Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

95 (U269.1314)

そんで、やつはパイントをぐっと飲み干した。

 

第95投。269ページ、1314行目。

 

 And he took the last swig out of the pint. Moya. All wind and piss like a tanyard cat. Cows in Connacht have long horns. As much as his bloody life is worth to go down and address his tall talk to the assembled multitude in Shanagolden where he daren’t show his nose with the Molly Maguires looking for him to let daylight through him for grabbing the holding of an evicted tenant.

 

 —Hear, hear to that, says John Wyse. What will you have?

 —An imperial yeomanry, says Lenehan, to celebrate the occasion.

 —Half one, Terry, says John Wyse, and a hands up. Terry! Are you asleep?

 —Yes, sir, says Terry. Small whisky and bottle of Allsop. Right, sir.

 

 

 そんで、やつはパイントをぐっと飲み干した。そんなアホな。牛の小便、馬の糞。あってもなくても猫の尻尾みたいな放言高論。狸の睾丸嘘八畳敷き。シャナゴールデンに集まった群衆の所へ出かけていって気炎を吐くような危ねえまねをする気はないだろがね、立ち退き食らった借地人の資産を横取りしたからって、やつのどてっ腹に風穴をあけようと狙っているモリー・マクガイア団の前に面を出すようなもんだから。

 

 ―傾聴、傾聴、とジョン・ワイズ。何を飲む。

 ―帝国義勇兵をひとつ、とレネハン、この日を祝して。

 ―ハーフひとつ、テリー、とジョン・ワイズ。それと挙手ひとつ、テリー寝てるのか。

 ―はいよ、とテリー。ウィスキー小とオールソップ一本だね。ただいま。

 

第12章。酒場バーニーキアナンで、「市民」というあだ名のナショナリストと客が会話している。レネハン(フリーのスポーツ新聞の記者)とジョン・ワイズ・ノーラン(どういう職業の人かわからない)が連れ立ってやってきたところ。テリーはバーテン。

 

彼らは、かつては世界に冠たる一等国だったアイルランドが落ちぶれていることを嘆く。「市民」は今ひとたびアイルランドの港を軍艦でいっぱいにするんだと息巻いた。その直後の場面。

 

ビールを飲みほしたのは「市民」。この章の謎の語り手が「市民」の大げさな発言を揶揄している。その内心のコメントはほかの人物に聞こえていない。ダッシュ ”ー” 以下は会話となる。

 

語り手はたいへんな口語体の使い手で、ここの読解はすごく面白いのだが、結局のところ意味が十分わからないのが残念。

 

 

Moya

”Moya” ゲール語の “Mar dhea” から来ている。“moryah”ともつづる。 “as were it”, “as if” の意味で「まさか(仮のはなしだよね)」。アイルランド英語の特徴的フレーズ。懐疑的な間投詞で、疑問、反対、嘲笑を投げかけるために使われるという。

 

All wind and piss like a tanyard cat

“All wind and piss” とはなにか。“piss in the wind” という言い方もあり「中身のない話、無駄話」。これと同じではないか。向かい風に小便をするような甲斐のないことということ。「屁と小便」ではない気がする。

 

牛溲馬勃(ぎゅうしゅうばぼつ、「牛の小便、馬の糞」) という熟語があって、価値のないもの、役に立たないもののたとえ。これを訳にあてた。

 

続いて、“a tanyard cat” がわからない。検索すると “big dog of the tanyard”「皮なめし工場の大きな犬」というスラングがあり、”an important or influential person or thing” 「重要な、影響力のある人または物」とのこと。由来は調べてもわからない。

 

しかし、驚くべきことに、犬の糞が皮なめし工場の原材料であるということが分かった。

 

19世紀まで、いや正確には第一次大戦まで、犬糞は皮なめし業の貴重な原材料だったから、街に落ちているのを血眼で拾ってあるく「犬糞屋」という小商いが存在していたのだ。

鹿島茂「「お犬さま」商売の繁盛」、『パリの秘密』(中公文庫、2010年)

 

それで「皮なめし工場の犬」は「重要」との意味になったのではないかと推測。語り手は、「皮なめし工場の猫」を「役に立たないこと、重要でないこと」との意味で言っているのではないか。

 

ブログで何度かでふれたように、柳瀬尚紀さんは、第12章の語り手は「犬」であるとの説を述べておられる。(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)もし上の読みが正しければ、ここは犬説をサポートする。語り手はわざわざ犬が出てくる言い回しをもじって、悪い意味で猫を使っているのだから。

 

コノートの牛の角は長い

“Cows in Connacht have long horns.”  「コノートの牛の角は長い」(コノートはアイルランドの北西部に位置する州)は "Far away cows have long horns"「遠方の牛の角は長い」 と同じで「大げさな話をする」との意味と思われる。

 

モリーマグワイア

シャナゴールデン “Shanagolden” 、はアイルランド南部、マンスター州リメリック郡にある小村。何か歴史的に有名な事件があったわけでもなく、なぜここにでてくるのか分からない。

 

モリーマグワイア ”Molly Maguires” は、18世紀初頭に結成されたアイルランドの秘密結社。地主に対する、農民の抵抗活動、例えば土地からの小作農の追い出しに対する対抗などを組織した。後に同じ名前の結社はアメリカにあらわれ、鉱山所有者たちの搾取に対し暴力的手段を用いて対抗したことで有名となる。

 

“as much as (one's) life is worth to do …” は、「…することは危険、リスクがある」という意味。それが命にかかわる、という意味からだろう。

 

「市民」は反地主、反プロテスタントの立場だろうが、なぜモリーマグワイアズに狙われるようなことをしているのか、分からない。

 

