面を上げよ。
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Head up! For every newbegotten thou shalt gather thy homer of ripe wheat. See, thy fleece is drenched. Dost envy Darby Dullman there with his Joan? A canting jay and a rheumeyed curdog is all their progeny. Pshaw, I tell thee! He is a mule, a dead gasteropod, without vim or stamina, not worth a cracked kreutzer. Copulation without population! No, say I! Herod’s slaughter of the innocents were the truer name. Vegetables, forsooth, and sterile cohabitation! Give her beefsteaks, red, raw, bleeding! She is a hoary pandemonium of ills, enlarged glands, mumps, quinsy, bunions, hayfever, bedsores, ringworm, floating kidney, Derbyshire neck, warts, bilious attacks, gallstones, cold feet, varicose veins.
面を上げよ。新たに生れ出づる者一人につき、おまへは熟れた麥一ホーマーを刈入れるであらう。見よ、おまへの羊毛はずぶ濡れだ。其處にゐるダービー・ダルマンとその女房ジョアンが羨ましいか。彼等の子孫といつては、喧しい懸巢と目脂だらけの野良犬があるばかりだ。ふふん。よいか、おまへに言つて置く。彼奴は騾馬だ、死んだナメクヂだ、精力も氣魄もなく、缺けた鐚錢一枚の値打もない。後嗣なき交配。否、私は言はう。寧ろヘロデ王の無辜の嬰児虐殺と呼ぶ方が當つてゐる。野菜だと、聞いてあきれる。不毛の同棲生活とは。女房に牛肉を喰はせてやれ、眞赤な、生の、血の滴るやつを。彼女は年古りたる萬病の巢窟だ、淋巴腺腫脹、耳下腺炎、扁桃周圍膿瘍、外反母趾、枯草熱、褥瘡、白癬、遊走腎、甲狀腺腫、疣、膽汁性發作、膽石、腳冷、靜脈瘤。
第14章。午後10時ごろ。産科病院の談話室でスティーヴン、ブルーム氏、医学生らが談話している。
この章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。Giffordの注釈によると、この箇所は、トーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795 - 1881)の文体によるという。
カーライルは、スコットランド生まれの英国の歴史家・思想家・評論家。代表作に『衣装哲学』(1883-4)、『フランス革命史』(1837)、『英雄崇拝論』(1841)がある。力強く警句的な文体で、物質主義や功利主義を批判し、精神と英雄の力を重んじた。
内容
この一節は、出産したマイナ・ピュアフォイの夫でメソジスト派の財務官僚ピュアフォイ氏への呼びかけになっている。ピュアフォイ夫妻は子沢山で、そのことを称賛している。しかし誰が語ってるのか、よくわからない。
「羊毛が濡れている」というのは、旧約聖書の『士師記』(第6章)から。
ギデオンは、神が自分を通してイスラエルを救おうとしていることを確かめるため、羊毛を使ってそのしるしを求める。羊毛だけが露で濡れ、周囲の地面は乾いているように願うと、実際にその通りになった、というもの。そこで、ここは「ピュアフォイ氏は神に認められたのだ」と言っていものと思う。
Darby and Joan というのは、長年連れ添い、互いに仲がよく、静かで穏やかな生活を送る夫婦を指す英語の決まり文句。由来は、ヘンリー・ウッドフォール(Henry Woodfall) が1735年ごろに発表した詩『忘れえぬ愛の喜び』The Joys of Love never forgotとされてる。
今回の一節で、ダービーとジョーンの夫妻は、ピュアフォイ夫妻と対比して、子供のいない老夫婦として非難されている。
“Dost envy Darby Dullman…”以下はその罵倒になっている。どうやらジョーンは菜食で病気持ちであり、夫婦には子供はいなかったという設定のよう。しかし、どうしてそういう設定になるのか、わからない。誰かのことを指しているのかもしれないがそれもよくわからない。

英国のマンチェスター、アニータ・ストリート(Anita Stree])の住宅の前に設置されている、「仲睦まじい老夫婦」の彫像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Darby_and_Joan_-_geograph.org.uk_-_5877645.jpg
文体
カーライルといえば、漱石の短篇 『カーライル博物館』(1905年)を連想する。漱石はロンドン留学中のカーライルの旧居を訪問しており、帰国後それを題材にこの小品を書いている。このように明治、大正期にカーライルは影響力のある作家だったが、現在はほとんど読まれていないだろう。
岩波文庫の古本で『衣装哲学』と『英雄崇拝論』が読めるので、ぱらぱらと見てみた。
文体の特徴としては
- 語りの多重 ― 編集者、著者、解説者など、語り手が絶えず揺れ動く。
- 比喩の連鎖 ― 華麗な修辞を駆使し、比喩が社会・宗教・歴史・宇宙へと拡大していく。
- 身振りの多い文章 ― 問いかけ、感嘆、命令を多用し、思考が跳躍しながら進む。
- 荘重さと滑稽さの同居 ― 聖書や説教のような高尚な語りが卑近な話へ急に接続する。
- 古語・造語・異国語・引用 ― 古風な語、ドイツ語風の表現、学術語、俗語を混在し、聖書やシェイクスピアなどの引用を多用する。
修辞の波にのまれた本論を読み取るのが厄介な代物で、とてもじっくり読めるようなものではない。スウィフトの『桶物語』と並んで、ジョイスが得意とする文体の特徴に通じるものがある。特に第14章のトーンによくマッチしていると思う。
岩波文庫で『衣装哲学』から、今回の箇所に通じるところを選んでみた。
カーライルのテキストはここから引きました。
命令形
"I too could now say to myself: Be no longer a Chaos, but a World, or even Worldkin. Produce! Produce! Were it but the pitifullest infinitesimal fraction of a Product, produce it in God's name! 'Tis the utmost thou hast in thee: out with it then. Up, up! Whatsoever thy hand findeth to do, do it with thy whole might. Work while it is called To-day; for the Night cometh, wherein no man can work."
