Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

43 (U230.907)

悲しいというところは詩的すぎる。

 

第43投。230ページ、907行目

 

 Too poetical that about the sad. Music did that. Music hath charms. Shakespeare said. Quotations every day in the year. To be or not to be. Wisdom while you wait.

 In Gerard’s rosery of Fetter lane he walks, greyedauburn. One life is all. One body. Do. But do.

 

 悲しいというところは詩的すぎる。音楽のせい。音楽には魔力がある。シェイクスピアの言葉。引用句一日一言。生きるべきか死すべきか。待つ間の知恵。

 フェッター小路のジェラードのバラ園を歩く、白髪交じりの赤茶髪。一つの生がすべて。一つの体。やるんだ。とにかくやれ。

 

 ここはとても面白いところ。

 

第11章。4時ごろ。オーモンド・ホテルで食事をしながらブルーム氏は、秘密の文通相手のマーサ(Martha)へ手紙を書き終えたところ。

 

悲しい、というのは、マーサの手紙の追追伸にI feel so sad today.と書いたから。


P. P. S. La la la ree. I feel so sad today. La ree. So lonely. Dee.(U230.894)

 

ホテルのラウンジでは、サイモンがフロトーのオペラ『マルタ』(Marhta)から「マッパリ」を歌ったあと、カウリー氏がピアノで短調の即興演奏している。

 

ブルーム氏は、妻モリ―の愛人ボイランが、今ブルーム家に向かっていることを知っていて、悲しいのだ。

 

Music hath charms  は、Gifford の注釈によると、シェイクスピアではなく、英国の劇作家 ウィリアム・コングレーヴ(William Congreve 1670 – 1729) の悲劇 “The Mourning Bride” (1697)第1幕第1場からという。

 

  “Music has Charms to sooth a savage Breast,

   To soften Rocks, or bend a knotted Oak.”

 

これは世間でよくシェイクスピアのものと間違われている名文句の一つだそうだ。

 

また、Music hath Charms to sooth a savage Beast のように間違われることも多いらしい

 

しかし、ブルーム氏の脳裏にあったのは、シェイクスピアの台詞かもしれない。

『尺には尺を』(Measure for Measure 1603-1604)の第4幕第1場より。

 

    ”’Tis good; though music oft hath such a charm

      To make bad good, and good provoke to harm.”

 

    「けつこうです。もつとも、音楽には、悪人を善人にする力もあれば、

       善人を唆り立てゝ悪いことをさせる力もあるが。」

                                                                                  『以尺報尺』坪内逍遥

 

Quotations every day in the year.とは、引用句を記載したダイヤリー。

Shakespeare birthday book(1883) とか、こういう感じの本。ブルーム氏はこういう本で台詞を知ったのだ。

 

To be or not to beはもちろん『ハムレット』のもっとも有名な台詞。ブルーム氏は苦悩するハムレットと自分を重ねた。

 

Wisdom while you wait. 検索すると、そういうタイトルの本があった(1902年刊)。ブルーム氏は、この本だかわからないが、ハウツー知識や名言を載せた本を思い浮かべている。

 

while you wait は「即座の」という意味だが、ハムレットが、狂気をよそおい父殺しの復讐の好機を待ったこと、また、ブルーム氏が、ボイランがモリ―に会いに行くのを座して待っていること、にも掛けているように思う。

 

次の段落には、驚かされる。第9章、図書館でのスティーヴンの思考とほとんど同じ内容だから。

 

Do and do. Thing done. In a rosery of Fetter lane of Gerard, herbalist, he walks, greyedauburn. An azured harebell like her veins. Lids of Juno’s eyes, violets. He walks. One life is all. One body. Do. But do. Afar, in a reek of lust and squalor, hands are laid on whiteness.(U166.651-)

 

シェイクスピアが、ロンドンのフェッター小路にあったジョン・ジェラード(John Gerard 1545–1612) のバラ園を歩むところを空想した一節。ジェラードは、ロンドンに大きな薬草園を持っていた植物学者。

 

