Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

254 (U565.788) - 説教と弁論と台詞

過去のブルーム氏にとって如何なる職業が未来において可能であったか

第254投。565ページ、788行目。

 

 What future careers had been possible for Bloom in the past and with what exemplars?

 

 In the church, Roman, Anglican or Nonconformist: exemplars, the very reverend John Conmee S. J., the reverend T. Salmon, D. D., provost of Trinity college, Dr Alexander J. Dowie. At the bar, English or Irish: exemplars, Seymour Bushe, K. C., Rufus Isaacs, K. C. On the stage, modern or Shakespearean: exemplars, Charles Wyndham, high comedian, Osmond Tearle († 1901), exponent of Shakespeare.

 

 過去のブルーム氏にとって如何なる職業が未来において可能であったか、またその範例となる人物とは。

 

 羅馬教会、英国国教会、又は非国教会聖職界:耶穌会士ジョン・コンミー神父、三位一体学院長、神学博士T・サーモン司祭、アレクサンダー・J・ダウィー博士。英国又は愛蘭法曹界:国王顧問シーモア・ブッシュ、国王顧問ルーファス・アイザックス。現代又は古典演劇界:卓越した喜劇俳優チャールズ・ウィンダム、沙翁劇の第一人者オズモンド・ティアール(1901年没)。

 

第17章。この章は始めから終わりまで問いと答えの形式により進行する。深夜、ブルーム氏は、自宅に連れて来たスティーヴンと会話している。ブルーム氏が過去に夢見た将来の職業について、あるいは、ブルーム氏が就き得た職業の抽象的な可能性について、問いと答えになっている。

 

ここでは聖職者、法曹、俳優が挙げられている。ブルーム氏は宗教には批判的なので、聖職者になりたかったとは考えられない。しかし彼は、第251回で見たように、大衆伝道者を身入りの良い稼業と考えている。ブルーム氏は法学とは縁がないが弁護士は儲かる職業と考えたのかもしれない。演劇に関しては彼は大いに興味を持っていて、現実の問題に直面した場合シェイクスピアの作品に解決を求めるという。

 

さて範例とされる人物についてみてみよう。

 

ジョン・スティーブン・コンミー(John Stephen Conmee、1847 – 1910) については第222回で一度触れた。コンミー神父はイエズス会の司祭、著述家、教育者。ジョイスがクロンゴウズ・ウッド・カレッジの学生だったころったコンミー神父が学長だった

 

 

ジョージ・サーモンGeorge Salmon, 1819 - 1904) はアイルランドの数学者、聖公会神学者。20年間代数幾何学を研究し、晩年の40年を神学に捧げた。生涯トリニティ・カレッジで過ごし1888年から1904年まで第32代学長を務めた。

 

第8章で、ブルーム氏は学長公邸のまえでサーモン司祭のことを想起している。彼はそのとき缶詰のサーモン(tinned salmon)を連想している。それでここはG. Salmon でなく、T. Salmonになっているのだ。

 

Provost's house. The reverend Dr Salmon: tinned salmon. Well tinned in there. Like a mortuary chapel. Wouldn't live in it if they paid me.

(U135.496)

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portrait_of_George_Salmon.jpg

 

アレクサンダー・J・ダウィー(John Alexander Dowie、1847 – 1907)については第247回で詳しく述べた。

 

スコットランド出身でアメリカで活動したキリスト教伝道者・信仰治療師。つまり非国教会の新興宗教ということになる。ブルーム氏は今日、ダウィー氏の伝道集会のビラをもらった。

 

File:John Alexander Dowie, the founder of Zion, Ill., recto (NBY 8490) (cropped).jpg - Wikimedia Commons

 

シーモア・ブッシュ (Seymour Bushe, 1853–1912)はアイルランド出身の法廷弁護士。チャイルズ兄弟殺人事件で被告を弁護し、その雄弁な弁論が高く評価された。彼は名門法曹一家の出身であったものの、人妻との不倫問題によって裁判官への昇進を逃したことでも知られている。(ああ、不倫つながりでこの人がこの小説に出てくるのか。)

 

ブッシュについては第127回で触れた。1899年、17歳のジョイスは、弁論術の勉強のためチャイルズ兄弟殺人事件の裁判を傍聴している。また第7章で、優れた雄弁家はだれかとマッキュー先生に聞かれて、J.J.オモロイが挙げたのがシーモア・ブッシュの弁論だった。

 

ブッシュ氏の肖像はどうしても見つからない。

 

ルーファス・ダニエル・アイザックス(Rufus Daniel Isaacs,1860 - 1935)は、英国の政治家、法曹、貴族。法務長官・大法官を経て、1913年にユダヤ系として初の英国最高裁長官(Lord Chief Justice)に就任。のちにインド総督(1921–26)を務め、初代レディング侯爵に叙せられた。ブルー氏の父はユダヤ人であることから、ユダヤ人で出世したアイザックスが挙げられているのだろう。

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rufus_Daniel_Issacs_Reading,_1st_marquis_of,_1860-1935,_bust_portrait_LCCN2016646364.jpg

 

サー・チャールズ・ウィンダムCharles Wyndham、1837 - 1919)は英国の俳優、劇場経営者。喜劇を得意としロンドン演劇界で名声を得た。

 

オスカー・ワイルドはウィンダムのために『真面目が肝心』The Importance of Being Earnestを書いたが、事情によりウィンダムは出演できなかった。

 