帝国義勇兵

ジョン・ワイズ・ノーランが注文をさそう。パブのルールでは、さそった人がおごることになっている。ノーランが聞いて、レネハンが注文している。

 

帝国義勇兵 “imperial yeomanry” とは。イギリス陸軍の義勇騎兵隊で、主に第二次ボーア戦争 (1899 - 1902。小説の現在である1904年の直近の英国の戦争) で活躍。アイルランドでも募集されたという。中流階級と伝統的なヨーマンから募集された。ヨーマン”yeoman“とは、14世紀半ば以降に現れた独立自営農民。16世紀以降は,ジェントリと零細農民の中間に位置する広汎な中産的生産者を差したが、18世紀半ばごろから土地買収などにより,多くは都市または農村の労働者に転落したという。

 

なぜ、帝国義勇兵が、酒の注文になるのか、それが何の酒か、という問題。テリーのセリフからいうとノーランが頼んだのはウィスキーとオールソップというビール。そのどちらを意味するのか。

 

さんざん検索してみたところ、下のマッチ立てが見つかった。これは、アッシャーズ・オールド・ヴァッテド・グレンリヴェットUsher's Old Vatted Glenlivet)というウィスキーのノべルティーである。これに、負傷した英国のボーア戦争兵士が描かれている。

 

書かれている詩はイギリスの小説家、詩人ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865 - 1936) の「心うつけし物乞い」(The Absent-Minded Beggar)。これは第二次ボーア戦争で戦う兵士とその家族のために資金の募金のため、デイリーメール紙の求めで1899年に書かれた。このマッチ立てはそのキャンペーンにかかわるものかもしれない。

 

つまり帝国義勇兵とはウィスキーを意味した。きっとパブのカウンターにもこのマッチ立てがころがっていたのだろう。

 

 

          


集英社文庫版の『ユリシーズ』の注釈では、帝国義勇兵は「アルコールで勇気を鼓舞して出撃したとのそしりがあることから、おれも酒が欲しいとの意になる」(Gifford·の注釈と同じ)とあるが、このグッズをみれば、私の説が正しいと思う。

 

レネハンは、このブログの第47回にもあった通り、いつもおごってもらっている人である。厚かましくも、値段の高いウイスキーをたのんだのだが、ノーランはハーフにけちった。アイルランドのシングルは35.5 mlとのことでハーフはその半分になる。おそらくウィスキーのハーフが、ノーランの頼んだビール小瓶1本と同じくらいの値段だったのではないか。自分が飲むものより高いものを人におごらないだろうから。

 

A hands up

 

ということで、ジョン・ワイズが飲むのが、オールソップ ”Allsopp” 。歴史ある英国のビールで、1935年にいったん消滅したが、2017年に復活した。赤い手のトレードマークで知られる。ノーランが “a hands up” と言っているのは、オールソップビ―ルを表している。

 

           

                       

 

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94 (U382.1120)

ブルーム:(身震いし、縮こまり、両手を組み合わす。卑屈な物腰で。)

 

第94投。382ページ、1120行目。

 

 BLOOM: (Shuddering, shrinking, joins his hands: with hangdog mien.) O cold! O shivery! It was your ambrosial beauty. Forget, forgive. Kismet. Let me off this once. (He offers the other cheek.)

 

 MRS YELVERTON BARRY: (Severely.) Don’t do so on any account, Mrs Talboys! He should be soundly trounced!

 

 THE HONOURABLE MRS MERVYN TALBOYS: (Unbuttoning her gauntlet violently.) I’ll do no such thing. Pigdog and always was ever since he was pupped! To dare address me! I’ll flog him black and blue in the public streets. I’ll dig my spurs in him up to the rowel. He is a wellknown cuckold. (She swishes her huntingcrop savagely in the air.) Take down his trousers without loss of time. Come here, sir! Quick! Ready?

 

 BLOOM: (Trembling, beginning to obey.) The weather has been so warm. 

 

 

 ブルーム:(身震いし、縮こまり、両手を組み合わす。卑屈な物腰で。)ああ寒い。震える。貴方の神々しい美貌のせい。忘れて。許して。これも宿命か。でも今度ばかりは見逃して。(もう一方の頬を差し出す)

 

 ミセス・イェルバートン・バリー:(厳しく。)絶対に許さないで。ミセス・トールボイズ。うんと懲らしめて。

 

 ミセス・マーヴィン・トールボイズ閣下:(長手袋のボタンを勢いよく外し。)もちろん。生来の豚犬よ。この私に言い寄るとは。表通りで青あざができるまで鞭で打ってやる。拍車の歯がめり込むほど蹴ってやる。天下の寝取られ男。(狩猟用の鞭をひゅっと荒っぽく鳴らす)今すぐズボンを脱がせて。こっちよ、あなた、早く。いいかい。

 

 ブルーム:(震えながら、従う動作。)このところとっても暖かいですし。

 

 

 

第15章。幻想と現実が交錯する。ブログの第87回のところで、夜警に尋問されたことをきっかけにブルーム氏の裁判が始まる。それに続く一場面。3人の上流婦人、ミセス・イェルバートン・バリー、ミセス・べリンガム、ミセス・マーヴィン・トールボイズが、ブルーム氏から卑猥な手紙を送られたことなどを告発する。

 

ブルーム氏が実際にそのようなことをしたわけでなく彼の深層心理が幻想場面に表れているのだろう。

 

ミセス・マーヴィン・トールボイズ閣下はこのようないで立ち。

 

