Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

41 (U102.253)

「森の巨木の天を葺く葉が憂愁の胸中に投げかける影のもと」

第41投。102ページ、253行目。

 

neath the shadows cast o’er its pensive bosom by the overarching leafage of the giants of the forest. What about that, Simon? he asked over the fringe of his newspaper. How’s that for high?

  —Changing his drink, Mr Dedalus said.

  Ned Lambert, laughing, struck the newspaper on his knees, repeating:

  —The pensive bosom and the overarsing leafage. O boys! O boys! 

 —And Xenophon looked upon Marathon, Mr Dedalus said, looking again on the fireplace and to the window, and Marathon looked on the sea.

 

「森の巨木の天を葺く葉が憂愁の胸中に投げかける影のもと」こりゃどうだい、サイモン。彼は新聞の縁越しに問いかけた。上等なもんじゃないか。

 ―酒肴を変えてきたな、デッダラス氏が言った。

 ネッド・ランバートは、笑って、新聞で両ひざを打ち、繰り返した。

 ―「尻を拭く葉と憂愁の胸中」。まいったね。まいったね。

 ―かくてクセノフォンはマラトンに臨む。デッダラス氏が、また暖炉を、そして窓へと目をやり、言った。かくてマラトンは海を臨む。

 

 

 新聞社フリーマン・ジャーナル社、同社の発行する「イブニング・テレグラム」の編集室。スティーヴンの父サイモン・デッダラス、ネット・ランバート、マクヒュー先生の会話。

 

今日のフリーマン・ジャーナル紙には昨晩ダン・ドーソンの行った修辞に満ちた愛国的演説が掲載されている。(U75.151)ランバートがその一節を読みあげているところ。

 

ダン・ドーソン(Charles Dan Dawson 1842-1917) はダブリン製パン会社 (Dublin Bread Company)の経営者。1882年、1883年にはダブリン市長を務め、小説の現在1904年には、ダブリン市の収税官(Collector of Rates)だった。

 

ドーソンはパン屋で、ランバート穀物商。ジョイスの父、ジョン・スタニスロース(つまりサイモンのモデル)は没落後、収税事務所に職を得ていた。彼等がドーソンをからかうのには、なんらかの背景があるのかもしれない

 

changing his drinkとはどういう意味か。

 

Giffordの注釈によると、「チャンポンで飲むと早く酔っ払う」との解釈。つまりサイモンは、ドーソンが酔っ払って詩的な文章を書いたな、と言っているとの理解。どうもしっくりこない。ネットで検索してみると、James Joyce Online Notes というサイトのJohn Simpson氏の記事に当たった。

 

この記事によるとこう。ドーソンはいつもは、世俗的で現実的な記事を書いているが、昨日の演説は調子の違う大げさで詩的なものだった。changing his drink という表現はジョイスの時代には演説や報道の場でよく使われていた一般的な表現で、「より刺激のある強い調子のものに変える」との意味ということである。これは腑に落ちる。

 

そこで「趣向を変える」と引っかけて「酒肴を変える」と訳した。

 

ランバートは、ドーソンの演説の、overarching(アーチをかける)という単語 overarsingともじってからかっている、これは単語中の arch を arse(尻)と置き換えたもの。どうして尻というのかというと、bosom(胸)に引っかけているわけだ。

 

ここは、「葺く」と「拭く」を掛けて訳した。

 

   Xenophon looked upon Marathon

   Marathon looked on the sea. 

は、バイロンの『ドン・ジュアン』(1819 - 1824)、第3曲中の「ギリシアの島々」から次の一節をもじっている。

 

   The mountains look on Marathon

      And Marathon looks on the sea;

   And musing there an hour alone,

      I dream'd that Greece might still be free;

   For standing on the Persians' grave,

      I could not deem myself a slave.

 

クセノフォン (前430頃~前354頃) は、古代ギリシアの軍人・歴史家。BC401年、クセノフォンはペルシア帝国のキュロス王の要請を受け、傭兵ととなり、ペルシア帝国内の内紛に介入して戦った。キュロス王は戦死し、ギリシア人傭兵部隊も危機に陥った。クセノフォンは傭兵を率いて小アジアを脱出した。

 

マラトンは、アテネ北東にある村。マラトンの戦い(BC490年)の舞台。マラトンの戦いとは第2次ペルシア戦争(BC490年)、マラトンに上陸したペルシア帝国のダレイオス1世が派遣した遠征軍を、アテネを中心としたギリシアのポリス連合軍が迎え撃ち勝利を収めた戦い。

 

クセノフォンとマラトンは関係ない。サイモンは、バイロンの詩が、ギリシアとペルシアのことを歌っているので、ギリシアとペルシアにかかわりのあるクセノフォンとマラトンをつなげて朗誦したのだと思う。

 

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Portrait of Lord Byron

File:Byron 1813 by Phillips.jpg - Wikimedia Commons

 

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