ちなみに、ジョイスはチューリヒ時代(1918年)に「イギリス俳優劇団」”The English Players”を立ち上げたが、劇団の最初の演目は『真面目が肝心』だった。

 

File:Charles Wyndham actor 2162675873 28d2648f2e o.jpg - Wikimedia Commons

 

オズモンド・ティアールOsmond Tearle、1852 - 1901)は英国の俳優。とくにシェイクスピア劇の解釈で評価され、重厚で知的な演技で知られた。欧米各地を巡演し、イギリス演劇の国際的普及にも貢献した。

 

https://cabinetcardgallery.com/2009/02/06/osmond-tearle-english-theatre-actor/

 

これら華々しい経歴の模範的人物に対し、ブルーム氏の現在の職業はフリーランスの広告取である。

 

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253 (U334.896) ー 同じ羽の鳥は共に笑う

一同は、それぞれの流儀でかの論を持ち上げてゐたのだが

 

第253投。334ページ、896行目。

 

All fell to praising of it, each after his own fashion, though the same young blade held with his former view that another than her conjugial had been the man in the gap, a clerk in orders, a linkboy (virtuous) or an itinerant vendor of articles needed in every household. Singular, communed the guest with himself, the wonderfully unequal faculty of metempsychosis possessed by them, that the puerperal dormitory and the dissecting theatre should be the seminaries of such frivolity, that the mere acquisition of academic titles should suffice to transform in a pinch of time these votaries of levity into exemplary practitioners of an art which most men anywise eminent have esteemed the noblest. But, he further added, it is mayhap to relieve the pentup feelings that in common oppress them for I have more than once observed that birds of a feather laugh together.

 

一同は、それぞれの流儀でかの論を持ち上げてゐたのだが、例の若者だけは、自説を引つ込めようとせず、なほも言ひ立てるのであつた。つまり、この婦人には、配偶者以外に關はりのある人物――世間ふうに言へば、いはゆる間男――の存在を考へねばなるまいと。たとへば教會附きの書記だとか、夜道に燈を掲げて步く敬虔さうな青年、あるひは日用品を抱へて家々を出入りする行商人の類であらうと。驚かされるよ、と客人は誰に聞かせるともなく低くつぶやいた。奴らが持ち合はせる己を變生する才覺は並々ならぬものだね。妊婦の共同寢室やら、解剖學の階段教室が、いつのまにか輕薄な學生どものセミナリオめいた役割を果たすに至るのだから。そしてただ學府の資格證書を授かつたといふ、それだけの理由で、輕率を身上とする連中が、たちまち模範的な開業醫へと姿を變へてしまふ――しかもその技藝たるや多くの人々から最も高貴な職分の體現として稱へられるのだから――これは實に理解しがたい現象ではあるまいか。しかしながら、と客人はさらに言葉を繼いだ。おそらく彼らを内側から等しく壓迫してゐる鬱積した感情を、いくらかでも和らげるためなのだらう、私は幾度となく、同氣相笑む光景を目にしてきたのだ。

 

 

第14章。午後10時ごろ。産科病院の談話室でスティーヴン、ブルーム氏、医学生らが談話している。ピュアフォイ夫人の出産について告げられた後の場面。

 

この章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所はリチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan, 1751 - 1816)の文体という。シェリダンはダブリン生まれの英国の劇作家、政治家。機知と風刺に富んだ喜劇で知られる。

 

このブログの第250回の箇所の続きの部分になる。

 

一同は、ピュアフォイ夫人に子を産ませたのはピュアフォイ氏だという。「若者」というのはマリガンことで、彼は父親は別の人物だと言っている。

 

独り言を言う「客人」はブルーム氏のことだろう。この人物は ”metempsychosis" という古代ギリシャ語に由来する「輪廻転生、生まれ変わり」の意味の言葉を使っており、これは、第4章で、妻のモリーがブルーム氏に意味を聞いた単語だからだ。

 

第4章以降、“metempsychosis” はこの小説に繰り返しあらわれることになる。それをすべて見てみよう。

 

第4章。モリーが『ルービー、曲芸団の花』に出てくる難しい単語の意味をブルーム氏に問う。この小説の代表的な場面だ。

 

 ―Show here, she said. I put a mark in it. There's a word I wanted to ask you.

 She swallowed a draught of tea from her cup held by nothandle and, having wiped her fingertips smartly on the blanket, began to search the text

with the hairpin till she reached the word.

 ―Met him what? he asked.

 ―Here, she said. What does that mean?

 He leaned downward and read near her polished thumbnail.

 ―Metempsychosis?

 ―Yes. Who's he when he's at home?

 ―Metempsychosis, he said, frowning. It's Greek: from the Greek. That means the transmigration of souls.

 ―O, rocks! she said. Tell us in plain words.

(U52.339)

 

第4章。ブルーム氏は死んだ友人のディグナムの魂の転生を思う。

Bone them young so they metamspychosis. That we live after death. Our souls. That a man's soul after he dies, Dignam's soul ....

(U53.351)

 

第4章。ブルーム氏は、具体的な例を挙げて言葉の意味を説明しようとする

The sluggish cream wound curdling spirals through her tea. Better remind her of the word: metempsychosis. An example would be better. An example?

(U53.367)

 

第4章。ブルーム氏は古代ギリシャ人は動物や樹木に生まれ変わると信じたという。ニンフというのもそういった例だという。

 ―Metempsychosis, he said, is what the ancient Greeks called it. They used to believe you could be changed into an animal or a tree, for instance. What they called nymphs, for example.