 THE HONOURABLE MRS MERVYN TALBOYS: (In amazon costume, hard hat, jackboots cockspurred, vermilion waistcoat, fawn musketeer gauntlets with braided drums, long train held up and hunting crop with which she strikes her welt constantly.) …

(U381.1058)

 

 

アマゾンというはギリシア伝説で,黒海沿岸あたりに住むとされた女戦士の種族のことで、これにちなんで女性の狩猟用乗馬服が amazon costume と呼ばれる。シルクハットに、拍車付ブーツ、長手袋、長い裾、狩猟用鞭。

 

ネット上の辞書(https://www.finedictionary.com/)で amazon を検索すると下の画像が得られた。これはフランスのイラストレーター、ジョルジュ・バルビエ(George Barbier、1882 - 1932)のファッションプレート、「今日のモードと着こなし」 Modes et Manières d'Aujourd'hui(1922)の一葉。なんと、これがまさにミセス・マーヴィン・トールボイズの衣装と一致する。

 

             

 

この場面はわからないことが多い。

 

まず、なぜブルーム氏が寒がっているのかわからない。小説の今は6月。

 

”Kismet” はオスマントルコ語に由来し「宿命、運命」の意。この小説に何回か出てくる。なぜブルーム氏がここで使うのかよくわからない。

 

彼が、頬を差しだすのは、「マタイ伝」(第5章39節)に基づく。

「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。」

“But I say unto you, That ye resist not evil: but whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.”

 

”pigdog” はスラングで「卑しむべき人物」 “A contemptible or worthless person”.

 

ブルーム氏が、さっきは寒いといっていたのに「お天気はこのところとても暖かい」といいだすのもよくわからない。ズボンを脱ぐのがいやということだろうか。

 

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93 (U331.773)

いやまったく横道にそれますが。

 

第93投。331ページ、773行目。

 

But indeed, sir, I wander from the point. How mingled and imperfect are all our sublunary joys. Maledicity! he exclaimed in anguish. Would to God that foresight had but remembered me to take my cloak along! I could weep to think of it. Then, though it had poured seven showers, we were neither of us a penny the worse. But beshrew me, he cried, clapping hand to his forehead, tomorrow will be a new day and, thousand thunders, I know of a marchand de capotes, Monsieur Poyntz, from whom I can have for a livre as snug a cloak of the French fashion as ever kept a lady from wetting.

 

いやまったく横道にそれますが。この世の喜びとはなんと不純にして不全なのでせう。烏滸なるべし、悔恨のあまり声をあげ、もし先見の明あらばわが外套を携帯せしものを。思うだにうち嘆かれる。さらば我ら七度雨に降られやうと微塵も濡れざらまし。愚かなるかな、額を手で打ち声高に、覆水盆に返らず、雷様よ、ムッシュー・ポインツなる舶来雨具商を知りたる故、淑女を雨より守る按配至極のフランス風外套をば1ルーブルにて購い得たものを。

 

第14章。舞台は、国立産科病院の談話室。スティーヴンとブルーム氏、医学生らが飲食し談笑している。スティーヴンの同居人マリガンは、マリンガ―からダブリンに帰ってきた友人アレック・バノン(Alec Bannon)と道で会い、いっしょにここへ入って来た。そのバノンの発言の一節。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所は、長編小説『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』で有名な18世紀英国の小説家ローレンス・スターン(Laurence Sterne, 1713 - 1768)の作品『センチメンタル・ジャーニーA Sentimental Journey through France and Italy(1768年)の文体のパロディという。これは、何度かフランスを旅をした作者の見聞をもとにした紀行文。

 

ブルーム氏の娘のミリーは15歳になったばかりだが、ウェストミーズ州(Westmeath)のマリンガ―(Mullingar) の写真館に住み込みで働いている。そしてバノンはミリーと付き合っている。

 

ティーヴンと同居のヘインズとマラカイ・マリガンの会話

 

 —Is the brother with you, Malachi?

 —Down in Westmeath. With the Bannons.

 —Still there? I got a card from Bannon. Says he found a sweet young thing down there. Photo girl he calls her.

 —Snapshot, eh? Brief exposure.

(U18.682)

 

ブルーム氏宛てのミリーの手紙の一節。

 

There is a young student comes here some evenings named Bannon his cousins or something are big swells・・・

(U54,407)

 

"Maledicity!" という語は調べたが分からない。"maledict" は、「危害を願う、呪われている」という意味なので、「呪われよ」“Curse it!” というくらいの意味か。

 

"Wóuld to God that …”  は文語文で「…であればなあ(if only)」。

 

"cloak" はマント、外套だが、ここはコンドームのことを遠回しに指している。

 

"Tomorrow is another day." は「明日は明日の風が吹く」だが「起こったことを後悔をしても仕方ない」との意味かと。覆水盆に返らずと訳した。

 

”thousand thunders” も辞書に載っていない。“by thunder!” とおなじで「まあ!、本当に!、まったく!、こん畜生」という感じかと。現在外は雷雨のようなので、雷が鳴ったのかもしれない。

 

"capote" はフランス語。①フード付きの軍用コート.②コンドーム、の意味がある。先の cloak とおなじく、裏の意味としてコンドームを指している。

 

知られているように、コンドームのことをイギリスでは「フランスの手紙」”French letter” といい、フランスでは「イギリスのコート」"capote anglaise"という。

 

この一節は、結局、バノンが、コンドームを持ってたらミリーと関係を持てたのに、持っていなくて残念だったと悔やんでいる、ということを言っていると思われる。

 

ブルーム氏はここに同席しているが、この男がバノンで、つきあっているのが自分の娘であることに気づいていない。

 

