Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

66 (U549.226)

水位から水位へと落下する潮流または水流の利用から得られる潜在力

第66投。549ページ、226行目。

 

 

its potentiality derivable from harnessed tides or watercourses falling from level to level: its submarine fauna and flora (anacoustic, photophobe), numerically, if not literally, the inhabitants of the globe: its ubiquity as constituting 90 % of the human body: the noxiousness of its effluvia in lacustrine marshes, pestilential fens, faded flowerwater, stagnant pools in the waning moon.

 

水位から水位へと落下する潮流又は水流の利用から得られる潜在力、字義通りではないにせよ数量上は地球の居主である水底における動物相及び植物相(無聴力、嫌光性)、人体の90%を構成するその遍在性、湖泊湿地、瘟疫性沼沢地、褪香した橙花化粧水及び死水潭より、虧月期に発散する物質の有毒性。

 

第17章。この章は初めから終わりまで、質問と答えの形で書かれている。夜中の2時過ぎ、ブルーム氏はスティーヴンを自宅につれて帰り、台所でスティーヴンのためにココアを入れようと水道の蛇口をひねった。ブルーム氏の「水」の特性に対する認識が問われ、43項目にわたって延々と述べられる。その最後の4つを切り取った。即ち、①潜在力、②動物相と植物相、③遍在性、④有毒性。

 

故意に難解な単語が使われているので、漢語を援用して訳した。

 

“the waning moon”というのは、満月から徐々に欠けていって新月にいたる月のこと。その逆は”the waxing moon”。

 

       f:id:ulysses0616:20220113220922j:plain

File:Tell-Whether-the-Moon-Is-Waxing-or-Waning-Step-9-Version-3.jpg - Wikimedia Commons

なぜ月が出てくるか。ここの意味がわからない。ギフォードの注釈によると欠けゆく月は地球の衰退を象徴するという。月の影響で湖沼の水が腐敗するということか。突飛な感じがするが、ブログの第60回で言及したように、17章は天体への言及が多いので、なるほどと思う。

 

このしばらく後に、月と女の類似性が言及されている。

her constancy under all her phases, rising and setting by her appointed times, waxing and waning: (U576.1162)

 

唐突にさしはさまれる、「花水」 “flowerwater” とは何か?

 

花びらを水蒸気蒸留した香水という。

 

第4章。ブルーム氏は妻のモリーに古くなった花水のにおいを感じている。

 

Her full lips, drinking, smiled. Rather stale smell that incense leaves next day. Like foul flowerwater.

—Would you like the window open a little? (U52.316)

 

 

さらに第5章。ブルーム氏は薬局でモリーのために花水を注文する。オレンジの花水だったのだ。しかし今日は受け取りにいかなかった。

 

—Sweet almond oil and tincture of benzoin, Mr Bloom said, and then orangeflower water...

 It certainly did make her skin so delicate white like wax.

—And white wax also, he said. (U69.491)

 

 

第15章。幻想場面で、ブルーム氏はモリーに明日、オレンジ花水を取りに行くと言いつくろっている。

 

BLOOM: I was just going back for that lotion whitewax, orangeflower water. Shop closes early on Thursday. But the first thing in the morning. (He pats divers pockets.) This moving kidney. Ah!     (U360.332)

 

今日一日、古くなったオレンジ花水のことがブルーム氏の頭の片隅を占めていた。

 

      f:id:ulysses0616:20220113220318j:plain

        オレンジ花水の原料となるダイダイの花

File:Citrus aurantium - Köhler–s Medizinal-Pflanzen-042.jpg - Wikimedia Commons

 

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65 (U618.478)

おやまあミスガルブレイスをみてよ

第65投。618ページ、478行目。

 

 

what O well look at that Mrs Galbraith shes much older than me I saw her when I was out last week her beautys on the wane she was a lovely woman magnificent head of hair on her down to her waist tossing it back like that like Kitty OShea in Grantham street 1st thing I did every morning to look across see her combing it as if she loved it and was full of it

 

おやまあミスガルブレイスをみてよわたしよりだいぶ年上で先週外出したとき見たわあの人の美貌も衰えたわね素敵な女だった見事な髪形で腰のあたりまで後ろにたらしてそうグランサム通りにいたキティオシーみたい毎朝一番に目にしたのはあの人が髪をとかすところ愛しみ満ち満ちて

 

