Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

29 (U30.449)

断じてそいつらを入れなかった。

第29投。30ページ、449行目。

 

 —She never let them in, he cried again through his laughter as he stamped on gaitered feet over the gravel of the path. That’s why.

 On his wise shoulders through the checkerwork of leaves the sun flung spangles, dancing coins.

 

 ー断じてそいつらを入れなかった。彼はゲートルを巻いた足で小路の砂利をふみしめ、笑いながらもう一度大きな声で言った。そういうわけだ。

 知者の肩に、葉の格子を抜けた日の光がきらめく、跳ね踊るコイン。

 

第2章。朝の10時ごろ。スティーヴンはドーキーの私立学校で講師をしており、今日、校長のギャレット・デイジーから給料をもらった。スティーヴンとデイジー校長の会話。

 

ギャレット・デイジーは、アルスター出身のプロテスタント。『ユリシーズ』に出てくる人物はほとんど下層中流(ロウワーミドル)あるいはそれ以下の人であるが、デイジー校長はめずらしく比較的上のクラスの人物だ。

 

彼ははここで、「英国はユダヤ人を迫害しなかった唯一の国である、なぜならユダヤ人を入国させなかったから」ということを言っている。

 

Sheは英国。themはユダヤ人を指す。

 

第4章から登場するもう一人の主人公ブルーム氏はユダヤ系の人物である。デイジー校長の説は、ブルーム氏の登場の間違った伏線となっている。

 

ゲートルとは脛の部分に巻く軍装品。民間でも第二次大戦頃までは軍隊と同様に広く普及していたという。デイジー校長がなぜゲートルを着用しているのかその風俗的意味がわからない。

 

ユリシーズ』でゲートルを履く人物は2人。デイジー校長とブルーム氏の妻の愛人ボイランである。(U302.801)(U639.1422)ジョイスは主人公スティーヴィンとブルーム氏それぞれの敵にゲートルを履かせたのではないか。

 

デイジー校長の肩に落ちるコインは、今日スティーヴンがもらった給金とつながる。

 

ここは第2章のおしまいのところで、この小説きっての名場面。とても美しい文章だ。

 

f:id:ulysses0616:20210109164102j:plain

Sunlight Through Leaves

"Sunlight Through Leaves I" by Martin Burns is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 

このブログの方法については☞こちら

28 (U327.593)

さて行け、わが近親ハリー卿の命に従い、

第28投。327ページ、593行目。

 

 

So be off now, says he, and do all my cousin german the lord Harry tells you and take a farmer’s blessing, and with that he slapped his posteriors very soundly. But the slap and the blessing stood him friend, says Mr Vincent, for to make up he taught him a trick worth two of the other so that maid, wife, abbess and widow to this day affirm that they would rather any time of the month whisper in his ear in the dark of a cowhouse or get a lick on the nape from his long holy tongue than lie with the finest strapping young ravisher in the four fields of all Ireland.

 

さて行け、わが近親ハリー卿の命に従ひ、農夫の祝福を受けよ、かく曰ひて、臀部ぴしゃりと叩きぬ。その打擲と祝福により農夫は味方になりと、ヴィンセント曰く、農夫はその補ひに、並びなき策略を牛に教へし故。娘、人妻、尼、後家、今日に至るまでかく首肯せり、愛蘭全土四州の最上の屈強な若き乱暴者と寝るよりも、月の何時でも牛小屋の暗がりにて、その耳に囁き、はたまた、その長き聖なる舌で以つてうなじをひと舐めされたしと。

  

このブログでは乱数に基づいて行き当たりばったりのところを読んでいますが、はからずも、新年1回目は牛にまつわるところに当たりました。

 

国立産科病院の談話室で、スティーヴンとブルーム、医学生らが談笑している。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所はジョナサン・スゥイフト(1667-1745)の『桶物語』(1704)の文体によるという。寓意、諷喩の文章となっている。

 

オデュッセイア』のモティーフとの対応では産科病院は太陽神の島トリナキエ島にあたる。オデュッセウスの部下は、禁じられたにも関わらす、太陽神の家畜の牛を食べてしまう。

 

そのため、第14章では牛が主要なモティーフとして現れる

 

bullには、①牡牛、②ローマ教皇の大勅書、③John Bullとして典型的な英国人の意味があり、この前後の一節では、教皇と英国王とアイルランドの歴史が牛にからめて語られている。読み解くのに骨が折れる。

 

一つ目の文のheは、農夫ニコラスで、彼が牛に「それ行け」と言っている。
ニコラスとは教皇ハドリアヌス4世、牛はカトリック教会と教皇の大勅書を指していると思われる。ハリーとはヘンリー2世。