53.375

 

第13章。ブルーム氏は、昔は人間は悲しみのせいで樹になると信じられていたと考える。

Ba. What is that flying about? Swallow? Bat probably. Thinks I'm a tree, so blind. Have birds no smell? Metempsychosis. They believed you could be changed into a tree from grief. Weeping willow.

(U309.1118)

 

第14章。今回の個所。ここでブルーム氏は、”metempsychosis" を転生でなく変身、変化の意味で使っているようだ。

 

第14章。天空で星座のケンタウロスが乙女に変容する。

And the equine portent grows again, magnified in the deserted heavens, nay to heaven's own magnitude, till it looms, vast, over the house of Virgo. And lo, wonder of metempsychosis, it is she, the everlasting bride, harbinger of the days tar, the bride, ever virgin.

(U338.1100)

 

第15章。幻想上のブルーム氏の裁判に死んだディグナムが転生してあらわれる。

 PADDY DIGNAM: By metempsychosis. Spooks.

 A VOICE: O rocks.

 

 

マラプロピズム(Malapropism)ということばあって「言葉の滑稽な誤用、特にある言葉を他の似ている言葉と間違えること」の意味である。シェリダンの戯曲『恋がたき』(The Rivals, 1775年)の登場人物で、しょっちゅう言い間違えるマラプロップ夫人(Mrs. Malaprop)が由来となっている。マラプロピズムにちなんでだろう、ブルーム氏は、「類は友を呼ぶ」の英語版 ”Birds of a feather flock together.”を言い違えて“birds of a feather laugh together.”と言っている。

 

訳は「同気相求む」を言い違えた形で「同気相笑む」とした。

 

1594年にパドヴァに建造された解剖学教室の模型。

File:Scale model of anatomy theatre built at Padua in 1594, showi Wellcome L0058169.jpg - Wikimedia Commons

 

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252 (U586.1552) - 夢のコテージガーデン

敷地内には如何なる見処を付加しうるか。

 

第252投。586ページ、1552行目。

 

 What additional attractions might the grounds contain?

 

 As addenda, a tennis and fives court, a shrubbery, a glass summerhouse with tropical palms, equipped in the best botanical manner, a rockery with waterspray, a beehive arranged on humane principles, oval flowerbeds in rectangular grassplots set with eccentric ellipses of scarlet and chrome tulips, blue scillas, crocuses, polyanthus, sweet William, sweet pea, lily of the valley (bulbs obtainable from sir James W. Mackey (Limited) wholesale and retail seed and bulb merchants and nurserymen, agents for chemical manures, 23 Sackville street, upper), an orchard, kitchen garden and vinery, protected against illegal trespassers by glasstopped mural enclosures, a lumbershed with padlock for various inventoried implements.

 

 

 敷地内には如何なる見処を付加しうるか。

 

 付帯施設として、網球並びに壁手球競技場、灌木林、最上の植物学的配慮により熱帯性棕櫚の植樹された玻璃涼亭、噴水附岩石園、人道的原則に従い配置された養蜂箱、複数の矩形草坪中にそれぞれ設置された楕円形花壇―花壇には深紅、鮮黄の鬱金香、藍蔓穂、番紅花、報春花、甜美石竹、香豌豆、並びに鈴蘭が偏心楕円形に植栽されており(これらの球根は上サックヴル通23番地(有)サー・ジェイムズ・W・マッキー種子球根卸小売商、苗圃経営兼化学肥料代理より購入可能)、不法侵入を防止すべく瓶破片を壁上に敷設した塀により囲繞された果樹園、菜園、並びに葡萄園、及び各種工具を保管する南京錠附物置小屋。

 

 

第17章。この章は始めから終わりまで、問と答で書かれている。

 

ブルーム氏は、ダブリン郊外の田園に茅葺きバンガロー型の二階建て住宅を所有することを夢想して、ここは、その邸宅に付属しうるものは何か、という問いと答え。

 

ここは公文書のような硬い単語をつかって羅列しているのが面白いので、漢語をつかって訳した。カタカナでならべていくいとだらだら間延びするので。花々の名を漢字にすると意味が分からなくなるが麗しい字面になった。

 

“fives” 「ファイブズ」とは、「2~ 4 人で行なうハンドボールに似た球技」。

ファイブズのコートとはこういうもの。

https://openverse.org/image/20e6f3f9-e6fe-44bb-b182-7148bbe27009?q=fives+court&p=8

 

“tulip” チューリップは誰も知る花。

https://openverse.org/image/55f48731-6bf8-48e5-b8b1-01a8258dacc5?q=tulip&p=67

 

”scilla” シラーはツルボ属の多年草植物。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Scilla_siberica,_Siberian_squill.jpg

 

”crocuse” クロッカスはおなじみの園芸植物。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Krokus_(Crocus)._Vrolijke_voorjaarsbloeier._Locatie,_Natuurterrein_De_Famberhorst_07.jpg

 

”polyanthus” ポリアンサスはサクラソウ属の花。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Primula_%C3%97_polyantha02.jpg

 

"sweet William" スウィートウィリアム、日本ではアメリカナデシコと呼ばれる。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sweet_William,_Walsdorf.jpg

 

”sweet pea” スウィートピーはレンリソウ属の一年草。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sweet_pea_Lathyrus_odoratus_at_Easton_Lodge_Gardens,_Little_Easton,_Essex,_England_1.jpg

 

”lily of the valley” スズラン。スズラン属の多年草。

File:Lily of the valley in Yerevan 01.jpg - Wikimedia Commons 

 

