。“The chap in the macintosh is thirteen.”

 

先に引用したように。記者のハインズはブルーム氏にそいつが誰なのか尋ねて、彼をマッキントッシュ氏(M’Intosh)誤解しメモする。

 

今日、6月16日は、夜には雷雨があるものの、午前は晴れていて蒸し暑い。雨外套を着ている人物というのは不審だ。

 

②第10章 

ロウア―マウント通りで、茶色のマッキントッシュを着た歩行者が乾いたパンをかじりながら総督行列の前を横切る。

“In Lower Mount street a pedestrian in a brown macintosh, eating dry bread, passed swiftly and unscathed across the viceroy's path.”

 

③第11章

オーモンドホテルで食事をした後、「街角でブルーム氏は、墓地にいたあいつは誰だったのだろう、茶色のマッキン(macin)」“Wonder who was that chap at the grave in the brown macin“.O, the whore of the lane!" と、ふと想起する。

 

④第12章

バーニー・キアナンの酒場。この章の会話部分に挟まれるいくつものパロディ断章のひとつに、「茶色のマッキントッシュの男は亡き婦人を愛す」“The man in the brown macintosh loves a lady who is dead.”とのフレーズがでてくる。

 

⑤第13章

ブルーム氏は、サンディマウントの海岸で、見知らぬ男をみたのをきっかけに「今日、墓地にいた茶色のマッキントッシュを着たやつはだれだろう」“And that fellow today at the graveside in the brown macintosh.”とまた想起する。

 

⑥第14章

バークの酒場を出たスティーヴン、ブルーム氏と医学生との会話。誰がが「おや向こうにいるマッキントッシュを着たやつは誰だい」“Golly, whatten tunket's yon guy in the mackintosh?”という。(mackintosh―ここはなぜかkが入っている)

 

おそらくブルーム氏が言ったらしい「今日の葬式で彼をみたって」“Seen him today at a runefal?”

 

⑦第15章

幻想場面。ブルーム氏が市長として君臨している。茶色のマッキントッシュを着た男が落とし戸から現れる。“A man in a brown macintosh springs up through a trapdoor.”

 

男はブルーム氏に対して「あいつはレオポルド・マッキントッシュという名うての放火魔だ。」“That man is Leopold M'Intosh, the notorious fireraiser.”と指弾する。

 

これに対しブルーム氏は「彼を撃て。キリスト教徒の犬め。マッキントッシュを片付けろ」“Shoot him! Dog of a christian! So much for M'lntosh!”という。

 

Lipoti Virag, basilicogrammate, chutes rapidly down through the chimneyflue and struts two steps to the left on gawky pink stilts. He is sausaged into several overcoats and wears a brown macintosh under which he holds a roll of parchment.

 

やはり幻想場面でブルーム氏の祖父、リポディ・ヴィラ―グが茶のマッキントッシュを着て煙突から降りてくる。“He is sausaged into several overcoats and wears a brown macintosh under which he holds a roll of parchment.”

 

⑧第16章

今回の個所。ブルーム氏は新聞に掲載されたディグナムの葬儀の記事にマッキントッシュ氏の名を認める。

 

⑨第17章

帰宅したブルーム氏、脱いだ衣服を抱え歩きつつ、解決できなかった自己課題的謎とはなにか考える。その謎は「マッキントッシュ氏は誰か。」“Who was M’Intosh?”

 

見た通り、この問題は、この小説の他の多くの謎とは異なり、明示的に謎として提起されている。そもそも答えがあるのかさえ疑問であるが、マッキントッシュの男が誰なのかについては多くの論者により様々な説が提起されている。

 

例えば、小説家のナボコフは「「茶色の雨外套を着た男」というのは、作者自身を措いてほかにない。ブルーム氏は彼の創造主を垣間見ているのだ!」と書いている。

(『ナボコフの文学講義』野島秀勝訳、河出文庫、2013年)

 

これはブログの第30回で触れた「神と世界の創造」とパラレルにある「芸術家と創作世界の創造」という認識にマッチするので腑に落ちる。補うなら、神様とキリストが同一実体のであるように。マッキントッシュの男は作者ジョイス同一実体の(consubstantial)人物。

 

さらに第30回を見直して思ったのだが、ブルーム氏はそのマッキントッシュの男の姿に無意識のうちに亡き父の亡霊をみたのではないか。「ハムレットの父の亡霊がシェイクスピアである」というスティーヴンの説と並行するし、上の列記の④、⑦の内容とマッチする。新聞記事のリストには主人公であるブルーム氏とスティーヴィンの2組の父子が載っているのだ。

 

また、河出書房新社版の訳者である柳瀬尚紀氏は、2011年、『新潮』に第11章の訳を発表した際に解説で、雨外套の男は、第11章の「終わりに現れる娼婦だろう。男ではなく女。そしてその女とは、故ディグナム(略)の身内、おそらくは娘と思われる。」と述べている。

(『ユリシーズ航海記』河出書房新社、2017年)

 

柳瀬さんの奇説を詳しく知りたいところが、もはやそれは謎のままである。

 

 

このブログの方法については☞こちら

154(U264.1067) ー サドグローブ対ホールの判例

―さらには、J.J.が言う、葉書は公表にあたるんだ。

第154投。264ページ、1067行目。

 

 —And moreover, says J. J., a postcard is publication. It was held to be sufficient evidence of malice in the testcase Sadgrove v. Hole. In my opinion an action might lie.

