Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

22 (U151.26)

微笑め。クランリーの笑みを笑め。

 第22投。151ページ、26行目。

 

  

 Smile. Smile Cranly’s smile.

   First he tickled her

   Then he patted her

   Then he passed the female catheter

   For he was a medical

   Jolly old medi...

 

   微笑め。クランリーの笑みを笑め。

 

   まずは彼女をこちょこちょし

   次に彼女をなでなでし

   それから女性用カテーテルを受け渡し

   なにしろ彼は医学生

   おお、愛しの医学・・・

 

 

第9章の冒頭部分。スティーヴンは、エグリントンらと国立図書館シェイクスピアを論じている。

 

この歌はギフォードの注釈(Ulysses Annotated: Notes for James Joyce's Ulysses. Don Gifford and Robert J. Seidman. University of California Press. 1988)によるとオリバー・セントジョン・ゴガティ(Oliver St. John Gogarty)の戯れ歌  “Song of Medical Dick and Medical Davy” の一部というが、調べる限り(U172.908)の一節

   Then outspoke medical Dick
   To his comrade medical Davy...

はそのようだが、先の一節は見当たらない。ジョイスの創作だろうか。

 

 

ゴガティはスティーヴンの同居人で医学生のマリガンのモデル。

 

この直前で、エグリントンが、スティーヴンが創作を口述筆記させようとしているという6人の医学生がみつかったのか、とからかうので、医学生戯れ歌を想い浮かべた。

 

さて初めの行のsmile。名詞か動詞か。・・・やはり動詞ととるべきでしょう。

 

smileの繰り返し。her, her, catheterが脚韻。

 

 クランリーとは誰か。

 

ティーヴンのユニヴァーシティー・カレッジ時代の友人のクランリーのことで、この小説『ユリシーズ』に先立つ時代を描く『若い芸術家の肖像』に登場する。クランリーはジョイスの一番の友人だった、ジョン・フランシス・バーン(John Francis Byrne, 1880–1960)をモデルとしている。 

 

なぜここにクランリーが出てくるのかがよくわからない。

 

『若い芸術家の肖像』のクランリーの登場場面をたどってみた。クランリーは2か所で微笑みを浮かべている。(P331、P.455、丸谷才一訳、集英社文庫、2014年)「ただじっと沈黙して耳をかたむけてくれた」司祭のような微笑み。エグリントンのからかいをクランリーの笑みで受けとめようとしたのではないか。

 

もうひとつ。伝記的事実として、ジョイスは1902年の終わりごろ、バーンと仲違いした時期に、ゴガティと友人になっている。(『ジェイムズ・ジョイス伝』P.133 リチャード・エルマン、宮田恭子訳、みすず書房、1996年)ゴガティとの結びつきでバーン(クランリー)の微笑みを連想したのかもしれない。

 

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ジョン・フランシス・バーン(John Francis Byrne)

 

Photograph of Mr. John Francis Byrne ('Cranly'). is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.

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21 (U171.868)

ラトランドベイコンサウサンプトンシェイクスピアあるいは

第21投。171ページ、 868行目。

 

When Rutlandbaconsouthamptonshakespeare or another poet of the same name in the comedy of errors wrote Hamlet he was not the father of his own son merely but, being no more a son, he was and felt himself the father of all his race, the father of his own grandfather, the father of his unborn grandson who, by the same token, never was born, for nature, as Mr Magee understands her, abhors perfection.

 

 ラトランドベイコンサウサンプトンシェイクスピアあるいは、間違いの喜劇のなかの同名の詩人が『ハムレット』を書いたとき、彼は、彼の息子の父であっただけでなく、もはや息子でもなく、彼はあらゆる彼の子孫の父、彼の祖父の父、まだ生まれぬ孫の父、さらにいえば、決して生まれぬ孫の父であり、また自身そうおもっていた。なぜなら、自然は、マギー氏が理解しているように、完全を嫌うから。

 

第9章。図書館で、ステイ―ヴンがシェイクスピアについて自説を論じているところ。

 

シェイクスピアは伝記的事実に不明なところが多いので、古来別人説がいくつも論じられてきた。

 

ラトランドベイコンサウサンプトンシェイクスピアというのはその正体とされた人物をつなげている。

① 第5代ラトランド伯ロジャー・マナーズ(Roger Manners, 5th Earl of Rutland, 1576年 – 1612年)

②哲学者、大法官、フランシス・ベイコン(Francis Bacon, 1561年1月22日 - 1626年)