サー・ジェームズ・ウィリアム・マッキー(Sir James William Mackey, 1816 – 1892)は、イギリス系アイルランド人の商人で政治家。ダブリンの種子商スティーブン・マッキーの息子。1854年に父の事業を継承した。1866年と1873年の2度、ダブリン市長を務めたている。

 

The Illustrated London News 1866年3月3日号よりジェイムズ・マッキーの肖像

https://archive.org/details/sim_illustrated-london-news_1866-03-03_48_1359/page/216/mode/2up

 

ブルーム氏が花に詳しく栽培に関心をもつのは、もちろん彼の姓がブルーム(Bloom=花)だからだろう。

 

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251 (U124.19) ー 大衆伝道と通俗科学

割のいい稼業。

第251投。124ページ、19行目。

 

 Paying game. Torry and Alexander last year. Polygamy. His wife will put the stopper on that. Where was that ad some Birmingham firm the luminous crucifix. Our Saviour. Wake up in the dead of night and see him on the wall, hanging. Pepper’s ghost idea. Iron Nails Ran In.

 Phosphorus it must be done with. If you leave a bit of codfish for instance. I could see the bluey silver over it. Night I went down to the pantry in the kitchen. Don’t like all the smells in it waiting to rush out. What was it she wanted? The Malaga raisins. Thinking of Spain. Before Rudy was born. The phosphorescence, that bluey greeny. Very good for the brain.

 割のいい稼業。トリーとアレクサンダーが去年来たっけ。一夫多妻。妻が抵抗するだろう。どこで見た広告だっけ、バーミンガムのどこかの会社のやつ、十字架像が光るんだ。救世主。丑三時に目を覚ますと壁に掛かってるのが見えるんだって。ペッパーズ・ゴーストってのもあったね。猶ホ太キ人コレ王ノゴトシ。

 燐を使っているに違いない。鱈の切り身を放置すると。表面が青みがかった銀になる。晩に台所の食料棚へ降りっていったんだ。匂いがどっと押し寄せてきてあれはかなわん。モリーは何がほしかったんだっけ。マラガの干葡萄。スペインのことを思い出したんだ。あれはルディーの生まれる前のこと。燐光、青のような緑のような。脳によく効く。

 

第8章.新聞社で広告取の仕事をしたブルーム氏。ここは、オコンネル橋のたもとでYMCAの青年から、ジョン・アレクサンダー・ダウィー氏の伝道集会のチラシをもらった直後のブルーム氏の思考。ダウィー氏は、スコットランド出身でアメリカで活動したキリスト教伝道者・信仰治療師。第247回で詳しく述べた。

 

そういうわけで彼の頭には広告のことと宗教のことがあり、それによる連想が継起する。この小説の大きな部分を占めるブルーム氏の内心の描写として典型的な文章だと思う。短い一節におどろくほど多様な情報を含んでいる。

 

ルーベン・アーチャー・トーレー(Reuben Archer Torrey,1856–1928)ーTorryではないー は、アメリカの福音伝道者・教育者・作家。D. L. ムーディの後継として世界的な伝道運動を牽引した人物。

 

チャールズ・マッカロン・アレクサンダー(Charles McCallon Alexander,1867–1920) は、アメリカ出身のゴスペル歌手・讃美歌指導者。世界的伝道活動における“歌と音楽”を担った人物。

 

トーレーとアレクサンダー は、20世紀初頭の世界的福音伝道の中心的伝道者チームで、1902年から1906年にかけて欧米・アジア・オセアニアでの大規模な伝道会を展開した。特に英国(アイルランドはダブリンとベルファストを訪問)では、ロンドンを拠点に長期にわたる集会や復興伝道が行われた。トーレーが説教・聖書教育・祈祷を担当する一方、アレクサンダーは賛美歌を通じて集会を鼓舞したという。

 

トーリーとアレクサンダー - 彼らの人生の物語(1905)

File:Torrey and Alexander - the story of their lives (1905) (14592213268).jpg - Wikimedia Commons

 

ブルーム氏が「一夫多妻」をおもいついているのは、ダウィー氏が、彼を攻撃する一派から一夫多妻を推奨したという非難がなされたことに基づくと考えられる。しかしダウイー氏が一夫多妻を教義として説いた公式文書・主張は確認されてない。

 

光る十字架というのは、当時、夜光塗料をつかったそういう広告があったのだろう。調べたがどういうものか分からなかった。

 

「救世主」(Our Saviour)というフレーズは、第7章で新聞社のレッド・マリーが、編集発行人のブレイデンが救世主に似ている、と言ったことに由来している。

 

—Don’t you think his face is like Our Saviour? Red Murray whispered.

(U97.46)

 

ペッパーズ・ゴースト(Pepper's ghost)は、劇場などで使用される視覚トリック。板ガラスと特殊な照明技術により、実像と板ガラスに写った「幽霊」を重ねて見せることで、効果を発揮する。イギリスの王立科学技術会館の講師(のちに館長)であったジョン・ペッパー(John Pepper)に由来する。

 

ペッパーズ ゴーストの劇場公演 1860 ~ 1900 年頃

"Print - Theatre Performance of Pepper's Ghost, Showing Audience & Production of Illusion, circa 1860-1900" by Unknown artist is marked with Public Domain Mark 1.0.

