Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

136(U179.1205)

男が後ろから2人の間を通り抜け、会釈して出て行った。

第136投。179ページ、1205行目。

 

 A man passed out between them, bowing, greeting.

 

 —Good day again, Buck Mulligan said.

 

 The portico.

 

 Here I watched the birds for augury. Ængus of the birds. They go, they come. Last night I flew. Easily flew. Men wondered. Street of harlots after. A creamfruit melon he held to me. In. You will see.

 

 —The wandering jew, Buck Mulligan whispered with clown’s awe. Did you see his eye? He looked upon you to lust after you. I fear thee, ancient mariner. O, Kinch, thou art in peril. Get thee a breechpad.

 

 男が後ろから2人の間を通り抜け、会釈して出て行った。

 

 ―またまた、こんにちは、とバックマリガン。

 

 柱廊式玄関

 

 ここでぼくは鳥を見て占いをした。鳥のエーンガス。飛び来たり飛び去る。昨日の晩ぼくは飛んだ。確かに飛んだ。みんなびっくりしていた。そして娼館の街へ。クリームフルーツ・メロンをぼくに。入りな。中で会えるから。

 

 ―さまよえるユダヤ人だ。バック・マリガンが小声でおどけて恐ろしがる。あの目を見たかい。きみを後ろからいやらしい目で見ていたよ。我は恐る、老水夫よ。おお、キンチ、汝危機に瀕す。尻当てにて防ぐべし。

 

第9章の終り。国立図書館シェイクスピアについて議論をしたのち、主人公のスティーヴンと友人バック・マリガンが図書館を退出するところ。ブログの第97回の箇所のすぐ前。

 

2人が図書館の中をここまできた道筋についてはブログの第115回で見た。円柱のあるホールまで階段を下りてきて入口に差しかかった。

 

このくだりには、小説の内と外に紐づけられたさまざまな情報が緊密に集積しているので解明に手間がかかる。

 

 

鳥のエーンガス

後ろからやって来て、2人の間をすり抜けていったのは、この小説のもう一人の主人公であるブルーム氏。彼は広告取りを職業にして、キーズ商店の新聞広告の図案を探しに図書館へ来ていた。マリガンは、図書館に来たとき、図書館の向かいの博物館でギリシア彫刻の尻を眺めていたブルーム氏に遭遇している。

 

”portico” ポーチコとは、「柱廊式玄関」つまり「円柱または迫持で支えられた破風付きの玄関」

 

国立図書館の柱廊式玄関

 

ティーヴンは、以前、この図書館の柱廊で鳥占い (augury) のことを考えたことを思い出している。このことは『ユリシーズ』に先立つ時代を描いた『若い藝術家の肖像』の第5章にでてくる。そのことについてはブログに第97回ですでにみた。

 

エーンガス (Ængus,  Aengus)  は、ケルト神話の神。持物(アトリビュート)は、鳥、白鳥、琴。愛、美、若さ、夢、詩的想像力を司る。

 

File:Heroes of the dawn (1914) (14566173909).jpg - Wikimedia Commons

 

ティーヴンが、エーンガスを思い浮かべたのは、①鳥占いを思い出したことと、②すこし前の所で、マリガンが、スティーヴンに、行こう、キンチ(スティーヴンのあだ名)「さすらいの鳥のエーンガス」、と呼びかけたことから。

 

—Come, Kinch. Come, wandering Ængus of the birds.

Come, Kinch. You have eaten all we left. Ay. I will serve you your orts and offals.

Stephen rose.

(U176.1093)

 

マリガンがスティーヴンに「さすらいの鳥のエーンガス」と呼びかけたのは、①エーンガスが詩をつかさどる神(彼はスティーヴンのことをからかい気味に詩人と呼ぶ)であること、②ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats、1865年 - 1939年)の有名な詩に『さすらいのエーンガスの歌』(The Song of Wandering Aengus)があることからだと考える。

 

ティーヴンの夢

ティーヴンは昨夜、空を飛んだ夢を見たことを思い出す。飛んだ夢を思いだしたのは、①鳥占いからの連想と、②エーンガスが夢を司る神であるからだと考える。

 

ティーヴンは人工の翼を作って息子のイカロスと迷宮を脱出したダイダロスにちなむ「デッダラス」(Dedalus)という姓を与えられており、飛翔の夢をみるのはそれにふさわしい。

 

ティーヴンは昨夜3つの夢を見たようだ。①黒豹の夢、②飛んだ夢、③娼館とメロンの夢。

 

彼は、第3章、浜辺の場面で回想している。彼の住居に居候の英国人ヘインズに起こされた後、ヘインズと同じ夢、黒豹の夢、を見たんだったっけ、と。見たのは中東の娼館の通りの夢だった。ハル―ン・アラシッドのような謎の男に娼館に誘われた。男はメロンを押し付けてきた。赤いカーペットが敷いてある。

 

After he woke me last night same dream or was it? Wait. Open hallway. Street of harlots. Remember. Haroun al Raschid. I am almosting it. That man led me, spoke. I was not afraid. The melon he had he held against my face. Smiled: creamfruit smell. That was the rule, said. In. Come. Red carpet spread. You will see who.