第18章。最終章はブルーム氏の妻のモリ―の心中。36ページあるが、ピリオドもコンマもない単語の連なり、8つでできている。

 

ここではモリーが自分の年齢と容色について思いを巡らせている。

 

ミス・ガルブレイスというのは、第15章でブルーム氏が娼館から逃走するときの幻想場面でこの小説の登場人物が大勢登場する場面にちらりと顔を見せるが、誰だかは不明。(U479.4358)

 

キティ・オシーといえば、アイルランドの著名な政治家チャールズ・スチュワート・パーネル(Charles Stewart Parnell、1846 - 1891)の愛人だったキャサリーン・オシー(Katharine O'Shea 1846 – 1921, あだ名がキティ・オシー)を思わせる。

 

O’Sheaの発音はオシェイではなくオシーが正しいという。(丸谷才一「神話とスキャンダル」 『6月16日の花火』 岩波書店 1986年)

 

アイルランド自治運動の指導者だったパーネルは同僚の議員ウィリー・オシーの妻であるキャサリーン・オシーと不倫関係にあり、そのスキャンダルにより政治家として失墜し、アイルランド自治運動も打撃を被った。キャサリーンはこの小説の現在1904年、存命だが英国にいたはずで、ダブリンのグランサム通り(Grantham St.)にいるはずがないので同名の別人と考えられる。

 

モリーとブルーム氏は結婚後プレザンツ通り(Pleasants St.)に住んでいる。グランサム通りはその一本南の通り。モリーはそのころこの通りに住んでいるオシーをが知っていたということだろう。

                        

      f:id:ulysses0616:20220110213249j:plain

 

パーネルの不倫はこの小説の重要なモチーフとなっている。

 

                            f:id:ulysses0616:20220108160758j:plain

        パーネルの愛人だったキャサリーン・オシー

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:KittyOShea.jpg

 

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64 (U262.997)

ほっほ―なるほど俺の中の俺が俺に言う。

第64投。262ページ、997行目。

 

 Hoho begob says I to myself says I. That explains the milk in the cocoanut and absence of hair on the animal’s chest. Blazes doing the tootle on the flute. Concert tour. Dirty Dan the dodger’s son off Island bridge that sold the same horses twice over to the government to fight the Boers.

 

 ほっほ―なるほど俺の中の俺が俺に言う。夏空や謎が解けたり椰子に乳、人のなりしたケモノに毛無し。ブレイゼスぴーひゃらぴーひゃら。演奏旅行。父親はペテン師腹黒ダン、アイランドブリッジのはずれの。ボーア戦争で政府に同じ馬を二度売った。

 

 

第12章。酒場バーニーキアナンで、ブルーム氏と「市民」というあだ名のナショナリスト、ジョー・ハインズらの酔客が会話している。

 

ブルーム氏の妻のモリーが、興行師のブレゼス・ボイランと演奏旅行に行く予定と聞いて、この章の語り手が、これは不倫旅行と悟ったところ。

 

“begob”はアイルランドの感嘆詞で “by God” が転じたものという。

 

“says I to myself says I” は、Gifford の注釈によると、ギルバート&サリヴァンの喜歌劇『イオランテ』(Iolanthe,1882年)のなかの歌曲 "When I went to the bar " のフレーズとのこと。⇒ 

 

When I went to the Bar as a very young man,

(Said I to myself — said I),

I'll work on a new and original plan,

(Said I to myself — said I),

I'll never assume that a rogue or a thief

Is a gentleman worthy implicit belief,

Because his attorney has sent me a brief,

(Said I to myself — said I).

 

しかし、調べると、Harry Von Tilzer 作曲、Ed Moran 作曲のアイルランド歌曲でまさに “Says I To Myself, Says I” というのもあった。1917年の出版なので小説の時代1904年には合わないのだが。⇒ 

 

“the milk in the cocoanut” は、辞書をみると、「事の核心」とのこと。ココナッツの実にミルクをどうやっていれたのか謎だから。

 

“absence of hair on the animal’s chest”  はなんのことかよくわからない。ブルーム氏かボイランに胸毛がないといっているのか。柳瀬尚紀さんが、この語り手は「犬」だと論じている(岩波新書ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』、1996年)。人のことをアニマルといって毛にこだわることが、犬説の根拠のひとつとなっている。

 

“the tootle on the flute” は、パーシー・フレンチ作曲の歌曲 “Phil The Fluter’s Ball”の一節。⇒ 

 