 

Iron Nails Ran In”(鉄の釘が打ち込まれる)というのは、第5章で、ブルーム氏が、キリストの磔刑像の十字架の上に掲げられた語 “INRI”の意味を独自に解釈したもの。実際は、ラテン語”Iesvs Nazarenvs Rex Ivdaeorvm“の頭文字である。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味。

 

ここをどう訳すか。ラテン語は漢文で訳してきたので、まず漢文で「猶太人之王,拿撒勒人耶穌」として、これをブルーム氏が「コレノゴトシ」と読んだことにした。

 

ブル―ム氏は夜光塗料に「燐」を使ったと推測している1900年ごろの夜光塗料とは、ラジウム夜光塗料と思われる。

 

海産物が暗闇で光るのは、発光性細菌が増殖して光を出すためである。昔は「燐が原因」と誤解されることが多かった。

 

ブルーム氏は「燐が脳に良い」という。適当なセリフかとおもったが調べてみるとそういう説が実際にあったことがわかった。脳や神経には リン脂質(phospholipid) が多いことから「燐が脳にいい」「頭がよくなる」とは、かなり古くから言われていたという。現在では俗説、誤解とされている。

 

Phosphorus - food for thought『燐―思考の糧』というネット記事があって、一部を訳して紹介します。

→ Royal Society of Chemistry

 

 1871年、人気作家マーク・トウェインは、文学的技量を向上させる方法を尋ねた作家志望者に対し、スイス生まれの米国自然学者ジャン・ルイ・ルドルフ・アガシーの助言を伝えた:「アガシー氏は作家に魚を食べるよう勧めている。魚に含まれる燐が脳を作るからだ。ただし必要な摂取量については助言できない。おそらくクジラ2頭分あれば十分だろう」

 この辛辣な冗談は、意図せず燐と脳の関連性を世に知らしめた。そしてこの元素の補給(医薬品によるか食事に含まれるか)が知的能力を高める可能性を——事実に基づく根拠が全くないわけではないこの見解は、少なくとも一部の分野では今日でも根強い。

 

 

カリフォルニア州のスタンフォード大学にジャン・ルイ・ルドルフ・アガシー(Jean Louis Rodolphe Agassiz、1807 - 1873)の大理石像があった。1906年のサンフランシスコ地震で台座から落ち、逆立ち状態でコンクリートの地面にめり込んだ。

File:Agassiz statue FN-32903.jpg - Wikimedia Commons

 

この一節にブルーム氏の人となりが表れている。

  • 宗教全般に冷笑的
  • 広告の新規なアイデアに関心がある
  • 魚が嫌い
  • 妻の尻に敷かれている
  • 俗流科学知識が豊富
  • 健康志向

 

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ブルーム氏の移動を地図上で再現する ー その4(了)

2月2日はジェイムズ・ジョイスの誕生日。『ユリシーズ』がパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から出版されたのも、2月2日。この記念日に懸案となっていた記事を完成することができた。

 

第15章

AM 12:00~

前回、ブルーム氏はスティーヴィンとリンチを追ってウェストランド・ロウ駅(Westland Row station)🅧―現ピアーズ駅(Pearse station)まで来たところまで見た。彼の鉄道での移動については、ブログの第140回で詳しく見ました。

 

ブルーム氏はウェストランド・ロウ駅でループ線(Loop line)―正確にはダブリン市ジャンクション鉄道(City of Dublin Junction Railway)の列車に乗車し、アミアンズ・ストリート駅(Amiens Street station)🅨―正確にはアミアンズ・ストリート・ジャンクション駅(Amiens Street Junction station)-で下車した。アミアンズ・ストリート駅は現在のコノリー駅(Connolly Station)。

 

―― 小説に描かれているルート

―― 小説に描かれていない推測上のルート

(以下同じ)

地図17

第15章において、ブルーム氏の描写は、ループ線の高架橋(Railway bridge)🆁のあたりからはじまる。二人を探すブルーム氏は夜の街、娼館街へ入り、ベラコーエン(Bella Cohen)の館🅒で二人を見つける。

コーエンの娼館を出たブルーム氏とスティーヴン。スティーヴンはビーヴァ―通り(Beaver street)で英国兵と喧嘩になり、殴り倒される。そこで第15章は終わる。

 

地図18

第16章

AM 1:00~

スティーヴンを助け起こしたブルーム氏は、スティーヴンを介抱しようと、バット橋(Butt bridge)のたもと、ベレスフォード・プレイス(Beresford place)の馭者溜まり(cabman’s shelter)🅩まで連れていく。馭者溜まりは、馬車の馭者が勤務時間中に休憩したり、雨宿りしたり、温かい食事をとったりするために設けられた施設である。

 

1917年に撮られた写真。ループ線の鉄橋の橋脚あたりに写っている小屋がこの馭者溜り

Photographer: Brendan Keogh Collection: Keogh Photographic Collection Date: 1917

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Protest_meeting_at_Beresford_Place,_and_the_arrest_of_Count_Plunkett_(25032356429).jpg

 

1875年から1914年にかけて慈善団体の基金により多くの馭者溜りがロンドンで設置された。ダブリンの馭者溜りも同じ基金によるものかよく分からない。ロンドンには13の馭者溜り(現在はタクシーの運転手の休憩所)が現存する。

 

ロンドン、ヴィクトリア・アルバート美術館の前の馭者溜り

"Cabman's Shelter Thurloe Place, Kensington - opposite the Victoria & Albert Museum" by Amanda Slater is licensed under CC BY-SA 2.0.

