Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

146(U304.898)

あそこで彼女はみんなと花火を見ようとしている。

 

146投。304ページ、.898行目。

 

 There she is with them down there for the fireworks. My fireworks. Up like a rocket, down like a stick. And the children, twins they must be, waiting for something to happen. Want to be grownups. Dressing in mother’s clothes. Time enough, understand all the ways of the world. And the dark one with the mop head and the nigger mouth. I knew she could whistle. Mouth made for that. Like Molly.

 あそこで彼女はみんなと花火を見ようとしている。おれの花火。昇るは火箭の如く落ちるは棒の如し。それと子供たち、双子に違いない、何事かを待っている。大人になりたい。お母さんの服を着たり。まだまだ時間がかかる、世の中の事情に通じるには。それと黒髪の子、モップ頭で黒人のような唇をした。口笛を吹いてたな。それ向きの唇。モリーもそう。

 

第13章。午後8時。サンディマウントの海岸。三人の少女ガーティーマクダウェル、イーディー・ボードマン、シシー・キャフリーが子供のおもりをしている。チャリティーマーケットで花火が打ち上げられる。その少女たちを眺めるブルーム氏の独白。

 

“Going up like a rocket and coming down like a stick.”「上がるときはロケットのごとく飛びだし、下がるときは棒きれのように落ちる」というのは英語の慣用句で「はじめは威勢がいいのに、終わるころにはだらしない」という意味。日本語でいうと「竜頭蛇尾」に相当。

 

下の写真のような花火をsky rocketとかbottle rocketと呼び、火薬の下に、軌道を安定させるため棒がついている。それで落ちる時は棒のようというのではないか。

 

       

"Bottle Rockets" by User:Surachit is licensed under CC SA 1.0.

ブルーム氏は「おれの花火」といっているので、自分の勃起と射精の後のことを考えているに違いない。あるいはブルーム氏は、自分のこれまでの人生のことを考えているのかもしれない。昔は幸せだったが、息子の死を境に、今の人生は下り坂。ああ、だから赤ちゃんの将来のことの思考につながるのか。

 

さらにこういうことを思いついた。第13章はなぜか前半と後半に分かれていて前半は婦人雑誌に載る小説の文体で書かれていて、花火を境に、後半は今回の所のようなブルーム氏の独白となる。上昇と落下というのはこの章の構成につながるのかもしれない。

 

さらに言えば、『ユリシーズ』全体の構成のことに関係しているかもしれない、第13章はこの小説の全体の分量からいってちょうど真ん中あたりになる。(厳密にページ数でいうと真ん中は次の第14章の初めの方になるが。)この章の花火が、この小説の前半と後半の境目になっているではないだろうか。

 

ブルームが今いる海岸は今日一日の行程で家からいちばん遠い地点といえる。また第13章までは日が出ているが、この章の後で日が暮れ、その後文体はますます難解で読みにくいものになっていく。

 

この場面のしばらく後でブルーム氏は、砂浜で棒を拾う。その棒で砂浜に文字を書いたあと、棒を放り投げると偶然にも地面に突っ立っつ。

 

・・・What’s this? Bit of stick.

・・・

 Mr Bloom with his stick gently vexed the thick sand at his foot. Write a message for her. Might remain. What?

・・・

 He flung his wooden pen away. The stick fell in silted sand, stuck. Now if you were trying to do that for a week on end you couldn’t. Chance.

(U312.1252―1272)

 

棒の落下というのはこの場面を予告しているようだ。

 

モップのような髪の少女とは、ブログの第135回でふれたように、真っ黒な顔でもじゃもじゃ頭のキャラクターゴリウオッグにたとえられた、シシー・キャフリー。

 

シシーはさっき、口笛を吹いており、ブルーム氏はそれを目撃している。

 

  Cissy Caffrey whistled, imitating the boys in the football field to show what a great person she was: and then she cried:

 

 —Gerty! Gerty! We’re going. Come on. We can see from farther up.

 

(U301.754)

 

 

晩の8時とはいえ、夏のダブリンの空はまだ明るいので、花火は明るい空に打ち上げられている。

 

 


"18/52 Daytime Fireworks" by krow10 is licensed under CC BY 2.0.

 

145(U355.170)

ブルーム:あれはオーロラか鋳物工場か。

 

第145投。355ページ、170行目。

 

 (He stands at Cormack’s corner, watching.)

