Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

155(U529.1263) ー マッキントッシュの男

L.ブーム氏(不正確な記述に従うならば)

第155投。529ページ、1263行目。

 

 Nettled not a little by L. Boom (as it incorrectly stated) and the line of bitched type but tickled to death simultaneously by C. P. M’Coy and Stephen Dedalus B. A. who were conspicuous, needless to say, by their total absence (to say nothing of M’Intosh) L. Boom pointed it out to his companion B. A. engaged in stifling another yawn, half nervousness, not forgetting the usual crop of nonsensical howlers of misprints.

 

 L.ブーム氏(不正確な記述に従うならば)が少なからぬ不愉快と同時に極度の愉快を覚えたのは滅茶苦茶な活字の列に、C.Pマッコイと文学士スティーヴン・デッダラスの名が顕著に認められたからで、言うまでもなく彼らはいささかも参列しておらず(マッキントッシュ氏は何をかいわんや)、L.ブーム氏は、半ば気をつかってあくびをこらえていた同席の文学士氏にそれを指し示してやった、もちろん意味をなさないとんでもない誤植の羅列のことも。

 

 

 

第16章。夜中の2時過ぎ。ブルーム氏とスティーヴンは馭者溜まりの建物の中にいる。ブルーム氏はたまたまそこにあった夕刊『テレグラフ』紙を手に取った。ここの一節は、今日の午前に行われた友人のディグナム氏の葬儀の記事を読んでいるブルーム氏を描写している。彼も葬儀に参列したのだ。ここで "Bloom" が "Boom" になっている理由は後述します。

 

この章の文章は、例によって、屈折して冗長、凝った言い回しと難しい単語を使用し、不透明な内容となっている。

 

下はここの少し手前のところで、記事で報告されている参列者を読んでいるブルーム氏の心中の声。斜字体は記事そのもので普通の字体は彼の思考。

 

The mourners included: Patk. Dignam (son), Bernard Corrigan (brother-in-law), Jno. Henry Menton, solr, Martin Cunningham, John Power, eatondph 1/8 ador dorador douradora (must be where he called Monks the dayfather about Keyes’s ad) Thomas Kernan, Simon Dedalus, Stephen Dedalus B. A., Edw. J. Lambert, Cornelius T. Kelleher, Joseph M’C Hynes, L. Boom, C P M’Coy,—M’Intosh and several others.

(U529.1255)

 

ここに書かれている参列者は

①パトリック・ディグナム(故人の息子)

②バーナード・コリガン(故人の義理の兄弟)

③ジョン・ヘンリー・メントン

(Jno.はミスタイプでなくJohnの短縮形とのこと。知らなかった。しかしなぜそうなるのかは検索しても不明だった。)

④マーティン・カニンガム

⑤ジョン・パワー

※“eatondph 1/8 ador dorador douradora” 

(これは新聞の印刷ミス。ブルーム氏が、とんでもない誤植といっているのはこれだろう。この誤植については『「ユリシーズ演義』(P.416  川口喬一著  研究社 1994年)に解説がある)

⑥トマス・カーナン

⑦サイモン・デッダラス

⑧スティーヴン・デッダラス

エドワード・ランバート

⓾コーネリウス・ケラハー

⑪ジョゼフ・ハインズ(この記事を書いた新聞記者)

⑫L.ブーム(ブルームの誤記)

⑬C.P.マッコイ

マッキントッシュ

その他

 

L.ブーム

 

今回ブログの個所で "Bloom" が "Boom" になっているのるのは、新聞記事で "Boom" と誤記されていることから、話者(だれか分からないが)がからかっているのだろう。

 

ブルーム氏が面白がっているように、スティーヴンとマッコイは参列していないのに記事には参列者とされている。

 

C.P.マッコイ

 

マッコイが記載さているのには理由がある。

 

まず、第4章、葬儀の前に、ブルーム氏は街角でマッコイに会っている。マッコイはブルーム氏に自分は葬儀に行けないが、いったことにしといてくれと頼まれてる。

 

 —Tell you what, M’Coy said. You might put down my name at the funeral, will you? I’d like to go but I mightn’t be able, you see. There’s a drowning case at Sandycove may turn up and then the coroner and myself would have to go down if the body is found. You just shove in my name if I’m not there, will you?