さて、スターンの文章とはどういうもののか。『センチメンタル・ジャーニー』をパラパラ見てみた。下の一節など、本ブログの箇所に雰囲気が最も近そう。

 

さて僧侶やソルボンヌの博士たちがこの橋に對して難じ得る最大の缺點とはつぎのようなことである、パリーの内外にほんのさっと風が吹きすぎてさえ、この橋上では、全市のいかなる風の通い路でより一そう神をおそれぬ口調で、sacre dieu (えい、こん 畜生め!) と罵聲が發せられる ― いや、先生方がそう仰せられるのもご尤も至極なこと、garde d’eau (水にご用心!) との挨拶もなしに風は眞向から吹きつける、それも全く思いもかけずぱっと吹きつける。そこで、たまたま帽子をかぶってこの橋を渡るような者は、二リーヴル半ば充分する帽子を危險にさらさずにすむのは五十人に一人もない。

スターン「斷款 パリー」『センチメンタル・ジャーニー松村達雄訳(岩波文庫、1952年)

 

The worst fault which divines and the doctors of the Sorbonne can allege against it is, that if there is but a capfull of wind in or about Paris, ’tis more blasphemously sacre Dieu’d there than in any other aperture of the whole city,—and with reason good and cogent, Messieurs; for it comes against you without crying garde d’eau, and with such unpremeditable puffs, that of the few who cross it with their hats on, not one in fifty but hazards two livres and a half, which is its full worth.

Laurence Sterne, THE FRAGMENT PARIS, A Sentimental Journey through France and Italy

 

フランスの紀行なので、フランス語を交えるところは似ている。今回のブログの箇所にでてくる特殊ないい回しをスターンの作品中に検索してみたが、ほとんど使われていない。語彙や文体などはそれほど似ていないように思う。

 

岩波文庫の訳者解説にこうあった。

 

「最後にスターンの獨自性は何よりその文體に表れている。・・・外界の事物が人間の心理に投ずる微妙な陰翳や屈折に直接的であり親近であろうとするその表現は、非常に暗示的で、内面的な流動性に富んでいる。そしてこれが外形的にはおびただしいダッシュの使用、ピリオドの節約、會話體と地の文の融合など、獨自の文體となっている。」

 

会話文にダッシュを使用することや、会話と地の文の融合は、ジョイスの小説一般に共通する手法なので、これはスターンの影響があるのかもしれない。

  

       

          ローレンス・スターン(Laurence Sterne)

Joseph Nollekens | Laurence Sterne (1713–1768) | British | The Metropolitan Museum of Art (metmuseum.org)

 

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92 (U522.929)

男が周囲の状況を確かめる動作をしながら立ち上がった時、

 

第92投。522ページ、929行目。

 

While he was in the act of getting his bearings Mr Bloom who noticed when he stood up that he had two flasks of presumably ship’s rum sticking one out of each pocket for the private consumption of his burning interior, saw him produce a bottle and uncork it or unscrew and, applying its nozzle to his lips, take a good old delectable swig out of it with a gurgling noise. The irrepressible Bloom, who also had a shrewd suspicion that the old stager went out on a manœuvre after the counterattraction in the shape of a female who however had disappeared to all intents and purposes, could by straining just perceive him, when duly refreshed by his rum puncheon exploit, gaping up at the piers and girders of the Loop line rather out of his depth as of course it was all radically altered since his last visit and greatly improved.

 

 

男が周囲の状況を確かめる動作をしながら立ち上がった時、推定されるところでは船舶用のラム酒の瓶が二つ両ポケットから飛び出しておりそれは胃の腑の渇きを癒す私的な消費のため保有されていたものだが、それらに目を止めたブルーム氏は男が瓶を取り出して栓を抜くか捻るかし瓶の口に唇をあて、大層美味なのをごくりとやるのを見た。ブルーム氏は、その老練な男が女の形をした反対方向からの引力を追って、屋外へ作戦を展開したのではないかと、鋭敏な疑いを禁じえなかったが、女の影はいかなる点からみても消失してしおり、目を見張ってようやく知覚し得たのは、男がラム一樽を飲み尽くし、すっかり活気を得て鉄道ループ線の橋脚と主桁をあっけに取られて見上げる姿であり、それは男の理解をすっかり超えるものであった、というのも最後にここに来た時から根本的に姿を変え、大幅に改良されていたからである。

 

第16章。真夜中。娼館を後にしたブルーム氏はスティーヴンを介抱するため馭者溜りへとやってくる。そこでマーフィーと名乗る船乗りの話を聞いている。船乗りがおもむろに席を立った場面。

 

第16章は悪文で書かれているが、ここも驚くほど読みにくい文章となっている。こんな小説ってあるだろうか。

 

常套句や外来語の無理な使用。接続詞や関係代名詞を多用して構文を複雑にしながら、節や句を挟んで主語と動詞の続きがわかりにくくなっている。単語を重ねる割に描写は曖昧で像はぼやけてしまう。

 

船舶用ラム酒 "ship’s rum" とあるのは、英国海軍が軍艦に積載して乗員に配給したラム酒のことと思われる。英国海軍とラム酒についての記事の概略は次の通り。

 

  • もともと英国軍艦には水が積まれていたが、長期保存に難があった。
  • そのため、水の代わりにビールやワインが、積まれるようになった。
  • さらには長期保存や調達の観点からブランデーのような蒸留酒が用いられた。
  • 1655年英国がジャマイカをスペインから攻略後、ジャマイカ産のラム酒を搭載し船員に配給するようになった。
  • 1740年には1/2パイントのラム酒と水を 1対4 の割合に薄め1日2回に分けて配給する事になった。)この飲み物はグロッグ“Grog” と呼ばれた。)
  • その後希釈割合や支給量は変化があった。
  • 英国海軍では1970年までグロッグが(ただし士官にはラムのまま)配給された。

 

船乗りは今朝11時にイングランド、ブリッジウオーターから煉瓦を運ぶ、ローズヴィーン号で入港したという。もちろん嘘かもしれないが。

 

 —We come up this morning eleven o’clock. The threemaster Rosevean from Bridgwater with bricks. I shipped to get over. Paid off this afternoon. There’s my discharge. See? D. B. Murphy. A. B. S.