 

 BLOOM: Aurora borealis or a steel foundry? Ah, the brigade, of course. South side anyhow. Big blaze. Might be his house. Beggar’s bush. We’re safe. (He hums cheerfully.) London’s burning, London’s burning! On fire, on fire! (He catches sight of the navvy lurching through the crowd at the farther side of Talbot street.) I’ll miss him. Run. Quick. Better cross here.

 (コーマックの酒場の角でじっと見ている。)

 

 ブルーム:あれはオーロラか鋳物工場か。ああ、そうか、消防隊だ。とにかく南の方。燃え盛る炎。盛んなあいつの家だったりして。ベガーズ・ブッシュ。おれたちは無事。(陽気に口ずさむ)ロンドンが燃えている、ロンドンが燃えている、火事だ、火事だ。(群衆をかき分けてタルボット通りの向こう側の方へよろよろ進む道路工事人を見つけて)見失ってしまう、走れ。急げ。ここを渡ろう。

 

第15章の始めの方。ブルーム氏はスティーヴンとリンチの後を追って、アミアンズ通り駅から、娼館街へやってきたところ。現在彼はコーマックの酒場のある角の所にいて、タルボット通りを渡ろうとしている。

 

★ ブルーム氏のいる、コーマックの酒場の角   

             

 

“Aurora”は、ローマ神話の「日の出の女神」“Borealis”は北風の神の名前に由来し、北極のオーロラのことを、“Aurora Borealis”という。オーロラがダブリンで見えるわけもなく、南の方で火事があったようだ。

 

(2023年11月9日追記)

「オーロラがダブリンで見えるわけもなく」と書いたが、2023年11月6日の晩、アイルランドを含む欧州各地でオーロラが観測されたという。ブルーム氏はここでふざけたことをいっているわけではないのかもしれない。 

www.independent.ie

 

“blaze” は「炎」だが、ブルーム氏は “Bazes”(ブレイゼス)というあだ名の男、つまりブルーム氏の妻の愛人のボイランを思い浮かべて、彼の家が燃えているのかもと空想している。ベガーズ・ブッシュはダブリン市内南東の地名だが、ボイランの家はそのあたりにあるのだろうか。

 

ブログの第37回のところでふれたように、London's burningScotland's Burningという童謡・輪唱のバリエーション。→ ♪

 

London's burning, London's burning.

Fetch the engines, fetch the engines.

Fire, fire! Fire, fire!

Pour on water, pour on water.

 

ブルーム氏はスティーヴンを追いかけてきたので、彼を見失うまいとしている。

 

    

フリチョフ・ナンセン「北の霧の中で」(1911)に掲載のオーロラの木版画

File:Nansen - Nord i Tåkeheimen, woodcut 1, coloured.jpg - Wikimedia Commons

 

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144(U540.1778)

鎖の手前で馬はゆっくり反対方向の向きへと転回したが

第144投。540ページ、1778行目。

 

 By the chains the horse slowly swerved to turn, which perceiving, Bloom, who was keeping a sharp lookout as usual, plucked the other’s sleeve gently, jocosely remarking:

 

 —Our lives are in peril tonight. Beware of the steamroller.

 

 They thereupon stopped. Bloom looked at the head of a horse not worth anything like sixtyfive guineas, suddenly in evidence in the dark quite near so that it seemed new, a different grouping of bones and even flesh because palpably it was a fourwalker, a hipshaker, a blackbuttocker, a taildangler, a headhanger putting his hind foot foremost the while the lord of his creation sat on the perch, busy with his thoughts. But such a good poor brute he was sorry he hadn’t a lump of sugar but, as he wisely reflected, you could scarcely be prepared for every emergency that might crop up.

 

 鎖の手前で馬はゆっくり反対方向の向きへと転回したが、ブルームは平生通り警戒おさおさ怠りなかったのでそれを察知しそっと相手の袖をつかんでおどけて言った。

 

 ―我らが生は危機に瀕しておりますぞ。ごり押し車に警戒あれ。

 

 其処にて二人は立ち止まった。ブルームは65ギニーの値打ちはさらさらない馬の頭部を見やったが、突然、暗闇の中、明瞭に、それは極めて近かったため、骨と、いや肉までもが全く見たこともないように組み合わされたもののように見えた。なんとなれば明らさまにそれは四足歩者、遥臀部者、黒屁股者、懸垂尾者、吊下頭者であり奥の手ならぬ足を出していたからで、一方かの創造主はいと高きみくらに座し物思いにふけっていた。ブルームはこの善良で哀れな獣のために角砂糖の一つも持ちあわせていないのを悔いつつも、出来するやもしれぬあらゆる非常事態に備えることなどできはしないと賢明にも思考した。