 

ハドリアヌス4世(1100年頃 - 1159年)はローマ教皇(在位:1154年 - 1159年)で唯一のイングランド出身の教皇。本名はニコラス・ブレイクスピア(Nicholas Breakspear)。1155年、ハドリアヌス4世はラウダビリテル(Laudabiliter)と題する教皇勅書を発し、イングランド王ヘンリー2世に対してアイルランドを攻めることを許可した。異端の広まっていたアイルランドの教会をカトリック教会のもとに置き全島の教化を図ろうとした。

 

ヘンリー2世(1133年 - 1189年)は、イングランドの国王。1171年アイルランドへ侵攻し、イングランド王としては初めてアイルランドに上陸。初代のアイルランド卿(Lord of Ireland)となり、アイルランドの諸王に恭順を誓わせた。

 

ヴィンセントは、医学生でスティーヴンの友人のヴィンセント・リンチ。第2文は彼の語りで、ヘンリー2世のアイルランド侵攻とカトリック教会による教化のことを言っている。

cowhouseとは告解室の意。

『桶物語』に牛と勅書をかけてbullと言った箇所がある。「ピータァ」はカトリックを擬人化したもの。

「しかしピータァがその貴重品の中でも一番珍重していたのは一組の牡牛(bulls)で、かの金羊毛を守護した牡牛の直系の後裔として幸運にもその種が保存されていたもの尤も綿密に観察してみると、血の純潔が完全には保たれたとは思えず、或る特性では先祖より堕落しているし他の血が交じってたいへん違った性質を獲得していると言う人もある。」

スウィフト「桶物語」『桶物語 書物戦争』(深町弘三訳、岩波文庫、1968年)

 

f:id:ulysses0616:20210104223605j:plain

John Bull triumphant

 File:John Bull triumphant. (BM 1851,0901.22).jpg - Wikimedia Commons

27 (U199.831)

トネリコの杖の握りで肩甲骨を叩きながら、

 

第27投、199ベージ 831行目。

 

 

 Stephen went down Bedford row, the handle of the ash clacking against his shoulderblade. In Clohissey’s window a faded 1860 print of Heenan boxing Sayers held his eye. Staring backers with square hats stood round the roped prizering.

 

 トネリコの杖の握りで肩甲骨を叩きながら、スティーヴンはベッドフォード小路を下っていった。クロヒッシ―のウインドウに、1860年ヒ―ナンがセイヤーと闘うボクシングの色あせた版画があるのが、ちらりと目に留まった。四角い帽子の賭け手たちがロープを張ったリングを丸く囲んで見つめる。

 

第10章。第6回のブログのすぐ前の所。スティーヴンがベッドフォード通りを河岸のほうへ歩いている。

 

クロヒッシ―は本屋。

 

held his eye の eye が単数形なのに気がつく。これは、ちらっとみた、ということではないか。
keep an eye on は「ちょっと見ておいて」
keep your eyes on は「目を離すな」という意味である由。

 

アメリカ人のジョン・キャメル・ヒーナン(1834 – 1873)と英国人のトム・セイヤーズ  (1826 – 1865) のボクシング試合は、1860年4月17日ロンドンから数キロ南にあるハンプシャー州ファーンバラで行われた。初めての国際タイトル試合と考えられている。2人の偉大なチャンピオンの試合は、大西洋の両側で熱狂的な関心を持って迎えられた。

 

当時、ボクシングはベアナックルボクシングと呼ばれ、素手で戦われ、ノックダウンするまで試合は続いた。そして違法だった。

 

34歳のセイヤーズ、66キロ172センチ、に対し。26歳のヒ―ナン、88キロ188センチ、で年齢体格ともにセイヤーズには不利であった。

 

試合はもちろん賭けの対象でありリングの周りの牧草地には、12,000人の観客が集まった。死闘は2時間27分続く。警官の介入があったのちも、さらに5ラウンド戦われ、最終的にはレフリーにより引き分けとされた。

 

ユリシーズ』で何度も言及されるもう一つのボクシング試合は、小説の現在、1904年6月16日からは、ついこのあいだ、5月22日に行われたキーオウ対ベネット戦である。アイルランド出身のキーオウが、英国特務曹長ベネットを打ち負かした。キーオウは実際のボクサーだがベネットは架空のボクサーである。

 

ヒ―ナン対セイヤーズは伝説の英米対抗戦であるの対し、キーオウ対ベネットは現在のイングランドアイルランドの対抗戦といえる。小説にナショナリズムの主題を導入している。

 

square hat というのが何かわからないが、絵を見ると、シルクハットのことのようだ。square と round を対にしているのだ。こういうところが実に見事。

 

f:id:ulysses0616:20201231160406j:plain

ヒ―ナン対セイヤーズ(Heenan vs Sayers)

 "VICTOR DUBREUIL (American, active 1880 - 1910). The International Contest between Heenan & Sayers, circa 1880s" by Diversity Corner is licensed under CC BY-NC 2.0

 

このブログの方法については☞こちら

26 (U643.1601)

そうそれから風変わりなちいさな通り

 

第26投。643ページ、1601行目.