With a toot on the flute

And a twiddle on the fiddle-oh

Hopping in the middle

Like a herrin’ on the griddle-oh

Up, down, hands around

And crossing to the wall

Sure hadn’t we the gaiety

At Phil the Fluter’s ball

 

 

アイランドブリッジはダブリンの西のはずれの地名。

 

この語り手はなかなかの言葉の使い手で、訳すのが難しい。

 

               f:id:ulysses0616:20211224231441j:plain

              “Says I To Myself, Says I”

https://library.si.edu/digital-library/book/saysimyselfsays00vont

 

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63 (U356.216)

(不吉な人影が脚を組んでオベアン酒店の壁に寄りかかっている。

第63投。356ページ、216行目。

 

 (A sinister figure leans on plaited legs against O’Beirne’s wall, a visage unknown, injected with dark mercury. From under a wideleaved sombrero the figure regards him with evil eye.)

 

 BLOOM: Buenas noches, señorita Blanca, que calle es esta?

 

 THE FIGURE: (Impassive, raises a signal arm.) Password. Sraid Mabbot.

 

 BLOOM: Haha. Merci. Esperanto. Slan leath. (He mutters.) Gaelic league spy, sent by that fireeater.

 

 

 (不吉な人影が脚を組んでオベアン酒店の壁に寄りかかっている。見知らぬ顔、黒水銀を注射しているようソンブレロの広いつばの下から邪悪な目でこちらを覗いている。)

 

 ブルーム:ブエノスノーチェスセニョリータ。ココハナニドオリデスカ。

 

 人影:(無表情で、合図の片腕を上げる)合言葉。スラードマボット。

 

 ブルーム:はは。メルシー。エスペラントか。スローンラト。(つぶやく)あの喧嘩っ早い男がよこした、ゲール語連盟のスパイか。

 

第15章。ブルーム氏はスティーヴンとリンチの後を追って、アミアンズ通り駅(現コノリー駅)を出て娼館街を目指している。タルボット通り(Talbot St.)からマボット通り(Mabbot St. 現Corpotation St.)を北へ曲がる。オバイン酒店のあたりまで来た。下の地図の星印のところ。

 

                       f:id:ulysses0616:20211220214127j:plain

 

このソンブレロの人物は誰か。

 

この章のしばらく後に、黒水銀の男として再び登場する。水銀はかつて梅毒の治療にもちられた。

 

 (A dark mercurialised face appears, leading a veiled figure.)

 

 THE DARK MERCURY: The Castle is looking for him. He was drummed out of the army.

 

 MARTHA: (Thickveiled, a crimson halter round her neck, a copy of the Irish Times in her hand, in tone of reproach, pointing.) Henry! Leopold! Lionel, thou lost one! Clear my name. (U372.748-)

 

同じ章のさらに後に、またソンブレロの男が登場する。かれはヘンリー・フラワーだった。ブルーム氏はマーサ(先の引用にも出てきている)という女性と秘密の文通をしており、ブルーム氏が文通に用いている仮名がヘンリー・フラワー。ソンブレロの男はブルーム氏の分身ということになる。しかしなぜヘンリー・フラワーはソンブレロ姿なのだろう。

 

 (From left upper entrance with two gliding steps Henry Flower comes forward to left front centre. He wears a dark mantle and drooping plumed sombrero. He carries a silverstringed inlaid dulcimer and a longstemmed bamboo Jacob’s pipe, its clay bowl fashioned as a female head. He wears dark velvet hose and silverbuckled pumps. He has the romantic Saviour’s face with flowing locks, thin beard and moustache. His spindlelegs and sparrow feet are those of the tenor Mario, prince of Candia. He settles down his goffered ruffs and moistens his lips with a passage of his amorous tongue.)