これはどういうことだろう。

 

二つの可能性が考えられる。

 

一つは、ここにスティーヴンの思考が差し挟まれているという解釈。

 

第10章と第11章では、映画のインサート・カットのように、本筋に別の場所の場面が唐突に挟まれる技法が使われている。

 

ティーヴンは、第16章でも、シェイクスピアの時代の作曲家のジョン・ダウランド(John Dowland 1563 – 1626) がフェッター小路のジェラードの近所に住んでいたと語っている。

 

Stephen, in reply to a politely put query, said he didn’t sing it but launched out into praises of Shakespeare’s songs, at least of in or about that period, the lutenist Dowland who lived in Fetter lane near Gerard the herbalist,・・・(U540.1763)

 

これはスティーヴィンの思考と考えるのはとても自然だ。

 

二つ目の考えは、ここはブルームの思考という解釈。

 

ブルーム氏は、この一節のすぐ後で、とにかくやった Done anyhow. とつぶやく。これは、直前の、Do. But do. とつながる。

 

ブルーム氏は、午後2時のスティーヴンと同じことを考えたのだ。

 

これは一見奇妙だが、それもありうることと思わせる傍証がある。

 

この日の前の晩、スティーヴンとブルーム氏は同じ夢を見ている。

 

ティーヴンの夢。どこか中東の娼館街、男がスティーヴンにメロンをすすめる。

After he woke me last night same dream or was it? Wait. Open hallway. Street of harlots. Remember. Haroun al Raschid. I am almosting it. That man led me, spoke. I was not afraid. The melon he had he held against my face. Smiled: creamfruit smell. That was the rule, said. In. Come. Red carpet spread. You will see who.(U39.363-)

 

ブルーム氏の夢。モリ―がトルコ風のズボンとスリッパを履いている。

Dreamt last night? Wait. Something confused. She had red slippers on. Turkish. Wore the breeches. Suppose she does? Would I like her in pyjamas? Damned hard to answer. (U311.1240-)

 

ブルーㇺ氏とスティーヴンは、ジョイスの創造した世界における、同一実体(consubstantial)の父と子。その意識は奥底で通じている。

 

筆者は、後者の解釈のほうが面白い。

 

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バーナーズ・イン(Barnard's Inn)

 

ジェラードのバラ園は、チャンセリー小路とフェッター小路の間のバーナーズ・インBarnard's Innのそばにあったという。バーナーズ・インは創立を13世紀に遡る法学予備校。

"Barnard's Inn - Gresham College - High Holborn, City of London" by ell brown is licensed under CC BY 2.0

 

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42 (U142.827)

―その筋のことには一切手を出しません。

 

第42投。142ページ、827行目。

 

 —I wouldn’t do anything at all in that line, Davy Byrne said. It ruined many a man, the same horses.

 Vintners’ sweepstake. Licensed for the sale of beer, wine and spirits for consumption on the premises. Heads I win tails you lose.

 

 ―その筋のことには一切手を出しません。デイヴィー・バーンは言った。大ぜい身を崩しましたから、なんたって馬でね。

 酒販業者ステークス。酒類提供飲食店営業免許。表が出たら私の勝ち、裏が出たらきみの負け。

 

 

昼過ぎ、ブルーム氏は軽食をとりに、デイヴィー・バーンの店に入った。客のフリン氏が店の主人と会話している。

 

デイヴィ―・バーンは、このブログの第3回で言及したパブ。今日はアスコット競馬場金杯レースがあるのでフリン氏は主人に勝ち馬の情報を聞いた。初めの台詞は主人の答え。

 

wouldn’t do は「何があってもしない」というニュアンスを感じる。

the same は、「いつも、かわらず」 という意味だろう

 

2番目の文は、会話を聞いている、ブルーム氏の心中の声。

 

sweep stakeとは競馬の賞金形態。

 

レースに所有馬を出走させる馬主が賭け金 (stake) を出し合い、それを集めたもの を勝者に分配するという方法がステークス方式。勝者が賞金を総取り (sweep) するスウィープステークス (sweep stakes) が縮まってステークスになったとのこと。

