Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

152(U1296.538) ー 自制心あふれる紳士

そして彼女は向こうのほうへ行き 

第152投。296ページ、538行目。

 

 So over she went and when he saw her coming she could see him take his hand out of his pocket, getting nervous, and beginning to play with his watchchain, looking up at the church. Passionate nature though he was Gerty could see that he had enormous control over himself. One moment he had been there, fascinated by a loveliness that made him gaze, and the next moment it was the quiet gravefaced gentleman, selfcontrol expressed in every line of his distinguishedlooking figure.

 

 そして彼女は向こうのほうへ行き彼が彼女が来るのを見たとき彼女には彼が見えました、どぎまぎしてポケットから手を出し、時計の鎖をいじっては、教会の方を見上げるのを。情熱的な性格だけどびきり抑制もできる人ねとガーティーは思った。彼はしばらく彼女の可愛さに魅了され、じっと見つめていましたが、すぐに真顔の紳士になり、その上品な顔は自制心ですっかり覆われてしまいました。

 

第13章。日没間際の午後8時。ダブリンの南方郊外、サンディマウントの海岸の砂浜。三人の少女ガーティーマクダウェル、イーディー・ボードマン、シシー・キャフリーが子供のおもりをしている。ブルーム氏もこの砂浜に座って少女たちを眺めている。

 

このブログの第78回のすぐあとの箇所になる。シシーがブルーム氏に時間を聞きに行こうしているところ。

 

ひとつめの ”she” はシシーで、"he" はブルーム氏。2つ目の "she" はシシーか。いや、ガーティーだろう。視線の主体がくるくると入れ替わっている。視線の交叉はこの章の特徴。この章は婦人雑誌に載る小説の文体で書かれているという。ジョイスはわざとへたな文章で書いているように思うのだが、それを楽しむ力は私にはない。

 

ブルーム氏がポケットに手を入れていたのはいかがわしいことしていたからだ。前々回の「踊り場」でブルーム氏の持ち物の動きをまとめた。第9項の懐中時計のところで「片手をポケットから出して時計の鎖をいじる」と書いたが、このポケットとは懐中時計の入っているチョッキのポケットではなくズボンのポケットであることがここで分かった。

 

ブルーム氏が見上げたのは、海の星聖母マリア教会(St. Mary’s, Star of the Sea)。サンディマウントのアイリッシュタウンの人口増加に応えるために1851年に設立された。

 

★ 少女たちとブルーム氏がいるのはこのあたりか。地図では海だが遠浅でずっと沖まで砂浜となっている。

〇 海の星聖母マリア教会

 

 

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151(U566.816) ー サー・ヒューまたはユダヤの娘

現れたのはユダヤの娘

第151投。566ページ、816行目。

 

Then out there came the jew’s daughter

And she all dressed in green.

“Come back, come back, you pretty little boy,

And play your ball again.”

 

I can’t come back and I won’t come back

Without my schoolfellows all.

For if my master he did hear

He’d make it a sorry ball.”

 

現れたはユダヤの娘

身ぐるみ緑

おいで、おいで、かわいい坊や

あんたのボールで遊びなさい

 

いっちゃだめだしいきたくない

友だちみんなと一緒でないと

先生に知られたら

お目玉食らう

 

第17章。深夜、ブルーム氏はスティーヴンを自宅に連れて来る。2人の会話。ブルーム氏がスティーヴンにユダヤに関係する歌を求める。スティーヴンの唄の歌詞の一節。

 

ティーヴンが歌ったのは『サー・ヒュー』 Sir Hugh (またはThe Jew's DaughterThe Jew's Garden )として知られるイギリスの伝統的なバラッド。

 

唄の内容は、こういうもの。少年たちがボールで遊んでいたところ、ボールがユダヤ人の家に入ってしまう。緑色の服のユダヤ人の娘が少年にボールを取りに来るよう誘う。招き入れられた少年は彼女に殺されてしまう。

 

18世紀以降に作られたというこの唄の由来は、中世英国でのユダヤ人迫害に遡る。

 

1230年代より英国のいくつかの町ではユダヤ人の追放や迫害が行われたが、それを背景としてリンカーンの町でユダヤ人による少年ヒュー殺害事件が起こった。

 

1255年、少年ヒューが失踪し、井戸の中で遺体が発見された。司教の弟は、ユダヤ人が儀式による殺人(meurtre rituel)を行ったとの告発を行い、その自白を引き出した。国王ヘンリー三世が介入し、自白した男を含む多くのユダヤ人が捕らえられ処刑された。この告発は巡礼者の寄進を集めるためのでっち上げではないかと言わる。

 

ヘンリー三世の戴冠

Coronation of Henry III of England (Illustration) - World History Encyclopedia

 

このバラッドは、フランシス・ジェームズ・チャイルド(Francis James Child)が19世紀後半にまとめた『イングランドとスコットランドの人気のあるバラッド』The English and Scottish Popular Ballads に収録されている。唄の様々な異本が採集されているが、そのうちの 55N: Sir Hugh, or the Jew’s Daughter がスティーヴンが歌ったものに近い。

 

今回の一節に対応する箇所は次の通り

 

She came down, the youngest duke’s daughter,

She was dressed in green:

 ‘Come back, come back, my pretty little boy,

 And play the ball again.’

 

‘I wont come back, and I daren’t come back,

Without my playfellows all;

And if my mother she should come in,

She’d make it the bloody ball.’

