Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

106 (U520.881)

私の妻は、いわばスペイン人、ハーフです。

 

第106投。520ページ、881行目。

 

My wife is, so to speak, Spanish, half that is. Point of fact she could actually claim Spanish nationality if she wanted, having been born in (technically) Spain, i.e. Gibraltar. She has the Spanish type. Quite dark, regular brunette, black. I for one certainly believe climate accounts for character. That’s why I asked you if you wrote your poetry in Italian.

私の妻は、いわばスペイン人、ハーフです。事実上希望するなら実際にスペイン国籍を取得することができました。法律的にはスペイン即ちジブラルタルの生まれですから。妻はスペイン人の特性を有しています。きわめて濃い、標準的なブルネット、黒。私見では性格は気候が決めると確信しています。そういうわけで、あなたはイタリア語で詩を書いたのですかとお尋ねしたわけです。

 

第16章。真夜中。馭者溜まりで、ブルーム氏がスティーヴンに問いかけている。この章は意図的に悪文で書かれている。

 

Point of fact、Actually、Technically、Certainlyといった語句と裏腹に、彼の言っていることは不正確で、疑わしい。

 

ブルーム氏の妻、モリーはスペインで生まれたという。ジブラルタルイベリア半島の南東端に突き出した小半島だが、英領なので、法律的にスペインではない。またそこで生まれたからスペイン国籍が得られるとは思われない。母の血統でスペイン国籍が得られるというならわかるが。

 

ブルーム氏は、気候が性格を決めるというが、モリーの母はそもそもスペイン人なので、気候が決めるという説の裏づけにならない。しかも彼のあげているのは性格でなく外見のことばかり。

 

さらには、彼の言っていることは、なぜスティーブンにイタリア語で詩を書くのかを聞いている理由になっていない。

 

モリーの母親はどんな人なのか。

 

モリーは、英国軍所属でジブラルタルに勤務していたアイルランド人(当時アイルランドは英国に属しているが)ブライアン・クーパー・トゥィーディー少佐(Major Brian Cooper Tweedy)と、ジブラルタルにいたスペイン人と思われるルニタ・ラレード(Lunita Laredo)の間に生まれた。モリーに母の記憶はない。

 

モリーは第18章で、ブルーム氏とルーク・ドイルの家で初めて会った時、リホボス・テラス(Rehoboth terrace)に住んでいたことを思い出している。どこかで会ったことがあるみたいにお互い10分も見つめ合った、彼女の母に似てユダヤ女のようにブルームには見えたからだと思う、とモリーは考えている。ルニタ・ラレードはユダヤ人だったといっているようにも読めるが断定していない。

it was he excited me I dont know how the first night ever we met when I was living in Rehoboth terrace we stood staring at one another for about 10 minutes as if we met somewhere I suppose on account of my being jewess looking after my mother he used to amuse me the things

(U634.1181)

 

やはり第18章でモリーは、ブルーム氏は婚約したときモリーの母親のことを知らなかった、そうでなかったら私とあんな簡単に結婚できなかったばず、と回想している。

he hadnt an idea about my mother till we were engaged otherwise hed never have got me so cheap as he did he was 10 times worse himself anyhow

(U614.282)

 

合わせて考えると、『「ブルーム氏はモリーの母親はユダヤ人と勝手に思って結婚したのだが、後にユダヤ系ではないスペイン人の娘と知った」と』モリーは思っている、ということだと思う。そして、ブルーム氏はモリーのスぺイン的なところを自慢に思っている。

 

ブルーム氏はブログの第43回のところでみたようにモリーをトルコの女と結び付けているのでユダヤ人と思っているということはないし、思っていた、ということもやはりないと思う。

 

彼はモリーがスペイン系であることを今日何度も頭にのぼらせている。特にその黒い目はスペイン人の母譲りと考えている。

Brings out the darkness of her eyes. Looking at me, the sheet up to her eyes, Spanish, smelling herself, when I was fixing the links in my cuffs.

(U69.494)

 

モリーの住んでいた、リホボス・テラスを探してみる。

 

Eason's new plan of Dublin and suburbs / Eason & Son, Ltd.(1908)

 

A ドルフィンズ・バーン(Dolphin's Barn) ブルーム氏の知人、ルーク・ドイルの家

B リホボス・テラス(Rehoboth terrace) モリーの住居はこのあたり

 

①クランブラシル通り52番地 (52 Clanbrassil St)

.    1866年~ ブルーム氏生まれたときの住所

②プレザンツ通り (Pleasants St.)

  1888年~ ブルーム氏がモリーと結婚した頃の住所

 

Love Lane (現Donore Avenue) から Camden Streetあたりまではリトル・エルサレム(Little Jerusalem,  Little Jerusalem and a History of the Jewish Community in Dublin)とよばれるダブリンのユダヤ人街で、ユダヤ人の父を持つブルーム氏はもともとこの地区に住んでいた。(ブルーム氏の引っ越しの記録についてはブログの99回。)

 

リホボス・テラスはユダヤ人街に近いことから、やはりその近所に住むドイルを介して、モリーとブルーム氏と出会ったのだろう。

 

File:Goya Maja ubrana2.jpg - Wikimedia Commons

フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)の 『着衣のマハ』(La maja vestida)

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