③ 第3代サウサンプトン伯爵ヘンリー・リズリー(Henry Wriothesley, 3rd Earl of Southampton, 1573年 - 1624年)

 

ヘンリー・リズリーはシェイクスピアが詩集『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)を献呈した貴族として知られるが、この人がシェイクスピアだという説があるのか知らない。

 

ティーヴンは、『ハムレット』の殺された父王とシェイクスピアを同一視する説を主張している。

 

今回の一節の意味が難しい。

 "he was not the father of his own son merely but, being no more a son, he was and felt himself the father of all his race, the father of his own grandfather, the father of his unborn grandson who, by the same token, never was born,"

 

"not A merely, but B"  「AのみならずB」という構文であろう。

息子の父のみならず、あらゆる子孫の父、生まれぬ孫の父、とはどういうことかわからない。

 

すぐ前に、スティーヴン の“the Father was Himself His Own Son”というセリフがある。父たる神は彼自身の子、という神学上の説を述べている。

 

この流れから、ここはシェイクスピア自身と神様を同一視していっているものと思う。

シェイクスピアの子たるハムネット(Hamnet)は11歳で亡くなり、その子供はいなかった。
父王ハムレット(=シェイクスピア)の子たるハムレットにも、あの通り、子供はなかった。
神の子たるキリストにも子供はいなかった。
その一方で神もシェイクスピアも創造主としてあらゆる人類の創造者だった。
ということではないか。

 

『間違いの喜劇』とは、シェイクスピアの初期の喜劇だが、シェイクスピアは8歳年上の妻のアン・ハサウウェイといわゆる「できちゃった婚」であったので、彼のことを間違いの喜劇の詩人といっているのではないか。

 

マギー氏とは、この図書館でスティーヴンと議論をしている、文筆家で図書館員のエグリントンの本名(ウィリアム・カークパトリック・マギー, 1868年 – 1961年)。というかエグリントンは実在のエグリントンをモデルにする作中の人物であるが。

 

「自然は完全を嫌う」というのは、アリストテレスの「自然は真空を嫌う」のもじりだろう。この章ではプラトンアリストテレスが話題となっており、スティーヴンはアリストテレス派である。

 

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ヘンリー・リズリー(Henry Wriothesley)

"Henry Wriothesley, 3rd Earl of Southampton" by lisby1 is marked with CC PDM 1.0

 

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20 (U432.2819)

蹄: 熱い山羊革の匂いをかぎな。

第20投。432ページ、2819行目。

 

 

THE HOOF: Smell my hot goathide. Feel my royal weight.

 

BLOOM: (Crosslacing.) Too tight?

 

THE HOOF: If you bungle, Handy Andy, I’ll kick your football for you.

 

 

蹄: 熱い山羊革の匂いを嗅ぎな。堂々たる重みを感じな。

 

ブルーム: (紐を締めながら)きつくない?

 

蹄: へましたら、この与太郎、お前のフットボールを蹴ってやるよ。

 

 

第15章。幻想的な戯曲の形式で書かれている。

 

ベラ・コーエンの娼館。女主人のベラが登場し、椅子に乗せたブーツの紐をブルームに結ばせている。

 

ユリシーズ」はホメロスの「オデユッセイア」のモチーフをベースにしており、ベラ・コーエンは、魔女のキルケ―に対応する。キルケ―は人を動物に変える魔法を使う。

 

少し前に、a plump buskined hoof and a full pastern, silksocked(編み上げブーツを履いたふっくらしたhoof, 絹靴下をはいたpastern)とある。pasternとは「馬の脚のくるぶしとひづめの間」とのこと。だからHoofとは馬の足に変身したベラの足だろう。少なくとも有蹄類の足。


「ハンディ・アンディ」とは、アイルランドの作曲家、小説家のサミュエル・ローバー(1797 - 1868)の小説『ハンディ・アンディ』(1842)の主人公。地主の奉公人として雇われたアンディは何事にもへまをしでかす特異な才能を持つ人物だった。


その後、固有名詞の「ハンディ・アンディ」は「こまごました仕事を何でもする雇い人」「便利屋」「何でも屋」をあらわす一般名詞となった。現在ではDIYショップの商号などにもなっているようである。

 

たまたま、『フィネガンズ・ウェイク』の第9章(229ページ)に、こういう一節を見つけた。"Wild primates not stop him frem at rearing a writing in handy antics."