 

アイルランドに移民してきたユダヤ人を父をもつブルーム氏としてはこの唄を聞かされて複雑な気持ちとなる。

 

バラッドといえば、第11章、オーモンドホテルでベン・ドラードがで歌う『クロッピー・ボーイ』を思い出した。これはブログの第114回でとり上げた。1798 年、英国のアイルランド支配に対するユナイテッド・アイリッシュメンの反乱を題材とする。戦いに向かう途中で教会に立ち寄った若者が、マントをかぶった人物を神父と思って懺悔する。その男は告解室に隠れていた英国兵で、若者が告白を終えると、正体を現す。若者は捕えれ殺される。というもの。

 

一方は英国人が被害者で、一方は加害者と逆になるが、屋内でだまされた子供または若者が殺されるというパターンが同型であると気がついた。

 

イングランドスコットランドの人気のあるバラッド』より「サー・ヒュー」の挿絵(1896年)。

File:Sir Hugh ballad.jpg - Wikimedia Commons

 

昔の岩波新書、『フットボールの社会史』(F.P.マグ―ンJr. 著、忍足欣四郎訳、1985年)を読んでいたらこんな一節があった。このバラッドは英国でフットボール(いまのサッカー)についてふれたごく初期の文学的記録だという。そんな昔に作られた唄なのかはWikipediaのの記事では明らかでないのだが。

 

「[リンカン]のサー・ヒュー、またはユダヤ人の娘」(チャイルド編の俗謡集成、155番)というバラッドは―事の性質上、製作年代は不詳だが―恐らくこの時からほど遠からぬ頃に作られたのであろう。この詩は蹴球の試合の場面で始まるのである。

 

一、二十四人の元気な少年が

   ボールで遊んでいた、

  そこへ愛しのサー・ヒューが通りかかって、

   少年たち皆と遊んだ。

二、彼は右足でボールを蹴り、

   そしてひざでボールを蹴り、

  すると見事ボールは

   ユダヤ人の家の窓に飛び込んだ。

 

 バラッドが進行するにつれて、あらぬ方へボールを飛ばした結果が主人公にとって致命的なものになる。儀式に則ったリンカンのサー・ヒューの殺害は1255年に遡るが、このバラッドの考え得る限りで最も古い形はそれよりやや後のものであるに相違ない。しかし、蹴球の主題が、現在に伝わる18の異文のうち5つ(A、C、D、E、N)に現れるところをみると、この特徴が比較的早い時期に導入されたと考えてもさほど見当違いであるまい。

 

この新書に引用されている箇所の原文は次の通り。

 

1.FOUR and twenty bonny boys
  Were playing at the ba,
  And by it came him sweet Sir Hugh,
  And he playd oerthem a’.
 
2.He kickd the ba with his right foot,
  And catchd it wi his knee,
  And throuch-and-thro the Jew’s window
  He gard the bonny ba flee.

(155A)

(青字は2024年2月12日追記)

 

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ブルーム氏の持ち物の華麗なる遍歴

踊り場にて

 

ちょうど150回まで来たので3度目の小休止。違うテーマについてまとめます。

 

ユリシーズ』は1904年6月16日にダブリン起こったできごとを描いており、読者は主人公のブルーム氏とスティーヴンの一日の動向を、地図の上で追いかけるのが読む楽しみとなる。

 

もうひとつ、今日一日、ブルーム氏の持ち物がどういう運命をたどったのかを追うのも面白い。ジョイスは読者がそういう読み方をするよう、物の動きをいちいち詳しく書いている。ブルーム氏は鞄を持っていないので、持ち物はポケットにしまわれることになる。いきおい物は彼のポケットを遍歴することになる。

 

今回はそれをまとめました。本当は一枚のチャートに書けるので、そうしないと俯瞰できないのだが、私の技術ではこのブログに大きな図を載せることができない。かろうじて簡単な表を書く方法を習得したので、一ダースの表に分割した。

 

まずは彼の衣服にあるポケットについて推測し整理してみる。今日、ブルーム氏は友人のディグナムの葬儀に参列するので喪服を着ている。

 

🅐帽子                   (hat)   注:  🐏

🅑上着右脇ポケット          (right sidepcket)

🅒上着左脇ポケット          (left sidepcket)

🅓上着胸ポケット             (heart pocket)

🅔上着内ポケット             (inside pocket) 🐮

🅕上着内ハンカチポケット             (inner handkerchief pocket) 🥜

🅖チョッキ時計ポケット   (fobpocket) 🦀

🅗チョッキ左下ポケット   (left lower pocket of waistcoat)

🅘チョッキポケット          (pocket of waistcoat) 🦁

🅙ズボン右ポケット          (right trouser pocket)

🅚ズボン左ポケット          (left trouser pocket)

🅛ズボン尻ポケット          (hip pocket) 👧

 

注:

🐏  ブルーム氏の帽子は、山高帽(bowler hat)であるというのが世間の理解となっているが、山高帽であることがどこに書いてあるのだろうか? それが分るのは下の個所かと思う。

His right hand came down  into the bowl of his hat. His fingers found quickly a card behind the headband and transferred it to his waistcoat pocket. (U58.25)

🐮 上着の内ポケットはいくつあるか分からない。 下の箇所にでてくる pocketbookpocket は右の内ポケットと同じと仮定する。

(Shocked, on weak hams, he halts. Tommy and Jacky vanish there, there. Bloom pats with parcelled hands watchfob, pocketbookpocket, pursepoke, sweets of sin, potatosoap.)
(U357.243) (ただしGabler版)

🥜 第6章(U83.495)に出てくる  ”inner handkerchief pocket” を左の内ポケットと仮定する。

🦀 懐中時計をいれる時計ポケットは、右か左かわからないが、第17章(U584. 1452)に left lower pocket of waistcoat(これを🅗とする)というのがあるので左の上と推測。

🦁 チョッキの右にもポケットがあるはずで、これを🅘とする。

👧 ズボンの尻ポケットが左右にあるのか不明。

 