 

Heads I win tails you lose の  heads はコインの表で、tails は裏。ほんとは裏ならきみの勝ちだが、引っかけになっている。英語の慣用句で、どっちに転んでも自分の勝ち、という意味になる。

 

店に入ったところで、ブルーム氏はデイヴィー・バーンはケチだと想起している。競馬なんかには手をださず、人に酒を飲ませてがっぽり儲けていると、からかっているのだと思う。

 

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デイヴィー・バーン(Davy Byrne)

"Davy Byrnes, the Moral Pub" by Antonia Hayes is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

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41 (U102.253)

「森の巨木の天を葺く葉が憂愁の胸中に投げかける影のもと」

第41投。102ページ、253行目。

 

neath the shadows cast o’er its pensive bosom by the overarching leafage of the giants of the forest. What about that, Simon? he asked over the fringe of his newspaper. How’s that for high?

  —Changing his drink, Mr Dedalus said.

  Ned Lambert, laughing, struck the newspaper on his knees, repeating:

  —The pensive bosom and the overarsing leafage. O boys! O boys! 

 —And Xenophon looked upon Marathon, Mr Dedalus said, looking again on the fireplace and to the window, and Marathon looked on the sea.

 

「森の巨木の天を葺く葉が憂愁の胸中に投げかける影のもと」こりゃどうだい、サイモン。彼は新聞の縁越しに問いかけた。上等なもんじゃないか。

 ―酒肴を変えてきたな、デッダラス氏が言った。

 ネッド・ランバートは、笑って、新聞で両ひざを打ち、繰り返した。

 ―「尻を拭く葉と憂愁の胸中」。まいったね。まいったね。

 ―かくてクセノフォンはマラトンに臨む。デッダラス氏が、また暖炉を、そして窓へと目をやり、言った。かくてマラトンは海を臨む。

 

 

 新聞社フリーマン・ジャーナル社、同社の発行する「イブニング・テレグラム」の編集室。スティーヴンの父サイモン・デッダラス、ネット・ランバート、マクヒュー先生の会話。

 

今日のフリーマン・ジャーナル紙には昨晩ダン・ドーソンの行った修辞に満ちた愛国的演説が掲載されている。(U75.151)ランバートがその一節を読みあげているところ。

 

ダン・ドーソン(Charles Dan Dawson 1842-1917) はダブリン製パン会社 (Dublin Bread Company)の経営者。1882年、1883年にはダブリン市長を務め、小説の現在1904年には、ダブリン市の収税官(Collector of Rates)だった。

 

ドーソンはパン屋で、ランバート穀物商。ジョイスの父、ジョン・スタニスロース(つまりサイモンのモデル)は没落後、収税事務所に職を得ていた。彼等がドーソンをからかうのには、なんらかの背景があるのかもしれない

 

changing his drinkとはどういう意味か。

 

Giffordの注釈によると、「チャンポンで飲むと早く酔っ払う」との解釈。つまりサイモンは、ドーソンが酔っ払って詩的な文章を書いたな、と言っているとの理解。どうもしっくりこない。ネットで検索してみると、James Joyce Online Notes というサイトのJohn Simpson氏の記事に当たった。

 

この記事によるとこう。ドーソンはいつもは、世俗的で現実的な記事を書いているが、昨日の演説は調子の違う大げさで詩的なものだった。changing his drink という表現はジョイスの時代には演説や報道の場でよく使われていた一般的な表現で、「より刺激のある強い調子のものに変える」との意味ということである。これは腑に落ちる。

 

そこで「趣向を変える」と引っかけて「酒肴を変える」と訳した。

 

ランバートは、ドーソンの演説の、overarching(アーチをかける)という単語 overarsingともじってからかっている、これは単語中の arch を arse(尻)と置き換えたもの。どうして尻というのかというと、bosom(胸)に引っかけているわけだ。

 

ここは、「葺く」と「拭く」を掛けて訳した。

 

   Xenophon looked upon Marathon

   Marathon looked on the sea. 