 

 HENRY: (In a low dulcet voice, touching the strings of his guitar.) There is a flower that bloometh. (U421.2478)

 

ブルーム氏はソンブレロの男にスペイン語で話しかける。ブルーム氏はスペイン語ができるのかと思うが、彼はすでに第13章で似たフレーズを使っている。

 

Buenas noches, señorita. El hombre ama la muchacha hermosa. Why me? Because you were so foreign from the others.(U311.1208)

 

ヘンリーはそれに応えて、合図の片腕を上げる。これは「アルスターの赤い手」をあらわしているのでははないか。神話に由来するアイルランドの北方、アルスター地方のシンボル。この時代はまだ北アイルランド問題はないので、ゲール・アイルランドナショナリストのシンボルの意味だろう。ヘンリーはゲール語で ”Sraid Mabbot”「マボット通り」と言う。ゲール語は古くアイルランドで話されていた言語。

 

ブルーム氏はこれが分かったのか定かでないが、"Slan leath"と応じる。ゲール語で「さようなら」「お元気で」の意味。

 

第12章でナショナリストの「市民」が酒場で 乾杯の合図に”Slan leat” と言っている(U258.819)。綴りが少し違うが、これも同じ意味とのこと。

 

So Terry brought the three pints.

—Here, says Joe, doing the honours. Here, citizen.

Slan leat, says he.

—Fortune, Joe, says I. Good health, citizen.

 

 

ゲール語連盟」はブログの第33回に出てきた。ブルーム氏はこの男はさっき酒場で喧嘩になった「市民」の一味と疑っている。

 

                               f:id:ulysses0616:20211218235732j:plain

 File:PepeAguilarCharro.jpg - Wikimedia Commons

 

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62 (U132.375)

スッ、チッ、チッ、チッ。三日もベッドで呻いて、

第62投。132ページ、375行目。

 

 Sss. Dth, dth, dth! Three days imagine groaning on a bed with a vinegared handkerchief round her forehead, her belly swollen out. Phew! Dreadful simply! Child’s head too big: forceps. Doubled up inside her trying to butt its way out blindly, groping for the way out. Kill me that would.

 

 スッ、チッ、チッ、チッ。三日もベッドで呻いて、酢を染みこましたハンカチを額にあてて、お腹を張り出して。ひゃー。考えるとぞっとするよ。赤ちゃんの頭が大きすぎる、そうすると鉗子で。胎内で体を折り曲げて、やみくもに頭から出ようとする、出口を求めて。おれなら死んじゃう。

 

 

第8章。ブルーム氏は先ほど街角で、昔の恋人であるブリーン夫人と出会い、ピュアフォイ夫人が難産で産科医院に入院していることを聞かされる。そのことを思いだしているところ。

 

まず、”Sss. Dth, dth, dth!” というのが何なのかよくわからない。擬音語なのだろうが。出版されている和訳や注釈書を見てもわからない。ピュアフォイ夫人の呻き声を空想しているのだろうか。それにしては音が合わない。

 

作者が他のところで "sss, dth" を使っていないか調べてみる。そうするとおよそ80行前にあった。ブリーン夫人と会った時に、ブルーム氏は Dth! Dth! と言っている。

 

—Yes, Mrs Breen said. And a houseful of kids at home. It’s a very stiff birth, the nurse told me.

—O, Mr Bloom said.

 His heavy pitying gaze absorbed her news. His tongue clacked in compassion. Dth! Dth!

—I’m sorry to hear that, he said. Poor thing! Three days! That’s terrible for her.

(U130.288)

 

”His tongue clacked in compassion” というのだから、これは舌打ちの音なのだ。しかしなぜ彼は舌打ちするのか。

 

「舌打ち」を英語でどういうのか辞書でしらべてみると。

click [clack, cluck] one's tongue

とある。

 

”cluck” の語義の2つ目に、こうあった。

2.to express sympathy or disapproval by saying something, or by making a short low noise with your tongue                 

 (Longman Dictionary of Contemporary English)

 

なんと、英米では同情するときに舌打ちするのか! これで意味がわかった。しかしボディランゲージは翻訳では伝えられない。

 

酢をつけたハンカチを頭に巻くのは解熱か鎮痛のためだろうが、そういう医療慣習が西洋にあったのか調べても分からなかった。わが国では昔、頭痛のときには梅干しをこめかみに張った。これは梅干しの匂いの成分ベンズアルデヒドでリラックス効果が生まれる、ということなのだそうだ。酢もこれと同じようなことなのではないかと思います。

 

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                                                       鉗子(forceps)

 

"File:Plate showing the birth of a baby, using forceps (2 of 4) Wellcome L0050179.jpg" is licensed under CC BY 4.0

 

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61 (U552.312)

中段の棚には、胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ、

第61投。552ページ、312行目。

 