(U511.450-)

 

彼が乗っていたのは海軍の船ではない。普通の船でもラム酒が支給されていたのか、軍から横流しの酒を保有していたということなのか、私の調べでは不明。

 

船乗りが追いかけていったと、ブルーム氏が思った女、とはしばらく前のところで、馭者溜まりをのぞき込んだ麦わら帽子の街娼であろうと思われる。

 

The face of a streetwalker glazed and haggard under a black straw hat peered askew round the door of the shelter palpably reconnoitring on her own with the object of bringing more grist to her mill.

(U517.704-)

 

“manœuvre” はフランス語由来の単語で、軍事用語として「軍隊・艦隊などの機動作戦, 戦術的展開」との意味がある。船乗りの動作なので船にまつわる用語を使って描写している。

 

船乗りが見上げたループ線とは、馭者溜まりの上を走る鉄道の高架橋、ループライン橋   the Loop Line Bridge

 

下の写真で、馭者溜まりは向こう岸の橋の下にあった。

 

File:Loop line (Liffey) viaduct, Dublin - geograph.org.uk - 1754871.jpg - Wikimedia Commons

 

ループライン橋はリフィー川南岸のウェストランド・ロウ駅 Westland Raw Station (現Pearse Railway Station)と北岸のアミアンズ・ストリート駅 Amiens Street Station (現Connolly Station)の間を高架化して結んだ際、1889年から1891年にかけて建設された。

 

 

1908年出版の地図(Eason's new plan of Dublin and suburbs / Eason & Son, Ltd.)南北の駅を結んでいるのがループ線印のところに馭者溜まりがあった。

 

       

 

1883年出版の地図(Plan of the city of Dublin. Letts's popular atlas. Letts, Son & Co. Limited, London. )では駅はつながっていない。

 

       

 

彼が前にここに来たのは、1891年以前で、まだこの橋がなかったので、驚いているのだろう。彼は航海に出て7年女房に会ってないと言っている。(U510.421) 小説の現在は1904年であり、つじつまは合わない。

 

建設中から、この橋は、市の中心からのカスタムハウス(税関)の壮麗な眺めを損なうとして批判にさらされた。

 

       

       1930年代のループライン橋ごしのカスタムハウスのながめ

 

船乗りの見上げる、“pier” は「橋脚」、“girder” は「主桁」ー橋の側面に渡された部分を言う。→ 橋梁の構造と種類について

 

    

 

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91 (U460.3729)

(ゾーイがフロリーにささやく。二人はくすくす笑う。

 

第91投。460ページ、3729行目。

 

 (Zoe whispers to Florry. They giggle. Bloom releases his hand and writes idly on the table in backhand, pencilling slow curves.)

 

 FLORRY: What?

 

 (A hackneycar, number three hundred and twentyfour, with a gallantbuttocked mare, driven by James Barton, Harmony Avenue, Donnybrook, trots past. Blazes Boylan and Lenehan sprawl swaying on the sideseats. The Ormond boots crouches behind on the axle. Sadly over the crossblind Lydia Douce and Mina Kennedy gaze.)

 

 THE BOOTS: (Jogging, mocks them with thumb and wriggling wormfingers.) Haw haw have you the horn?

 

 

(ゾーイがフロリーにささやく。二人はくすくす笑う。ブルームは手を引っ込め、何の気なしにテーブルの上に、眉墨で左傾斜の文字を書く、ゆっくリ曲線を引いて。)

 

 フロリー:何それ。

 

(貸馬車、334番、堂々とした尻の牝馬が引く、馭者ジェームズ・バートン、ドニーブルック、ハーモニックアヴェニュー在住、早足で通過。ブレイゼス・ボイランとレネハンが背中合わせの席に身をゆだねゆらゆら。オーモンドの靴磨きが車軸の上にしゃがんでいる。リディア・ドゥースとマイナ・ケネディが、半ブラインド付きの窓越しに悲しげに視線を送る。)

 

 靴磨き:(がたがたゆられ、親指を鼻にあて、もぞもぞ虫指でからかう。ほーほー、ぴんぴんかい。)

 

 

第15章。幻想と現実が交錯する。小説のこれまでの登場人物が現れ、小説中の劇を演じる。ベラ・コーエンの娼館で、ブルーム氏はゾーイに手相を見てもらっている。差し出した手を引っ込めたところ。ゾーイがフロリーにささやくのはおそらく手相から読み取ったことだろう。

 

 

Pencil

 

ブルームは、ペンシルで文字を書く(pencilling) が、娼館のテーブルに鉛筆があるのは変なので、眉墨で書いたのではないかと思う。

 

娼婦達は眉墨=ペンシルを使っている。

 

(Zoe and Bloom reach the doorway where two sister whores are seated. They examine him curiously from under their pencilled brows and smile to his hasty bow. He trips awkwardly.)(U409.2022)

 

Backhand

 

”backhand" とは左に傾いた書体をいう。

 

     

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Backhand_writing_(PSF).jpg

 

さて、貸馬車 ”hackneycar" がなぜ現れるのか?

