Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

93 (U331.773)

いやまったく横道にそれますが。

 

第93投。331ページ、773行目。

 

But indeed, sir, I wander from the point. How mingled and imperfect are all our sublunary joys. Maledicity! he exclaimed in anguish. Would to God that foresight had but remembered me to take my cloak along! I could weep to think of it. Then, though it had poured seven showers, we were neither of us a penny the worse. But beshrew me, he cried, clapping hand to his forehead, tomorrow will be a new day and, thousand thunders, I know of a marchand de capotes, Monsieur Poyntz, from whom I can have for a livre as snug a cloak of the French fashion as ever kept a lady from wetting.

 

いやまったく横道にそれますが。この世の喜びとはなんと不純にして不全なのでせう。烏滸なるべし、悔恨のあまり声をあげ、もし先見の明あらばわが外套を携帯せしものを。思うだにうち嘆かれる。さらば我ら七度雨に降られやうと微塵も濡れざらまし。愚かなるかな、額を手で打ち声高に、覆水盆に返らず、雷様よ、ムッシュー・ポインツなる舶来雨具商を知りたる故、淑女を雨より守る按配至極のフランス風外套をば1ルーブルにて購い得たものを。

 

第14章。舞台は、国立産科病院の談話室。スティーヴンとブルーム氏、医学生らが飲食し談笑している。スティーヴンの同居人マリガンは、マリンガ―からダブリンに帰ってきた友人アレック・バノン(Alec Bannon)と道で会い、いっしょにここへ入って来た。そのバノンの発言の一節。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所は、長編小説『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』で有名な18世紀英国の小説家ローレンス・スターン(Laurence Sterne, 1713 - 1768)の作品『センチメンタル・ジャーニーA Sentimental Journey through France and Italy(1768年)の文体のパロディという。これは、何度かフランスを旅をした作者の見聞をもとにした紀行文。

 

ブルーム氏の娘のミリーは15歳になったばかりだが、ウェストミーズ州(Westmeath)のマリンガ―(Mullingar) の写真館に住み込みで働いている。そしてバノンはミリーと付き合っている。

 

ティーヴンと同居のヘインズとマラカイ・マリガンの会話

 

 —Is the brother with you, Malachi?

 —Down in Westmeath. With the Bannons.

 —Still there? I got a card from Bannon. Says he found a sweet young thing down there. Photo girl he calls her.

 —Snapshot, eh? Brief exposure.

(U18.682)

 

ブルーム氏宛てのミリーの手紙の一節。

 

There is a young student comes here some evenings named Bannon his cousins or something are big swells・・・

(U54,407)

 

"Maledicity!" という語は調べたが分からない。"maledict" は、「危害を願う、呪われている」という意味なので、「呪われよ」“Curse it!” というくらいの意味か。

 

"Wóuld to God that …”  は文語文で「…であればなあ(if only)」。

 

"cloak" はマント、外套だが、ここはコンドームのことを遠回しに指している。

 

"Tomorrow is another day." は「明日は明日の風が吹く」だが「起こったことを後悔をしても仕方ない」との意味かと。覆水盆に返らずと訳した。

 

”thousand thunders” も辞書に載っていない。“by thunder!” とおなじで「まあ!、本当に!、まったく!、こん畜生」という感じかと。現在外は雷雨のようなので、雷が鳴ったのかもしれない。

 

"capote" はフランス語。①フード付きの軍用コート.②コンドーム、の意味がある。先の cloak とおなじく、裏の意味としてコンドームを指している。

 

知られているように、コンドームのことをイギリスでは「フランスの手紙」”French letter” といい、フランスでは「イギリスのコート」"capote anglaise"という。

 

この一節は、結局、「バノンが、コンドームを持ってたらミリーと関係を持てたのに、持っていなくて残念だったと悔やんでいる」ということを言っていると思われる。

 

ブルーム氏はここに同席しているが、この男がバノンで、つきあっているのが自分の娘であることに気づいていない。

 

さて、スターンの文章とはどういうもののか。『センチメンタル・ジャーニー』をパラパラ見てみた。下の一節など、本ブログの箇所に雰囲気が最も近そう。

 

さて僧侶やソルボンヌの博士たちがこの橋に對して難じ得る最大の缺點とはつぎのようなことである、パリーの内外にほんのさっと風が吹きすぎてさえ、この橋上では、全市のいかなる風の通い路でより一そう神をおそれぬ口調で、sacre dieu (えい、こん 畜生め!) と罵聲が發せられる ― いや、先生方がそう仰せられるのもご尤も至極なこと、garde d’eau (水にご用心!) との挨拶もなしに風は眞向から吹きつける、それも全く思いもかけずぱっと吹きつける。そこで、たまたま帽子をかぶってこの橋を渡るような者は、二リーヴル半ば充分する帽子を危險にさらさずにすむのは五十人に一人もない。

スターン「斷款 パリー」『センチメンタル・ジャーニー松村達雄訳(岩波文庫、1952年)

 

The worst fault which divines and the doctors of the Sorbonne can allege against it is, that if there is but a capfull of wind in or about Paris, ’tis more blasphemously sacre Dieu’d there than in any other aperture of the whole city,—and with reason good and cogent, Messieurs; for it comes against you without crying garde d’eau, and with such unpremeditable puffs, that of the few who cross it with their hats on, not one in fifty but hazards two livres and a half, which is its full worth.

Laurence Sterne, THE FRAGMENT PARIS, A Sentimental Journey through France and Italy

 

フランスの紀行なので、フランス語を交えるところは似ている。今回のブログの箇所にでてくる特殊ないい回しをスターンの作品中に検索してみたが、ほとんど使われていない。語彙や文体などはそれほど似ていないように思う。

 

岩波文庫の訳者解説にこうあった。

 

「最後にスターンの獨自性は何よりその文體に表れている。・・・外界の事物が人間の心理に投ずる微妙な陰翳や屈折に直接的であり親近であろうとするその表現は、非常に暗示的で、内面的な流動性に富んでいる。そしてこれが外形的にはおびただしいダッシュの使用、ピリオドの節約、會話體と地の文の融合など、獨自の文體となっている。」

 

会話文にダッシュを使用することや、会話と地の文の融合は、ジョイスの小説一般に共通する手法なので、これはスターンの影響があるのかもしれない。

  

       

          ローレンス・スターン(Laurence Sterne)

Joseph Nollekens | Laurence Sterne (1713–1768) | British | The Metropolitan Museum of Art (metmuseum.org)

 

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