 


スティーヴンを自宅(Leopold Bloom)🅑へ連れていこうとして、馭者溜まり🅩を出たブルーム氏がベレスフォード・プレイスからまっすぐ北上するロウア―・ガーディナー通り(Lower Gardiner street)にさしかかるところまでが第16章。

 

地図19

第17章

AM 2:00~

スティーヴンを連れたブルーム氏が自宅🅑に帰りつき、彼の一日の旅は終わる。

 

まとめ

旅というのは不思議な言葉で、なんにでも当てはまる。たとえば、一晩の演奏。その中でぼくたちは楽器を鳴らし、聴き手とともに何事かへ向かって旅をしているといえなくはない。しかし、演奏が終わったとたん、旅は終る。聴き手は街に出ていき、ぼくたちは楽器を片付けて家に帰る。旅とは帰ってくるものなのだ。だから、人生は旅だ、などという言葉がぼくには分からない。

山下洋輔『ピアニストを笑え!』(新潮文庫 1970年)

 

旅の本質とは行って帰ってくることならば、『ユリシーズ』の物語も行って帰ってくる話である。ブルーム氏の行った道筋をじっくり追いかけてみると、その行路が「円環」と「往復」でできていることがわかる。

 

彼は出発して帰ってくるわけだから、彼の行路を高みから俯瞰すると周回ルートになるわけで、五角形にまとめられるように思う。(円でも三角でもいいのだけど五角が収まりが良い気がする。)

 

 

さらにブルーム氏の動きには同じ道や場所を2度通るパターンがある。周回路を構成する主要なパーツが、往路と復路の対になっている。(正しくは、彼の行路に描かれていない部分があるのだが、対になっていると考えるときれいにまとまるということ。)

 

  • まず冒頭で、ドルーガックの肉屋への往復がある。
  • 徒歩1(自宅→バット橋)と徒歩6(馭者溜り→自宅)が対に。
  • トラム1(市中→ディグナム家)とトラム2(砂浜→市中)が対に。
  • 馬車1(ディグナム家→墓地)に対し馬車2(墓地→市中)+馬車3(市中→ディグナム家)が対に。
  • ディグナム家には2回行く。カレッジグリーンのアイルランド銀行前を2回通る。ウェストランド・ロウ駅アミアンズ・ストリート駅をそれぞれ2回通る。
  • リフィー川にかかる橋をそれぞれ一往復する。

    バット橋(徒歩1の後と鉄道。鉄道橋をバット橋とみなす。) 

    オコンネル橋(馬車1と徒歩3)

    グラタン橋(徒歩3と馬車3)

 

 

長い一日だった。マーサ、風呂、葬式、ハウス・オブ・キーズ、女神たちのいる博物館、デッダラスの歌。それからバーニー・キアナンのやかましい客。あそこで言い返してやったんだ。声のでかい酔っ払いめ、おれがやつの神様について言ってやったらたじろいだ。

Long day I’ve had. Martha, the bath, funeral, house of Keyes, museum with those goddesses, Dedalus’ song. Then that bawler in Barney Kiernan’s. Got my own back there. Drunken ranters what I said about his God made him wince.

第13章より (U311.1214-)

 子宮に? 倦む?

 寝床に就いた。男は旅した。 

 Womb? Weary?

 He rests. He has travelled.

第17章より (U606.2319)

 

国立博物館の「踊り場」

"NLI Archaeology interior detail 07" by Alicia Fagerving is licensed under CC BY-SA 3.0.

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ブルーム氏の移動を地図上で再現する ー その3

 

第12章

PM 5:00~

前回は、第12章、ブルーム氏がオーモンド・ホテル(Ormond Hotel)🅞を出て骨董商のマークス(Marks)🅼まで来たところまでを見た。

 

第11章でブルーム氏は次のように考えている。つまりルーベン・Jの近くの郵便局(Post office) 🆀で文通相手のマーサへの手紙を発送したあと、グリーク通り(Greek street)を通る遠回りをして、待ち合わせ場所へ行こうと考えている。

 

Wait. Postoffice near Reuben J’s one and eightpence too. Get shut of it. Dodge round by Greek street. Wish I hadn’t promised to meet.

(U236.1180)

 

また、ブログの第24回で見た通り、ピル小路(Pill lane, 後にChancery street)とグリーク通りの角()で、第12章の語り手に目撃されている。(語り手のいうことを信用できるかは微妙。)

 

待ち合わせ場所とは酒場バーニー・キアナン(Barney Kiernan)🅚と考えられる。だたし、このように進んだことは描写されていないので推測となる。

 

―― 小説に描かれているルート

―― 小説に描かれていない推測上のルート

(以下同じ)

地図11



バーニー・キアナンのあった場所は現在空き家になっている。

Google map street view (2019年)より

 

彼がバーニー・キアナンに来たのは、マーティン・カニンガムらと待ち合わせするためで、カニンガムは亡くなったパトリック・ディグナムのために裁判所(Court House)🅒で何らかの法的手続きをしたらしい。ブルーム氏は落ち合ったカニンガム氏の一行と馬車でディグナム家(Patrick Dignam)🅟へ向かう。

 

どういうルートで行ったかはわからない。第12章の末尾に次のようなパロディ断章の一節があり、酒場ドノホーの店(Donohoe’s)🅓のあるリトル・ブリテン通り(Little Green street)を通った可能性が高い。そこで地図12のように推測した。リトル・ブリテン通りを南下、グラタン橋(Grattan bridge)を渡り、東進、オコンネル橋(O'Connell bridge)の南端ら先は、第6章でディグナム家から馬車で墓地へ行った道と同じルートと考えた(2026年1月29日、次回のまとめを考え中に再考し変更しました。)

 

Abba! Adonai! And they beheld Him even Him, ben Bloom Elijah, amid clouds of angels ascend to the glory of the brightness at an angle of fortyfive degrees over Donohoe’s in Little Green street like a shot off a shovel.