 

 ―さらには、J.J.が言う、葉書は公表にあたるんだ。サドグローブ対ホールの判例では 悪意の十分な証拠として採用されています。私の見るところ訴えは成り立ちますね。

 

このブログでは、乱数に基づいてランダムに『ユリシーズ』読んでいます。第15回と同じところに当たりましたので今回はパスです。

 

"File:Hate Mail Postcard by Mr Bingo.jpg" by Mr Bingo is licensed under CC BY-SA 4.0.

 

153(U612.212)  ー バイロン卿に扮した男

だってかれはとてもハンサムだったわ

第153投。612ページ、212行目。

 

because he was very handsome at that time trying to look like Lord Byron I said I liked though he was too beautiful for a man and he was a little before we got engaged afterwards though she didnt like it so much the day I was in fits of laughing with the giggles I couldnt stop about all my hairpins falling out one after another with the mass of hair I had youre always in great humour she said yes because it grigged her because she knew what it meant because I used to tell her a good bit of what went on between us 

だってかれはとてもハンサムだったわバイロン卿のまねをしようとしたときその人をわたしが好みだと言ったからでも美形すぎるんだからわたしたちがもうすぐ婚約する頃のことだったあの女はあんまり気に入らなかったんだけどわたしはくすくす笑いがこみあげて止まらなくなった私のかつらからつぎからつぎとヘアピンがぜんぶはずれてしまったからあなたたちはいつも陽気ねとあの女にいわれたわうんムカついたのねだってどういうことか気がついたからだってわたしたちのことはそこそこにおわせてあったから

 

最終章。第18章。ブルーム氏の妻のモリ―の寝床での心中の声。一つの章がピリオドもコンマもない単語の長大な連なり8つでできている。ここはその1つ目の終わりのほう。

 

モリーは、友人でブルーム氏の元カノだったジョージ―・ポーエルとブルーム氏と3人でいた場面のことを思い出している。この部分の始めの "he" はブルーム氏のこと。"she" はジョージ―。

 

バイロン卿ことジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 1788年 - 1824年)は、19世紀ロマン派を代表する英国の詩人。このブログの第41回で一度触れた。

 

Richard Westall の描くバイロンの肖像(1813)

File:George Gordon Byron, 6th Baron Byron by Richard Westall (2).jpg - Wikimedia Commons

 



この箇所の少し前に、ブルーム氏はモリーバイロンの詩集と手袋を3組贈ったとある。

 

he made me the present of lord Byrons poems and the three pairs of gloves

(U612.185)

 

モリーはこの詩集でバイロンを知ったのだろう。

 

今回、”all my hairpins falling out one after another with the mass of hair I had” というところが引っかかった。集英社版の邦訳では、モリーは、大わらいして、髪からヘアピンがつぎつぎに落ちたとしている。普通はそうだろうと思う。

 

しかし “giggle” というのは辞書でみると「くすくす笑う」“to laugh with repeated short catches of the breath” Merriam-Webster。)とあり「大わらい」ではない。くすくす笑って、ヘアピンが落ちるというのが不自然だ。

 

これはブルーム氏の髪からヘアピンが落ちたので、モリーがくすくす笑ったということではないだろうか。つまりブルーム氏はモリーの鬘をかぶってペアピンで髪を巻いて(またはモリーに巻いてもらって)バイロンの扮装をしたということ。無理に留めたのでヘアピンが外れてしまったのだ。それで二人の親密さがジョージ―につたわって、彼女がやきもちをやいた、と考えるとここの文脈が通る気がする。

 

1行目の「ハンサム」も目を引く言葉だが、皮肉でいっているのだ。

 

ウィキペディア(英語版)の記事によると、バイロンは夜にカール・ペーパー(curl-paper)というものを髪に巻いてカールさせていたとある。 → George Gordon Byron

 

バイロンの成人時の身長は5フィート9インチ(1.75メートル)、体重は9.5ストーン(133ポンド、60キロ)から14ストーン(200ポンド、89キロ)の間で変動した。彼はその美しさで有名で、夜間は髪にカールペーパーを巻いていた。

 

 

カール・ペーパー(curl-paper)の使い方を示すイラスト

 

このブログの方法については☞こちら