 

1.豚の腎臓とアジェンダ

アジェンダス “Agendath” はシオニストの設立したパレスチナの会社のことで、ブルーム氏が朝食用の豚の腎臓を買いにいく肉屋ドルーガックはこの会社への投資勧誘広告の切れ端を肉の包み紙に利用している。第111回で詳しくみた。

 

  外部 🅑
上着脇ポケット
🅘
チョッキポケット
🅙
ズボン右ポケット
第4章 ドルガック肉店
腎臓を買い
ジェンダスを取る
腎臓を脇ポケット
へ 🐀
   
   ←

ズボンのポケット
から硬貨を3枚取り
出す 🐅

   →  → アジェンダをポ
ケットに🐄
 
   帰宅して腎臓
取り出す
 ↓  
  包みのチラシを
ネコにやる
 ↓  
第8章 ポケットからアジェ
ンダスをつかみだし
広げる。

アジェンダ
を押し戻す
 
第17章 アジェンダ
巻き火をつけ香
に点火
 ← チョッキからアジェ
ンダスを取り出し
 

🐀 脇ポケットの左右は不明。右と仮定した。

🐄 後でチョッキのポケットに入れているのでおそらくチョッキのポケット。チョッキのどのポケットか不明だが、他のポケットにはものがあるので、右の🅘と仮定。

🐅 左右は不明だが右と仮定。お金の出し入れは都度描写されない。ブルーム氏はズボンのポケットに硬貨をいれている可能性が高い。

 

2.『ルービー』と『罪の甘さ』

『ルービー、曲芸の花』は妻のモリーが読んでいる本。ブルーム氏はモリーのため『ルービー』を返却して新しい本を借りてこようとしている。

 

  外部 🅔
上着内ポケット
 
出発   

財布が入っている。

🐯

第4章  → 「ルービー」を内ポ
ケットに。
第6章  

フリーマンを内ポケ
ットから出す時本を
交換せねばと思う。 

第10章 露天商で「罪の甘
さ」を借りる 🐇
 
   ←

「ルービー」を返却
🐲

  「罪の甘さ」を胸に
抱える
 
第11章  → 「罪の甘さ」をポ
ケットに 🐍
第13章  

財布にはコンドーム
がはいっている

第16章 財布からモリーの写
真をだしスティー
ンに見せる。

「罪の甘さ」を出さ
ないようポケットか
財布をだす。

   → 写真をポケットにし
まう
第17章 「罪の甘さ」を食卓
に出す 
帰還 「罪の甘さ」 財布

 

🐯 "pocketbook" とは手帳ではなく財布と考えられる。

🐇 第17章の収支報告(ブログの第104回)では Renewal free for book とあるので貸本とおもわれる。

🐲 『ルービー』をここで返却したとの描写はないが、上の注からもおそらくここで返したのだ思う。

🐍 内ポケットかは不明だが『ルービー』が内ポケットだったのでここに入れたと推測。ということは財布も内ポケットにあったことになる。

 

3.私書箱の手紙を受け取るためのカード

ブルーム氏は、偽名でマーサという女と秘密の文通をしており、郵便局の私書箱宛てに届く手紙を受け取る際に郵便局で示すカードを帽子の裏の革のバンドに隠し持っている。こういう名刺のようなカードを ”Calling Card" とか”Visiting Card”というらしい。

 

  外部 🅐  
帽子

 🅑    
上着右脇ポケット

🅘
チョッキ
ポケット
出発   カードは帽子に
入っている
   
第5章    → カードを帽子
からチョッキ
のポケットへ
 🐎
 

郵便局でカード
をつかってマー
サの手紙を受け
取る。

 ←  ←  
     →

カードと手紙を
右脇ポケットへ
🐏

 
    ポケットの
ードを帽子へ
戻す

 
第15章 帽子からカード
が落ちる。
夜警がそれを読む
   
帰還  

カード  🐵

   

🐎 チョッキのどのポケットか定かでないが、左の🅗に小銭があることに気づくのは第17章なので右のポケットと推測。

🐏 左右どちらか不明だが右と仮定。

🐵 カードを取り戻したか書いてない。大事なものなのでおそらく返してもらっただろう。

 

画家マネの ”Calling Card" 
File:Edouard Manet, calling card MET DP862695.jpg - Wikimedia Commons

 

4.マーサからの手紙
  外部 🅑
上着右脇ポケット
🅓
上着胸ポケット
第5章 郵便局でカードをつ
かってマーサの手紙
を受け取る。
カードと手紙を脇ポ
ケットへ 🐔
 
    ポケットの中で封を
開け封筒をくしゃく
しゃに
 
  ポケットの手紙を取
り出しフリーマンに
くるむ
 
  フリーマンで隠した
まま手紙を読む
   
  手紙にピンでとめて
あるを胸ポケット
  手紙をフリーマンか
ら脇ポケットへもど
  ピンを捨てる
  封筒をちぎって道に
捨てる
第15章

胸ポケットから黄色
を引っ張り出す
🐥

第17章 サイドボードの引き
出しにマーサの手紙
をしまう。
 
帰還 マーサの手紙    

🐔 左右どちらか不明。右と仮定する。フリーマンを入れたのの同じ側になる。

🐥 花はどこへいったか不明。

 

5.マーサへの手紙
  外部  🅒
上着左脇ポケット
第11章 便箋2封筒2
をデイリーで買う
便箋と封筒をしまう
🐶
  便箋と封筒を取りだして
マーサへ手紙を書く
 ←
  郵便局で手紙を出す  

🐶 どに入れたかは不明。マーサの手紙があるのと反対の左の脇ポケットと仮定。

 