 

 

第16章。夜中の2時近く。ブルーム氏はスティーヴンを自宅に連れて行こうと、馭者溜まりからベレスフォード・プレイスへ出たところ。ブログの第51回のすぐ後の箇所。車道と歩道を隔てるためポールに張られたチェーンの向こうに清掃車を引く馬がいる。

 

第16章は、例によって、述べられていることが不正確、不明瞭であるうえ、分かりにくい悪文で書かれている。

 

地面をローラーで踏み固める建設機械を ロードローラー (road roller) といって、もともと馬が牽引していた。蒸気機関で動くロードローラーをスチームローラー (steam roller) というようになったが、動力にかかわらずロードローラーをスチームローラーと呼ぶことがあるという。スチームローラーには、「反対を押し切る強引な手段,強圧」という意味もあるよう。

 

ブルーム氏とスティーヴンが向かい合っているのは清掃車で、ロードローラーでもスチームローラーでもない。

 

65ギニーというのはブログの第51回のところでふれたように、スティーヴンが65ギニーでリュートを買いたいといったからである。

 

「後ろ足を前に出す」“putting his hind foot foremost”というのは「いちばん良い足を前に出す」 “put our best foot forward” という奇妙な英語の慣用句をふまえている。「出だしからベストを尽くす」とか「できる限り最高の印象を与える」という意味で使われる。

 

"Skeleton of Eclipse (a horse)." is licensed under CC BY 4.0.

 

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143(U132.373)

スッ、チッ、チッ、チッ。三日もベッドで呻いて

第143投。132ページ、373行目。

 

 Sss. Dth, dth, dth! Three days imagine groaning on a bed with a vinegared handkerchief round her forehead, her belly swollen out. Phew! Dreadful simply! Child’s head too big: forceps.

 

 スッ、チッ、チッ、チッ。三日もベッドで呻いて、酢を染みこましたハンカチを額にあてて、お腹を張り出して。ひゃー。考えるとぞっとするよ。赤ちゃんの頭が大きすぎる、そうすると鉗子で。

 

このブログでは、乱数に基づいてランダムに『ユリシーズ』読んでいます。第62回と同じところに当たりましたので今回はパスです。

 

                                 

東ドイツの切手ー医療史コレクション(鉗子と検鏡)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stamps_of_Germany_(DDR)_1981,_MiNr_2644.jpg

 

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142(U435.2933)

ベロ:(ぶつくさ言いながらあおむけのブルームの顔の上にしゃがみ込む。

第142投。435ページ、2933行目。

 

 BELLO: (Squats with a grunt on Bloom’s upturned face, puffing cigarsmoke, nursing a fat leg.) I see Keating Clay is elected vicechairman of the Richmond asylum and by the by Guinness’s preference shares are at sixteen three quarters. Curse me for a fool that didn’t buy that lot Craig and Gardner told me about. Just my infernal luck, curse it. And that Goddamned outsider Throwaway at twenty to one. (He quenches his cigar angrily on Bloom’s ear.) Where’s that Goddamned cursed ashtray?

 

 BLOOM: (Goaded, buttocksmothered.) O! O! Monsters! Cruel one!

 

ベロ:(ぶつくさ言いながらあおむけのブルームの顔の上にしゃがみ込む。葉巻の煙をぷっと吐き太い脚を撫でて。)ほう、キーティング・クレイがリッチモンド精神病院の副理事長に選任されたって、それはそうと、ギネスの優先株が16ポンドと3/4とな。ひでえドジ踏んだぜ、クレイグ・アンド・ガードナーが勧めてくれたのに買わなかったとは。死ぬほどツイてねえ、まったく。それであのくそったれ穴馬のスローアウェイが20倍だって。(怒りにまかせて葉巻をブルームの耳でもみ消す)くそひでえ灰皿はどこへいった。

 

 ブルーム:(ねじ込まれ、尻敷かれて)おお、おお、鬼、ひどい人。

 

 

第15章。娼館の女主人ベラ・コーエンが、男性化し、ベロとなり、女性化したブルームを責め立てている幻想場面。

 

 