 

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ハンディ・アンディ(Handy Andy)

 "EM_ark13960t2n61cg9v_001" by jonathanhgrossman is marked with CC PDM 1.0

 

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19 (U222.560)

まあ、なるほど、あれで彼のバス・バレルトーンが出るわけだ。

第19投。222ページ、560行目。

Well, of course that’s what gives him the base barreltone. For instance eunuchs. Wonder who’s playing. Nice touch. Must be Cowley. Musical. Knows whatever note you play. Bad breath he has, poor chap. Stopped.

 

まあ、なるほど、あれで彼のバス・バレルトーンが出るわけだ。たとえばカストラート。誰が弾いているんだろう。いいタッチ。カウリーに違いない。音楽的。弾いている音が何たるか分かっている。息が悪い、哀れなやつ。止まった。

 

 

偶然にも3回連続で近いところに当たった。オーモンド・ホテルのサルーン、カウリー氏のピアノ伴奏で巨体のベン・ドラードが歌っている。曲はトマス・シンプソン・クーク(Thomas Simpson Cooke)作曲の『恋と戦争』。それを離れたレストランで聞くブルーム氏の心中。

 

1894年、グレンクリー感化院の慈善演奏会で歌うベン・ドラードは礼服をもっていなくて、当時古着屋や貸衣装を副業にしていたブルーム家へ寄って燕尾服を借りた。(U222.554)(U220.474)(U636.1285)

ズボンがきちきちで股間のもりあがりがはっきり見えた。だから。カストラート(去勢した歌手)のことを連想している。

 

(U233.1027)でも、再びこう思っている。”Good voice he has still. No eunuch yet with all his belongings.”

 

base barreltone は、ドラードを思わす樽とバス・バリトンを掛けている。赤三角印のビール銘柄バスもか。

 

Bad breathが分からない。

 

哀れ、というのは、カウリー氏はユダヤ人の金貸しルーベンから借金しており、零落しているからだろう。(U200.890)

 

11章は音楽的言語で書かれている。stopはオルガンのストップ(音栓)から。

 

 

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最も有名なカストラートファリネッリ(1705年 - 1782年)

"Portrait de Farinelli par Bartolomeo Nazari (Grand Palais, Paris)" by dalbera is licensed under CC BY 2.0

 

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18 (U225.699)

衰えがこなければ。

前回のブログのすぐ近くに落ちました。225ページ、699行目。

 

 

If he doesn’t break down. Keep a trot for the avenue. His hands and feet sing too. Drink. Nerves overstrung. Must be abstemious to sing. Jenny Lind soup: stock, sage, raw eggs, half pint of cream. For creamy dreamy.

 

衰えがこなければ。通りを早足で駆けられる。手も足も歌ってる。酒。神経がぴんと張り詰める。歌うには節制が必要。ジェニー・リンド・スープ。ストック、セージ、生卵、クリーム半パイント。クリーミー、夢見。

 

第11章、オーモンド・ホテル。ブルームはレストランで食事している。

 

ピアノを弾くカウリー氏に促され、ようやくサイモン(スティーヴンの父親)が歌い出す。ドイツの作曲家フリードリッヒ・フォン・フロトー(Friedrich von Flotow)のオペラ『マルタ』"Marthe" (1847)から「夢のように」(その英訳)。

 

農場主ライオネルが、奉公人に化けたアン王女の女官ハリエット(マルタMarthaとの偽名を名乗る)のことが忘れられず歌う曲。

ブルーム氏は、ヘンリー・フラワーという偽名で会ったこともない女性と秘密の文通をしている。その相手がマーサ(Martha)で、偶然の一致となる。マーサも偽名であろう。私は、書いているのは女性ですらないかもしれないと空想する。

通りを早足で駆けられる、とはサイモンの歌いっぷりのことを言っているが、妻の愛人ボイランが馬車でブルーム家に向かっていることをブルーム氏は知っており、そのことからの連想もあるだろう。

 

overstrungは楽器の弦に掛けている。『オデュッセイア』との対応で言うと、オデユッセウスの弓の弦を思わせる。

 

手も足も歌ってるというが、位置関係から、サイモンはブルーム氏からは見えない場所にいるので、空想である。

 

ジェニー・リンドとは、スウェーデンのオペラ歌手ヨハンナ・マリア・リンド(Johanna Maria Lind, 1820年 - 1887年)。

 

ミュージカル映画、『グレイテスト・ショーマン』で興行師、P・T・バーナムとアメリカツアーを行ったあの歌手がこの人。

 

