ゾーイ:(うれしそうに。)目が見ないものは心も嘆かない。
第134投。408ページ、2002行目。
ZOE: (Flattered.) What the eye can’t see the heart can’t grieve for. (She pats him.) Come.
BLOOM: Laughing witch! The hand that rocks the cradle.
ZOE: Babby!
BLOOM: (In babylinen and pelisse, bigheaded, with a caul of dark hair, fixes big eyes on her fluid slip and counts its bronze buckles with a chubby finger, his moist tongue lolling and lisping.) One two tlee: tlee tlwo tlone.
THE BUCKLES: Love me. Love me not. Love me.
ゾーイ:(うれしそうに)目が見ないものは心も嘆かない。(ぽんとたたいて)お入りよ。
ブルーム:笑う魔女だ。ゆりかごを揺らす手。
ゾーイ:赤ちゃん。
ブルーム:(産着を着てリネンにくるまれ、大きな頭に羊膜のように被さった黒い髪、彼女のなめらかなスリップを見つめ、ブロンズのバックルを丸ぽちゃの指で数える。濡れた舌をたらりと垂らしてたどたどしく。)ひとつ、ふたつ、みっりゅ。みっりゅ、ふりゃつ、ひりょつ。
バックル:愛してる、愛してない、愛してる。
第15章。夜中。ブルーム氏は酔っ払ったスティーヴンとリンチの2人を追って、娼館街へやってきた。ベラ・コーエンの娼館の前でのブルーム氏と娼婦のゾーイのやりとり。
ブルーム氏はゾーイに誘われるが、2人がいちゃつくと誰かが嫉妬するだろうという。それをうけてゾーイの台詞が1行目。
“What the eye can’t see the heart can’t grieve for” は、諺で「目が見ないものを心が悲しむことはない」つまり、気がつかれなければ平気との意。
ゾーイのいでたちは、サファイア色のスリップを3つのブロンズのバックルで留めて、黒いベルベットのリボンを首に巻いている。
BLOOM :A man's touch. Sad music. Church music. Perhaps here. (Zoe Higgins, a young whore in a sapphire slip, closed with three bronze buckles, a slim black velvet fillet round her throat, nods, trips down the steps and accosts him.)
(U387.1279)
3つのブロンズのバックルでとめるとはどういうことなのか。考えるとよくわからない。こんな感じのベルトで3段あるのを着けているということだろうか。
1947, wide Belts for Dior’s New Look
ブルーム氏の台詞、「笑う魔女」というのは、第4章、彼が便所で読んだ雑誌(ブログの116回)に掲載されていた小説、フィリップ・ポーフォイ作『マッチャムの離れ業』Matcham’s Masterstroke にあった一節。「マッチャムはしばしば思い出す、笑う魔女をうち負かした離れ業を」
Matcham often thinks of the masterstroke by which he won the laughing witch who now. Begins and ends morally. Hand in hand. Smart.
(U56.513)
『ユリシーズ』は、ホメロスの『オデュッセイア』のモチーフを基にしていて、『オデュッセイア』に登場する魔女キルケ―は、この15章の娼婦に対応している。
『マッチャム』の “Hand in hand.” のフレーズから「ゆりかごを揺らす手」“The hand that rocks the cradle.” につながったのか。「ゆりかごを揺らす手は世界を動かす」“The hand that rocks the cradle rules the world”というフレーズを、ブルーム氏は第11章の終わり、オーモンドホテルを出た後に想起している。
Gassy thing that cider: binding too. Wait. Postoffice near Reuben J's one and eightpence too. Get shut of it. Dodge round by Greek street. Wish I hadn't promised to meet. Freer in air. Music. Gets on your nerves. Beerpull. Her hand that rocks the cradle rules the. Ben Howth. That rules the world.
(U236.1180)
「ゆりかごを揺らす手は世界を動かす」は、スコットランド系アメリカ人ウィリアム・ウォレス(William Ross Wallace, 1819~1881)の詩「ゆりかごを揺らす手」The Hand That Rocks the Cradle の一節。将来の世界を作る子供たちを育てる母親は将来の世界に大きな影響を及ぼす、との意。
Blessings on the hand of women!
Angels guard its strength and grace,
In the palace, cottage, hovel,
Oh, no matter where the place;
Would that never storms assailed it,
Rainbows ever gently curled;
For the hand that rocks the cradle
Is the hand that rules the world.
女性の手に祝福を!
天使はその強さと美を守ります、
宮殿であれ、別荘であれ、小屋であれ、
ああ、どこであれ、
決して嵐に襲われることはないでしょう、
虹はいつまでのやさしく包み込む、
ゆりかごを揺らす手は
世界を支配する手なのだから。
ゾーイの言葉をきっかけに、ブルーム氏は赤ん坊に変身する。
”pelisse”はフランス語で、絹・ビロードなどで作る女性、子供用外套とのこと。
子供用ぺリース
Digital Collections - Baby's pelisse (nypl.org)
魔女のキルケーは薬によって人間を動物に変えることができる魔力を持っていることからか、この章でブルーム氏は様々な人物に変身する。数えてみたところを挙げてみる。
①スポーツマンクラブの若者 ②夜会の伊達男 ③競馬見物の男 ④歯科医 ⑤エジプトの富豪 ⑥女中の愛人 ⑦左官のバケツに用たしした男 ⑧東洋人の水夫 ⑨大礼服を着た上流階級の男 ⑩労働者 ⑪ダブリン市参事会員 ⑫正装の国王 ⑬浮浪者風の移民 ⑭赤ん坊(今回の場面)⑮フリーメイソンのマスター ⑯小間使い ⑰鳥撃ち ⑱高校生 ⑲従僕 ⑳おしのびのハールーン・アッラシード
ゾーイのバックルは、この小説の核心の言葉、「愛」について(ブログの113回)しゃべりだす。
ゴッホ 『マダム・オーガスティン・ルーリンと赤ん坊マルセルの肖像』
File:Vincent van Gogh - Portret van Madame Augustine Roulin en Baby Marcelle.jpg - Wikimedia Commons
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