は、バイロンの『ドン・ジュアン』(1819 - 1824)、第3曲中の「ギリシアの島々」から次の一節をもじっている。

 

   The mountains look on Marathon

      And Marathon looks on the sea;

   And musing there an hour alone,

      I dream'd that Greece might still be free;

   For standing on the Persians' grave,

      I could not deem myself a slave.

 

クセノフォン (前430頃~前354頃) は、古代ギリシアの軍人・歴史家。BC401年、クセノフォンはペルシア帝国のキュロス王の要請を受け、傭兵ととなり、ペルシア帝国内の内紛に介入して戦った。キュロス王は戦死し、ギリシア人傭兵部隊も危機に陥った。クセノフォンは傭兵を率いて小アジアを脱出した。

 

マラトンは、アテネ北東にある村。マラトンの戦い(BC490年)の舞台。マラトンの戦いとは第2次ペルシア戦争(BC490年)、マラトンに上陸したペルシア帝国のダレイオス1世が派遣した遠征軍を、アテネを中心としたギリシアのポリス連合軍が迎え撃ち勝利を収めた戦い。

 

クセノフォンとマラトンは関係ない。サイモンは、バイロンの詩が、ギリシアとペルシアのことを歌っているので、ギリシアとペルシアにかかわりのあるクセノフォンとマラトンをつなげて朗誦したのだと思う。

 

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Portrait of Lord Byron

File:Byron 1813 by Phillips.jpg - Wikimedia Commons

 

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40 (U18.691)

バック・マリガンはブーツの紐をほどこうと腰をおろした。

第40投。18ページ、691行目。

 

Buck Mulligan sat down to unlace his boots. An elderly man shot up near the spur of rock a blowing red face. He scrambled up by the stones, water glistening on his pate and on its garland of grey hair, water rilling over his chest and paunch and spilling jets out of his black sagging loincloth.

 

バック・マリガンはブーツの紐をほどこうと腰をおろした。初老の男が岩の突端近くで赤い顔を突き出して息を吹いた。彼は石を伝ってよじ登る。はげ頭と白髪の花輪に光り輝く水、胸と太鼓腹を伝い、黒いたるんだ腰布から流れ出る。

 

 第1章。マーテロー塔に住むスティーヴィン、マリガン、ハインズは塔の近くのフォーティーフットという海水浴場へやってきた。

 

第1章はなんでもないような文章だが実に凝っている。

 

これだけの文章に夥しいLの響き。

 

Mulligan

unlace 

elderly 

blowing

scrambled 

glistening

garland

rilling

spilling

black

loincloth

 

フィネガンズ・ウェイク』のALPのL。ジョイスにとってLは水の流れと結びつく。

 

頭韻が意識的に用いられる。

 

shot ― spur  

rock ― red

scrambled ― stones

garland ― grey

spilling ― sagging

 

フォーティーフットは、ダブリン湾の南端にある岬で、歴史のある海水浴場。その語源は諸説ある。水深が40フィートだという説、道路の幅が40フィートだったという説、第四十歩兵連隊の駐屯地だったという説など。

 

泳いでいるのは誰なのか。

 

第1章の終わりにこういう一節がある。

“The priest’s grey nimbus in a niche where he dressed discreetly.”(U19.739)

 

この男はカトリックの司祭だった。はげた頭は剃髪。

 

第1章の水浴は、第5章の終わりのブルーム氏の入浴と照応する。

 

“He foresaw his pale body reclined in it at full, naked, in a womb of warmth, oiled by scented melting soap, softly laved. He saw his trunk and limbs riprippled over and sustained, buoyed lightly upward, lemonyellow: his navel, bud of flesh: and saw the dark tangled curls of his bush floating, floating hair of the stream around the limp father of thousands, a languid floating flower.”(U69.567)

 

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フォーティフット海水浴場(Fortyfoot)

 "Among Giants" by Gavin Kealy is licensed under CC BY-NC-SA 2.0

 

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39 (U483.4494)

ティーヴン:(微笑み、笑いながら、うなずく)

 

第39投。483ページ、4494行目。

 

 

STEPHEN: (Nods, smiling and laughing.) Gentleman, patriot, scholar and judge of impostors.