リッチモンド精神病院

ベロは、Licensed Victualler’s Gazette という冊子を読んでいる。(U434.2898)  "licensed victualler"とは英国で、酒類を販売する免許を有する飲食店という意味。Licensed Victualler’s Gazette というのは検索しても見つけられなかったが Licensed Victuallers’ Guardian というのはあった。「酒類販売公認業者ガーディアン」 Licensed Victuallers’ Guardian は1866年創刊の酒類販売免許業者協会が発行する業者向けのコミュニケーション紙で、毎土曜に発行され、1部2ペンスだったとのこと。

 

 Licensed Victualler’s Gazette は、こういった類のものだろう。

 

 

キーティング・クレイ(Keating Clay)は、Lesser-Known Writersというブログ

 

によれば、Keating Clay という作家の父でダブリンの事務弁護士 Robert Keating Clay (1835-1904) のことのようだ。

 

リッチモンド精神病院 "Richmond asylum" は、そもそも1815年にアイルランド全島から治療可能な精神病患者を受け入れる国立精神病院として建設された施設で、1830年にはリッチモンド地区精神病院と改名。1925年にははグランジゴーマン精神病院、1958年には聖ブレンダン病院と呼ばれる。1980年代後半に、病院は縮小期に入り、古い施設は2010年11月に閉鎖された。現在はフェニックス・ケア・センターとして近代的な精神医療施設の敷地となっている。

 

リッチモンド精神病院の廃墟

"THE RICHMOND LUNATIC ASYLUM [LOWER HOUSE]-137258" by infomatique is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

ギネス醸造

 

ギネス社は、18世紀からダブリンでビールの醸造を始めているが、1886年に株式公開企業となり、その株式はロンドンの取引所で取引された。

 

ベロが見ているのがいつ発行された優先株のことかわからないが、1889年に発行された6%優先株の画像をみることができる。

 

Arthur Guinness Son & Co. Limited, 6% Preference Stock, issued 5. November 1889

File:Arthur Guinness Son & Co 1889.jpg - Wikimedia Commons

 

クレイグ・アンド・ガードナーとはダブリンの会計事務所。アイルランドの著名な会計士のロバート・ガードナー卿(Sir Rober Gardner, 1838年 - 1920年)が、1866年にウィリアム・G・クレイグ(William G. Craig)とクレイグ・ガードナー事務所を設立。なお同事務所は現在はプライスウォーターハウスグループに吸収されている。

 

スロウアウェイ

 

さて、スロウアウェイ。

 

”throw away”は「捨てる」という意味だが、競馬馬の名前が「スロウアウェイ」"Throwaway" であったことから起こる混乱がこの小説の描く一日の大きな事件となっている。

 

スロウアウェイという競馬馬の名前(馬のテーマ)がこの小説の全体(ブルーム系の章)を転々と流通していくが、第122回でまとめたように、口蹄疫の話題(牛のテーマ)が、スティーヴン系の章を中心に、転々と流通していくのと対なしているように思う。スロウアウェイの関連をざっと眺めてみましょう。

 

この日(1904年6月16日)、ロンドンのアスコット競馬場では恒例の金杯レース(Gold Cup)が開催された。ロンドン時間で午後3時出走。スロウアウェイはノーマークの穴馬だった。

 

第5章

 

街角でブルーム氏は知人のバンタム・ライアンズに出会う。ライアンズは競馬の記事を見たくて、ブルーム氏が持っていた『フリーマン』紙を見せてほしいという。ブルーム氏はもうこれは捨てるつもりなんだ(throw it away)と手渡す。ライアンズはブルーム氏が勝ち馬の名前(Throwaway)を知っていて裏情報を教えてくれたと誤解する。

 

第7章

 

新聞社にて。競馬の予想屋もやっているレネハンは金杯レースの本命はセプター(Sceptre)と皆に話す。

 

第8章

 

デイヴィ―・バーンの店に来たノージー・フリン、店主にジンファンデル(Zinfandel)が本命と店主に語る。店主は競馬はやらない口。(ブログの第42回

 

客のパディ・レナードがフリンに、バンタム・ライアンズがブルーム氏から勝ち馬情報を仕入れたという話を語る。この情報はまたたく間に町中に広まったと考えられる。

 

第10章

 

レネハンとマッコイが賭け屋のライナムに寄る。(ブログの第9回)レネハンはもちろんセプターを買っている。レネハンはそこでライアンズに会い、ライアンズの賭ける馬をスロウアウェイからセプターに乗り変えさせる。

 

第11章

 

オーモンドホテルのレストラン。レネハンの情報で、ブルーム氏の妻の愛人、ボイランもセプターに賭けていることがわかる。モリーと自分の分で2ポンド買っていることが次の章で分かる。