19世紀のもっとも有名な歌手といえる人だった。そのため色々なものに彼女の名前が付けられた。彼女が喉のために飲んだというスープがジェニー・リンド・スープと呼ばれた。

 

調べた限り、レシピからすると、セージ(sage)ではなく、サゴ(sago)が材料のようだ、サゴとはサゴヤシからとれる澱粉のこと。われわれのなじみのもでは、麺の「うち粉」がサゴ。

 

ブルーム氏がレシピを思い出すということは、彼は妻で歌手であるモリ―のためにスープを作ったことがあるのではないか。サゴとセージは、ブルーム氏の思いちがいなのか、小説の作者ジョイスの思いちがいなのか、あるいは、原稿の校正ミスなのか。

モリ―の愛人のボイランは興行主。リンドとバーナムのことがここに響いている。

 

 

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ジェニー・リンド(Jenny Lind)

"Eduard Magnus - Portrait of Singer Jenny Lind" by irinaraquel is licensed under CC BY 2.0

 

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17 (U224.632)

リッチーは唇を突き出した。

 第17投。224ページ、632行。

 

 

    Richie cocked his lips apout. A low incipient note sweet banshee murmured: all. A thrush. A throstle. His breath, birdsweet, good teeth he’s proud of, fluted with plaintive woe. Is lost. Rich sound. Two notes in one there. Blackbird I heard in the hawthorn valley.

 

  リッチーは唇を突き出した。低い出だしの音、美しい声の妖精がささやいた。すべては。ツグミ。ウタツグミ。彼の息、美しい鳥鳴き声、自慢のきれいな歯、悲しげな嘆きが笛吹き声で。失われ。豊かな音。そこでニつの音が一つに。サンザシの谷で僕の聞いたクロウタドリ

 

 

第11章。午後4時ごろ、ブルーム氏はスティーヴンの叔父、リッチー・グールディングとオーモンド・ホテルのレストランで食事している。ホテルのサルーンではサイモン(スティーヴンの父親)がピアノを弾いている。

 

第11章は音楽的手法で書かれていている。

 

All - is lost サイモンが弾いている曲の歌詞

Richie – Rich,  A thrush - A throstle がつながる

sweet, note, bird の繰り返し

数えあげるまでもなく、ほとんどが音や音楽にまつわる単語で書かれている。

 

11章の冒頭にはこの章のモチーフが圧縮されて序曲として示される。
Lost. Throstle fluted. All is lost now. (U210.22) 一行はこの一節に相当する。

 

 サイモンが弾いているのは、ヴィンチェンツォ・ベッリーニのイタリア語のオペラ『夢遊病の娘』“La sonnambula”(1831)から「すべては失われ」→youtube。エルヴィーノが,恋人のアミーナが伯爵と関係を持ったと疑い、愛が失われたと嘆く。ボイランが、いま妻のモリ―のもとへ向かっていることを知るブルーム氏の心中と重なる。

 

カウリー氏がサイモンに歌を促すが、彼は拒み、ピアノを弾いている。曲にのせて、リチー•グールディングが口笛を吹いている。

 

夢遊病は、都市の遊歩を主題とするこの小説『ユリシーズ』のキーワードの一つ。(U375.950)(U496.4926)(U567.849)(U568.854)(U570.929)に出る。
夢遊病はブルーム氏の家系の病気とされている。

 

第6章でブルーム氏は、妻モリ―の声をツグミ、ウタツグミに譬えている。モリ―は歌手なのだ。(U77.240)

 

第1章でマリガンの歌声がbirdsweet criesとされていた。(U16.602)

 

サンザシは4~5月くらいに白い花を咲かせ、秋には赤色や黄色の果実が実る低木。その含意として、

ケルトの暦で、6月の守護樹。(この小説『ユリシーズ』の現在は6月16日)

②古代信仰上、豊穣・子孫繁栄のシンボル。

③枝には鋭い棘があり、キリストが戴く冠はサンザシで作られていたといわれる。

④魔除けの力があるといわれる。

花言葉は「希望」。

⑥メイフラワーとも呼ばれ、アメリカに渡ったメイフラワー号(1620)にサンザシが描かれていた。

⑦17世紀ボストンのピューリタン社会を舞台とした姦通を主題とする小説『緋文字』の作者はナサニエル・ホーソーンNathaniel Hawthorne、1804年–1864年

 

ブルーム氏がサンザシの谷でクロウタドリの声を聞いたのがいつなのか、小説からは分からないが、上の含みからすると、モリ―と一緒の時ではないだろうか。

 

