Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

141(U204.1056)

ジョン・ハワード・パーネルが、白のビショップを静かに動かすと

 

第141投。204ページ、1056行目。

 

 

 John Howard Parnell translated a white bishop quietly and his grey claw went up again to his forehead whereat it rested. An instant after, under its screen, his eyes looked quickly, ghostbright, at his foe and fell once more upon a working corner.

 

 —I’ll take a mélange, Haines said to the waitress.

 

 —Two mélanges, Buck Mulligan said. And bring us some scones and butter and some cakes as well.

 

 When she had gone he said, laughing:

 

 —We call it D.B.C. because they have damn bad cakes. O, but you missed Dedalus on Hamlet.

 

 ジョン・ハワード・パーネルが、白のビショップを静かに動かすと、灰色の爪は再びその額へと戻っていった。ほどなく、目蓋の下の両目は幽かに閃き、敵を一瞥すると視線はまた対局中の一角へ落とされた。

 

 ―おれはメランジェ、ヘインズがウェイトレスにいった。

 

 ―じゃメランジェ2つ、とバック・マリガン。あとスコーンとバターとケーキも。

 

 ウェイトレスが行ってから、笑って言う。

 

 ―どん・引き・茶屋、だからD.B.Cっていうんだ。ああ、君はデッダラスの『ハムレット』論を聞き逃したね。

 

 

第10章はダブリンの様々な場所が、19個の断章で描かれている。ここはその16番目の断章。

 

主人公のスティーヴン・デッダラスの友人で同居人のマリガンと英国人で彼らの住居に居候中のヘインズがダブリン・ブレッド・カンパニー (Dublin Bread Company) の喫茶室で落ち合って会話しているところ。

 

ここでジョン・ハワード・パーネルがチェスを指している。

 

冒頭の一文は、なかなか味わい深い。視点はパーネル氏から盤上の駒へ移り、今度は爪が主語となって額に昇って行き、さらに両目が主語になったうえ、視線が盤上に落ちる。1回半が輪が回転する。こうした正統な美文が読めるのは10章までで、その後の章でははどんどん過激で特殊な文体になっていく。

 

ジョン・ハワード・パーネル(John Howard Parnell  1843年 - 1923年)は、アイルランド自治運動の指導者で不倫によって失脚したチャールズ・スチュワート・パーネル(Charles Stewart Parnell 1846年 – 1891年)の兄。兄の死後、1895年から1900年まで国会議員を務めた。現在(1904年)は市儀典官(Dublin City Marshal)の職にある。市儀典官は市長のパレードを先導するなど、儀式的な役割をはたす名誉職。

 

彼は兄と異なり有能な政治家ではなく、議会で発言したこともなかった。政治より議員とチェスをすることをはるかに好んだと言われている。

→ The Dictionary of Irish Biography

 

       

       ジョン・ハワード・パーネル

 

マリガンが注文する、メランジェ(mélange フランス語で“混ぜたもの”の意)とは、ドイツ語圏において「エスプレッソと同量の温かいミルクを混ぜ、その上に泡立てたミルクや甘くないホイップクリームを乗せてた飲料」を指す。当時のダブリンでそういう意味だったのか確証はない。とりあえずそう考える。

 

        

        ウィーン風メランジェ

"File:Wiener Melange 0363wien img 9691.jpg" by Rüdiger Wölk is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

D.B.C.はサックヴィㇽ通り(オコンネル通り)を含めいくつか店舗があったが、第10章の最後の断章 (U208.1216~1227) から、ここはデイム通り(Dame Street)の店舗と考えられる。デイム通りの店舗は33番地にあったという。33番地には当時の建物は残っておらず、いまの建物には語学学校 (City Language School) が入っている。

当時の写真 → The Historical Picture Archive

 

★Dublin Bread Company

Dublin John Bartholomew & Son(1909)

 

隣の32番地はマリガン・アンド・ヘインズ(Mulligan & Haines)というパブになっている。この場面にちなんでのことだろう。

 

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