(U39.365―)

 

メロンを差し出したのは、いま出て行ったあの男だった、と気づいたのかもしれない。

 

ブログの第43回ですでにふれたように、第13章、やはり同じ浜辺の場面で、ブルーム氏は昨晩見た夢を思い出す。妻のモリーはトルコ風の赤いスリッパとズボンをはいている。スティーヴンとブルーム氏は同じ夢を見たように思われる。

 

Dreamt last night? Wait. Something confused. She had red slippers on. Turkish. Wore the breeches. Suppose she does? Would I like her in pyjamas? Damned hard to answer. 

(U311.1240-)

 

第15章。娼館の場面で、ブルームといっしょになったスティーヴンは、メロン(スイカ?)の夢を見たことをまた思い出す。現実と夢が混じりあう。それは娼館街での夢だった。魔王がぽっちゃりした後家さんを勧めた。そして夢で「飛んだ」ことも。

 

 STEPHEN: Mark me. I dreamt of a watermelon.

 ZOE: Go abroad and love a foreign lady.

 LYNCH: Across the world for a wife.

 FLORRY: Dreams goes by contraries.

 STEPHEN: (Extends his arms.) It was here. Street of harlots. In Serpentine avenue Beelzebub showed me her, a fubsy widow. Where’s the red carpet spread?

 BLOOM: (Approaching Stephen.) Look...

 STEPHEN: No, I flew. My foes beneath me. And ever shall be. World without end. (He cries.) Pater! Free!

(U466.392―2)

 

ブログの「第2の踊り場」でふれたように、メロンは寝床でブルーム氏がキスするモリーの尻と結びついており、ブルーム氏がスティーヴンに妻のモリーを勧めたということを示唆する。今回の一節には、ブルーム氏を経由して尻とメロンの主題も響いている。

 

 Then?

 

 He kissed the plump mellow yellow smellow melons of her rump, on each plump melonous hemisphere, in their mellow yellow furrow, with obscure prolonged provocative melonsmellonous osculation.

(U604.2240-)

 

第18章、なぜか夢の世界はモリーにも共有されていて、モリーは、寝床の夢想でもしスティーヴンと親しくなるなら、トルコ人から赤いスリッパを買わなくては、と思っている。

 

if he takes a gesabo of a house like this Id love to have a long talk with an intelligent welleducated person Id have to get a nice pair of red slippers like those Turks with the fez used to sell)

(U641.1494)

 

冨田恭彦氏の『デカルト入門講義』を読んでいて、哲学者、デカルト(René Descartes、1596 - 1650)の見た夢というのを知った。驚いたことに、デカルトの見た夢とスティーヴンの見た夢は似ている。

 

デカルトの伝記を書いたフランスの司祭アドリアン・バイエ(1649‐1706)の『デカルト氏の生涯』第1部によるとデカルトは1691年の11月10日から翌11日にかけての夜、3つ(!)の夢を見ているという。一つめの夢にメロンがでてくる。

 

・・・道の先に、学院が開いているのが見え、そこに逃げ込んで何とかしようと中に入った。・・・学院の中庭の真ん中に、別の誰かを見た。その人は、鄭重に礼儀正しく彼を名前で呼び、もし彼がN氏に会いに行く気があるのなら、N氏はなにかをくれるだろうと言った。デカルト氏はそれはどこかよその国から輸入されたメロンではないかと思った。

P.44   冨田恭彦デカルト入門講義』(ちくま学芸文庫、2019年)

 

ジョイスデカルトの夢のことを知っていたのだろうか。

 

放浪

マリガンはブルームのことを「さまよえるユダヤ人」という。ブルーム氏の父親はユダヤ人である。

 

「さまよえるユダヤ人」は、ヨーロッパ伝説。刑場にひかれて行くキリストを辱しめた一人のユダヤ人が、死ぬこともできず永遠に放浪するという話。

 

” I fear thee, ancient mariner.”  はイギリスの詩人 サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge, 1772年 - 1834年)の代表作『老水夫行』 (The Rime of the Ancient Mariner)から。

 

I fear thee, ancient Mariner!

I fear thy skinny hand!

And thou art long, and lank, and brown,

As is the ribbed sea-sand.

 

おいらはこわいよ、舟乗りのじいさん、

あんたの骨と筋ばかりの手が。

それにひょろっとした土気色の胸は

波打際の砂浜のようじゃないか。

(上島健吉編「古老の舟乗り」『対訳コウルリッジ詩集』岩波文庫、2002年)

 

嵐で南氷洋に流された船乗りは、アホウドリのおかげで脱出するが、罪もないアホウドリを殺してしまう。その呪いで船は赤道直下で静止し、仲間は死んでしまう。船乗りが海蛇を祝福すると風が吹き故郷へ帰りつく。以後、船乗りは放浪の身となりこの物語を語る、という筋の,バラッド形式の物語詩。

 

『さすらいのエーンガスの歌』も加えれば、この一節を放浪の主題が貫いている。

 

    

 Johanna Fosie (1726 – 1764) 'Melon halved and quartered' (1755)

File:Johanna Fosie Melon halved and quartered (1755).jpg - Wikimedia Commons

 

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