 

これは第11章のオーモンドホテルの場面から召喚された幻想場面。

 

A hackney car, number three hundred and twentyfour, driver Barton James of number one Harmony avenue, Donnybrook, on which sat a fare, a young gentleman, stylishly dressed in an indigoblue serge suit made by George Robert Mesias, tailor and cutter, of number five Eden quay, and wearing a straw hat very dressy, bought of John Plasto of number one Great Brunswick street, hatter. Eh? This is the jingle that joggled and jingled. By Dlugacz’ porkshop bright tubes of Agendath trotted a gallantbuttocked mare.

(U229.878-)

 

ブルーム氏の妻モリーの愛人であるブレイゼス・ボイランは、貸馬車に乗ってブルーム家へ向かっている。

 

しかしなぜ今この場面が現れるのか?

 

第11章のボイランの馬車の場面の直前、ブルーム氏はオーモンドホテルのレストランで筆記用具を借りて秘密の文通相手マーサへ返事を書いている。彼は e をギリシャ文字 ε で書こうとしてやめている。

 

Remember write Greek ees. Bloom dipped, Bloo mur: dear sir. Dear Henry wrote: dear Mady. Got your lett and flow. (U229.860)

 

On. Know what I mean. No, change that ee. Accep my poor litt pres enclos. Ask her no answ.(U229.865)

 

きっと彼は証拠を残さないために、字体以外も、筆跡を変えて、つまり左傾体で手紙を書いているにちがいない。ブログの第87回のところから始まった、ブルーム氏の幻想の裁判場面で、上流婦人ミセス・イェルバートン・バリーはブルーム氏が左傾斜の書体で匿名の手紙を送ってきたと証言している。

 

MRS YELVERTON BARRY: ・・・Arrest him, constable. He wrote me an anonymous letter in prentice backhand when my husband was in the North Riding of Tipperary on the Munster circuit, signed James Lovebirch. ・・・

(U379.1017)

 

何の気なしに書いた左傾体が、マーサへの手紙の場面に隣接したボイランの馬車の場面を呼び出したのだ。

 

ちなみにブログの第88回のすぐあとの場面で、詮索好きのフリンが変なことを言っている。ブルーム氏は決してしないことがあって、それは「署名」だという。

 

—He’s not too bad, Nosey Flynn said, snuffling it up. He’s been known to put his hand down too to help a fellow. Give the devil his due. O, Bloom has his good points. But there’s one thing he’ll never do.

 His hand scrawled a dry pen signature beside his grog.

 —I know, Davy Byrne said.

Nothing in black and white, Nosey Flynn said.

(U145.984―)

 

ブルーム氏は、どうも手書き文字に特殊な慎重さをもった人らしい。

 

Hackney car - Jaunting car

 

ハックニー・カー“hackneycar” はジョーンティング・カー “jaunting car” と同じで「人の座席が背中合わせに配置されてた、前方に運転席のある単馬用の軽二輪馬車。」

 

栩木伸明さんの著書『アイルランドモノ語り』にこの馬車についてのエッセイがある。『ユリシーズ』における馬車についてもたっぷり述べられている。

 

「御者の背後に左右に各々二人掛けの座席を背中合わせにしつらえ、足置き車輪の上にぶらさげるように下ろした(中略)構造の、この小型軽装・屋根なしの二輪馬車は、アイルランド独特の乗り物である。その名も楽しい〈遠足馬車(ジョーンティング・カー)〉。「ジョーント」とは英語で「遠足にいく」、「(行楽)の小旅行をする」という意味だから、文字通り現代のタクシーに相当する存在だった。」

 「遠足は馬車に乗って」、『アイルランドモノ語り』(みすず書房、2013年)

 

           

 

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『静かなる男』The Quiet Man(1952年)のジョーンティング・カー

 

馬車の車軸に乗っている "Boots"" とは、ブログの第75回にでてきたオーモンドホテルの靴磨き。ホテルのバーの女給、リディア・ドゥースとマイナ・ケネディにちょっかいを出していた。

 

Crossblind

 

オーモンドホテルの窓には、クロスブラインド “crossblind” というものがかかっている。

 

Bronze by gold, Miss Kennedy’s head by Miss Douce’s head, appeared above the crossblind of the Ormond hotel.

(U202.963)

 

Miss Douce’s brave eyes, unregarded, turned from the crossblind, smitten by sunlight.

(U220.460)

 

これが何なのかは難題で、『ユリシーズ』の訳者である柳瀬尚紀さんが著書で詳しく論じている。(「連桁ブラインド」(2004年)、『ユリシーズ航海記』(河出書房新社、2017年))

 

柳瀬さんの説は、

“A window shade that pulls down from a roller at the middle of a window” つまり

「窓の真ん中にあるローラーから引き下げるタイプのシェード」(私訳)ということ。

 

日本の業界用語では、「カフェカーテン」“cafe curtain/café curtain”と呼ばれるものが近いという。

 

窓を部分的におおうように取り付ける丈の短いカーテン。おもに目隠しや装飾を目的とし、通常のカーテンレールではなく、横に渡したポールなどに通して取り付けることが多い。

『家とインテリアの用語がわかる辞典』

 

横に渡したポールと窓枠の縦のラインが十字になるのでクロスブラインドと呼んだのだろう。しかしオーモンドホテルのは、カーテンではなくいわゆるブラインドかシェードだろう。下のような形状が近いと思う。

 

        



柳瀬さんは第11章の翻訳を雑誌の発表したときには、「crossblind とは何か、訳者の定義を記すとそれはいわゆるスラット slat と称される羽板が横に走っているブラインドである。要するに、最もありふれたブラインド。・・・木製のものだ。」と説が変わっているよう。(「第11章について」(2004年)、同前書)

 

しかし、今回の一節や先の引用のように crossblind には over とか above がついているので、前の説の方が合っていると考える。

 

“Sadly over the crossblind Lydia Douce and Mina Kennedy gaze.”