 

次章までの間にレースが行われていることになる。

 

第12章

 

バーニー・キアナンの店。レネハンが、セプターが敗れ、穴馬のスロウアウェイが勝ったことを嘆く。バーテンのテリーはフリンの情報でジンファンデルを買って半クラウンすっている。

 

レネハンはブルーム氏の裏ネタはスロウアウェイであるとライアンズに聞いて知っていたので、ブルーム氏は大穴を当てたと思っていて、そのことを言いふらす。レネハンはブルーム氏は5シリング分の馬券を買って100シリング得たと思っている。

 

第13章

 

夕刊『イヴニング・テレグラフ』紙には金杯レースの結果が掲載されていること描写される。

 

第14章

 

産科病院にて。レネハンは、医学生のマッデンはセプターに賭けて5シリングすったと皆に語る。彼はスロウアウェイに抜かれたセプターの敗北を嘆く。

 

レネハンはとある情報屋のネタでセプターを買ったという。自分のせいでライアンズは損をしたと語る。

 

ブルーム氏はこの場に居合わせているので、この話を聞いている。もちろんライアンズの誤解のことを彼は知らない。

 

第15章

 

この場面。

 

ブルーム氏は第14章でレネハンの話を聞いているので、勝ち馬が穴馬のスロウアウェイと知っている。だからベロの存在はブルーム氏の幻想であるとしてもおかしくはない。

 

夜の町に馬車で来た葬儀屋のケラハーは、夜警にからまれているブルーム氏にたのまれてブルーム氏のことを夜警に説明する。ケラハーはブルーム氏が大穴の馬券を当てた噂話を知っている。(小説には書かれていないが、大穴で儲けたブルーム氏が夜の町にきていたという話はケラハーを通じて翌日町に広まることになるだろう。)

 

ケラハーが馬車で連れて来た客の一人も競馬で2ポンドすったという。(第124回

 

第16章

 

ブルーム氏とスティーヴンが入った馭者溜まり。テーブルに『イヴニング・テレブラフ』紙がありブルーム氏は、金杯レースの勝者はスロウアウェイとの記事を目にする。1着はスロウアウェイ、2着はジンファンデル、3着はセプター。

 

彼は馬券を買ったわけでもなく、レースに興味もない。

 

競馬の結果を報じる記事はブルーム氏に詳しく読みあげられる。ブルーム氏は第14章で聞いたレネハンの話を想起している。

 

第17章

 

帰宅したブルーム氏は食器棚の上に破った馬券を2枚見つける。ブルーム氏の妻との密会に訪れたボイランが捨てていったものだ。

 

第18章

 

寝床で妻のモリーが、ボイランは今日競馬の結果を知るため夕刊を買いに行って戻ってきてから馬券を破いた、と回想する。

 

   

今日のレースでは、3着となったイギリスの牝馬で卓越した競走馬、セプター(1899年 - 1926年)には立派な画像がある。

File:Sceptre by Emil Adam.jpg - Wikimedia Commons

 

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141(U204.1056)

ジョン・ハワード・パーネルが、白のビショップを静かに動かすと

 

第141投。204ページ、1056行目。

 

 

 John Howard Parnell translated a white bishop quietly and his grey claw went up again to his forehead whereat it rested. An instant after, under its screen, his eyes looked quickly, ghostbright, at his foe and fell once more upon a working corner.

 

 —I’ll take a mélange, Haines said to the waitress.

 

 —Two mélanges, Buck Mulligan said. And bring us some scones and butter and some cakes as well.

 

 When she had gone he said, laughing:

 

 —We call it D.B.C. because they have damn bad cakes. O, but you missed Dedalus on Hamlet.

 

 ジョン・ハワード・パーネルが、白のビショップを静かに動かすと、灰色の爪は再びその額へと戻っていった。ほどなく、目蓋の下の両目は幽かに閃き、敵を一瞥すると視線はまた対局中の一角へ落とされた。

 

 ―おれはメランジェ、ヘインズがウェイトレスにいった。

 

 ―じゃメランジェ2つ、とバック・マリガン。あとスコーンとバターとケーキも。

 

 ウェイトレスが行ってから、笑って言う。

 

 ―どん・引き・茶屋、だからD.B.Cっていうんだ。ああ、君はデッダラスの『ハムレット』論を聞き逃したね。

 

 

第10章はダブリンの様々な場所が、19個の断章で描かれている。ここはその16番目の断章。

 