6.新聞フリーマン紙

ブルーム氏は第4章と第5章のあいだのどこかで、葬儀の時間をみるためにフリーマン紙を買っている。この新聞は彼の持ち物中でも最も華々しい活躍をする。

 

   外部 🅑
上着右脇ポケット
🅔
上着内ポケット 
第5章

フリーマンをどこかで
買う

フリーマンを脇ポケッ
トに 🐗
  
 
 

フリーマンを脇ポケッ
トからぬいてパトンに
する

 ←   
 

フリーマンのバトンを
広げて読む。

    
  ポケットの手紙を取
り出しフリーマン
くるむ 
    
 

フリーマンで隠したまま
手紙を読む

    
  フリーマンを腋にはさむ     
  ライアンズがフリーマ
を見せろという
    
 

ライアンズがフリーマ
を返す

    
  フリーマンを四角にた
たみ石鹸を中におさめ
    
第6章  →  → フリーマンを内ポケッ
トに
 

フリーマンを内ポケッ
トから出す。
本をかえさねばと思う。

 ←

 

  手のフリーマンを持
ち変える
    
   → たたんだフリーマン
をポケットへ 
  
  たたんだフリーマン
ポケットから取り出し
広げて床におとし片膝
をつく
 ←   
   →

フリーマンをたたんで
ポケットにもどす

  
第11章 フリーマンの死亡欄
をみる。フリーマン
隠しながらマーサへ
手紙を書く
 ←   
  フリーマンは置いて行
ってよいと思う。
     

🐗 左右は不明。マーサの手紙と同じく、右と仮定する。

 

7.石鹸とハンカチ

ブルーム氏は、スウィニ―薬局 (Sweny's) で妻のモリーのためにフラワーウォーターを注文し、自分の入浴用にレモン石鹸を購入する。彼はフラワーウォーターを受け取りに行くことは失念している。

 

石鹸はブルーム氏の持ち物で最も有名なものだろう。現在もスウィニー薬局でレモン石鹸を買うことができる。

 

  外部 🅕
上着内ハンカチポ
ケット
🅛
ズボン尻ポケット
出発   ハンカチが入ってい
 
第5章

ウィニー薬局で
を買う 🐭

   
  石鹸を左手に    
  フリーマンを四角に
たたみ石鹸を中にお
さめる
   
第6章  →  → 石鹸は尻ポケットの
なか
    尻ポケット の石鹸
上着の内ハンカチポ
ケットへ
 ←
 

風呂に入る 🐮

 
第7章 ポケットからハンカ
を取り出し鼻にあ
てる
ハンカチを戻す 石鹸を取り出しズボ
ンの尻ポケットにい
れてボタンをかける 
第8章    ↓ 尻ポケットには石鹸
がある
第11章    ↓ 石鹸は尻のあたりに
第16章   ティーヴンの鉋屑
ハンカチで払いの
ける。ハンカチを拾
うのを失念
 ↓
第17章

石鹸で手を洗う

 ←
帰還 石鹸    

🐭 フラワーウオーターのレシピは別のズボンのポケットにあり、持ってこなかった。

🐮 ブルーム氏はトルコ式風呂屋で入浴したので、石鹸を出して使ったと思われる。

 

ウィニー薬局で売っているレモン石鹸

"Sweny Soap (Ulysses)" by Enter is licensed under CC BY-SA 4.0.

 

8.パンとチョコレート
  外部 🅑
上着右脇ポケット
第15章 どこかでパンチョ
を買う
 
   →

脇ポケットにパン
チョコを詰め込む

🐯

  ポケットのチョコ
ゾーイーにすすめる
 ←
帰還   パン 🐰

🐯 左右は不明。右と仮定する。

🐰 パン(角型ソーダブレッド)を食べる場面はないので、持って帰ったと推測。

 

9.懐中時計
   外部 🅖
チョッキ時計ポケット
出発    ポケットには時計
入っている。
第8章 時計を引っ張りだす
第12章 ピル小路で時計を見る  ←
第13章   片手をポケットから出し
時計の鎖をいじる
  時計を取り出す。時
計は止まっている。

ねじを巻き時計をもと
にもどす。
帰還   時計

 

 

File:Omega pocket watch.jpg - Wikimedia Commons

10.ジャガイモ

ブルーム氏は、母のかたみのお守りとしてジャガイモをズボンのポケットに入れている。

 

  外部 🅚    
ズボン左ポケット
出発    じゃがいもが入って
いる
第4章   じゃがいもは持って
いると確認
第15章   じゃがいもは死んだマ
マのお守り。ズボン
のポケットをまさぐ
 

ゾーイー、ズボンの
左ポケットの固い黒
いしなびたじゃがい
を取り出す。
ストッキングのなか
へ。

帰還   → ゾーイ―からじゃがいも
をとりもどす。🐴

🐴 おそらくもとあったポケットへ戻したと推測

 

11.お金の出入り

先に述べたように、ブルーム氏がお金を支払う様子は一部しか描写されていない。お金の出入については第104回で今日の収支について書いたのでそこに網羅されている。

 

12.その他
  外部 🅒
上着左脇ポケット
🅗
チョッキ左下ポケット
出発  

 

1シリング銀貨がは
いっている
第7章

新聞社で広告の切り
抜きをもらう。🐑
 ↓
第15章 ティーヴンから金を
預かる 🐒
 ↓
第17章 ティーヴンに金を返す  ↓
    チョッキの左下ポ
ケットに銀貨がある
のに気づき、取り
出しまた戻す
帰還   切り抜き 銀貨

 

🐏 ブルーム氏は新聞社で昔の広告記事を切り抜いてもらい、しばらく後でそれをポケットから取り出している。どのポケットか分からないが、仮に左脇ポケットと仮定。彼は第9章で広告につける図案を見に図書館に行っているが、図案を見てどうしたのか不明。書き写したのならそのメモ書きをどこかに持っているはず。

🐒 どこにいれたか不明。

 

ブルーム氏の旅のお供は、あるものは放棄され、あるものは遺失され、あるものは燃やされ、あるものは交換され、あるものは消費された。出発の時点から存在し彼とともに帰還したものは、帽子のなかのカード、財布(その中のモリーの写真とコンドーム)、いくばくかの金銭、懐中時計およびお守りのジャガイモだ。

 

"Tokyo National Museum Hyokeikan Staircase P3303404" by Kestrel is licensed under CC BY-SA 4.0.