(U62.169―)

 

第6章、葬儀の場面で、ブルーム氏は記者のハインズに、葬儀の記事にマッコイも載せておいてくれと頼んでいる。

 

 Hynes jotting down something in his notebook. Ah, the names. But he knows them all. No: coming to me.

 —I am just taking the names, Hynes said below his breath. What is your christian name? I’m not sure.

 —L, Mr Bloom said. Leopold. And you might put down M’Coy’s name too. He asked me to.

 —Charley, Hynes said writing. I know. He was on the Freeman once.

(U92.878―)

 

そのあと、ハインズは、「あの参列者はだれ」とブルーム氏に聞き、ブルーム氏は「マッキントッシュの雨外套を来た人のことだね」と受けたのを、ハインズはマッキントッシュという姓の男だと誤解する。それで記事にはマッキントッシュ氏(M’Intosh)と書かれたのだ。だから雨外套を着た男はその場にいたが、「マッキントッシュ氏」という人は参列していないのだ。

 

 —And tell us, Hynes said, do you know that fellow in the, fellow was over there in the...

 He looked around.

 Macintosh. Yes, I saw him, Mr Bloom said. Where is he now?

 —M’Intosh, Hynes said scribbling. I don’t know who he is. Is that his name?

 He moved away, looking about him.

 —No, Mr Bloom began, turning and stopping. I say, Hynes!

(92.891―)

 

マッキントッシュ

 

さてマッキントッシュを着た男とはだれかという問題。

これはこの小説でもっとも有名な謎となっている。

 

まず、マッキントッシュの雨外套について。

 

これはスコットランドの化学者チャールズ・マッキントッシュ(Charles Macintosh, 1766 - 1843)により開発され1824年に初めて発売されたゴム入り繊維で作られるレインコートである。この呼び名は開発者にちなんだものだ。この小説では“macintosh”とつづられるが、商品名としては "k" を補った "mackintosh" の形でつづられることが一般的となっている。

 

チャールズ・マッキントッシュの肖像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Charles_Macintosh.jpg

 

この雨外套を着た男は、この小説に何度も登場する。それを一応拾ってみよう。

 

①第6章 

ディグナムの葬儀に、見知らぬ人物が参列している。ブルーム氏は「あのマッキントッシュを着たひょろっとしたやつは誰だろう。」(Now who is that lankylooking galoot over there in the macintosh?)と疑問に思う。ブルーム氏はそいつを13人目の参列者と勘定する。“The chap in the macintosh is thirteen.”

 

先に引用したように。記者のハインズはブルーム氏にそいつが誰なのか尋ねて、彼をマッキントッシュ氏(M’Intosh)誤解しメモする。

 

今日、6月16日は、夜には雷雨があるものの、午前は晴れていて蒸し暑い。雨外套を着ている人物というのは不審だ。

 

②第10章 

ロウア―マウント通りで、茶色のマッキントッシュを着た歩行者が乾いたパンをかじりながら総督行列の前を横切る。

“In Lower Mount street a pedestrian in a brown macintosh, eating dry bread, passed swiftly and unscathed across the viceroy's path.”