On the middle shelf a chipped eggcup containing pepper, a drum of table salt, four conglomerated black olives in oleaginous paper, an empty pot of Plumtree’s potted meat, an oval wicker basket bedded with fibre and containing one Jersey pear, a halfempty bottle of William Gilbey and Co’s white invalid port, half disrobed of its swathe of coralpink tissue paper, a packet of Epps’s soluble cocoa, five ounces of Anne Lynch’s choice tea at 2/- per lb in a crinkled leadpaper bag, a cylindrical canister containing the best crystallised lump sugar, two onions, one, the larger, Spanish, entire, the other, smaller, Irish, bisected with augmented surface and more redolent, a jar of Irish Model Dairy’s cream, a jug of brown crockery containing a naggin and a quarter of soured adulterated milk, converted by heat into water, acidulous serum and semisolidified curds, which added to the quantity subtracted for Mr Bloom’s and Mrs Fleming’s breakfasts, made one imperial pint, the total quantity originally delivered, two cloves, a halfpenny and a small dish containing a slice of fresh ribsteak.

 

 

中段の棚には、胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ、食塩入り調味缶一つ、油紙にくるんで団塊となった黒オリーブの実4個、空になったプラムトゥリーの瓶詰肉の容器一つ、繊維を敷いた楕円形の編みバスケット一つ、中にはジャージー梨一つと珊瑚色の薄紙の包みを半分剥され、半分空になったウィリアム・ギルビー社の強壮用白ポートワインの瓶があり、エップスの可溶性ココア1箱、1ポンドあたり2シリングのアン・リンチの銘茶5オンスの入った皴々の鉛箔紙の袋一つ、最上の精製角砂糖のはいった円筒缶一つ、玉葱2個、一つは大きなスペイン産玉葱まる1個、もう一つはより小さいアイルランド産、ニ等分され表面積の増加により匂いを発散、アイルランド模範酪農場のクリームの瓶一つ、茶色の陶器の水差し1つ、1ナギンと4分の1の悪くなった混ぜ物入りの牛乳、つまり熱により、水と酸っぱい漿液と半凝固した凝乳に変化したものが入っており、ブルーム氏とミス・フレミングの朝食により減じた分を加えるなら1英パイント、当初配達された総量となり、クローヴの実2個、半ペニー硬貨1枚、及び牛の肋肉一切れが乗った小皿1枚。

 

前回のブログと同じ、第17章。第17章はすべて問と答えで進行する。ここは、第11回のブログのすぐ後の箇所。ブルーム氏に開かれた台所戸棚に入っているものが何か、という問いへの答えで、中段に入っているものが列記されている。

 

単なる品目の列記だが、『ユリシーズ』という小説上の意味としては、ブルーム家の縮図となっていて、大変に深みあるものになる。順に見ていこう。

 

1.棚の中段の内容

 

①胡椒の入った欠けたゆで卵立て一つ

 

 第11回のブログの箇所の通り、棚の上段には4個のゆで卵立てがある。もともと6個のセットだったと思われる。ふちが欠けたので胡椒入れとして使っているのだ。ブルーム氏は今朝、自分の朝食を作る際、ここから胡椒をつまんでいる。(U51.279)

 

②食塩入り調味缶一つ

 

③油紙にくるんで団塊となった黒オリーブの実4個

 

 第18章で、ブルーム氏の妻のモリーは台所にオリーブが少しあることを思い出している。(U641.1481)

 

④空になったプラムトゥリーの瓶詰肉の容器一つ

 

 第10章の第5断章で、ボイランは果物店で編みバスケットにピンクの薄紙で包まれたボトルと広口瓶、つまりプラムトゥリーの瓶詰肉を入れてもらっている。その上に梨と桃を詰め合わせてモリーへ送らせた。彼は今日ブルーム家のベッドでモリーと瓶詰肉を食べたということ。プラムトゥリーの瓶詰肉は、『ユリシーズ』にでてくる最も有名な小道具。あとで詳しく見ることにします。

 

The blond girl in Thornton’s bedded the wicker basket with rustling fibre. Blazes Boylan handed her the bottle swathed in pink tissue paper and a small jar.

—Put these in first, will you? he said.