(U283.4)

地図12

第13章

PM 8:00~

ディグナム家🅟で用事(何かはよくわからない)を済ませたブルーム氏が、サンディマウントの砂浜(Sandymount strand)🅢で、子守をしている3人の少女たちを眺めているところが描写されている。彼がディグナム家からどうやってここへ来たのかわからず、推測になる。

 

帰り道も推測になる。第104回のブログで見た彼の一日の収支報告書によると、彼は路面電車に乗って市中へ戻ったことが分かる。砂浜から戻ったとすると、サンディマウント通り(Sandymount road)の停留所🅜が近いのでそこから乗ったあのではないかと推測する。路面電車の停留所が当時どこにあったのかわからないので、現在のバス停の所在地と仮定した。 

 

第146回のブログで触れたとおり、今日動いた範囲でいうと、この地点🅢はブルーム家から最も遠い地点になる。そして、ここが小説の折り返し地点(ようやく!)という気がする。

地図13

 

ブルーム氏がいた海岸は現在は埋め立てられていて、ショーン・ムーア公園(Sean Moore Park)となっている。

 

"SEAN MOORE PARK - DUBLIN" by William Murphy is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

第14章

PM 10:00~

第14章でブルーム氏は国立産科病院(National Maternity Hospital)🅝にいる。ピュアフォイ夫人(Mrs. Purefoy)の出産を見舞いに来たのだ。ここまでどうやって来たかは描かれていない。

 

ブルーム氏が乗車した路面電車は、第6章で彼がディグナム家へ行くのに使ったのと同じ、4号系統の路線、つまりサンディマウント〈サンディマウント通り〉発、バス・アヴェニュー経由、ネルソン塔行き(Sandymount〈Strand Rd〉and Nelson's Pillar via Bath Avenue)の路面電車と考える。そしてメリオン・スクエア・ノース(Merrion Square North)にあるホールズ通り(Holles street)停留所🅗で降りたと考える。そして徒歩で病院へ行った。

地図14

 

地図15

当時のバス路線図より

The Dublin United Tramways Co (1896) Ltd, showing track layout as in 1908, with subsequent changes where applicable

 


ピュアフォイ夫人出産の後、ブルーム氏は、スティーヴンその他の病院にいた面々と、酒場バーク(Burk)🅤へ繰り出す。そしてスティ―ヴンとリンチを追いデンジル小路(Denzille lane)を通ってメリオン・ホール(Merrion Hall)🅗まで来たところでこの章は終わる。彼はこのあと鉄道に乗ったので、そのまま進んでウェストランド・ロウ駅(Westland Row station)🅧―現ピアーズ駅(Pearse station)―まで行ったと考えられる。

地図16

 

酒場バークのあった場所は現在おしゃれなデザインの住宅ビルになっている。

→ Holles Street Affordable Housing Building

 

路面電車についての寄り道

サンディマウイントのストランド通り(Strand road)を走る路面電車の画像を見つけた。1890-1910年のものなので、ちょうどこの小説の時代(1904年)だ。ストランド通りは、ブルーム氏が電車に乗った(と私が考えた)サンディマウント通りの少し南にあたる。ブルーム氏の乗った路面電車をイメージする手掛かりになる。

 

Photographer: Robert French Collection: Lawrence Photograph Collection Date: between 1890-1910

File:Tram on Strand Road, Sandymount, Dublin.jpg - Wikimedia Commons

 

Wikipediaのダブリンの路面電車Dublin tramways)の項をみると路線を示す記号の一覧表がある。1910年頃のものという。

 

 

先の路面電電車の写真を拡大してみると、路面電車のてっぺんに三日月を横にした形のサインが載っているが、これを表と照らし合わすと右の中ほどにある “Nelson's Pillar and Sandymount (via Ringsend)” の路線とわかる。つまりこの電車はサンディマウント〈サンディマウント通り〉発リングゼンド経由、ネルソン塔行き。地図15の路線図でいと、3号系統の電車ということだ。だがらブルーム氏が乗った(と私が考える)4号系統ではないことがわかる。

 

 

 

2階に乗っている女性ははたして帽子ピンをつけているのでしょうか。第242回を見てください。

 

さて第15章以降は次回に。あと少しで終わりです。

 

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ブルーム氏の移動を地図上で再現する ー その2

 

第7章

PM 12:00~

前回、ブルーム氏は葬儀からの帰り道、新聞社フリーマンズ・ジャーナル社(Freeman's Journal)の近辺で下車したと思われる、ということろまで行った。その後に難題があり面倒だが乗り越えねばならない。

 

第7章のブルーム氏の動きを分解すると以下のようになる。地図7参照。

  1. この章はプリンス通り(Prince street)の場面から始まるが、ブルーム氏がここを通ったとは書かれていない。とはいえブルーム氏がプリンス通り側(下の地図)から新聞社(青色枠)に入ったことを示唆している。
  2. ブルーム氏の描写は新聞社の内部から始まる。
  3. ブルーム氏は新聞社内にある『イヴニング・テレグラフ』紙の編集室(空色枠)に入る。
  4. 彼は広告主のアレクサンダー・キーズと広告の件をまとめるため「バチェラーズ・ウオーク(Bachelors walk)にある競売場へ行く」といって出かける。(から出たと考えられる。ここからディロンの競売場(Dillon’s auctionroom)の入口はバチェラーズ・ウオークにあることがわかる。)
  5. 帰ってきたブルーム氏は『アイリッシュカトリック』(Irish Catholic)紙と『ダブリン・ペニー・ジャーナル』(Dublin Penny Journal)紙の建物(紫色枠)のところから、イヴニング・テレグラフ紙の編集室から出てきた編集長クローフォードを呼びかける。この建物はミドル・アビー通り(Middle Abbey street)の90番地にある(後注)。
  6. ブルーム氏はクローフォードのもとへ歩み寄り広告の件の話をするが、クローフォードは軽くあしらい歩み去る。