主人公のスティーヴン・デッダラスの友人で同居人のマリガンと英国人で彼らの住居に居候中のヘインズがダブリン・ブレッド・カンパニー (Dublin Bread Company) の喫茶室で落ち合って会話しているところ。

 

ここでジョン・ハワード・パーネルがチェスを指している。

 

冒頭の一文は、なかなか味わい深い。視点はパーネル氏から盤上の駒へ移り、今度は爪が主語となって額に昇って行き、さらに両目が主語になったうえ、視線が盤上に落ちる。1回半が輪が回転する。こうした正統な美文が読めるのは10章までで、その後の章でははどんどん過激で特殊な文体になっていく。

 

ジョン・ハワード・パーネル(John Howard Parnell  1843年 - 1923年)は、アイルランド自治運動の指導者で不倫によって失脚したチャールズ・スチュワート・パーネル(Charles Stewart Parnell 1846年 – 1891年)の兄。兄の死後、1895年から1900年まで国会議員を務めた。現在(1904年)は市儀典官(Dublin City Marshal)の職にある。市儀典官は市長のパレードを先導するなど、儀式的な役割をはたす名誉職。

 

彼は兄と異なり有能な政治家ではなく、議会で発言したこともなかった。政治より議員とチェスをすることをはるかに好んだと言われている。

→ The Dictionary of Irish Biography

 

       

       ジョン・ハワード・パーネル

 

マリガンが注文する、メランジェ(mélange フランス語で“混ぜたもの”の意)とは、ドイツ語圏において「エスプレッソと同量の温かいミルクを混ぜ、その上に泡立てたミルクや甘くないホイップクリームを乗せてた飲料」を指す。当時のダブリンでそういう意味だったのか確証はない。とりあえずそう考える。

 

        

        ウィーン風メランジェ

"File:Wiener Melange 0363wien img 9691.jpg" by Rüdiger Wölk is licensed under CC BY-SA 2.0.

 

D.B.C.はサックヴィㇽ通り(オコンネル通り)を含めいくつか店舗があったが、第10章の最後の断章 (U208.1216~1227) から、ここはデイム通り(Dame Street)の店舗と考えられる。デイム通りの店舗は33番地にあったという。33番地には当時の建物は残っておらず、いまの建物には語学学校 (City Language School) が入っている。

当時の写真 → The Historical Picture Archive

 

★Dublin Bread Company

Dublin John Bartholomew & Son(1909)

 

隣の32番地はマリガン・アンド・ヘインズ(Mulligan & Haines)というパブになっている。この場面にちなんでのことだろう。

 

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140(U369.634)

ブルーム:こりゃ当てのない捜索だ。

 

第140投。369ぺージ、.634行目。

 

 BLOOM: Wildgoose chase this. Disorderly houses. Lord knows where they are gone. Drunks cover distance double quick. Nice mixup. Scene at Westland row. Then jump in first class with third ticket. Then too far. Train with engine behind. Might have taken me to Malahide or a siding for the night or collision. Second drink does it. Once is a dose. What am I following him for? Still, he’s the best of that lot. If I hadn’t heard about Mrs Beaufoy Purefoy I wouldn’t have gone and wouldn’t have met. Kismet. He’ll lose that cash. Relieving office here. Good biz for cheapjacks, organs. What do ye lack? Soon got, soon gone. Might have lost my life too with that mangongwheeltracktrolleyglarejuggernaut only for presence of mind. Can’t always save you, though. If I had passed Truelock’s window that day two minutes later would have been shot. Absence of body. Still if bullet only went through my coat get damages for shock, five hundred pounds. What was he? Kildare street club toff. God help his gamekeeper.

 ブルーム:こりゃ当てのない捜索だ。紊乱の巷。どこに行ってしまったのか。酔っぱらいの足は速い。上等な混乱ぶり。ウェストランド・ロウでの騒動。三等の切符で一等の車両に飛び乗った。それでえらく遠くに行ってしまった。機関車が後ろについた列車。マラハイドまでいってしまったかもしれない、それとも側線で一晩、それともはねられたかも。2杯呑んだせい。1杯が適量。どうして彼を追いかけているのだろう。あいつらの中では彼が一番。ビューフォイ氏だかピュアフォイ氏だかのことを聞かなかったら行ってなかったし会ってなかった。運命。あのお金は無くなっちゃうだろう。ここは慰安庁だから。いかがわしい組織には適した商売。何がご入用で。悪銭身に付かず。おれだって命を取られかけた、さっき有人警鈴車輪軌道滑触眩光不可抗拒的路面電車に、助かったのはひとえに冷静さのおかげ。いつも無事でいられるわけじゃない。あの日もし2分後にトゥルーロックの窓の外を通りかかっていたら弾で撃たれていた。体は木端微塵。でも弾が上着を貫いただけなら慰謝料500ポンドもらえた。ところで彼は何者だ。キルデアクラブの紳士か。彼の番人は気の毒だ。