 

③第11章

オーモンドホテルで食事をした後、「街角でブルーム氏は、墓地にいたあいつは誰だったのだろう、茶色のマッキン(macin)」“Wonder who was that chap at the grave in the brown macin“.O, the whore of the lane!" と、ふと想起する。

 

④第12章

バーニー・キアナンの酒場。この章の会話部分に挟まれるいくつものパロディ断章のひとつに、「茶色のマッキントッシュの男は亡き婦人を愛す」“The man in the brown macintosh loves a lady who is dead.”とのフレーズがでてくる。

 

⑤第13章

ブルーム氏は、サンディマウントの海岸で、見知らぬ男をみたのをきっかけに「今日、墓地にいた茶色のマッキントッシュを着たやつはだれだろう」“And that fellow today at the graveside in the brown macintosh.”とまた想起する。

 

⑥第14章

バークの酒場を出たスティーヴン、ブルーム氏と医学生との会話。誰がが「おや向こうにいるマッキントッシュを着たやつは誰だい」“Golly, whatten tunket's yon guy in the mackintosh?”という。(mackintosh―ここはなぜかkが入っている)

 

おそらくブルーム氏が言ったらしい「今日の葬式で彼をみたって」“Seen him today at a runefal?”

 

⑦第15章

幻想場面。ブルーム氏が市長として君臨している。茶色のマッキントッシュを着た男が落とし戸から現れる。“A man in a brown macintosh springs up through a trapdoor.”

 

男はブルーム氏に対して「あいつはレオポルド・マッキントッシュという名うての放火魔だ。」“That man is Leopold M'Intosh, the notorious fireraiser.”と指弾する。

 

これに対しブルーム氏は「彼を撃て。キリスト教徒の犬め。マッキントッシュを片付けろ」“Shoot him! Dog of a christian! So much for M'lntosh!”という。

 

Lipoti Virag, basilicogrammate, chutes rapidly down through the chimneyflue and struts two steps to the left on gawky pink stilts. He is sausaged into several overcoats and wears a brown macintosh under which he holds a roll of parchment.

 

やはり幻想場面でブルーム氏の祖父、リポディ・ヴィラ―グが茶のマッキントッシュを着て煙突から降りてくる。“He is sausaged into several overcoats and wears a brown macintosh under which he holds a roll of parchment.”

 

⑧第16章

今回の個所。ブルーム氏は新聞に掲載されたディグナムの葬儀の記事にマッキントッシュ氏の名を認める。

 

⑨第17章

帰宅したブルーム氏、脱いだ衣服を抱え歩きつつ、解決できなかった自己課題的謎とはなにか考える。その謎は「マッキントッシュ氏は誰か。」“Who was M’Intosh?”

 

見た通り、この問題は、この小説の他の多くの謎とは異なり、明示的に謎として提起されている。そもそも答えがあるのかさえ疑問であるが、マッキントッシュの男が誰なのかについては多くの論者により様々な説が提起されている。

 

例えば、小説家のナボコフは「「茶色の雨外套を着た男」というのは、作者自身を措いてほかにない。ブルーム氏は彼の創造主を垣間見ているのだ!」と書いている。

(『ナボコフの文学講義』野島秀勝訳、河出文庫、2013年)

 

これはブログの第30回で触れた「神と世界の創造」とパラレルにある「芸術家と創作世界の創造」という認識にマッチするので腑に落ちる。補うなら、神様とキリストが同一実体のであるように。マッキントッシュの男は作者ジョイス同一実体の(consubstantial)人物。

 

さらに第30回を見直して思ったのだが、ブルーム氏はそのマッキントッシュの男の姿に無意識のうちに亡き父の亡霊をみたのではないか。「ハムレットの父の亡霊がシェイクスピアである」というスティーヴンの説と並行するし、上の列記の④、⑦の内容とマッチする。新聞記事のリストには主人公であるブルーム氏とスティーヴィンの2組の父子が載っているのだ。

 

また、河出書房新社版の訳者である柳瀬尚紀氏は、2011年、『新潮』に第11章の訳を発表した際に解説で、雨外套の男は、第11章の「終わりに現れる娼婦だろう。男ではなく女。そしてその女とは、故ディグナム(略)の身内、おそらくは娘と思われる。」と述べている。

(『ユリシーズ航海記』河出書房新社、2017年)

 

柳瀬さんの奇説を詳しく知りたいところが、もはやそれは謎のままである。

 

 

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