Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

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しかしながら、実際のところ、彼が何かしらの抑鬱状態あるいは

 

第47投。340ページ、1174行目。

 

 However, as a matter of fact though, the preposterous surmise about him being in some description of a doldrums or other or mesmerised which was entirely due to a misconception of the shallowest character, was not the case at all. The individual whose visual organs while the above was going on were at this juncture commencing to exhibit symptoms of animation was as astute if not astuter than any man living and anybody that conjectured the contrary would have found themselves pretty speedily in the wrong shop.

 

 しかしながら、実際のところ、彼が何かしらの抑鬱状態あるいは催眠状態にあるという、およそ見当違いの推測は、全く浅薄極まりない類の誤解に起因するものだが、いささかも事実ではなかった。かかる状態が進行する一方で、この情勢下、活性の兆候を呈し始めた視覚器官の持ち主は、いかなる存在者にも増して明敏であるとは言えないまでも然るべく明敏であって、これに反する推断を下した者は即座に自らの見当違いを悟らされることになったであろう。

 

第14章。舞台は、国立産科病院の談話室。スティーヴンとブルーム氏、医学生らが飲食し談笑している。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所は、『英国史』の著者である英国の歴史家、政治家、トーマス・バビントン・マコーリー(Thomas Babington Macaulay,1800年 - 1859年)の文体によるという。

 

ここは、ブルーム氏が「ぼーっとしているのかとおもいきや、実は意識ははっきりしていたと」ということを蓮實 重彥氏のような文体で言っているにすぎない。

 

Doldrums の原義は、赤道付近海上熱帯無風帯、 無風状態の意味だが、転じて、憂鬱、みふさぎ込み、の意。

 

Mesmerize とはフランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer 1734年 - 1815年)に由来する語で「催眠術をかける」の意。メスメルはドイツ人の医師で動物磁気説の提唱者。彼の理論をもとに催眠術が開発された。

 

Giffordの注釈によれば、Doldrumsは、『ユリシーズ』のモチーフの元になっている『オデュッセイア』のストーリーに縁のある言葉とのこと。なるほど。そうであるなら、Mesmerize も歌声で航海者を誘惑する海の魔物セイレーンを思わせ『オデュッセイア』に関連する。

 

夢遊病、催眠術(hypnotise)の語は、この小説に何度もでてくる。(ブログの17回)

 

 ブルーム氏が、ぼーっとしているように見えたのは、バス(Bass)銘柄のビールの赤い三角印を見つめていたのだ。彼は何を思っていたのか。バスからの連想で、ブルーム氏の妻のモリーが、太ったベン・ドラードの声を、バスバレルトーンbase barreltoneといったことを思い出していたのだと思う。このテーマは、(U126.117~120)、このブログの19回で触れた(U222.559)、(U232,1011)、(U425.2610)、(U636.1285)に出てくる。

 

ブルーム氏は眠っていたわけではなく、同席するレネハンが催促していることに気が付いて、彼のグラスにビールを注いでやることになる。

 

さて、マコーリーは英国の著名な歴史家だが、なぜかその著作は日本にあまり紹介されていない。だからどんな文章なのかと、彼の翻訳を読んでみることは難しい。

 

ネットで、彼の著書から、できるだけ今回の箇所のような、くねくね長い文章を探してみた。こんなところだろうか。

 

“If the change of Pitt's sentiments attracted peculiar notice, it was not because he changed more than his neighbours; for in fact he changed less than most of them; but because his position was far more conspicuous than theirs, because he was, till Bonaparte appeared, the individual who filled the greatest space in the eyes of the inhabitants of the civilised world. “  William Pitt (1859)

 

「ピットの感情の変化が特別な注目を集めたとしたら、それは彼にその隣人たちよりも変化があったからではなくて、というのは実際には彼は彼らより変化しなかったのだから、そうではなくて、彼の立場が彼らより遥かに目立っていたからである、というのも、彼はボナパルトが現われるまでは、文明世界の住人の眼中において最も大きな空間を占めていた人物であったのだから。」『ウィリアム・ピット』(1859)

 

マコーリーの文章は、息が長い場合はあるが、ジョイスの模写のように持って回った言い回しではなく、案外読みやすいもののようだ。

 

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トーマス・マコーリー(Thomas Macaulay)

 File:John Watson Gordon (1788-1864) - Thomas Babington (1800–1859), 1st Baron Macaulay, Historian and Statesman - PG 1585 - National Galleries of Scotland.jpg - Wikimedia Commons

 

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