 

 

第15章。ブルーム氏はスティーヴンとリンチの後を追って、アミアンズ通り駅(Amiens Steet Sation /現コノリー駅 Connolley Station)を出て、娼館街へやってきた。現在彼はマボット通りとメクレンバーク通りの角あたりにいる(下の地図参照)。そのブルーム氏の独白。

 

 

この小説には1904年6月16日のブルーム氏とスティーヴン、2人の主人公の動向が詳細に書かれているが、書かれていない出来事もある。このブルームの台詞は書かれていない場面(第14章のバークの酒場から第15章の夜の町の間)にかかわるので興味ぶかい。

 

ウェストランド・ロウ駅にて

 

“wild-goose chase” とは、野生のカモ猟は難しいことから「当てのない捜索,むだ足」の意味。

 

マーテロ―塔にスティーヴンと一緒に住むマリガンと居候のへインズは第14章の産科病院の章でウェストランド・ロウ駅 (Westland Row Station / 現 ピアース駅 Pearse Station) で11時10分に待ち合わせするよう申し合わせている。

 

Meet me at Westland Row station at ten past eleven.

(U337.1027)

 

第16章でブルーム氏がスティーヴンに語る次の一節のよると、そのウェストランド・ロウ駅でなにかひどいことがあったようだ。スティーヴンとマリガンは喧嘩になったのではないかと思われる。

 

―A gifted man, Mr Bloom said of Mr Dedalus senior, in more respects than one and a born raconteur if ever there was one. He takes great pride, quite legitimate, out of you. You could go back perhaps, he hasarded, still thinking of the very unpleasant scene at Westland Row terminus when it was perfectly evident that the other two, Mulligan, that is, and that English tourist friend of his, who eventually euchred their third companion, were patently trying as if the whole bally station belonged to them to give Stephen the slip in the confusion, which they did.

(U507.260―)

 

1904年当時、ダブリンの中心部(ウェストランド・ロウ駅 )から南方、サンディコーヴグレイストーンズ方面への路線はダブリン・ウィックロー・ウェックスフォード鉄道(Dublin, Wicklow and Wexford Railway)により運営されていた。

 

ダブリンの中心部(アミアンズ・ストリート駅)から北方のホウス、マラハイド方面までの路線は、グレートノーザン鉄道(Great Northern Railway (Ireland))により運営されていた。

 

ウェストランド・ロウ駅とアミアンズ・ストリート駅は1891年にループラインで接続された。ループラインはダブリン市ジャンクション鉄道(City of Dublin Junction Railway)による運営であった。(現在の近郊路線の全体図は第121回参照。)

 

〇ウェストランド・ロウ駅

アミアンズ・ストリート駅

★ブルーム氏の現在位置

Eason's new plan of Dublin and suburbs 1908

 

マリガンとヘインズはウェストランド・ロウ駅からダブリン・ウィックロー・ウェックスフォード鉄道乗車しサンディコーヴまで行ってマーテロ―塔へ帰ったと考えられる。

 

一方、マリガンと喧嘩別れしたスティーヴンはマーテローへは帰らず、リンチとともにダブリン市ジャンクション鉄道に乗車し北へ向かった。

 

アミアンズ・ストリート駅にて

 

ダブリン市ジャンクション鉄道は後から敷設された路線(別会社の運営)なので、アミアンズ・ストリートにおけるその駅は独立した「アミアン・ストリート・ジャンクション駅」であり、別の出入り口があったという。 

→ Wikipedia コノリー駅

  National Inventory of Architectual Heritage

 

ティーヴンとリンチはアミアンズ・ストリート・ジャンクション駅で下車し、「アミアン・ストリート・ジャンクション駅」の出入り口から出て娼館街へ向かったと思う。

 

アミアンズ・ストリート・ジャンクション駅

アミアンズ・ストリート・ジャンクション駅の入り口

白丸 アミアンズ・ストリート駅

アミアンズ・ストリート駅の側線

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory  1898

 

ブルーム氏は、彼らを追って、ウェストランド・ロウ駅から、たぶん同じ列車に乗車した。

 

さて、この一節はどういう意味か。

 

Then jump in first class with third ticket. Then too far. Train with engine behind. Might have taken me to Malahide or a siding for the night or collision. Second drink does it. Once is a dose.