PRIVATE CARR: I don’t give a bugger who he is.

PRIVATE COMPTON: We don’t give a bugger who he is.

STEPHEN: I seem to annoy them. Green rag to a bull.

 

ティーヴン:(微笑み、笑いながら、うなずく)  ぼくは紳士、愛国者、学者、詐欺師の審判さ。

カー兵卒:おれははやつが誰かどうだっていい。

コンプトン兵卒:おれたちはやつが誰かどうだっていい。

ティーヴン:彼らを怒らせたみたいだね。牡牛に緑の布。

 

第15章の終盤。娼館を出たブルーム氏とスティーヴン。スティーヴンが英国兵士の女に声をかけたことから諍いとなる。

 

2人の兵卒は15章の初めに出てきた2人と同一と思われる。(ブログの第25回

 

ジョイスチューリヒ時代、1918年のこと。彼は俳優のクロード・W・サイクスと「イギリス俳優劇団」”The English Players”を立ち上げた。ジョイスは英国領事館に劇団の公的な承認を求めたが当時の英国総領事A・パーシー・ベネットは偉ぶった態度で対応した。

 

劇団の最初の演目はワイルドの「真面目が肝心」”The Importance of Being Ernest”。ジョイスは主役のアルジャーノン・モンクリッフ役に、領事館の職員で元英国高地連隊のヘンリー・カーを抜擢。ところが公演後、カーとジョイスは出演料や切符代の件でもめて訴訟沙汰となる。

 

カーはジョイスにこう怒鳴ったという。
「礼儀知らず! おれをだまして儲けを自分のものにしやがって! 詐欺師! 出て行け! 出ていかないと階段から突き落とすぞ! 今度表で会ったら、首を締めてやる!」と怒鳴った。(P.535 リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年)
“You’re a cad. You’ve cheated me and pocketed the proceeds. You’re a swindler. If you don’t get out, I’ll throw you down stairs. Next time I catch you outside I’ll wring your neck.”

 

『フィネガンズ・ウエイク』に登場する、HCEの敵「ごろつき」”cad” というのは、ここに起因するのかな。

 

 今回の一節の “judge of impostors” というのは、このセリフ(impostors でなくswindlerだが)に関係しているのかもしれない。

 

ジョイスはカーに恨みをもって、この場面の兵卒の名前をカーにした。総領事のベネットはボクシングでアイルランド人に打ち負かされる英国特務曹長の名前にされた。(ブログの第27回) コンプトンは劇団の仕事をしくじった経営マネージャーの名前という。

 

1904年6月、ジョイスは聖スティーヴンズ公園で連れのいる若い女に声をかけ、言い争いになった。男はジョイスを「目にはあざ。手首、足首は捻挫、あごは裂傷、手も裂傷」の状態にして去った。(P.185『ジェイムズ・ジョイス伝』) 今回の一節のあとでスティーヴンはカーに殴り倒されるが、これはこの記憶と結びついている。

 

bugger とはスラングで、damn と同じ。

bugger / damn とは「つまらないもの」ということで、

I don't give a bugger. / I don't give a damn とは「つまらないものすら与えない」ということから「どうでもいい」という意味になる

 

like a red rag to a bull は、闘牛に赤い布を見せると興奮することから、「ひどく怒って」という意味の成句。スティーヴンは。赤い布をアイルランドの象徴である緑の布に置き換えた。牡牛bullは英国を表す。(ブログの第28回

 

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           (Royal Dublin Fusiliers)

Royal Dublin Fusiliers. - NYPL Digital Collections

 

これは20世紀の初めころタバコのパッケージにオマケとして封入されていた。シガレットカード(Cigarette card)の一枚。当時ダブリンにいた英国兵卒の制服はこんな感じであろうと思う。

 

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38 (U227.752)

第38投。227ページ、752行目。

 

 

 —To me!