 

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150(U725.769)

海洋冒険号がバミューダから帰国すると

 

第150投。725ページ、769行目。

 

The Sea Venture comes home from Bermudas and the play Renan admired is written with Patsy Caliban, our American cousin. The sugared sonnets follow Sidney’s. As for fay Elizabeth, otherwise carrotty Bess, the gross virgin who inspired The Merry Wives of Windsor, let some meinherr from Almany grope his life long for deephid meanings in the depths of the buckbasket.

海洋冒険号がバミューダから帰国するとルナンが称賛した戯曲が書かれる。あのアメリカ人の従弟、パッツイ・キャリバンが登場する。砂糖漬けのソネット集がシドニーに続く。妖精エリザベスまたの名を赤毛のべス、『ウィンザーの陽気な女房たち』を書かせた不品行な処女のことは、独逸の先生方にお任せし、一生かけて洗濯籠の奥底に秘められた奥義を探っていただきましょう。

 

 

第9章。図書館でスティーヴンがシェイクスピアについて自説を論じている、その一節。ブログの第4回第126回のちょうど間の個所。シェイクスピアが同時代のどんなできことでも利用して劇を書いたということを言っている。

 

海洋冒険号(Sea Venture)は17世紀のイギリスの帆船。北アメリカのジェームズタウン植民地への入植者船団の旗艦だったがバミューダ群島に座礁した。シェイクスピアは、海洋冒険号の遭難から、戯曲『テンペスト』(1611年)の着想を得たという。

 

海洋冒険号が漂着した島でその廃材から作られた船はジェームズタウンに到着したが、海洋冒険号はバミューダから帰国(comes home)していない。

           

Bermuda Stamps 375th Anniversary Of Settlement 1984

 

ブログの第113回でふれた通り、フランスの思想家。ジョゼフ・エルネスト・ルナン(Joseph Ernest Renan 1823年 - 1892年)は、二つの哲学劇で『テンペスト』の後日談を書いている。ルナンの称賛する劇とは『テンペスト』ということになる。

 

アメリカ人の従弟』Our American Cousin(1858年)は、イギリスの劇作家トム・テイラー(Tom Taylor)による3幕からなる戯曲。不器用で粗野なアメリカ人エイサ・トレンチャード(Asa Trenchard)を主人公にした笑劇。

 

キャリバン(Caliban)は、『テンペスト』の舞台となる島に住む怪物。

 

Joseph Noel Patonの描くキャリバン。(1868年)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caliban-paton.jpg

 

“patsy” は、「だまされやすい人、カモ、濡れぎぬを着せられる人」の意味。起源は不明で、イタリア語の pazzo(狂人)の変形、または南イタリア方言の paccio(愚か者)から来ている可能性があるとか。

 

愚かなアメリカへの植民者が、未開の島の怪物キャリバンの原型になっていることを示唆する言い回しとなっている。

 

サー・フィリップ・シドニー(Sir Philip Sidney, 1554年- 1586年)は、エリザベス朝のイングランドの詩人、廷臣、軍人。ソネット連作『アストロフェルとステラ』を書いた。『アストロフィルとステラ』の出版をきっかけに、イギリスではたくさんのソネット集が出版された。シェイクスピアの『ソネット集』もその一つ。

 

サー・フィリップ・シドニーの肖像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Philip_Sidney_portrait_(cropped).jpg

 

イギリスの聖職者、作家であるフランシス・メレス(Francis Meres,  1565/1566年 – 1647年)は1598年にシェイクスピアの詩と戯曲に関する最初期の批評を書いている。 "sugared sonnets" はそこで使われたことば。

→ Internet Shakespeare Editions

 

As the soul of Euphorbus was thought to live in Pythagoras, so the sweet witty soul of Ovid lives in mellifluous and honey-tongued Shakespeare, witness his Venus and Adonis, his Lucrece his sugared Sonnets among his private friends, etc.

ユーフォルブスの魂がピタゴラスの中に宿っていると考えられていたように、オヴィッドの甘美で機知に富んだ魂は、まろやかで蜜のような口調のシェイクスピアの中に宿っている、 彼の『ヴィーナスとアドニス』や『ルクリース』、私的な友人たちの間での砂糖漬けの『ソネットなどを見ればわかるだろう。

 

”fay Elizabeth” は、詩人エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser, 1552年頃 – 1599年)の『妖精の女王』(The Faerie Queene)をふまえている。この長詩はイングランド女王エリザベス1世に捧げられた。

 

エリザベス1世赤毛で、エリザベス朝時代のイギリスでは、赤毛の女性が流行だったという。 → Wikipedia(赤毛)

 

エリザベス1世の肖像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Elizabeth_I_Darnley_portrait_crop.jpg

 

ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)はシェイクスピア作の喜劇。最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ(Nicholas Rowe)によると、エリザベス1世が『ヘンリーⅣ世』二部作を見て「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったことからシェイクスピアがこの劇を書いたという。

 

「独逸の先生方」といのは、ドイツでシェイクスピアの研究がさかんだったからとのこと。シェイクスピアの影響は、イギリスをはるかに超えて広がり、18世紀にはシェイクスピアはドイツで広く翻訳され、大衆化され、「ドイツ・ワイマール時代の古典」となったという。 → Wikipedia (Reputation of William Shakespeare)

 

"buckbasket" とは「洗濯籠」。『ウィンザーの陽気な女房たち』にこのことばが出てくる。

 

Ford. And did he search for you, and could not find you?