“Miss Kennedy’s head by Miss Douce’s head, appeared above the crossblind.

 

Thumb one's nose

 

”mocks them with thumb and wriggling wormfingers” とは、"thumb one's nose" と呼ばれる西欧人のジェスチャーだろう。鼻先に親指をあて他の指を扇形に広げて振って人をばかにするしぐさ。

 

          

英国、アシュトンアンダーラインの銅像
Cocking a snook Statue of a street urchin on Old Street, Ashton-under-Lyne

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cocking_a_snook_-_geograph.org.uk_-_1136252.jpg

 

 

"Haw haw have you the horn?"  とは? 

”have the horn”  は、辞書によると勃起するとの意味。

"To be or become lustful or sexually excited, especially of a man; to have an erection."

   The Free Dictionary

 

おなじく第11章、ブルーム家へ向かうボイランの馬車の場面に由来してる。

 

By Bachelor’s walk jogjaunty jingled Blazes Boylan, bachelor, in sun in heat, mare’s glossy rump atrot, with flick of whip, on bounding tyres: sprawled, warmseated, Boylan impatience, ardentbold. Horn. Have you the? Horn. Have you the? Haw haw horn.

(U222.527)

 

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90 (U54.432)

台所の窓辺で動揺しつつも笑みを浮かべた。

 

第90投。54ページ、432行目。

 

 

 He smiled with troubled affection at the kitchen window. Day I caught her in the street pinching her cheeks to make them red. Anemic a little. Was given milk too long. On the Erin’s King that day round the Kish. Damned old tub pitching about. Not a bit funky. Her pale blue scarf loose in the wind with her hair.

 

 台所の窓辺で動揺しつつも笑みを浮かべた。あの子が頬をつねって赤くしているのを街で見かけたことがあった。少し貧血気味。牛乳を長く飲ませすぎた。エリンズ・キング号でキッシュを周回したっけ。ひどいおんぼろ船はえらく上下した。あの子は全然平気。淡いブルーのスカーフが髪と一緒に風になびく。

 

第4章.ブルーム家の朝、ブルーム氏は、娘のミリーから届いた手紙を読んだところ。ミリーは昨日15歳になったばかりで家を離れて働いている。

 

牛乳を乳児期に与えると貧血になりやすいということが昔から知られている。

 

牛乳にはカルシウムとリンが含まれていますが、カルシウムとリンと鉄が結合して複合体をつくり腸での鉄吸収がおさえられるという。鉄分は、赤血球に含まれるヘモグロビンを生みだすのに欠かせない成分であり、血液中のヘモグロビンが下がることで貧血となってしまうとのこと。

 

ブルーム氏は、娘と蒸気船エリン・キングズ号に乗って、キッシュの灯台船まで行ったことを思い出している。

 

エリンズ・キング号については、IRELAND'S SAILING, BOATING & MARITIME MAGAZINE に記事があった。

 

  • エリンズ・キング号は、もともとヘザー・ベル号(Heather Bell)という名前の蒸気船で、1865年リバプールで建造された。英国のワラシー(Wallasey)市の保有で、ワラシー、リバプール間を結ぶフェリーとして使われていた。

  • 1891年、950ポンドで個人に売却され、エリン・キング号と改名。ダブリン湾の観光周遊船として運行されるようになった。

  • その周遊航路は、ダブリンの税関河岸 (Custom's House Quay)  を発着しキッシュの灯台船を巡るものだった。

  • 1900年に解体されている。

 

小説の現在は1904年であり、ブルームとミリーが出かけたのは1900年以前ということになるが、いつのことか、小説からは分からない。

 

ダブリン沖にはキッシュバンクと呼ばれる砂州があり、船舶の難破の危険性があるため、1811年より灯台船 (lightship)が設置されていた。灯台船は、灯台の役割をする船。灯台を建設するには水深が深すぎる場所で使用され、海上交通路を示す。1965年には灯台が建設され、灯台船から役目を引き継いだ。

                             

        キッシュの灯台

https://coastmonkey.ie/kish-lighship/

 

“tub” にはいろいろな意味がある。ここは  “a slow-moving, clumsy ship or boat”(Collins dictionary)の意味だろう。

 

エリンズ・キング号は廃船間際の第2の人生なのだから整合する。

 

とすると ”pitch” は「縦揺れ」。

 

“funky” もいろんな意味があるが、つながりからいうと「おびえる」の意。

 

ミリーとエリンズ・キング号に乗ったことは、ブルーム氏の幸せな思い出で、このことを今日何度も思い出すことになる。

 

第8章、エリンズ・キング号からカモメにケーキを投げたことを思いだす。

 

He threw down among them a crumpled paper ball. Elijah thirtytwo feet per sec is com. Not a bit. The ball bobbed unheeded on the wake of swells, floated under by the bridgepiers. Not such damn fools. Also the day I threw that stale cake out of the Erin’s King picked it up in the wake fifty yards astern. Live by their wits. They wheeled, flapping.