—Yes, sir, the blond girl said. And the fruit on top.(U187.299-)

                                           f:id:ulysses0616:20211114092543j:plain

⑤繊維を敷いた楕円形の編みバスケット一つ、中にはジャージー梨一つと珊瑚色の薄紙の包みを半分剥され、半分空になったウィリアム・ギルビー社の強壮用白ポートワインの瓶があり、

”an oval wicker basket bedded with fibre and containing one Jersey pear, a halfempty bottle of William Gilbey and Co’s white invalid port, half disrobed of its swathe of coralpink tissue paper”

 

 ボイランが果物店で詰め合わせてもらったものがここにしまわれている。

 bedded,  disrobed という単語は、ボイランとモリーの密会を踏まえて用いられていると思う。

 

 ジャージー梨は “Louise Bonne of Jersey”というフランス原産の梨の品種。ジャージー島を経由して英国につたわってこの名になったという。

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File:Hedrick (1921) - Louise bonne de Jersey.jpg - Wikimedia Commons

 

 ウィリアム・ギルビー社はダブリンの酒類商だが、ジンやウオッカで有名なギルビー社(W&A Gilbey)の創業者ウォルター・ギルビー(Walter Gilbey 1831 – 1914)の一族の経営なのだろうか。検索しても分からなかった。

 

 強壮用 (invalid) というのは、ボイランが果物店で病気見舞い(It‘s for an invalid)といって発送をたのんだことから。(ボイランがそういって買ったのはまちがいないが、1890年代、ロンドンのギルビーズ社が、健康に良いという宣伝文句で、「ギルビーズ強壮用ポート」(Gilbey’s Invalid Port)というブランド名の商品を売り出している。実際にそういう商品名であったということ。ー2022年6月25日追記)

 

           

 

⑥エップスの可溶性ココア1箱

 

 この後、ブルーム氏は、家に連れて帰ったスティーヴンのためにココアをつくってやり2人で飲むことになる。彼はココアを入れるためこの戸棚を開けたと考えられる

 

 エップスのココアとは、ロンドンの裕福なカルヴァン派の食品商の息子で、英国の医師、骨相学者、ホメオパシーの先駆者、ジョン・エップス博士(Dr John Epps, 1805 –1869)により商品化されたココア。

 

 ココアは、滋養と強壮の飲み物として、今世紀初頭にポピュラーになった。カフェインもアルコールも入っていないココアは、健康志向のブルーム氏的な飲料だ。

 

⑦1ポンドあたり2シリングのアン・リンチの銘茶5オンスの入った皴々の鉛箔紙の袋一つ

"five ounces of Anne Lynch’s choice tea at 2/- per lb in a crinkled leadpaper bag"

 

 “2/-” は、お金の単位で2シリングの意味。“lb”は重さの単位でポンドの意味。

1ポンドは約453グラム。1904年の2シリングは現在の価値で約8£つまり1200円くらい。

 

 アン・リンチはダブリンの茶商。それ以上は調べても分からない。今朝ブルーム氏はモリーと自分のため茶を入れている。モリーの飲むお茶なので質の良い茶 choice tea なのだ。

 

 “leadpaper” が何かわからない。辞書を調べると「鉛糖紙」とあるのだが。鉛を箔にした紙だろうか。

 

⑧最上の精製角砂糖のはいった円筒缶一つ

 

 今朝ブルーム氏は2人の茶に砂糖を添えているが、モリーも使うので砂糖は上質なのだ。

 

⑨玉葱2個、一つは大きなスペイン産玉葱まる1個、もう一つはより小さいアイルランド産、2等分され表面積の増加により匂いを発散

 

 スペイン玉葱はジブラルタル出身のモリーに、アイルランド玉葱はダブリン生まれのブルーム氏に対応していると思う。

 

アイルランド模範酪農場のクリームの瓶一つ

 

 アイルランド模範酪農場は、農業近代化教育のために設立されたアルバート農業大学(Albert Agricultural College)のことと思われる。

 

 クリーム瓶のイメージはこのようなもの。

                                                f:id:ulysses0616:20211114094732j:plain

 今朝ブルーム氏は紅茶に砂糖とクリームを添えているが、クリームはモリーのためと言っている。

Everything on it? Bread and butter, four, sugar, spoon, her cream. Yes.(U51.298)

 

 第8章で、ノーランは一昨日、ブルーム氏がモリーのためクリームを買うところを目撃している。

It’s not the wife anyhow, Nosey Flynn said. I met him the day before yesterday and he coming out of that Irish farm dairy John Wyse Nolan’s wife has in Henry street with a jar of cream in his hand taking it home to his better half. She’s well nourished, I tell you. Plovers on toast.(U145.951)