 

Falstaff. You shall hear. As good luck would have it, comes

in one Mistress Page; gives intelligence of Ford's

approach; and, in her invention and Ford's wife's

distraction, they conveyed me into a buck-basket.

 

Ford. A buck-basket!

フォド で、あなたを探してゐながら、目附け得なかつたのですね?

 

フォル お聞きなさい、かふいふわけだ。実は、いい塩梅に、ペーヂの妻て女がやつてきて、フォードがやつて来るて事を知らせたんだ。で其女の工夫とフォードの妻の狼狽の結果、わしは洗濯籠へ押し込まれた。

 

フォド 洗濯籠へ!

 

ウィンザーの陽気な女房』第3幕第5場 (坪内逍遥譯)

 

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149(U535.1555)

知性に恵まれた若者が、彼の隣の人物が明らかにそうであるのだが

第149投。535ページ、1555行目

 

 It was a thousand pities a young fellow, blessed with an allowance of brains as his neighbour obviously was, should waste his valuable time with profligate women who might present him with a nice dose to last him his lifetime. In the nature of single blessedness he would one day take unto himself a wife when Miss Right came on the scene but in the interim ladies’ society was a conditio sine qua non though he had the gravest possible doubts, not that he wanted in the smallest to pump Stephen about Miss Ferguson (who was very possibly the particular lodestar who brought him down to Irishtown so early in the morning), as to whether he would find much satisfaction basking in the boy and girl courtship idea and the company of smirking misses without a penny to their names bi or triweekly with the orthodox preliminary canter of complimentplaying and walking out leading up to fond lovers’ ways and flowers and chocs.

 

 知性に恵まれた若者が、彼の隣の人物が明らかにそうであるのだが、不品行な女性との交際に貴重な時間を浪費し一生ついて回るに十分なうつり病を頂戴する事にもなりかねないことは重ね重ね遺憾なことである。独身生活の本質上運命の人が現れた場合いずれ妻として娶るであろうがそれまでの間はお嬢様方との社交は不可缺少的條件となろう、とはいえ彼は想定しうる最も大いなる疑いをもつのである、というのは、スティーヴンからミス・ファーガスン(彼女は今日あんな早朝に彼をアイリッシュタウンくんだりまで引き寄せた特別の導きの星である可能性が極めて高い)について聞き出そうとはさらさら欲してはいないのだが、スティーヴンが、少年少女の求愛活動にどっぷり浸り一文無しのにやにや笑いのお嬢さんたちと二、三週に一度の集いを重ね正統的で予備的なお世辞の言い合いっこをゆるやかな駆歩で進めたうえ一歩踏み出して恋人たちの小道、花だのチョコだのを見つけるに至るといった考えに十分な満足を示すであろうかとの疑いである。

 

第16章。馭者溜まりにいるブルーム氏とスティーヴン。ここはブルーム氏の思考。彼は、政治家のパーネルが人妻だったキャサリン・オシーと不倫関係になり、スキャンダルで失脚したこと(ブログの第65回でふれた)を想起した後、女性の誘惑が罪作りであると考え、スティーヴンの将来を案じている。

 

この章は、悪文で書かれていて、ここも、回りくどさ、冗長さ、常套句、気取った修辞、外来語のせいできわめて読みにくくなっている。訳してみたものの、どのように訳せば上手く訳せたといえるのか疑問になってくる。意訳したり文章を切ったりして分かりやすくすると作者の意図からはずれてしまうだろう。こんな文章で小説を書いた人が他にいるだろうか。

 

“dose”はブログの第140回のところも出てきた単語で、「薬の一服、 一回分」とか「刑罰、苦役などの 1 回分」という意味があるが、スラングで「淋病」との意味がある。

 

“conditiō sine quā nōn” はラテン語で、「あれなければこれなし」(sine qua non) という条件、必要条件、との意味。

 

ブルーム氏は、スティーヴンが第15章で酔っぱらってウィリアム・バトラー・イェイツWilliam Butler Yeats1865 - 1939の詩『誰がファーガスと行くのか』 Who Goes With Fergus? (1892年) の一節を口ずさんだのを聞いて、彼がファーガスンという恋人の名前を詩にしたものと誤解した。

 

 STEPHEN: (Groans.) Who? Black panther. Vampire. (He sighs and stretches himself, then murmurs thickly with prolonged vowels.)

 

  Who... drive... Fergus now

  And pierce... wood’s woven shade?...

・・・

 STEPHEN: (Murmurs.)

 

  ... shadows... the woods

  ... white breast... dim sea.

・・・

 BLOOM: (Communes with the night.) Face reminds me of his poor mother. In the shady wood. The deep white breast. Ferguson, I think I caught. A girl. Some girl. Best thing could happen him. (He murmurs.)... swear that I will always hail, ever conceal, never reveal, any part or parts, art or arts... (He murmurs.)... in the rough sands of the sea... a cabletow’s length from the shore... where the tide ebbs... and flows ...