地図7

Insurance Plan of the City of Dublin Vol. 1: sheet 7(1893年)を加工

File:Insurance Plan of the City of Dublin Vol. 1; sheet 7 (BL 146666).tiff - Wikimedia Commons

 

以上をふまえて、ブルーム氏はどういうルートでディロンの競売場へ行ってきたのかが問題になる。5項からすると、から声をかけたのだから、大回りのルート(紫‥‥)で行ってきたというのが整合的。しあまりに遠回りなので不自然だ。

 

(空色‥‥)(緑色‥‥)考えるのが自然だと思う。それで、ジョイスが『アイリッシュカトリック』『ダブリン・ペニー・ジャーナル』の建物を緑枠の位置にあるとまちがえたのではないかと思う。つまり、のあたりのところからクローフォードに呼びかけた。

 

このことは書籍  James Joyce's Dublin: A Topographical Guide to the Dublin of Ulysses に指摘がある。同書では、最短である空色‥‥つまりウィリアム小路(William row)を経由した地図が示されているが、これに従うことにする。

 

 『アイリッシュカトリック』紙と『ダブリン・ペニー・ジャーナル』紙の建物がミドル・アビー通り(Middle Abbey street)90番地だということが間違いなのではとの疑いがあるだろう。

 

検索してみると、Internet Archiveに『ダブリン・ペニー・ジャーナル』のデータがあって、例えば1902年4月5日号の末尾には印刷発行場所としてミドル・アビー通り90番地とある。だから90番地にあったのはまちがいない。

Dublin Penny Journal 

 

 

以上から、ブルーム氏の移動ルートを次のように結論する。

 

馬車を下りたブルーム氏は、プリンス通りから新聞社フリーマンズ・ジャーナル社🅕へ入る。彼はミドル・アビー通りから出て、ウィリアム小路を通ってディロンの競売場🅐へ。そこでキーズ氏と打ち合わせしたうえ同じ道を通ってフリーマンズ・ジャーナルへ戻り、入口のところにたクローフォードに報告した。

 

―― 小説に描かれているルート

―― 小説に描かれていない推測上のルート

(以下同じ)

地図8

 

第8章

PM 1:00~

第8章の描写は、菓子店グラハム・レモン(Graham Lemon)🅡の前あたりからはじまる。ブルーム氏は新聞社の前でクローフォーフォと話したのち、サックヴィル通り(Sackville street)まで出てから南下したと推測する。

 

オコンネル橋を渡ってさらに南下し、デイヴィ―・バーン(Davy Byrne)🅥で食事する。その後、国立図書館(National Library)🅛へ広告の図案を取りに行こうとして東進する。しかし入口で妻の愛人のボイランと出会いそうになり、国立博物館(National Museum)🅜へと回避する。

 

地図9



第9章

PM 2:00~

ブルーム氏は国立博物館🅜ギリシャの彫像を眺めている。

 

国立図書館🅛へ移動したブルーム氏は、館長のリスターを呼び出し、広告の図案を拝借している。国立博物館から国立図書館で移動ルート、図書館からの道のりは推測となる。

 

かつての国立博物館のエントランスホール

Robert French, Lawrence Photograph Collection, c.1880-1900

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Guns_and_Poses_(32488524682).jpg

 

現在のエントランスホール。彫刻は展示されていない。


第10章

PM 3:00~

第10章では、ブルーム氏がマーチャンツ・アーチ(Merchants’ Arch)で貸本を借りる姿が描写されている。

 

第17章の次の問答があり、彼はベッドフォード小路(Bedford row)でも本を漁っていたことが分かる。そこで地図10のようなルートで、ベッドフォード小路からマーチャンツ・アーチへ歩いたと空想する。さらにウェリントン河岸(Wellington Quay)を歩いたことが分かる。

 

・・・the bookhunt along Bedford row, Merchants’ Arch, Wellington Quay (Simchath Torah): the music in the Ormond Hotel (Shira Shirim):・・・

(U599.2043)

地図10

 

第11章

PM 4:00~

第11章のブルーム氏の描写はウェリントン河岸の骨董商ワインの店(Wine)🅦あたりから始まる。彼の呼ぶところのエセックス橋(Essex Bridge)―正式にはグラタン橋(Grattan bridge)―を対岸にわたり、角の煙草展デイリー(Daly)🅳で文通相手に書く手紙の便箋と封筒を買う。そしてオーモンド・ホテル(Oemond Hotel🅞のレストランで食事をする。ホテルを出たブルーム氏は西に進み、骨董商マークス(Marks)🅼の前で11章は終わる。

 

続きは次回に。

 

リフィー川に反映するグラタン橋とオーモンド河岸の建物

File:Dublin - R Liffey reflections - Grattan Bridge ^ junction Capel St ^ Ormond Quay Lower - geograph.org.uk - 4276298.jpg - Wikimedia Commons

 

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