Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

52 (U215.212)

―さてと、彼は詩案した、おおせの通り。

 

第52投。215ページ、212行目。

 

 —Well now, he mused, whatever you say yourself. I think I’ll trouble you for some fresh water and a half glass of whisky.

 

 Jingle.

 

 —With the greatest alacrity, miss Douce agreed.

 With grace of alacrity towards the mirror gilt Cantrell and Cochrane’s she turned herself. With grace she tapped a measure of gold whisky from her crystal keg. Forth from the skirt of his coat Mr Dedalus brought pouch and pipe. Alacrity she served. He blew through the flue two husky fifenotes.

 

 ―さてと、彼は詩案した、おおせの通り。水とグラス半分のウィウスキーをもらうとするかな。

 

 シングル。

 

 ―さくさくっとね、ミス・ドゥースが応じた。

 さくさくしなやかに、カントレル・コクランの金文字輝く鏡へと彼女は身を翻した。しなやかに玻璃の樽から金色のウィスキーをメジャーに注いだ。上着の腰ポケットからデッダラス氏は煙草ポーチとパイプを取り出した。さくさく彼女は給仕した。パイプの管からしわがれた笛の音がププーと出た。

 

 

第12章。オーモンドホテルのバー。午後の4時前。主人公スティーヴンの父、サイモン・デッダラスが入ってきて、バーの女給の一人ミス・ドゥースに酒を注文しているところ。

 

第12章は音楽的な言語で書かれている。なんでもない一節だけれど原文を読んでみると実に美しい。

 

そして以下の言葉は音楽に縁がある。

  

muse ― ミューズ,ムーサ。詩歌・音楽などをつかさどる九女神の一人

tap ― コツコツたたく

measure ― 長調 major の響き

pipe/blew ― 管を吹く、は楽器に付きもの

flue ― オルガンの唇管 (下図参照)。フルートも連想させる。

husky ― ハスキーボイス

fifenotes の fife ― 軍楽隊の横笛

 

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この章の冒頭には章全体を圧縮した序曲があるが、その5行目“A husky fifenote blew.”はここに相当する。

 

そしてJingle。Jingleには次の含みがある

 

  1. チンチン、リンリンと鐘のように鳴る音

  2. 19世紀から20世紀初頭にかけてアイルランドのコーク市で使用されていた幌馬車の一種。これは今回辞書で見るまで思いもよらなかった。
    小説のもう一人の主人公、ブルーム氏もオーモンドのレストランで食事をしている。彼の妻の愛人であるボイランが今馬車でホテルに向かっており、その馬車の音を描写している。コークはサイモンの故郷である。なおボイランの乗っている馬車は幌馬車ではないが。

  3. ブルーム氏の家のベッドの金具は jingle と鳴る。第4章の一節。
    “No. She didn’t want anything. He heard then a warm heavy sigh, softer, as she turned over and the loose brass quoits of the bedstead jingled.”(U46.59)
    ボイランがここオーモンドに寄ってからブルーム家へ行く予定であることが暗示される。

 

Jingleをどう訳すか難しい。

ベッドの連想で、寝具(しんぐ)とシングル

サイモンの頼んだウィスキーに縁のあるシングル

を拾って、シングルとした。

 

カントレル・コクランとは飲料メーカーのこと。

 

バーには同社の広告の鏡があり、「ジンジャーエール」の文字が金色書かれている。

“His spellbound eyes went after, after her gliding head as it went down the bar by mirrors, gilded arch for ginger ale, hock and claret glasses shimmering, a spiky shell, where it concerted, mirrored, bronze with sunnier bronze.”(U219.410)― Hisはボイランのこと。

 

こんな鏡だろう。ジンジャーエールと書いていないけど。

 

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ジンジャーエールはダブリン生まれの薬屋・外科医トーマス・カントレル(Thomas Cantrell,  1827-1909)により発明された。1852年、彼は独立しベルファストで飲料事業を始めた。1868年、カントレルはダブリンのヘンリー・コクラン( Henry Cochrane,  1836 – 1904) と事業統合し、カントレル・コクラン (Cantrell & Cochrane Limited.)を設立。アルコール飲料、サイダーおよびソフトドリンクの製造、販売業者として今日に至る(現社名はC&C Group plc)。

 

なおブルーム氏は、第5章にて、街角でカントレル・コクランの広告に目をとめている。彼の職業は広告取りなので関心があるのだ。

 

“Mr Bloom stood at the corner, his eyes wandering over the multicoloured hoardings. Cantrell and Cochrane’s Ginger Ale (Aromatic).”(U62.193)

 

そしてそのあとで同社のジンジャーエールのことを想起している。

 

“The priest was rinsing out the chalice: then he tossed off the dregs smartly. Wine. Makes it more aristocratic than for example if he drank what they are used to Guinness’s porter or some temperance beverage Wheatley’s Dublin hop bitters or Cantrell and Cochrane’s ginger ale (aromatic).”(U67.389)

 

the skirt of his coat の skirt には、「衣服の腰から下の部分」という意味がある。ここは「裾」ではないだろう。

“The lower and loose part of a coat, dress, or other like garment; the part below the waist;”(Webster's Revised Unabridged Dictionary

今は6月なので Coatは「コート」ではない。

 

ユリシーズ』は鏡が重要な道具立てとして用いられている。(例えば第10章の15番目の断章、ジェイムズ・キャヴァナーのワインルームへ行く場面)このバーの場面は音楽的に美しいだけでなく、視覚的にも美しい効果をあげている。

 

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"Cantrell & Cochrane Ginger Ale 1922" by Nesster is licensed under CC BY 2.0

 

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