 

 

yes and all the queer little streets and the pink and blue and yellow houses and the rosegardens and the jessamine and geraniums and cactuses and Gibraltar as a girl where I was a Flower of the mountain yes

 

そうそれから風変わりなちいさな通りそれから桃色と青色と黄色の家それからローズガーデンとジェサミンとゼラニウムとサボテンそれからジブラルタルでわたしは子供で山にさく花だったわそう

 

 

第18章。最終章はブルーム氏の妻のモリ―の心中。36ページあるが、ピリオドもコンマもない単語の連なり、8つでできている。4つ目と8つ目の段落のおわりにのみコンマがある。

 

夜中の3時過ぎ。あと10行で小説は終わるという箇所。

 

部屋に花を飾りたいという願望から、ホウスの丘でブルーム氏から求婚されたこと、ブルーム氏がその時「君は山に咲く花」と言ったことを連想し、生まれ育った英領ジブラルタルのことを思い出している。

 

ローズガーデンがあるのは、ジブラルタルのアラメダ公園だろう。(U643.1599)

 

ユリシーズ』は『オデユッセイア』のモティーフをベースにするが、オデュッセウスジブラルタル海峡を越えて冥界へ行ったことから、ジブラルタルが取られているとおもう。

 

花はジブラルタルの植物園の花であり、ホウスの丘のツツジであり、山に咲く花であるモリー自身であり、花という名をもつブルーム(Bloom)である。

 

f:id:ulysses0616:20201229233711j:plain

モリ―・ブルーム像(Statue of Molly Bloom)

 "15 de abril 2016 Jardines de la Alameda de Gibraltar (47)" by infogibraltar is licensed under CC BY 2.0

 

アラメダ公園のモリ―・ブルーム像。台座にはちょうどこの一節が刻まれている。

 

このブログの方法については☞こちら

25 (U368.608)

(彼は売春婦たちの溜りを抜けて、

第25投。368ページ、608行目と出ました。 

 (He plodges through their sump towards the lighted street beyond. From a bulge of window curtains a gramophone rears a battered brazen trunk. In the shadow a shebeenkeeper haggles with the navvy and the two redcoats.)

 

 THE NAVVY: (Belching.) Where’s the bloody house?

 

 THE SHEBEENKEEPER: Purdon street. Shilling a bottle of stout. Respectable woman.

 

 

 (彼は売春婦たちの溜りを抜けて、通りの明るいほうへ歩いていく。窓のカーテンのふくらみから蓄音機の形のくずれた真鍮のラッパがとびだしている。物影でもぐり酒場の主人が道路工事人と2人の赤服の兵士と言い合っている。)

 

 道路工事人(げっぷして):そのぼったくり酒場はどこだい。

 

 もぐり酒場の主人:パードン通りさ。スタウト1本1シリング。まともな女がいるよ。

 

第15章。夜中の12時過ぎ。ブルーム氏は酔っ払ったスティーヴンとリンチの2人を追って、娼家街へやってきた。マボット通りからメクレンバーグ通りに入ったあたり。

 

2人の兵隊とは後でスティーヴンと衝突するコンプトンとカーの二人だろう。当時ダブリンは英国の都市であり英国兵は赤い制服を着ている。

 

 蓄音機も、後に登場して『聖なる都』を奏でる蓄音機と思われる。(U413.2170)

 

trunk とは何かわからない。真鍮の、というのでラッパと理解した。

rear も分からない。辞書上の、立てる、持ち上げる、との意に近いのだろうと理解した。

 

shebeen はアイルランドのことばで、無許可で酒類を提供するもぐり酒場。

 

1904年当時正規の酒場の閉店時間は11時だった。もぐり酒場ではまだ酒が飲める。当時の1シリングは、今の値打ちで約4ポンド、つまり550円くらい。正規の値段より高いのだろうがむちゃくちゃなぼったくり価格ではないようだ。

 

f:id:ulysses0616:20201227214421j:plain

蓄音機(gramophone)

"Early 20th Century iPods - 1" by ketrin1407 is licensed under CC BY 2.0

 

このブログの方法については☞こちら

 

24 (U244.213)

額に汗して稼いだ金さ

第24投。244ページ、213行目。

 

 

—Sweat of my brow, says Joe. ’Twas the prudent member gave me the wheeze.