 Siopold!

 Consumed.

 Come. Well sung. All clapped. She ought to. Come. To me, to him, to her, you too, me, us.

 

 ―われのもとへ。

 サイオポールド。

 燃え尽きた。

 来た。上手い。みんな拍手。彼女はきっと。来たれ。われへ、彼へ、彼女へ、なれも、われ、われら。

 

 

 第12章、ブログの18回のすこし後のところ。

ブルーム氏はオーモンド・ホテルのレストランで食事している。サイモンの歌とブルーム氏の思考。

 

ティーヴンの父親サイモンがドイツの作曲家フリードリッヒ・フォン・フロトーのオペラ『マルタ』"Martha"(1847年)から「マッパリ」"M'appari" を歌っている。

 

「マッパリ」とはこの歌のイタリア語訳からとられたタイトル。アン女王の女官ハリエットと侍女のナンシーは田舎娘マルタとユリアに変装し,農場の奉公人となる。農場主の弟ライオネルはマルタに惹かれて、結婚を申し込むが、マルタは宮廷にこっそリ連れもどされる。ライオネルがマルタのことを忘れられず歌う。

 

サイモンはチャールズ・ジェフリーズの英訳の歌詞を歌っている。

 

come to me!  は歌詞の一番最後の部分。

 

ライオネルはマルタに帰って来いと歌う

サイモンは、亡くなった妻のことを思っているのではないか。

そしてブルーム氏は、ボイランのもとにいる、妻のモリ―のことを思っている。

 

サイモンとブルーム氏は合一して、Siopoldとなる。これはブログの30回でかんがえたことをふまえるとよくわかる。主人公のスティーヴンの実の父であるサイモンと、小説論上の父であるレオポルドが合一しているのだ。キリストの父であるヨゼフと神の合一。

 

to her とは誰なのか。オペラの中のマルタだろうか、ブルーム氏の文通相手のマーサ Martha だろうか。

 

When first I saw that form endearing,

Sorrow from me seem’d to depart:

Each graceful look, each word so cheering,

Charm’d my eye and won my heart.

 

Full of hope, and all delighted,

None could feel more blest than I;

All on earth I then could wish for,

Was near her to live and die:

 

But alas! ’twas idle dreaming,

And the dream too soon hath flown;

Not one ray of hope is gleaming;

I am lost, yes I am lost, for she is gone.

 

When first I saw that form endearing,

Sorrow from me seem’d to depart:

Each graceful look, each word so cheering,

Charm’d my eye and won my heart.

 

Martha, Martha, I am sighing,

I am weeping still for thee;

Come thou lost one, come though dear one,

Thou alone can’st comfort me:

 

Ah! Martha return! Come to me.

 

       "M’appari"  translated into English by Charles Jefferys

 

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フリードリッヒ・フォン・フロトー(Friedrich von Flotow)

File:Flotow part.jpg - Wikimedia Commons

 

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37 (U363.462)

ブリーン夫人:(堰を切ったように)猛烈にティーポット。

第37投。363ページ、462行目。

 

 

 MRS BREEN: (Gushingly.) Tremendously teapot! London’s teapot and I’m simply teapot all over me! (She rubs sides with him.) After the parlour mystery games and the crackers from the tree we sat on the staircase ottoman. Under the mistletoe. Two is company.

 

 ブリーン夫人:(堰を切ったように)猛烈にティーポット。ロンドンがティーポットでわたしの全身とってもティーポット。(彼にすり寄って)客間のあてっこゲームとツリーのクラッカーのあと、わたしたち階段下のソファーに座ったね。ヤドリギの下で。二人なら仲睦まじ。

 

 

第15章。幻想と現実がまじりあう。フェリーニの映画「81/2」のように、その場にいない人物が現れる。ブルーム氏の元カノ、ジョージ―・ブリーン(旧性ポーエル)が登場し、ブルーム氏と会話する。

 