(U496. 4932―)

 

またブルーム氏は今朝、葬儀にいく馬車のからアイリッシュタウンを歩いているスティーヴンを見かけている。ミス・ファーガスンと言っているのは、そのことに基づく。

 

もともとは第1章で、スティーヴンはこの詩を思い浮かべている(U8.239-)。この小説で引用されている詩のなかで一番重要なものだろう。こういうもの。

 

Who will go drive with Fergus now,

And pierce the deep wood's woven shade,

And dance upon the level shore?

Young man, lift up your russet brow,

And lift your tender eyelids, maid,

And brood on hopes and fear no more.

 

And no more turn aside and brood

Upon love's bitter mystery;

For Fergus rules the brazen cars,

And rules the shadows of the wood,

And the white breast of the dim sea

And all dishevelled wandering stars.

 

 

いま、ファーガスとともに馬を駆り

深い森が織りなす影を抜けて、

平らな浜辺に踊るのは誰か?

若者よ、おまえの朽葉いろの眉をあげよ、

娘よ、やさしい目蓋をあげ、

希望をいだき、もはや恐れるな。

 

もはや顔をそむけて、愛の

苦い神秘を思い迷うな。

ファーガスが真鍮造りの戦車を率い、

森の影を支配し、暗い海の

白い波がしらと、乱舞する星たちの

すべてて支配するのだから。

高松雄一編『対訳イェイツ詩集』岩波文庫、2009年)

 

『対訳イェイツ詩集』によると、ファーガスは、アイルランド、アルスター伝説の王で詩人。妻の連れ子、コノハーに王位を譲り、狩猟や宴会に明け暮れる気儘な生活に入ったという。

 

詩の意味は難しい。世俗の煩わしい愛について思い悩むのをやめ、ファーガスが統治する神秘的な自然の秩序に目を向けるよ、ということか。ブルーム氏の誤解した内容とは真逆の高尚なものである。

  

       

ティーブン・リードの描く「ファーガスは湖に降りる」(1910年ごろ).

File:7 Fergus goes down into the lake.jpg - Wikipedia

 

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148(U190.464)

そばを通ると、びくついた馬は緩んだ馬具を引いて進みだした。

 

第148投。190ページ、464行目。

 

 The horses he passed started nervously under their slack harness. He slapped a piebald haunch quivering near him and cried:

 

 —Woa, sonny!

 

 He turned to J. J. O’Molloy and asked:

 

 —Well, Jack. What is it? What’s the trouble? Wait awhile. Hold hard.

 

 With gaping mouth and head far back he stood still and, after an instant, sneezed loudly.

 

 —Chow! he said. Blast you!

 

 —The dust from those sacks, J. J. O’Molloy said politely.

 

 —No, Ned Lambert gasped, I caught a... cold night before... blast your soul... night before last... and there was a hell of a lot of draught...

 

 He held his handkerchief ready for the coming...

 

 —I was... Glasnevin this morning... poor little... what do you call him... Chow!... Mother of Moses!

 

          *    *    *

 

 

 そばを通ると、びくついた馬は緩んだ馬具を引いて進みだした。斑馬のゆれる尻が近くにきたところでぴしゃりと叩いて大きな声でいった。

 

 ―どうどう、坊や。

 

 J.J.オモロイの方を向いて聞いた。

 

 ―ところでジャック。なに。どうかしたの。ちょっとまって。止まって。

 

 大口あけ天を仰ぎ一瞬固まったあとでっかいくしゃみをした。

 

 ―へっくしょん、ちくしょうめ。

 

 ―袋の粉のせいかな。J.J.オモロイが穏やかに言った。

 

 ―いや、と、ネッド・ランバートがあえぐ、風邪を … 引いたんだ … おととい … くそっ … 晩に … いまいましいすきま風がやたらと …。

 

 ハンカチをつかむと続いて … 。

 

 ―おれは…今朝グラスネヴィンに…気の毒な幼い…なんてなまえだっけ…へっくしょん … もぅ、うぜえ。

 

                  *    *    *

 

第10章は、19個の断章で構成されていて、ダブリンのさまざまな場面が描かれる。ここはその第8番目の断章のおわり。ブログの第50回のすぐ後の場面。

 

穀物商のネッド・ランバートは、聖マリア修道院の集会場の遺構を倉庫に使っていて、訪ねてきた弁護士のJ.J.オモロイと、倉庫からマリア修道院通(Mary’s abbey)に出てきたところ。

 

      

 

馬は商品の運送用の馬車をひいていると考えられる。

 

“woa” は、馬を止める時のかけごえで普通は、”whoa",  "woah" とつづるよう。

 

“sonny” は、男の子の対する呼びかけのことば。“son” に接尾語 ”y” がついたものとか。

 

ランバートがジャック(オモロイ)に聞いているのは、何しにここに来たのか、ということだと思う。それは読者にとっても疑問なのだが、オモロイは零落した弁護士なので金を貸してもらう相談に来たのではないかと思う。

 

くしゃみの擬音語は、英語ではふつう “achoo”(アチュー)。ランバートは ”chow” とくしゃみをしている。

 

この小説は、ブルーム氏の屁やら、パブの主のあくびやら、マリガンの唾やら、モリーの小便やらそういったこともくまなく律儀に描写している。

 

英米ではくしゃみをした人に 対しそばにいる人が “(God) bless you." (お大事に)という習慣がある。世界的にくしゃみをした人にはその人の健康を気遣う言葉をかけるよう。世界の、くしゃみの擬態語と周囲の反応についいて → Wikipedia

 

しかし日本や韓国などの東南アジアでは、周りの人が声をかける習慣はない。

 

一方で、日本では、くしゃみをした後、本人が「チクショウ」とか罵りを発することがある。

 