そしてサンザシと言えば、プルースト。少年時代の語り手がスワン家の生垣で出会うジルベルト。

 

「すると早くも、その名前をふたりして聞いたバラ色のサンザシを見上げる場所に匂いたつ魅力が、ジルベルトに近しいすべてのものにとり憑き、それに塗りこめ、芳香でみたそうとした。」プルースト失われた時を求めて』「第1篇 スワン家のほうへ」 吉川一義訳(岩波文庫、2010年)

 

ジョイスが「失われた」というフレーズともにサンザシに触れるのは、1913年刊の「スワン家のほうへ」を意識してのことではないかと空想する。

 

 

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サンザシとクロウタドリ(Blackbird in hawthorn)

"Blackbird in hawthorn" by Roger Bunting is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 

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16 (U444.3236)

いくつもの声

 第16投。444ぺージ、3236行目。

 

 

   VOICES: (Sighing.) So he’s gone. Ah yes. Yes, indeed. Bloom? Never heard of him. No? Queer kind of chap. There’s the widow. That so? Ah, yes.

 

 (From the suttee pyre the flame of gum camphire ascends. The pall of incense smoke screens and disperses. Out of her oakframe a nymph with hair unbound, lightly clad in teabrown artcolours, descends from her grotto and passing under interlacing yews stands over Bloom.)

 

 いくつもの声: (嘆きつつ。) それで、彼は死んじゃった。ああ、そう。そう、確かに。ブルームなのか。聞いたことない。ほんとに。変わった奴だ。未亡人がいる。そうなの。ああ、そう。

 

 (寡婦殉死のための薪の山から樟脳の炎が立ち昇る。香煙の柱が視界を遮り、消え去る。樫の額縁からニンフが出てくる。髪は解かれていて、茶の印刷色の薄衣をふんわりまとっている。彼女の住まいの洞窟から降りてきて、からみ合うイチイの木々の下をくぐり抜け、ブルームの上方に立つ。)

 

第15章は戯曲の形式で書かれている。幻想と現実が交代して現れる。ベラ・コーエンの娼家で、ブルームが男に変身したベラの死刑宣告を受けたところ。

 

サティ―(suttee) とはインド、ヒンドゥー教で、妻が夫の死体と共に生きながら火葬にされる慣習という。第6章でブルーム氏はこの習俗のことを考えていた。(U84.548)


薪の山はまずブルームを焼くためのもの。

 

殉死のための薪の山というと、ワーグナーの『神々の黄昏』終幕、ブリュンヒルデジークフリードを焼く薪の山に飛び込む場面が想起される。ヒンドゥーの習俗と北欧神話に関連があるのだろうか。

 

gum camphireというのが何なのかわからない。固形の樟脳をもやした炎と考えておく。

 

ニンフとはブルーム氏の寝室にかかる絵である。週刊誌の付録を額装したもの。第4章に出てきた。このニンフはホメロスの「オデュッセイア」との対応ではオーギュギアー島の洞窟の中に住む女神カリュプソ―にあたる。カリュプソ―の島に繁る木々、香木の芳香、絡みあう葡萄の蔓、彼女の美しい髪、薄手の長衣などがここに反映している。

 

「鷗の如く数知れぬ波を超えたヘルメスは、遥かなる彼の島に着くと、すみれ色の海から陸に上がり、ゆくほどに髪美わしき仙女の住む巨大な洞窟の前に出る。折しも仙女は家におり、炉には火が大きく赤々と燃え、裂き易い杉と香木の燃える芳香が、島中一面に漂っていた。・・・洞のすぐ入口には、葡萄の勢いよく伸びて纏わり、熟れた実が枝もたわわに垂れ下がる。」「仙女は銀色に輝く薄手の優美な長衣を身に纏い、腰のまわりにには美わしい黄金の帯を締めて、頭にはヴェールを被る。」
 ホメロスオデュッセイア』第5歌 松平千秋訳(岩波文庫、1994年)


イチイは寿命が長く、年中青い葉をつけることから、古代ケルトの信仰によるのだろう、ヨーロッパでは「魂の不滅性」「再生」を象徴する木とされ墓地によく植えられるという。幻想の中のブルームの死の場面なのでイチイが登場する。

 

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寡婦殉死 (Suttee)

"Suttee, with Lord Hastings shown as accepting bribes to allow its continuation. Coloured aquatint by T. Rowlandson, 1815, after Quiz." is licensed under CC BY 4.0

 

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