彼女は、ブルーム氏と恋人同士だったころ、クリスマスイヴ、ジョージナ・シンプソンの新築祝いのパーティーでのことを話している。

 

ティーポットというのは、そういう名前のゲームのこと。Mary White. "Teapot". The Book of Games. (Charles Scribner's Sons, New York NY 1896)によるとつぎのような。遊び。

 

一人のプレイヤーが部屋の外に出て、他のプレイヤーが言葉を考える。「電車」という言葉を選んだとする。外に出ていたプレイヤーが部屋に入ってくると、他のプレイヤーが順番に、「電車」が使われている文を、「電車」の代わりに 「ティーポット」という言葉を使って、言う。たとえば「ティーポットに乗るのが好き」、「フットボールの試合にティーポットで行く」といった具合。プレイヤーが言葉が当てた場合は、当てられた人は、部屋の外に出て、ゲームは以前と同じように進行する。

 

ロンドンがティーポット London’s teapot、というのは  Scotland's Burning(英国ではLondon's Burning)という童謡・輪唱の歌詞にティーポットをはめたもの。だからゲームのこたえは  Burning ということ。

 

この少し前の箇所でブルーム氏は London's burning と口ずさんでいた。(U355.172)

さらにDublin's burningと変奏される。(U488.4660)

 

クラッカーはわれわれの思いうかべる円錐形のクラッカーではなく、英国でクリスマスに用いられるクラッカーのことだろう。円柱形の大きなキャンディのようなもので、両端を2人で引っ張ると、破裂して、プレゼントが飛び出す。

 

the staircase ottoman  というのが何なのかわからない。階段の下に空いた空間においたソファーと想定する。

 

西欧では、クリスマスにカップルがヤドリギの下でキスをするという風習がある。
クリスマスに、ヤドリギの下にいる若い女性はキスを拒むことができない。キスを拒んでしまうと、翌年は結婚のチャンスが無くなってしまう、という言い伝えもある。

 

英国ではヤドリギを使って球状の飾りを作る習慣があり、この飾りはkissing ball, Christmas-bough, mistletoe-boughなどと呼ばれる。

 

客間の階段の裏面にヤドリギの飾りを釣って、その下にカップル用にソファーが設けてあった。そこにブルーム氏とジョージ―が座ったということではないか。

 

 ブログの17回で、サンザシのシンボリズムについて書いたが、ヤドリギにも似たシンボリズムがある。

 

  1.  ケルトの伝説ではヤドリギは「不死・活力・肉体の再生」を表すシンボル。ヤドリギが生えている木には神が宿っていると言われた。ドルイドが行う儀式は、ヤドリギが寄生したオークの木の下で行われた。
     
  2. 北欧神話ヤドリギの伝説。不死身とされていた光の神バルドルは、ヤドリギで作った槍で命を落とす。バルドルの母フリッグは、世界の万物に彼を傷つけないよう約束させていたが、ヤドリギだけは若すぎて契約が出来ていなかった。これを知った神ロキが、バルドルの弟ヘズをたぶらかし、バルドルヤドリギを投げさせた。これによりバルドルは命を落とした。

  3. キリストが処刑された時の十字架を作った木にヤドリギが巻きついていたという。 あるいは、元々ヤドリギは大木で、ヤドリギから十字架が作られた、神の怒りを買い、他の樹木に寄生することでしか生きられなくなった。

  4. ジェイムズ・フレイザーの『金枝篇』で論じられた伝承。イタリアのアリキアのネミの村に伝承される掟があった。アルバの山の麓に「森のディアナ」という聖所がありその神域には折りとることを許されない一本の聖なるヤドリギがあった。祭司は「森の王」とも呼ばれ、強大な権限を有したが、次の祭司を志願するものは、聖なる樹の枝を折りとり、祭司を殺した後にその職につくことができた。

  

Two is company というのは、Two is company, three is a crowd. / Two is company, three is a none.「二人で仲間、三人では群衆(なかまわれ)」という諺から。

 

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The Great Fire of London

File:Great Fire London.jpg - Wikimedia Commons

 

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