Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

159(U240.26)ー チキン小路の謎

―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

第159投。240ページ、16行目。

 

 —What are you doing round those parts? says Joe.

 

 —Devil a much, says I. There’s a bloody big foxy thief beyond by the garrison church at the corner of Chicken lane—old Troy was just giving me a wrinkle about him—lifted any God’s quantity of tea and sugar to pay three bob a week said he had a farm in the county Down off a hop-of-my-thumb by the name of Moses Herzog over there near Heytesbury street.

 

 —Circumcised? says Joe.

 

 ―こんなとこで何してんだい。ジョーが言う。

 

 ―てんてこ舞いよ。と俺が言う。とんでもねえ泥棒猫がいてよ、あっちの駐屯地教会のそばチキン小路の角だって、トロイ爺さんから裏ネタを仕入れたんだけれど、週に3ボブ支払うとかダウン郡に農場を持ているとかいって紅茶や砂糖をしこたま巻き上げやがったんだ、モーゼス・ハーツォグとかいう親指小僧からよ、向こうのヘイツベリー通りのあたりに住んでるやつさ。

 

 ー割礼の民かい。ジョーが言う。

 

第12章の冒頭近く。午後5時ごろ。新聞記者のジョー・ハインズが、この章の語り手である、わたし “I” に声をかけたところ。

 

ハインズは、ブログの第122回でふれたとおり、シティーアームズホテルで開催された畜牛業者の口蹄疫に関する集会に取材に行った帰りで、ストーニー・バター通り(Stony Batter)を南下してきた。

 

語り手はアーバー・ヒル通り(Arbour Hill)の角にいるらしい。

 

語り手は借金の取り立て屋らしく、情報をあつめている。彼のターゲットである債務者はこのすぐあとに続くパロディ断章によれば、ガーラティ(Geraghty)という男で住所はアーバー・ヒル通り29番地、つまり確かに駐屯地教会のそばである。

 

 For nonperishable goods bought of Moses Herzog, of 13 Saint Kevin’s parade in the city of Dublin, Wood quay ward, merchant, hereinafter called the vendor, and sold and delivered to Michael E. Geraghty, esquire, of 29 Arbour hill in the city of Dublin, Arran quay ward, gentleman, hereinafter called the purchaser,

(U240.33-)

 

 語り手

▂▂ ジョー・ハンイズ

〇 駐屯地教会

▲   ガーラティ氏の住所

▂▂ アーバー・プレイス

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

 

語り手のいうチキン小路(Chicken Lane)を調べてみたが当時(1904年)近辺の地図には見つからない。さらに昔の地図をみていくと1847年の地図にチキン小路の名があった。現在のアーバー・プレイス(Arbour Place)のことのようだ。チキン小路はどうも駐屯地教会のそばの道(上の地図の黄緑色で示した道)ではない。

 

▂▂ チキン小路

Ordnance Survey Ireland City of Dublin : sheet 13 (1847)

 

ちなみに、集英社版邦訳の注釈、つまりGiffordの注釈もチキン小路の場所について理解を間違っていて、黄緑で示した道と考えているようだ。

 

どうしてわざわざチキン小路という分かりにくい地名を持ち出しながら、間違ったことを言わしているだろうか。作者の意図が分からない。”foxy thief”(=狐のように狡猾な盗人、ここでは泥棒猫と訳した)の縁語として獲物の鶏(chicken)を掛けた冗談なのだろうか。

 

債権者であるハーツォグ氏の住所も先に引用した一節では、セント・ケヴィン通り13番地となっており、語り手のいうヘイツベリー通りではない。ヘイツベリー通りに近いといえば近いのだが。そういうわけで、語り手のいうことはなぜか少しづつ間違っている。

 

”Circumcised” というのは、「割礼した」ということで「ユダヤ人」という意味。ハインズは、「モーゼス・ハーツォグはユダヤ人かい」と聞いているということになる。

 

河出書房新社版の訳者の柳瀬さんによると、この章の語り手は「犬」という説で、ハインズは語り手のいう(吠える)ことが分からないまま一方的に話しかけているという解釈になる(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)。それでは、ジョーはなぜ突然ユダヤ人か?と聞いているのか。ここは犬説では少々無理があるような気がする。

 

駐屯地教会(garrison church)は、アーバー・ヒル拘置兵舎(現在はアーバー・ヒル刑務所)に付随する駐屯地礼拝堂のことで、現在はアーバー・ヒルの「聖心教会」 “The Church of the Sacred Heart”と呼ばれる。

 

アーバー・ヒル聖心教会

"THE CHURCH OF THE SACRED HEART [ARBOUR HILL DUBLIN 7]-158525" by infomatique is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

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