Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

156(U379.993) ー 襟を握る法廷弁護士

(J.J.オモロイが低い台座に登り、厳かに上着の襟を握った。

第156投。379ページ、993行目。

 

 (J. J. O’Molloy steps on to a low plinth and holds the lapel of his coat with solemnity. His face lengthens, grows pale and bearded, with sunken eyes, the blotches of phthisis and hectic cheekbones of John F. Taylor. He applies his handkerchief to his mouth and scrutinises the galloping tide of rosepink blood.)

(J.J.オモロイが低い台座に登り、厳かに上着の襟を握った。彼の顔が長く伸び、青白くなり顎鬚が生えてきた。目が落ちくぼみ、結核性の斑点が現れ、骨ばった頬が紅潮したのは、ジョン・F・テイラーを思わせた。ハンカチを口にあてると、薔薇色の血があふれ出るのを仔細に見つめた。)

 

第15章、現実ではないことが幻想として展開する。ブルーム氏は罪を告発され裁判の場面となる。弁護士であるJ.J.オモロイが登場してブルーム氏の弁護をする。そのト書。

 

今日の昼、第7章の新聞社の場面では、編集長クロウフォード、弁護士のJ.J.オモロイ、編集委員のマッキュー先生、スティーヴン、レネハンが、「雄弁」について会話している。マッキュー先生が自分が聞いた一番雄弁な演説として引用したのがジョン・F・テイラーのものだった。

 

ジョン・フランシス・テイラー(John Francis Taylor  1853 - 1902)はスライゴー州出身の法廷弁護士、ジャーナリスト。若い頃はアイルランド共和主義同盟(IRB)のメンバーであったナショナリスト。1901年10月24日に法律学生弁論会でテイラーはアイルランド古来のゲール語の学習を支持する演説を行った。

 

マッキュー先生が挙げたのはこの演説がもとになっている。当時学生だったジョイスはこれを聞いている。(P.103 リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年)

 

マッキュー先生によると、テイラー氏は病気を押して出てきており、痩せて瀕死の人物に見えた。

 

 —Taylor had come there, you must know, from a sickbed. That he had prepared his speech I do not believe for there was not even one shorthandwriter in the hall. His dark lean face had a growth of shaggy beard round it. He wore a loose white silk neckcloth and altogether he looked (though he was not) a dying man.

(U116.816-)

 

レネハンが口をはさむ。テイラー氏は喀血し逝去したと。

—A—sudden—at—the—moment—though—from—lingering—illness—often—

previously—expectorateddemise, Lenehan added. And with a great future behind him.

(U118.873ー)

 

確かに演説の翌年にテイラー氏は死去しているが、検索したところでは、結核だったのかは分からない。

 

J.J.オモロイ氏は弁護士であり、第7章の場面にいたことから、今回のブログの場面ではテイラー氏に変身しているのだ。

 

テイラー氏の肖像を検索したがどうしても見つからない。

しかたなく襟をつかむ若者の肖像写真を掲げる

 

Unknown | [Young Man Holding Jacket Lapel] | The Metropolitan Museum of Art (metmuseum.org)

 

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