忘るまじかの戦いの記憶
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MEMORABLE BATTLES RECALLED
—North Cork militia! the editor cried, striding to the mantelpiece. We won every time! North Cork and Spanish officers!
—Where was that, Myles? Ned Lambert asked with a reflective glance at his toecaps.
—In Ohio! the editor shouted.
—So it was, begad, Ned Lambert agreed.
Passing out he whispered to J. J. O’Molloy:
—Incipient jigs. Sad case.
—Ohio! the editor crowed in high treble from his uplifted scarlet face. My Ohio!
—A perfect cretic! the professor said. Long, short and long.
忘るまじかの戦いの記憶
―ノースコークの民兵隊。編集長は大きな声で言い、マントルピースのほうへ大股で歩いた。連戦連勝。ノースコークとスペインの士官がね。
―それはどこでだっけ、マイルズ、ネッド・ランバートが聞いた。靴のつま先を見つつ思案した。
―オハイオだ。編集長が言い放った。
―そうだった、違いない。ネッド・ランバートが応じた。
部屋から出がけにJ.J.オモロイに小声で言った。
―ぶるぶるの初期症状だ。お気の毒に。
―オーハイオー。編集長は赤ら顔で天を仰ぎ最高音で発声した。わがオーハイオー。
―完璧な長短長格だ。先生が言った。長、短、長。
第7章。新聞社フリーマン・ジャーナル社が発行する「イブニング・テレグラフ」の編集室。部屋には、ブルーム氏、穀物商のネッド・ランバート、スティーヴンの父サイモン、古典語教師マッキュー先生、弁護士J.J.オモロイがいる。編集長のマイルズ・クローフォードが入ってきた所。ランバートとサイモンは部屋から出ていこうとしている。
第7章は断章ごとに新聞の見出しのようなものが付されている。
クローフォードがなぜ戦いのことを言い出しているのか分からない。彼のいう戦闘は何を指すのか。検索してみたが、クローフォードの言うような歴史的事実は存在しないようだ。
まず、アイルランドとスペイン軍が関係するアメリカ出来事を調べてみる。
1781年。ペンサコーラの戦い(Battle of Pensacola)と言うのがあった。アメリカ独立戦争はアメリカ植民地と英国の戦いだが、スペインやフランスはアメリカ側に立って参戦した。ペンサコーラの戦いは独立戦争中、現在のフロリダ州ペンサコーラで行われた戦いで、スペインがイギリス領西フロリダを制圧する形で終結した。スペイン軍にはアイリッシュ・ヒベルニア連隊が含まれてた。ヒベルニア連隊は、スペイン軍の外国人連隊の 1 つ。18世紀初頭より祖国から逃亡したアイルランド人によって結成された。いわゆるワイルドギースとして知られるアイルランド傭兵だ。ワイルドギースはブログの第80回でふれた。
しかしヒべルニア部隊はノースコークの民兵隊ではないし、オハイオでも戦っていない。
ペンサコーラの戦い:スペイン ルイジアナ連隊の擲弾兵士官の攻撃
File:Spanish assault at the Battle of Pensacola (1780).jpg - Wikimedia Commons
1755年。モノンガヒラ川の戦い(Battle of the Monongahela)というのがある。アメリカ大陸で、植民地を争いイギリスとフランスの間で行われたフレンチ・インディアン戦争、その始まりの戦い。イギリスのエドワード・ブラドック将軍(Edward Braddock 1695 – 1755)はアイルランドから陸軍2個連隊を率いて遠征した。英仏が争うオハイオ地方の支配を確立するためフランスのデュケーヌ砦へ攻撃したのがモノンガヒラ川の戦い。イギリス軍はフランス軍、カナダ軍およびアメリカ・インディアン同盟軍に敗れた。
これもノースコークの民兵隊は関係ないし、アイルランドの兵隊は負けている。
モノンガヒラの戦いで、ブラドック将軍に同行した白馬に乗る23歳のジョージ・ワシントン少佐。ユニウス・ブルータス・スターンズの絵をリトグラフ化。(1849 ~ 1856)
ノースコークの民兵が出てくる戦いを調べる。
1798年。オラートヒルの戦い(Battle of Oulart Hill)がある。18世紀後半のアイルランドは事実上イギリスの支配下にあった。1789年のフランス革命の影響で、イギリスからの独立をめざし、1798年アイルランドの各地で民衆による反乱が起った。反乱は最終的には英国政府軍に鎮圧されるのだが、反乱軍はウェックスフォード郡では勝利した。オラートヒルの戦いは反乱軍がウェックスフォード郡オラートヒルでイギリス政府側のノースコーク民兵隊に勝利を収めた戦い。
これはスペイン軍も、オハイオも関係ない。ノースコークの民兵隊はイギリス側でしかも負けている。
Edward Foran (1861-1938) の描くオーラ―とヒルの戦い
File:Battle of Oulart Hill.jpg - Wikimedia Commons
ネッド・ランバートは、ブログの第172回で見たように、コークの出身なので、クローフォードに聞き返している。そして彼の言うことが事実でないことが分かったのだろう。受け流している。
"jig"の意味がわからない。辞書には、「ジグ舞曲(テンポの速い活発なダンス)」「上下への急激な動き」とある。集英社版の訳では「アル中」とある。しかし調べてもアル中の意味は見つけられなかった。.確かにクローフォードは酒を飲んでるようで顔が赤い。何かしら、ふるえのくる病気のことを言っているのだと思う。
クレティック(cretic)は、詩の韻律学上の用語で、長音節、短音節、長音節の3つの音節を含む韻律的な脚のことをいう。マッキュー先生は古典文学の教師なので、「オー・ハイ・オー」をこうからかた。
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