Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

31 (U349.1574)

リンチ! はい?

第31投。349ページ、1574行目。

 

 

Lynch! Hey? Sign on long o’ me. Denzille lane this way. Change here for Bawdyhouse. We two, she said, will seek the kips where shady Mary is. Righto, any old time. Laetabuntur in cubilibus suis. You coming long? Whisper, who the sooty hell’s the johnny in the black duds?

 

リンチ! はい? おれと行かねー。デンジル小路のほう。ちゃぶ屋へ乗り換え。二人で行きましょ、彼女は言った、ハマのマリーのいる宿求め。りょ。いつだって。ソノ寝牀ニテヨロコビウタフベシ。つるんでいかねー? ひそひそ、あの黒服の陰キャ誰?

 

 

第14章の一番最後の段落。夜の11時ごろ。国立産科病院をでたスティーヴン、ブルーム氏、医学生らの一行は、近くの酒場バークで飲んだ後、外へとくりだした。スティーヴンとリンチ、それを追うブルーム氏は、これから「夜の町」娼家街へ向かう。

 

第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞってきたが、ここはその最終の部分で、1904年当時の口語、俗語、隠語、方言などの混合体(マカロニ体というのか)となっている。どの台詞を誰が言っているのかも定かでないように書かれている。

 

上は混合体風に訳してみた。分解して普通に訳すと次のようになるかと思う。

 

ティーヴン: リンチ。

リンチ: 何だい。

ティーヴン: ぼくといっしょに来いよ。デンジル小路のほう。ここで売春宿へ乗り換え。「二人して」と彼女は言う「いかがわしいメアリーのいる安宿を探しましょう。」

   Sign on は join ということ

   long o’ me は along of me と思う

          We two, she said, will seek the kips where shady Mary is.

          はダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828-82)の長詩 “The Blessed Damozel”
        (1850 年初出)の一節のもじり。神秘的で神聖なものを卑俗なものに
         転倒している。

 

          若くして死んだ乙女が、天国の宮殿の手すりから、地上に残した恋人を慕う
          という内容。

   "We two," she said, "will seek the groves  

   Where the lady Mary is,

   With her five handmaidens, whose names

   Are five sweet symphonies,

   Cecily, Gertrude, Magdalen,

   Margaret and Rosalys.

   「二人して」と彼女は言う、「聖母マリア

     おわします木立を探しましょう。

    おそばには五人の侍女、その名は

     五つの甘美な交響曲

    セシリー、ガートルード、マグダレン

     マーガレットにロザリス

   
   「天つ乙女」より(松村伸一訳『D.G.ロセッティ作品集』岩波文庫、2015年)

  

リンチ: よろしい。何時だって。

  Rightoは 口語で Right you are

  any old… は口語で「どんな…でも」

 

ティーヴン: ソノ寝牀ニテヨロコビウタフベシ。

  旧約聖書の「詩編」第149篇の第5節

  「聖徒は栄光の故によりてよろこび  その寝牀にてよろこびうたふべし」
  の引用。
  「イスラエルの聖徒は回復された栄光のため喜び、日中だけでなく夜中も
  その寝床でも喜び歌え」との意だが、曲解して神聖な聖句を卑俗なものに
  転倒している。

 

リンチ: いっしょにくるかい。(小声で)あの黒服を着たくそったれは誰だい。

   come long  は come along だろう

   sooty hell   は、bloody hellと同様の罵倒

   johnny は、やつ

 

  前半はブルーム氏に話しかけ、後半はスティーヴンに話しているよう。
  ブルーム氏は今日の午前、友人のディグナムの葬儀に参列したので
  喪服を着ている。

 

 

さて、ロセッティは、後年友人や後援者に、彼の詩 “The Blessed Damozel” を絵に描くよう勧められ、下に掲載の油彩を描いた。

 

夏目漱石はこの絵に触発されて『夢十夜』(1908)の「第一夜」を書いたという。

「死んだら、埋めて下さい。大きな眞珠貝で穴を掘つて。さうして天から落ちて來る星の破片を墓標に置いて下さい。さうして墓の傍に待つてゐて下さい。叉逢ひに來ますから。」

 

読み飛ばすような一節だが、こんな色んなものが出てくるとは、思いもよらなかった。

 

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「祝福されし乙女」(Blessed Damozel)

File:Rossetti BlessedDamozel replica 1879.jpg - Wikimedia Commons

 

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