 

 クリームはモリー専用で、高価で質の良いもののようだ。

 

⑪茶色の陶器の水差し1つ、1ナギンと4分の1の悪くなった混ぜ物入りの牛乳、つまり熱により、水と酸っぱい漿液と半凝固した凝乳に変化したものが入っており、ブルーム氏とミス・フレミングの朝食により減じた分を加えるなら1英パイント、当初配達された総量となる。

 

 ナギン "naggin " というのは、アイルランドの英語で小瓶の酒のこと。もともとは0.25 英パイント (約140 ml)の量を意味するよう。ここも容量の意味。

 

   牛乳中のバクテリアは、ラクトースという糖を分解し乳酸を産みだし、これが酸っぱくなる原因となる。乳酸により牛乳全体が酸性となり、牛乳内に存在するカゼイン分子が互いに凝集し始め沈殿する。それで牛乳が腐ると分離する。

 

   ミス・フレミングはブルーム家に通いで来ている家政婦さん。牛乳を飲むのはブルーム氏とフレミングで、モリーは飲まないようだ。だから牛乳の質は悪いのだろう。

 

⑫クローヴの実2個

 

 クローヴはモリーが口臭消しに使っている。(U233.1057)

 

⑬半ペニー硬貨1枚

 

⑭牛の肋肉一切れの乗った小皿1枚

 

 これはモリーがブルーム氏の夕食のためにとっておいたものではないだろうか。

 

2.プラムトゥリーの瓶詰肉

さて、プラムトゥリーの瓶詰肉について。この小説に何度も登場する。

 

①第5章、街頭でマッコイと会った時、ブルーム氏は新聞を広げて、プラムトゥリーの広告を目にする。今日、ディグナムの葬儀があり、新聞の訃報欄を見ようとしたのだと思われる。

He unrolled the newspaper baton idly and read idly:

 

What is home without

Plumtree’s Potted Meat?

Incomplete.

With it an abode of bliss.

(U61.145)

 

②第8章、ヒーリー文具店の広告をみて、ブルーム氏は、ヒーリーの思いつく広告のアイデアは新聞の訃報欄の下に掲載された瓶詰肉の広告のようなひどいものと思う。ブルーム氏の職業は広告取なので、広告に関心がある。

 

His ideas for ads like Plumtree’s potted under the obituaries, cold meat department. You can’t lick ’em.(U127.139)

 

③同じく第8章、ブルーム氏はパブで何を食べようかと思案して、訃報欄の下のプラムトゥリーの瓶詰肉の広告を思い出す。彼の連想は死者の肉や人肉食のことに発展していく。

 

Sardines on the shelves. Almost taste them by looking. Sandwich? Ham and his descendants musterred and bred there. Potted meats. What is home without Plumtree’s potted meat? Incomplete. What a stupid ad! Under the obituary notices they stuck it. All up a plumtree. Dignam’s potted meat. Cannibals would with lemon and ric(U140.743-)

 

 

④第15章。ブルーム氏の幻想場面。彼は両手に豚と羊の肉をもっているが、元カノのブリーン夫人にそれは何かと聞かれてプラムトゥリーの瓶詰肉の広告を想起する。

 

BLOOM: (Offhandedly.) Kosher. A snack for supper. The home without potted meat is incomplete. I was at Leah, Mrs Bandmann Palmer. Trenchant exponent of Shakespeare. Unfortunately threw away the programme. Rattling good place round there for pigs’ feet. Feel.(U364.495)

 

⑤第17章、今回の箇所 (U552.312)

 

⑥第17章。あってはならない広告の例として、プラムトゥリーの瓶詰肉の広告が挙げられる。続いてプラムトゥリーの瓶詰肉の詳細が説明される。

 

Such as never?

 

What is home without Plumtree’s Potted Meat?

Incomplete.

With it an abode of bliss.

Manufactured by George Plumtree, 23 Merchants’ quay, Dublin, put up in 4 oz pots, and inserted by Councillor Joseph P. Nannetti, M. P., Rotunda Ward, 19 Hardwicke street, under the obituary notices and anniversaries of deceases. The name on the label is Plumtree. A plumtree in a meatpot, registered trade mark. Beware of imitations. Peatmot. Trumplee. Moutpat. Plamtroo.(U560.597-)

 

⑦第17章。ブルーム氏がベッドに入って感知したものが描写される。パン屑と瓶詰肉のかけらがベッドには残されてた。

 

What did his limbs, when gradually extended, encounter?