—I saw him before I met you, says I, sloping around by Pill lane and Greek street with his cod’s eye counting up all the guts of the fish.

 

―額に汗して稼いだ金さ、ジョウが言う。分別会員が妙案をくれたんでね。

―お前に会う前にそいつを見かけたぜ、俺は言う、ピル小路とグリーク通りの角をうろうろと、出っ鱈目で魚のはらわたを数え上げてたって。

 

 

こういう所を読むのは実に面白い。

 

第12章。バーニー・キアナンの酒場で、新聞記者のジョー・ハインズが「市民」たちと飲みだした所。ハインズが1ポンド金貨をぽんと出してみんなにおごる。1904年の1ポンドは今の価値では1万円に相当する。

 

一つ目はハインズの台詞。

 

「額に汗」は、聖書から。神様がアダムに言ったこと。

 

  汝は面に汗して食物を食ひ終に土に歸らん 

  其は其中より汝は取れたればなり 

  汝は塵なれば塵に皈るべきなりと (創世記第3章第19節)

 

今朝ハインズは新聞社で、ブルーㇺ氏から「今経理をつかまえれば給料がもらえる」とアドバイスをうけて給料にありつくことができたのだ。ブルーム氏はハインズに金を貸しているのでその返金を促すためにいったのだが、ハインズは気がついていない。(U99.112)

 

prudent memberとはブルーム氏のことで、彼がフリーメイソンのメンバーであると言っている。ブルーム氏は父がユダヤ系であるうえに、フリーメイソンとおもわれていて、カトリック社会であるダブリンの仲間内で、いわば差別されている。

 

思慮(prudence)(慎重とはちがう)は、勇気 (fortitude)、節制 (temperance)、正義 (justice)とともに古代ギリシア以来の西洋の中心的徳目、枢要徳(cardinal virtues)とされている。フリーメイソンの教義にこれがあるのか確かめられなかった。ブルーム氏をからかって言っているので「分別会員」と訳した。

 

ブルーム氏が本当にフリーメイソンなのかは定かでない。筆者は違うと思う。彼はとかく誤解される人だから。

 

wheezeは、「喘息のようなゼーゼーいう音」という意味だが、アイルランドスラングで「名案」.や「しゃれ」という意味とのこと。ここではブルーム氏に経理のことで助言をもらったことを指す。額の汗といっているので、勝ち馬の情報のことではない。

 

ユリシーズ』にはここ以外に、3か所にでてくる。

 

Didn’t catch me napping that wheeze.(U62.178)

  鞄を貸りようとするマッコイの「いつもの手」について

 

The Rose of Castile. See the wheeze? Rows of cast steel. Gee!(U111.591)

  レネハンお得意の「しゃれ」について

 

The wife was playing the piano in the coffee palace on Saturdays for a very trifling consideration and who was it gave me the wheeze she was doing the other business? (U211.487)

  ブルーム家でズボンを借りるという「妙案」について(プログの19回に出てきた話)

 

すべてスラングの方の意味で使っている。しかもどれもユーモラスな見せ場でつかわれている。ジョイスにとってwheezeは特権的な語彙なのだ。

 

さて、2つ目はこの章の語り手の台詞。

 

ブログの15回で触れたように、柳瀬尚紀さんは、この語り手は「犬」だと論じた。(岩波新書ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』、1996年)。

slop は、口語で、ぬかるみをバシャバシャ歩く、ぶらぶらする、との意味。たしかに犬の使いそうな言葉だ。

 

また、柳瀬さんによると、says は said の訛りという。(同書P.70)

 

東西に走るPill lane(現在はChancery street)から南北に走るGreek streetを北上すると東側に、魚市場があった(今世紀初めに取り壊された)。その隣、St.Michan’s streetをはさんで東側にはダブリン市野菜果実市場がある(2019年より再開発中)ブルーム氏は魚市場を歩いてバーニー・キアナンへやってくる途中、語り手に目撃された。

 

なぜかブルーム氏は後の13章で、Pill lane で時計を見たことを思い出している。(U306.986) 

 

鱈の目 cod’s eye、これもスラングだが、調べると色々な可能性がある。

 

  愚か者の目

  どんよりした目

  酔っ払いの目

  形が崩れた目

  眇目

 