(U125.60)

 

第13章.灯台守に古新聞を投げてやったことを思いだす。

 

He lay but opened a red eye unsleeping, deep and slowly breathing, slumberous but awake. And far on Kish bank the anchored lightship twinkled, winked at Mr Bloom. Life those chaps out there must have, stuck in the same spot. Irish Lights board. Penance for their sins. Coastguards too. Rocket and breeches buoy and lifeboat. Day we went out for the pleasure cruise in the Erin’s King, throwing them the sack of old papers. Bears in the zoo.

(U310.1184)

 

第15章.ブルームのミイラが落下する海を、エリンズ・キングズ号が航行する。

 

THE DUMMYMUMMY: Bbbbblllllblblblblobschbg!

 (Far out in the bay between Bailey and Kish lights the Erin’s King sails, sending a broadening plume of coalsmoke from her funnel towards the land.)

(U449.3382)

 

第16章.船乗りとの会話で、キッシュの灯台船のあたりで海が荒れ船が揺れたことを思いだす。

 

…the Irish lights, Kish and others, liable to capsize at any moment, rounding which he once with his daughter had experienced some remarkably choppy, not to say stormy, weather.

(U515.650)

 

ブルーム氏にとって、娘のミリーや13章のガーティーたち少女は浜辺、海と結びついている。

 

そしてエリンズ・キング号は、娘との思い出であるとともに、モノの投下と、上下揺れの運動に結びついている。

 

ヘザー・ベル時代のエリンズ・キング号

Photograph of Heatherbell, Borough of Wallasey | National Museums Liverpool (liverpoolmuseums.org.uk)

 

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89 (U437.3009)

ベロ:(ガハハと笑い)まったく見ものだぜ、こりゃ。

 

第89投。437ページ、3006行目。

 

 BELLO: (Guffaws.) Christ Almighty it’s too tickling, this! You were a nicelooking Miriam when you clipped off your backgate hairs and lay swooning in the thing across the bed as Mrs Dandrade about to be violated by lieutenant Smythe-Smythe, Mr Philip Augustus Blockwell M. P., signor Laci Daremo, the robust tenor, blueeyed Bert, the liftboy, Henri Fleury of Gordon Bennett fame, Sheridan, the quadroon Croesus, the varsity wetbob eight from old Trinity, Ponto, her splendid Newfoundland and Bobs, dowager duchess of Manorhamilton. (He guffaws again.) Christ, wouldn’t it make a Siamese cat laugh?

 

 ベロ:(ガハハと笑い)まったく見ものだぜ、こりゃ。おまえは魅力的なミリアムだったろうよ。尻の毛を刈り取ってベッドに卒倒しているさまは。ミス・ダンドレイドをまさに乱暴しようとする、スマイス=スマイス中尉、フィリップ・オーガスタス・ブロックウェル議員、逞しいテノール、シニョール、ラチ・ダレモ、エレベーターボーイ、青い目のバート、ゴードン・ベネット杯の盛名ヘンリー・フルーリー、4分の1混血の富豪、トリニティーカレッジのエイト艇競技選手シェリダン、彼女の素晴らしいニューファンドランド犬、ポント、マナーハミルトン公爵未亡人ボブズ。(ガハハ)まったく、おヘソでお仙が茶を沸かすぜ。

 

第15章。娼館の女主人、ベラ・コーエンが男性化しベロに、ブルーム氏は女性に変身している。

 

ブルーム氏は約10年前の1895年ごろ古着の売買や貸衣装の商売をしていて、シェルボーン・ホテルで、ミリアム・ダンドレイドから、古着や黒い下着を買ったことがある。

 

O yes! Mrs so Miriam Dandrade that sold me her old wraps and black underclothes in the Shelbourne hotel. Divorced Spanish American. Didn't take a feather out of her my handling them. As if I was her clotheshorse. Saw her in the viceregal party when Stubbs the park ranger got me in with Whelan of the Express.

(U132.350)

 

ブルーム氏はミセス・ダンドレイドの下着で女装したことがあることがほのめかされていて、ベロのセリフにつながっている。

 

ベロが列記しているのは、ミセス・ダンドレイドの恋人か「客」らしき架空の人物名。

 

人名の意味にはあまり深みはないよう。

 

Laci Daremoは イタリア語 "Là ci darem la mano"「お手をどうぞ」をもじっている。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』(第1幕第9場)でドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘う二重唱で、ブルーム氏の妻モリーが、不倫相手ボイランの興行する演奏旅行で歌う予定の曲。

 

ゴードン・ベネット・カップ (Gordon Bennett Cup) は、1900年から1905年にかけて6度開催された国別対抗自動車レース。「ニューヨーク・ヘラルド」の社主で、パリ在住の大富豪であったジェイムズ・ゴードン・ベネット・ジュニア (James Gordon Bennett Jr.) の発案により創設。小説の現在、1904年6月16日の翌日ドイツで開催された。

 

Henri Fleuryはブルーム氏がマーサ・クリフォードとの秘密の文通で使っている偽名Henry Flowerのもじり。

 

シャム猫も笑うんじゃないか」“Christ, wouldn’t it make a Siamese cat laugh?” は「猫も笑うほど」“It is enough to make a cat laugh.” というフレーズを変形しており、これは「とんでもなく可笑しい」の意味。

 

英国人ブランドン・トーマス(Brandon Thomas)作の笑劇『チャーリーの叔母さん』(Charlie's Aunt)の1893年ブロードウェイ公演の広告に由来するフレーズという。

 

歌舞伎・御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)から「お臍でお仙が茶を沸かす」を持ってきた。

 

『チャーリーの叔母さん』のシドニー公演の広告( Everuone誌 1931年)

 “enough to make a cat laugh.”の文字が見える。

Vol.12 No.576 (4 March 1931) (nla.gov.au)

 

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