Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

139(U249.417)

ーおや、なんてこった。手紙を一通読んだジョウが言う。

 

第139投。249ページ、417行目。

 

 —O, Christ M’Keown, says Joe, reading one of the letters. Listen to this, will you?

 

 And he starts reading out one.

 

7 Hunter Street,

Liverpool.

 

   To the High Sheriff of Dublin,

                    Dublin.

 

Honoured sir i beg to offer my services in the abovementioned painful case i hanged Joe Gann in Bootle jail on the 12 of Febuary 1900 and i hanged...

 

 —Show us, Joe, says I.

 

 —... private Arthur Chace for fowl murder of Jessie Tilsit in Pentonville prison and i was assistant when...

 

 —Jesus, says I.

 

 —... Billington executed the awful murderer Toad Smith...

 

 The citizen made a grab at the letter.

 

 —Hold hard, says Joe, i have a special nack of putting the noose once in he can’t get out hoping to be favoured i remain, honoured sir, my terms is five ginnees.

 

   Rumbold,

              Master Barber.

 

 ーおや、なんてこった。手紙を一通読んだジョウが言う。まあ聞いてくれよ。

それを読み上げた。

 

リヴァプール

ハンター通7番地

 

    ダブリン

    ダブリン県執行長官殿

 

光栄なる閣下 私義前述の痛ましき事案にご奉仕つかまつりたく存じます私1900年2月12日にブートル監獄にてジョウ・ガンの絞首刑を執行いたしました、また…

 

 ―見せてくれよ、ジョウと、俺がいう

 

 ―…ジェシー・ティルシットを惨殺したアーサー・チェイス兵卒の絞首刑をペントンヴィル刑務所にて執行いたしました、また…

 

 ―まじかよ、と俺。

 

 ―…恐るべき殺人犯、ガマ・スミスをビリントンが執行するのを手伝いました…

 

市民が手紙をひっつかもうとした。

 

 ―渡さねえ、とジョウ。いったん首つり縄に通したら二度とぬけない秘決を有しておりますご用命いただけますよう、光栄なる閣下、料金は5ギニーにて候。

 

   ランボールド

       理髪士

 

 

第12章。舞台は、バーニー・キアナンの酒場。語り手、新聞記者のジョウ・ハインズ、「市民」というあだ名の民族主義者、アルフ・バーガンらの面々が飲みながら会話している。

 

ジョウが、アルフ・バーガンが持っていた死刑執行人の手紙を読み上げている場面。

 

アルフ・バーガンはブログの第45回でふれたように、副執行官(Sub sheriff)ロング・ジョン・ファニングの下役。執行官(Sheriff)は裁判所の命令や法の執行などの職務を遂行する政庁の役人のこと。

 

バーガンが死刑執行人の手紙を持っている話の元になったのは以下の実話という。

 

ジョン・ジョイスジョイスの父親)の友達のアルフレッド・バーガンはクランシー(ロング・ジョン・ファニングのモデルになった人物)の補佐をしていたが、バーガンはジョン・ジョイスに、クランシーの奴は絞首刑執行の時、勇気がなくてロンドンに行ってしまい、同じく気の進まない自分に準備を押しつけやがった、と笑った。バーガンは絞首人の広告を出したのだろう。アイルランドでの休日の帰りにこの仕事に応募したビリントンというイギリス人の床屋の手紙を彼は受け取ったが、それには、縄を締め、引っ張る時の技術が詳細に書かれていた。

(P.49 リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年。カッコ内は筆者が補ったもの。)

 

ついでに、手紙に出てくる人物についての解説。

 

ブログの第39回で触れた話。ジョイスチューリヒ時代、1918年のこと。彼は俳優のクロード・W・サイクスと「イギリス俳優劇団」”The English Players”を立ち上げた。ジョイスは英国領事館に劇団の承認を求めたが当時の英国総領事A・パーシー・ベネットは偉そうな態度で対応した。また、ジョイスは劇の主役に、領事館の職員で元英国高地連隊のヘンリー・カーを抜擢。ところが公演後、カーとジョイスは出演料やチケット代の件でもめることになる。領事館を訪れたジョイスはカーに罵倒され、訴訟沙汰となる。

 

その時、領事館にいたカーの同僚の館員が、スミスとガン。ベネット、スミス、ガンは裁判で原告のジョイス側から証人申請がなされたが出廷を拒否した。(P.550 同前書)ずんぐりして醜いスミスのことをジョイスはいつも「がま」(Toad)と呼んでいた。(P.570 同前書)

 

今回の手紙で絞首刑にされている、ジョウ・ガン、トード・スミスの名前はここからもってきている。

 

ジョイスは、同年、スイス、ベルンの駐在公使である英国人ホーレス・ランボールド卿にベネットが「イギリス俳優劇団」を排斥しているとの訴えの手紙を送ったが良い返事をもらえず恨みをもった。(P.557 同前書)

 

手紙の主である、死刑執行人の名前はここからもってきている。

 

さて本文に戻って。

 

“O, Christ M’Keown” はこういう言いまわしがあるのかは検索しても不明。 “O Jesus Christ” と同じことと思うが。

 

“High sheriff”は、英国で州(countyやshire)の執政長官だが、執行官(Sheriff)とは異なり、さまざまな行事を運営する無給の名誉職のようだ。

 

“Honoured sir” というのは "Honourable sir" のまちがいか。無学な人の手紙との体裁となっている。ほかにも、foul (卑劣な) をfowl (家禽) に、knack (秘訣) をnackに、guineas (ギニー) をginneesに間違えている。

 

ブートル監獄 (Bootle jail) は検索したかぎり実在の監獄か不明。ブートルはリヴァプールの北に接する都市。

 

ペントンヴィル刑務所 (Prison Pentonville) は、1842年に完成したロンドン近郊の刑務所で現存する。

 

ジェームズ・ビリントン(James Billington、1847年- 1901年)は、イギリス政府に雇われた有名な絞首刑執行人で1884年から1901年まで職務を勤めた。実際にバーガンに手紙を書いた人物はこのビリントンなのだらうか。

 

ペントンヴィル刑務所

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