 

New clean bedlinen, additional odours, the presence of a human form, female, hers, the imprint of a human form, male, not his, some crumbs, some flakes of potted meat, recooked, which he removed.(U601.2126)

 

⑧第18章。ブルーム氏の妻モリーの夢うつつの意識。昼間ボイランとポートワインを飲んで瓶詰肉をたべたことを思い出す。

 

after the last time after we took the port and potted meat it had a fine salty taste yes

(U611.132)

 

この小説において、プラムトゥリーの瓶詰肉とは以下のような意味を帯びている。

1.新聞の訃報欄の下の広告として、埋葬や死者の肉への連想。

2.ブルーム家のベッドでモリーとボイランが食べたものとして、密会の象徴。

 

さらに『出エジプト記』との関連づけられているように思う。

 

ユリシーズ』では、「エジプトの肉鍋」“fleshpots of Egypt” という言葉も何度か出てくる。スティーヴンが、第3章(U35.177)と第9章(U171.884)で、ブルーム氏が第5章(U70.548)で、ブルーム氏の祖父ヴィラーグ・リポディが第15章(U419.2365)でこのことばを発する。

 

もともとは旧約聖書出エジプト記』(16.3)で、エジプトに住んでいたイスラエル人がモーゼに率いられてエジプトから脱出するのだが、荒野で食料が尽き「エジプトでは肉鍋をたべていたのに」と不平をいうというところに出てくる言葉。「エジプトの肉鍋」というのは想像上のごちそうや欲望をあらわしている。

 

また、第7章のおしまいで新聞社から酒場への道中、スティーヴンが語る寓話のタイトルは「ピスガ山からのパレスティナ眺望、あるいはプラムの寓話」”A Pisgah Sight of Palestine or The Parable of The Plums” (モーセがエジプト脱出後、山頂から約束の地カナンを眺めたのがピスガ山。)

 

プラムトゥリーには、「エジプトの肉鍋」と「プラムの寓話」が関連付けられていると思う。

 

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60 (U598.2015)

出奔者は、決して何処にも如何にしても、再帰することはないのであろうか。

第60投。598ページ、2015行目。

 

 

 Would the departed never nowhere nohow reappear?

 

 Ever he would wander, selfcompelled, to the extreme limit of his cometary orbit, beyond the fixed stars and variable suns and telescopic planets, astronomical waifs and strays, to the extreme boundary of space, passing from land to land, among peoples, amid events. Somewhere imperceptibly he would hear and somehow reluctantly, suncompelled, obey the summons of recall.

 

 出奔者は、決して何処にも如何にしても、再帰することはないのであろうか。

 

 たゆまず彼は流浪するであろう、自発的に、その彗星軌道の極限まで、恒星を、変光する太陽を、望遠鏡的天体を、天文学的無主の地の向こうへ、空間の果てまで、陸から陸へ、人々のあわいを、出来事のはざまを。何処かで、かすかに、耳にするであろう、そして如何にしてか意に反し、太陽に強いられて、帰還の召喚に応ずるであろう。

 

第17章。この章は初めから終わりまで、質問と答えの形で書かれている。夜中の2時過ぎ、ブルーム氏はスティーヴンを自宅につれて帰った。スティーヴンが出て行ってしまった後、ブルーム氏の頭をさまざまな思考が去来する。

 

ブルーム氏は家族を捨ててどこか遠くへと行ってしまうことを夢想している。スティーヴンを星空の下で見送ったことからか、第17章には宇宙的な表現が多い。

 

このQ&Aは幾何学的にできていて,

 

never, nowhere, nohow が対句。

 

以下がそれぞれ対応する。

departed - reappear

wander - recall

never - ever

nowhere – somewhere

nohow - somehow

selfcompelled – suncompelled

 

waifs and strays は、法律用語で「所有者が不明の物や動物」のことだが、その後転じて「浮浪児、のら犬」の意味となっている。ここは元の意味がイメージされているのではないか。

 

放浪 wander と帰還 recall は、もちろん、『ユリシーズ』のモティーフのベースになっているホメロスの『オデュッセイア』の基本ストーリー。

 

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ハレー彗星の軌道(Path of Halley’s comet)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PSM_V76_D020_Path_of_halley_comet.png

 

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