そして驚くべし、日本語には「出鱈目」という言葉があり、これを使わせてもらった
「出鱈目」は、当て字で、そもそもは博徒の隠語で、賽の目の出るままを意味する「出たらその目」からといわれる。なんだ、このブログ  ”Ulysses at Random”  にふさわしい。

 

魚のはらわたを数えながら歩く、とはいったいどういうことなのかわからないが、言葉としてとんでもなく面白い。

 

ブルーム氏は朝食に豚(羊ではないようだ)の腎臓のソテーを食べたのだが、4章の冒頭で鱈子のソテー fried hencod’s roes も好みといっている。12章の語り手はブルーム氏の好みを知っているようである。

 

f:id:ulysses0616:20201224204646j:plain

City Fruit and Vegetable Wholesale Markets

 "CONSTRUCTION WORK UNDER WAY - FISH MARKET CAR PARK [ST. MICHAN'S STREET DUBLIN]-147082" by infomatique is licensed under CC BY-SA 2.0

 

魚市場の跡地の駐車場。その向こうに見えるのは野菜果実市場。

 

このブログの方法については☞こちら

 

23 (U510.432)

窓に顔。ゴールのテープを胸で切り、

第23投。510ページ、432行目と出ました。

 

The face at the window! Judge of his astonishment when he finally did breast the tape and the awful truth dawned upon him anent his better half, wrecked in his affections. You little expected me but I’ve come to stay and make a fresh start.

 

 窓に顔。ゴールのテープを胸で切り、伴侶に関して恐るべき真実が彼の心中に立ち現れたとき、彼の驚きの判断は感情の海で座礁した。お前は思ってもみなかったのだろうが俺はここに留まり再出発するために帰ってきたのだ。

 

第16章。真夜中。娼館を後にしたブルーム氏はスティーヴンを介抱するため馭者溜りへとやってくる。そこでマーフィーと名乗る船乗りの話を聞いている。ブルーム氏の心中。

 

ユリシーズ』は、章ごとに様々な文体と手法が用いられており、それを味わうのが楽しみとなる。筆者がはじめて通読したとき、第16章の語りが好きだった。

 

たわいのないことを難しい言い回しで述べたり、ことさら外国語をつかったり、陳腐な慣用句やことわざを多用したりする。文才を欠く人が修辞を凝らした言い回しをしようとし、アマチュア研究者が学のある文章を書こうとしているような、不思議な効果を出している。ジョイスはなぜこのような仕掛けを採用したのだろうか。

 

今回の一節も、言葉がいいたいことと微妙にズレていて、意味の取りにくい悪文となっている。真実(truth) やその類語は、事実(fact)などとともにこの章でよく使われる。ちっとも本当のことや事実がわからないのが、皮肉となっている。

 

さて、ブルーム氏はもう7年も家に帰っていないという船員の話を聞いて、その帰還の場面を空想している。

 

航海や出征など何らかの事情で長らく家庭を不在にした夫が、妻のもとへ不意に帰ってくる。さらに妻は別の男と暮らしている場合も・・・。こういう事件は実際にあったし、フィクションでもなんども取り上げらて来た。

 

Thomas Dunn Englishの詩、 Nelson Kneassの曲による『ベン・ボルト』(1843年)(U510.425)⇒Youtube


アルフレッド・テニスンの詩『イノック・アーデン』(1864年)(U510.425)

ワシントン・アーヴィングの短編小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』(1819年)(U510.426)

1860年代から1870年代にイギリスで起こった事件「ティッチボーン事件」(U531.1343)

 

これらは『ユリシーズ」作中で言及されている。

 

あと筆者が思いつくのは、

16世紀フランスで起こった「マルタン・ゲール事件」

(『帰ってきたマルタン・ゲール―16世紀フランスのにせ亭主騒動』ナタリー・ゼーモン・デーヴィス、平凡社ライブラリー)

 

ナサニエル・ホーソーンの小説『ウェイクフィールド』(1835年)、『緋文字』(1850年)

バルザックの小説『シャベール大佐』(1832年

サマセット・モームの戯曲『夫が多すぎて』(1923年)

 

そもそも『ユリシーズ』の下敷きになっている『オデュッセイア』が、出征したオデュッセウスが長年の遍歴を経て妻ペネロペイアの元に帰還するという話で、この枠組はこの小説の重要なモティーフとなっている。

 

f:id:ulysses0616:20201219220549j:plain

映画『イノック・アーデン』のポスター(Poster for Enoch Arden)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Enoch_Arden_(1911_film).jpg?uselang=ja

 

このブログの方法については☞こちら