Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

164(U389.1336)  ー ソロモンの歌を口ずさむ女

ゾーイ:(小声で音楽にあわせて詠唱している。

 

第164投。389ページ、1336行目。

 

 ZOE: (Murmuring singsong with the music, her odalisk lips lusciously smeared with salve of swinefat and rosewater.) Schorach ani wenowach, benoith Hierushaloim.

 

 BLOOM: (Fascinated.) I thought you were of good stock by your accent.

 

 ZOE: And you know what thought did?

 

 ゾーイ:(小声で音楽にあわせて詠唱している。ハーレムの女の唇に豚脂と薔薇水の軟膏が塗られて官能的。)ショラック・アニ・ウェノワック、ベノイス・ヒエルシャロイム。

 

 ブルーム:(うっとりして)話し方で立派な血筋の人だと思ったよ。

 

 ゾーイ:馬鹿おっしゃい。

 

第15章。夜中の12時過ぎ。ブルーム氏は酔っ払ったスティーヴンとリンチの2人を追って娼館街へやってきた。ベラ・コーエンの店に入って、娼婦のゾーイと会話を始めたところ。

 

ブルーム氏が入って来た場面は下の通り。

 

 BLOOM: A man’s touch. Sad music. Church music. Perhaps here.

 

 (Zoe Higgins, a young whore in a sapphire slip, closed with three bronze buckles, a slim black velvet fillet round her throat, nods, trips down the steps and accosts him.)

(U387.1275-)

 

ゾーイの姓はヒギンズ。サファイア色のスリップを3つのブロンズのバックルで留めて、黒いベルベットのリボンを首に巻いている。ブログの第134回で一度触れた。

 

“odalisk” は「ハーレムの女性奴隷」の意。

 

ユリシーズ」はホメロスの「オデユッセイア」のモチーフを利用しており、娼館の娼婦は,「オデュッセイア」でアイアイエー島に住む魔女キルケ―に相当する。キルケ―は薬草学や薬学に通じていて、毒、軟膏、杖、呪文を用いて魔法を使う。オデュッセウスの部下たちを誘惑し豚に変えてしまうが、オデュッセウスの求めで、彼らの身体に軟膏を塗って人間の姿に戻してやる。

→ ウィキペディア

 

豚の脂や薔薇水でできた軟膏というのはゾーイとキルケーとの縁を示している。

 

ゾーイは音楽に合わせ歌詞を口ずさんでいるのだが、何の音楽なのか。すこし前のト書きにこうある。

 (She puts the potato greedily into a pocket then links his arm, cuddling him with supple warmth. He smiles uneasily. Slowly, note by note, oriental music is played. He gazes in the tawny crystal of her eyes, ringed with kohol. His smile softens.)

(U389.1316)

 

先の引用箇所では教会音楽(Chirch music)とあったが(ブルーム氏はスティーヴンがピアノを弾いていると思ってここに入って来たのだと思う)、今は東洋の音楽(orienntal music)が奏でられている。おそらく中東の音楽。誰が奏でているのかわからない。

 

ゾーイが口にしている一節は、Giffordの注釈によると、旧約聖書の『雅歌』(Song of Songs)の一節(第1章第5節)『ヱルサレムの女子等よ われは黒けれどもなほ美はし。』という部分という。

 

“Schorach ani wenowach, benoith Hierushaloim” というのは『雅歌』の原文のヘブライ語をローマ文字表記にしたものらしい。

 

検証してみる。ヘブライ語をローマ文字で表記した旧約聖書のテキストというのは検索しても見つけられない。しかしヘブライ語の表記そのものと英訳は見つけることができた。

→ https://mechon-mamre.org/p/pt/pt3001.htm

 

これによると、ここの一節はこうなっている。

שְׁחוֹרָה אֲנִי וְנָאוָה, בְּנוֹת יְרוּשָׁלִָם / I am black, but comely, O ye daughters of Jerusalem

 

ヘブライ文字をローマ文字に変換するサイトがある。それでこのヘブライ文字を変換すると。(Style: Simplified Modern Israeli)

→ https://www.alittlehebrew.com/transliterate/

 

“Shechorah ani venavah, benot yerushaliam.”

うーん、ゾーイの歌っている、

”Schorach ani wenowach, benoith Hierushaloim."

と、だいだい一致する。

 

ブルーム氏ゾーイの歌の意味は分からなかったと思われる。しかし彼はユダヤ人の息子なのでべブライ語であることはわかったに違いない。ゾーイをユダヤ系と思って「立派な血筋」だね、とお愛想を言ったのだと思う。しかしなぜゾーイがヘブライ語を知っているのか分からない。第162回でふれたように、彼女は英国のヨークシャーの生まれだと自称している。

 

ゾーイの台詞の "You know what thought did!“ というのは、一昔前によく使われた決まり文句らしい。長いフレーズとしてはこうなる。
"You know what thought did! He followed a muck cart and though it was a wedding!"

 → British Genealogy

 

直訳すると「何を思ったのわかるよね!ゴミ車のあとを追いかけて結婚式だと思ったわけだ!」という感じかと思うが、その意味は「でたらめ言うんじゃない!」ということになる。これは例えば、「But I thought  (でも思たんだ)・・・」と、言い訳をする子供にむかって親が使う決まり文句という。

 

 

大原美術館所蔵のギュスターヴ・モロー (1826-1898)『雅歌』(1893)

File:Gustave Moreau - Song of Songs (Cantique des Cantiques) - Google Art Project.jpg - Wikimedia Commons

 

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