 

私は、以下のように推測する。

 

  1. この時、ループラインの列車は機関車が最後尾にある編成だった。つまり先頭車両が客車だった。
  2. 先頭にある車両が1等車両で、ブルーム氏は3等のチケットでこの先頭車両に乗った。
  3. ブルーム氏は駅へ来る前のバークの酒場で酒を2杯飲んだだめ(あるいは今日2回酒を飲んだためということか)酔っぱらって寝てしまった。
  4. ループラインの終点はアミアン・ストリート・ジャンクション駅だった。ブルーム氏は駅員に起こしてもらったのではないか。先頭車両は駅の入り口から遠いので “Then too far.” と言っている。
  5. ブルーム氏は、こう思った。「もし眠ったまま、列車が、グレートノーザン鉄道に乗り入れていたなら、マラハイドまで行ってしまったかもしれない。ここが終点だったとしても、アミアンズ・ストリート駅の側線に入庫してしまって車両から出られなくなったかもしれない。車両から脱出できたとしても操車場で他の列車にはねられたかもしれない。」
  6. 寝過ごしてさらに北の方の駅に行ってしまい、戻ってきたとの考えもあるが、そうするとかなり時間がたってしまう。「酔っぱらいは足が速い」と2人を追っていることから考えると、それはないと思う。

 

“dose” は「薬の1回分の服用量、いやなものの1回分」、という意味なので

”Once is a dose.” は(酒は)1回が限度という意味と思う。

 

散砂路面電車

 

ブルーム氏はここで、なぜスティーヴンを追っているのか語っている。ピュアフォイ氏のお産のお見舞いにきたブルーム氏は、医学生の一団と出会った。その中のだれかと妻のモリーを交際させたいと思った。これは第136回のメロンの夢と一致する。また、スティーヴンが金を巻き上げられないよう見張ってやりたいと思っている。ブルーム氏はこの章の後半でスティーヴンの金を預かることになる。

 

先ほど、タルボット通り(冒頭の地図参照)のあたりでブルーム氏は砂を散布する路面電車にはねられかけた。タルボット通りは路面電車が走っていた。

 

 (He looks round, darts forward suddenly. Through rising fog a dragon sandstrewer, travelling at caution, slews heavily down upon him, its huge red headlight winking, its trolley hissing on the wire. The motorman bangs his footgong.)

 

 THE GONG: Bang Bang Bla Bak Blud Bugg Bloo.

 

 (The brake cracks violently. Bloom, raising a policeman’s whitegloved hand, blunders stifflegged out of the track. The motorman, thrown forward, pugnosed, on the guidewheel, yells as he slides past over chains and keys.)

 

 THE MOTORMAN: Hey, shitbreeches, are you doing the hat trick?

 

 (Bloom trickleaps to the curbstone and halts again. He brushes a mudflake from his cheek with a parcelled hand.)

(U355.184)

 

“mangongwheeltracktrolleyglarejuggernaut” という長い単語はこの散砂路面電車のことを指している。何のために砂を撒くのか。掃除のためか、滑り止めのためか、検索したが突き止められなかった。

 

"Juggernaut"(ジャガーノート)とは、そもそもヒンドゥー教で言われる神の化身の事で、Juggernautが乗った車にひかれて命を落とすと天国に行けると信じられたとの事で、それに由来して、命を犠牲にするもの、接待的な力、不可抗力、などといった意味でも使われる

 

トゥルーロック

 

トゥルーロックというのは銃製造業者。銃が暴発して通行人に被害が出た事件があったのだろうか。検索したがそのような事故は見つけられなかった。

 

しかし次のような記事があった。→ 『アイリッシュタイムズ』

1906年3月22日の午後、トゥルーロック、ハリス、リチャードソン社の敷地内で火薬の爆発が起こり、隣地が破壊され、従業員5人が負傷、うち2人は重体で入院したという。

 

ひょっとしたらジョイスはこの事故の記憶を利用したのかもしれない。

 

 

アミアンズ・ストリート駅  (1915 Postcard)

アミアンズストリートから北の方を望む図。奥の方でループラインが合流する。

 

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