Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

151(U566.816) ー サー・ヒューまたはユダヤの娘

現れたのはユダヤの娘

第151投。566ページ、816行目。

 

Then out there came the jew’s daughter

And she all dressed in green.

“Come back, come back, you pretty little boy,

And play your ball again.”

 

I can’t come back and I won’t come back

Without my schoolfellows all.

For if my master he did hear

He’d make it a sorry ball.”

 

現れたはユダヤの娘

身ぐるみ緑

おいで、おいで、かわいい坊や

あんたのボールで遊びなさい

 

いっちゃだめだしいきたくない

友だちみんなと一緒でないと

先生に知られたら

お目玉食らう

 

第17章。深夜、ブルーム氏はスティーヴンを自宅に連れて来る。2人の会話。ブルーム氏がスティーヴンにユダヤに関係する歌を求める。スティーヴンの唄の歌詞の一節。

 

ティーヴンが歌ったのは『サー・ヒュー』 Sir Hugh (またはThe Jew's DaughterThe Jew's Garden )として知られるイギリスの伝統的なバラッド。

 

唄の内容は、こういうもの。少年たちがボールで遊んでいたところ、ボールがユダヤ人の家に入ってしまう。緑色の服のユダヤ人の娘が少年にボールを取りに来るよう誘う。招き入れられた少年は彼女に殺されてしまう。

 

18世紀以降に作られたというこの唄の由来は、中世英国でのユダヤ人迫害に遡る。

 

1230年代より英国のいくつかの町ではユダヤ人の追放や迫害が行われたが、それを背景としてリンカーンの町でユダヤ人による少年ヒュー殺害事件が起こった。

 

1255年、少年ヒューが失踪し、井戸の中で遺体が発見された。司教の弟は、ユダヤ人が儀式による殺人(meurtre rituel)を行ったとの告発を行い、その自白を引き出した。国王ヘンリー三世が介入し、自白した男を含む多くのユダヤ人が捕らえられ処刑された。この告発は巡礼者の寄進を集めるためのでっち上げではないかと言わる。

 

ヘンリー三世の戴冠

Coronation of Henry III of England (Illustration) - World History Encyclopedia

 

このバラッドは、フランシス・ジェームズ・チャイルド(Francis James Child)が19世紀後半にまとめた『イングランドとスコットランドの人気のあるバラッド』The English and Scottish Popular Ballads に収録されている。唄の様々な異本が採集されているが、そのうちの 55N: Sir Hugh, or the Jew’s Daughter がスティーヴンが歌ったものに近い。

 

今回の一節に対応する箇所は次の通り

 

She came down, the youngest duke’s daughter,

She was dressed in green:

 ‘Come back, come back, my pretty little boy,

 And play the ball again.’

 

‘I wont come back, and I daren’t come back,

Without my playfellows all;

And if my mother she should come in,

She’d make it the bloody ball.’

 

アイルランドに移民してきたユダヤ人を父をもつブルーム氏としてはこの唄を聞かされて複雑な気持ちとなる。

 

バラッドといえば、第11章、オーモンドホテルでベン・ドラードがで歌う『クロッピー・ボーイ』を思い出した。これはブログの第114回でとり上げた。1798 年、英国のアイルランド支配に対するユナイテッド・アイリッシュメンの反乱を題材とする。戦いに向かう途中で教会に立ち寄った若者が、マントをかぶった人物を神父と思って懺悔する。その男は告解室に隠れていた英国兵で、若者が告白を終えると、正体を現す。若者は捕えれ殺される。というもの。

 

一方は英国人が被害者で、一方は加害者と逆になるが、屋内でだまされた子供または若者が殺されるというパターンが同型であると気がついた。

 

イングランドスコットランドの人気のあるバラッド』より「サー・ヒュー」の挿絵(1896年)。

File:Sir Hugh ballad.jpg - Wikimedia Commons

 

昔の岩波新書、『フットボールの社会史』(F.P.マグ―ンJr. 著、忍足欣四郎訳、1985年)を読んでいたらこんな一節があった。このバラッドは英国でフットボール(いまのサッカー)についてふれたごく初期の文学的記録だという。そんな昔に作られた唄なのかはWikipediaのの記事では明らかでないのだが。

 

「[リンカン]のサー・ヒュー、またはユダヤ人の娘」(チャイルド編の俗謡集成、155番)というバラッドは―事の性質上、製作年代は不詳だが―恐らくこの時からほど遠からぬ頃に作られたのであろう。この詩は蹴球の試合の場面で始まるのである。

 

一、二十四人の元気な少年が

   ボールで遊んでいた、

  そこへ愛しのサー・ヒューが通りかかって、

   少年たち皆と遊んだ。

二、彼は右足でボールを蹴り、

   そしてひざでボールを蹴り、

  すると見事ボールは

   ユダヤ人の家の窓に飛び込んだ。

 

 バラッドが進行するにつれて、あらぬ方へボールを飛ばした結果が主人公にとって致命的なものになる。儀式に則ったリンカンのサー・ヒューの殺害は1255年に遡るが、このバラッドの考え得る限りで最も古い形はそれよりやや後のものであるに相違ない。しかし、蹴球の主題が、現在に伝わる18の異文のうち5つ(A、C、D、E、N)に現れるところをみると、この特徴が比較的早い時期に導入されたと考えてもさほど見当違いであるまい。

 

この新書に引用されている箇所の原文は次の通り。

 

1.FOUR and twenty bonny boys
  Were playing at the ba,
  And by it came him sweet Sir Hugh,
  And he playd oerthem a’.
 
2.He kickd the ba with his right foot,
  And catchd it wi his knee,
  And throuch-and-thro the Jew’s window
  He gard the bonny ba flee.

(155A)

(青字は2024年2月12日追記)

 

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