Sartor Resartus by Thomas Carlyle BOOK II. CHAPTER IX. The Everlasting Yea.
「私も亦私自身の言ふことが出来た。最早渾沌であるな、世界になれ、どんな小さな世界でも構はない。作り出せ!作り出せ!どんな詰まらぬ、微塵よりも小さい、製作物のかけらでもいゝから、神かけてそれを作り出せ!それはおまへの神かぎり精一杯なのだ。それならそれを出せ!起て、起て!何でも何でもおまへの手で出来ることを全力を以つて為せ。今日と言はれる間に働け。夜が来れば働くことは出来ないからだ。」
『衣服哲学』第2巻第9章 「永遠の肯定」(石田憲次訳、岩波文庫、1946年)
命令形の呼びかけが今回のところと似ている。
また、カーライルは2人称に”thou”,"thy","thee"を使う。今回のところもそこが似ている。
Pshaw!
...Did not the Boy Alexander weep because he had not two Planets to conquer; or a whole Solar System; or after that, a whole Universe? Ach Gott! when I gazed into these Stars, have they not looked down on me as if with pity from their serene spaces; like Eyes glistening with heavenly tears over the little lot of man! Thousands of human generations, all as noisy as our own, have been swallowed up of Time, and there remains no wreck of them any more; and Arcturus and Orion and Sirius and the Pleiades are still shining in their courses, clear and young, as when the Shepherd first noted them in the plain of Shinar. Pshaw! what is this paltry little Dog-cage of an Earth; what art thou that sittest whining there? Thou art still Nothing, Nobody: true; but who, then, is Something, Somebody? For thee the Family of Man has no use; it rejects thee; thou art wholly as a dissevered limb: so be it; perhaps it is better so!"
BOOK II. CHAPTER VIII. Centre of Indifference.
・・・少年アレキサンダーは地球を二つ征服することが出來ない。いや全太陽系を、その次には全宇宙を征服できないと言つて、泣きはしなかつたか。嗚呼、私が此等の星を見つめた時、其等はその靜かな空間から恰も憐れむ者のやうに、恰も人間のささやかな運命を憐れむ神々しい涙にきらめく眼のやうに、私を見下しはしなかつたか。皆我々自身の時代とおなじやうに喧しい幾千かの時代の人間が時に嚥まれてしまつて、最早何の跡形も殘つてゐない。それに大角星とオリオンと狼星と昴は今も尚、牧人がシナルの平原で初めてそれに氣付いた時と同じ樣に、清らかに若々しく、輝いて運行してゐる。ふふん!このちつぽけ犬小屋のやうな地球は何だ。其處にめそゝ泣いて腰かけてゐる御前は何だ。御前は何物でもなければ、何人でもない。如何にもさうだ。併しそれでは誰が一廉の人間であるか。御前には人類は何の使ひ途も持つてゐない。それは御前を捨ててしまふ。御前は全く切斷された手足のやうなものだ。それならそれでよろしい。多分その方がよいのかも知れぬ。」
第2巻第8章 「無關心の中心」
"Pshaw!" はカーライルから取ったに違いない。また、罵倒の調子が似ている
羅列
While in Ireland, which, as mentioned, is their grand parent hive, they go by a perplexing multiplicity of designations, such as Bogtrotters, Redshanks, Ribbonmen, Cottiers, Peep-of-Day Boys, Babes of the Wood, Rockites, Poor-Slaves: which last, however, seems to be the primary and generic name;
BOOK III. HAPTER X. The Dandiacal Body.
處が、前述のやうにこの宗徒の偉大な巢窟とも謂ふべきアイルランドでは、沼歩き、赤脛、リボン黨員、水吞小作、黎明靑年隊員、森の子供、ロックの乾兒、貧乏奴隷などといふうやうな、譯が分からなくなる程種々雜多の名前で通つてゐる。
第3巻第10章 「洒落者の團體」
見慣れない単語を羅列するのもカーライルはよくやっていて、今回の箇所の珍妙な病名の羅列と通じる。
終戦直後の石田憲次氏の訳文は、今の感覚からすると古めかしくて大仰だが格調高い。カーライルのテキストの文体や内容とマッチしていると思う。今回の箇所も石田氏の訳文の調子で訳してみた。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 『灰色と黒の構成 第2番:トーマス・カーライルの肖像』(1872~3)
File:Whistler James Arrangement in Gray and Black No2 1873.jpg - Wikimedia Commons
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