Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

133(U176.1086)

フレドリーヌ。銀貨を2枚貸してくれた。

第133投。176ページ、1086行目。

 

 Fraidrine. Two pieces of silver he lent me. Tide you over. Economics.

 

 —For a guinea, Stephen said, you can publish this interview.

 

 Buck Mulligan stood up from his laughing scribbling, laughing: and then gravely said, honeying malice:

 

 —I called upon the bard Kinch at his summer residence in upper Mecklenburgh street and found him deep in the study of the Summa contra Gentiles in the company of two gonorrheal ladies, Fresh Nelly and Rosalie, the coalquay whore.

 

 フレドリーヌ。銀貨を2枚貸してくれた。これでやりくりしな。経済学。

 

 ―1ギニーで、スティーヴンは言った。ここでした話を載せてもいいよ。

 

 可笑しな落書きをしていたバック・マリガンが立ち上がって笑い、悪意に糖衣をまぶして厳かに言った。

 

 ーわれ、アッパー・メクレンバーク通りの夏の別荘に詩人キンチをおとなえば、かれ、『対異教徒大全』を耽読してあり。2人の淋病病み女、フレッシュ・ネリーと石炭河岸の娼婦ロザリーを従えて。

 

第9章、図書館の場面。主人公のスティーヴン、副主任でエッセイストのジョン・エグリントン、副主任で学者のリチャード・ベスト、スティーヴンの友人バック・マリガンがシェイクスピアについて論議をしている。

 

フレッド・ライアン(Frederick Michael Ryan, 1873–1913)と共に、文学雑誌『ダーナ』を編集しているジョン・エグリントンがスティーヴンの論議を雑誌に掲載することに否定的意見を述べた後のスティヴンの心の声が1行目

 

フレッド・ライアンは 実在の人物で、社会主義者でジャーナリスト。DICTIONARY OF IRISH BIOGRAPHY に波乱に満ちた生涯について略歴がある。

 

フレドリーヌとはフレッド・ライアンのこと。スティーヴンは第2章でライアンに2シリング借りていることを想起している。銀貨2枚とはこの2シリングのこと。当時の2シリングは現在の価値では約8ポンド相当で約1450円。

 

 Mulligan, nine pounds, three pairs of socks, one pair brogues, ties. Curran, ten guineas. McCann, one guinea. Fred Ryan, two shillings. Temple, two lunches. Russell, one guinea, Cousins, ten shillings, Bob Reynolds, half a guinea, Koehler, three guineas, Mrs MacKernan, five weeks’ board. The lump I have is useless.

(U25.256)

 

1904年、ジョイスは、ヨーロッパ大陸行きにあたって、ライアンに1ポンド要求して10シリングもらったようだ。

(P.205 リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1996年)

 

また、同年、ジョイスは、エグリントンとライアンの『ダーナ』に「芸術家の肖像」と題した自伝的物語を送ったが掲載を拒否されている。

(P.164-167 ジェイムズ・ジョイス伝』)

 

1ギニーは、かつてイギリスで使われていた金貨。21シリング(1ポンドは20シリング)に相当する価値があった。「1971年の十進法移行までは医師や弁護士への謝礼、品物の鑑定料、土地、馬の取引等の名目単位として使われていた。」とある。Wikipedia.

原稿料もギニーで支払われたのだろう。

 

アッパー・メクレンバーク通りはダブリンの有名な娼館街の通りで、15章でスティーヴィンが訪れることになるベラ・コーエンの娼館はロウアー・メクレンバーク通りにある。

 

 

『対異教徒大全』(Summa contra Gentiles)は、中世イタリアの神学者、哲学者トマス・アクィナス(Thomas Aquinas、1225年頃 - 1274年)の著書で、イスラム教徒,ユダヤ教徒に対してキリスト教真理を弁証することを目ざした体系的大著。

 

ティーヴンはイエズス会系の学校で教育を受けておりトマスの神学に通じている。

 

ジョイスの弟、スタニスロース・ジョイス(John Stanislaus Joyce 1884 – 1955) の回想録によると、「対異教徒大全」は、スタニスロースが兄のための考えたエッセイのタイトルでの一つだった。マリガンのモデルであるオリバー・セント・ジョン・ゴガティがこの題で文章を書いたがジョイスはそれを切り取ったという。

 

定職をもたず、たぶんイェイツに言われてのことだと思うが、エッセイの題を私にも挙げさせた。私は五つ六つ並べた。「放蕩者」「スポーツマンの美」「芸術家の肖像」(略)「対異教徒大全」(当時ジムは『神学大全』を読んでいて、私はこの題だけ知っていたが、現代のエッセイにはこちらの方がいいと思った)、「世界を悩ます精液」(略)などを記憶している。題は並んだが、兄はその時は何も書かなかった。しかしゴガティは、「対異教徒大全」という題でエッセイを書くつもりだと話した。それから間もなくゴガティは、この題で文を書いて兄に見せた。兄は読むと、ページのいちばん上の題の書かれているところを折って筋をつけ、丁寧に破いて捨てた。

(P.283  スタニスロース・ジョイス『兄の番人』  宮田恭子訳、1993年、みすず書房)

 

ジョイスはこの出来事を踏まえて、ゴガティにこのセリフを言わせている。

 

   

リッポ・メンミによる『聖トマス・アクイナスの勝利』(1340年頃)

File:Lippo Memmi - Triumph of St Thomas Aquinas - WGA15020.jpg - Wikimedia Commons

 

中央のトマスの両サイドはプラトンアリストテレス。足下に横たわっているのは異教の哲学者アヴェロエス。2人の娼婦を従えたスティーヴンを描写するマリガンの頭にはこんな図像があったのかもしれない。

 

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