中世の日本では鼻から魂が抜けたものがくしゃみとされていて、くしゃみをするたびに寿命が縮むと信じられていた。そこで「くさめ」と呪文を唱えれば早死にしないとされた。その後「くさめ」が「くしゃみ」を表す言葉になる一方、「くさめ」は「糞食め(くそはめ)」に転じて、くしゃみの後、罵倒語を発する習慣につながっているらしい。

 

ランバートの発する “blast you!”, “blast your soul”, “Mother of Moses!” はみんな日本語でいうと「チクショウ」という罵倒語に相当するので、ランバートのふるまいは日本と同じ型になっている。アイルランドではそういう習慣なのか、その情報は調べてもつかめなかった。

 

西欧では、驚きや罵りに神聖な言葉を使うとがよくある。"Mother of Moses!” (モーゼの母)は辞書をしらべても載っていないが、"Holy Moses"  や "Mother of God" というのはあるので、同じたぐいの言葉と思う。 → wiktionary

 

グラスネヴィンは墓地で、ランバートは午前、この小説の主人公ブルーム氏とともにディグナムの葬儀に参列している。

 

三つの星(*    *    *)は次の断章との区切りである。

 

  

           

イタリア人宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ (Giuseppe Castiglione、1688 - 1766、中国名、郎世寧) の描く『十駿馬』中の斑馬。

File:郎世宁阚虎骝轴.png - Wikimedia Commons

 

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147(U230.885)

貸馬車324番、馭者はバートン・ジェイムズ

 

第147投。230ページ、885行目。

 

 A hackney car, number three hundred and twentyfour, driver Barton James of number one Harmony avenue, Donnybrook, on which sat a fare, a young gentleman, stylishly dressed in an indigoblue serge suit made by George Robert Mesias, tailor and cutter, of number five Eden quay, and wearing a straw hat very dressy, bought of John Plasto of number one Great Brunswick street, hatter. Eh? This is the jingle that joggled and jingled. By Dlugacz’ porkshop bright tubes of Agendath trotted a gallantbuttocked mare.

 

 貸馬車324番、馭者はバートン・ジェイムズ、ドニーブルック・ハーモニーアヴェニュー1番地在住、に乗客が、若い紳士が乗っている。仕立屋ジョージ・ロバート・メサイアス、イーデン河岸5番地で誂えた藍色のサージのスーツを粋に着こなし、帽子屋ジョン・プラストウ、グレート・ブランズウィック通り1番地で購入した洒落た麦藁帽をかぶっている。ん。これはゆらゆらチリンチリンがたくり馬車。ドル―ガックの肉屋、アジェンダスの色鮮やかな肉管の前、早足で行く、堂々とした尻の牝馬

 

第11章。午後の4時ごろ。オーモンドホテルのレストランでブルーム氏は夕食を取っている。一方でブルーム氏の妻モリーの愛人ボイランは、貸馬車でブルーム家へと向かっている。ここはボイランの客観描写なのか、ブルーム氏の空想なの定かでない。

 

ブログの第91回ですでに読んだ第15章の幻想場面の元になっている箇所。

 

ブログの第2回で見た通り、仕立て屋のメサイヤスはブルーム氏も利用していて、ボイランとブルーム氏はこの店で知り合っている。

 

またブルーム氏の山高帽もプラストーの帽子屋で買ったものである。(U46.69)

ブルーム氏は、妻の愛人と仕立て屋と帽子屋も共有しているという皮肉。

 

麦藁帽は、英国では "Boater" と呼ばれ、日本ではカンカン帽と呼ばれた帽子のこと。世界的に19世紀末から20世紀の初めに流行した。

 

    

映画『セカンドコーラス』のフレッド・アステア

File:Astaire in Second Chorus 2.jpg - Wikimedia Commons

 

サージ “serge” とは梳毛糸(そもうし)という羊毛の長い毛から作った滑らかな糸を使用した綾織で織った毛織物。ツイードのように毛羽立っておらず、スムーズな表面と滑らかな手触りが特徴。

 

日本においては、昔は “serge” を「セルジ」と読んだうえ、これを「セル地」と解してその「地」を略し「セル」とよばれた。

 

たまたま読んでいた田山花袋(1872 - 1930)の『蒲団』(1908年出版)に、こんな一節があった。主人公である作家、竹中時雄の描写。

 

縞セルの背広に、麦稈帽、藤蔓の杖をついて、稍々前のめりにだらだらと坂を下りて行く。時は九月の中旬、残暑はまだ堪へ難く暑いが、空には既に清涼の秋気が充ち渡つて、深い碧の色が際立つて人の感情を動かした。

 

ボイランと『蒲団』の主人公は同じいで立ちなのだ。私小説『蒲団』のもとになったのは1904年ごろから3年くらいの出来事なので『ユリシーズ』の現在(1904年)と同時代の小説となる。竹中時雄は34、5歳の男で、ボイランもちょうど同じくらいの年かもしれない。

 

ブログの第52回でふれたように、Jingleには①チンチンリンリンという音、②馬車そのもの、③ブルーム家のベットの金具の鳴る音、との含意がある。

 

アジェンダス“Agendath”はシオニストの設立したパレスチナの会社のことで、第111回で詳しくみた。肉屋はこの会社への投資勧誘広告の切れ端を肉の包み紙に利用している。

 

そして “bright tubes” は何か。

 

見通しの明るい (bright) 投資広告の切れ端が巻いてあるのか、と思った。うまいな。いや、しかし切れ端は、巻いてなくて、平積みのようなので違う。(U48.154)

 

やはり、肉屋の店先のソーセージということか。

 

第11章は、音楽的な言語で書かれているので、明るい音色 (bright) 楽器の管 (tube) に掛けて、わざわざこういう言い方にしているのだ。さらに tube に性的な意味も持たしているにちがいない。

    

    

ダブリンの昔の肉屋


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