彼はその申出に丁寧に禮を述べながら
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Who, upon his offer, thanked him very heartily, though preserving his proper distance, and replied that he was come there about a lady, now an inmate of Horne’s house, that was in an interesting condition, poor body, from woman’s woe (and here he fetched a deep sigh) to know if her happiness had yet taken place. Mr Dixon, to turn the table, took on to ask of Mr Mulligan himself whether his incipient ventripotence, upon which he rallied him, betokened an ovoblastic gestation in the prostatic utricle or male womb or was due, as with the noted physician, Mr Austin Meldon, to a wolf in the stomach. For answer Mr Mulligan, in a gale of laughter at his smalls, smote himself bravely below the diaphragm, exclaiming with an admirable droll mimic of Mother Grogan (the most excellent creature of her sex though ’tis pity she’s a trollop): There’s a belly that never bore a bastard. This was so happy a conceit that it renewed the storm of mirth and threw the whole room into the most violent agitations of delight. The spry rattle had run on in the same vein of mimicry but for some larum in the antechamber.
彼はその申出に丁寧に禮を述べながらもどこか距離を測るやうな態度でかう言つた。「私はホーンの館に在るあるご婦人のことで此處へ參つたのですが、その方は尋常ならぬ有様でまさに女の苦患のただ中にあるらしく(ここで彼は深いため息をついた)そのご婦人に、果して幸福が既に訪れたのか否か、それを確かめたうございます。」これを聞いてディクソン氏、ここは余の出番とばかりに、マリガン氏本人にかう問いかけた。「世間のからかひの的であるその腹部肥大の初期症狀は、前立腺室、或いは男の子宮における卵子分芽性の妊娠なのか、それとも、あの有名な醫者オースティン・メルドン氏と同じく、腹に棲む蟲の仕業なのかね」。するとマリガン氏、下帶のうちから高らかな笑ひを放ち、橫隔膜のあたりをバンと叩いて、おどけた樣子であのグローガンのおつ母さんを(この上なく立派なご婦人ではあるが、遺憾なことに娼婦であつた)見事に眞似て聲高に叫んだ。「この腹から父無し子を産んだことは無いよ。」この一言機智に富みまた愉快で、その場をたちまち哄笑の渦に卷き込み、一同は再び大きな歡喜と興奮に包まれた。若しこのとき控への間へ火急の報せが無かつたなら、同じ趣向による物眞似と賑やかな談笑は、なほ暫く續いてゐたことであらう。
第14章。午後10時ごろ。国立産科病院の談話室でスティーヴンと医学生らが談笑している。ピュアフォイ夫人の出産を見舞うためやってきたブルーム氏もその場に居合わせている。そこへスティーヴンの同居人マリガンが知人のバノンと入ってきた。それに続く場面。
ここはマリガンの台詞に対し、医師のディクソンが問いかけをしているところ。そして看護婦のキャランが出産を知らせをもたらしたとことで問答は終了する。
第14章は、過去から現在に至る英語散文の文体史を文体模写でなぞる趣向となっている。この箇所は、注釈によると1700年代初頭の『タトラー』Tatler や『スペクテイター』Spectatorといった定期刊行物に掲載されたエッセイの文体という。つまりジョゼフ・アディソン(Joseph Addison、1672 – 1719)リチャード・スティール(Richard Steele、1671- 1729)の文体。
アディソン、スティールというと聞いたのことのある名前だが、和訳を読もうと本屋にいったとしてもその文章を目にできる望みはない。ネットで探してみたところ『世界人生論全集』という1963年に発行された全集物(これまた今どき誰も読まないようなものだ)の第5巻に「スペクテーター紙随筆選」というのがかろうじて収録されているのを知ったので、古本屋より取り寄せた。
訳者の朱牟田夏雄氏の解説によると、2人は合いたずさえ『タトラー』(1709年創刊)、『スペクテータ』(1711年創刊)といった新聞を発行しエッセイを執筆した。二人の方針は、「正面切ったむつかしい論説の形ではなく、平明でしかも気品とウィットのある文章をあやつりながら・・・読者の興味をそそりつつ、自分の言いたいことに耳を傾けさせてゆくことであった。」という。
今回の箇所は会話になっているので、『スペクテータ―』紙のエッセイの文体とはそもそも違うのだが、和訳のあるエッセイの中から会話の引用になっている個所を適当に選んで引いてみる。
余のすぐれた友サー・ロジャーが、談たまたま政党の害毒におよぶとき、しばしば余らに語ってきかせる、彼の少年時代の思い出話がある。当時はちょうど円頂党と騎士t党の確執が最高潮にあったころで、このすぐれた友はまだ鼻たれ小僧にすぎなかったが、たまたま道で、聖アン通りにはどういったらよいかと人にたずねたことがあった。と、たずねられた男は、早速にも問いに答てくれるかと思いのほか、彼にむかって、何だこの小僧、貴様はカトリックの犬か、とのののしり、一体だれがアンを聖女にした? という詰問である。少年はすっかり度肝をぬかれて、つぎに逢った男には、アン通りはどっちだと、「聖」ぬきでたずねたところ、せっかくの苦心も水の泡、今度は何をこのうさぎ馬野郎と毒づかれ道を教えてもらうどころか、アンはおまえの生まれない前から聖者だし、おまえが絞首刑でくたばったあともちゃんと聖者なんだからおぼえておけとどなられた。
朱牟田夏雄訳「6. サー・ロジャー党派心をかたる」(126号 アディソン)
原文は gutenberg で読むことができる
My worthy Friend Sir Roger, when we are talking of the Malice of Parties, very frequently tells us an Accident that happened to him when he was a School-boy, which was at a time when the Feuds ran high between the Roundheads and Cavaliers. This worthy Knight, being then but a Stripling, had occasion to enquire which was the Way to St. Anne's Lane, upon which the Person whom he spoke to, instead of answering his Question, call'd him a young Popish Cur, and asked him who had made Anne a Saint? The Boy, being in some Confusion, enquired of the next he met, which was the Way to Anne's Lane; but was call'd a prick-eared Cur for his Pains, and instead of being shewn the Way, was told that she had been a Saint before he was born, and would be one after he was hanged.
(The Spectator No. 125, Tuesday, July 24, 1711 Addison)
比べてみると、アディソンの文章は、朱牟田氏のいうように、平明で効率的、ウィットには富むが、内容は常識的。ジョイスの文章は、冗長で修辞的、難解な単語、専門用語、造語を使い、内容は皮肉的で、雰囲気はぜんぜん違う。文体を模しているのか疑問に思う。
若干内容の注釈を。
“ventripotent” は「肥満した」との意。
“ovoblastic”は医学用語を模した造語だろうが、意味が分からない。”ovo”は卵で、”blastic”は分芽(辞書では、主に真菌の無性生殖の一種で、母細胞から新しい細胞が芽のように出芽して増殖する様式)との意味がある
”wolf in one's stomach” は「猛烈な 空腹、大きな食欲」の意味。
オースティン・メルドン(Austin George Meldon、1844 - 1904年)はアイルランドの外科医で作家。

(左) ジョゼフ・アディソンの肖像(Michael Dahl, 1719)
(右) リチャード・スティールの肖像(Godfrey Kneller, 1711)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Joseph_Addison_and_Richard_Steele.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Joseph_Addison_by_Michael_Dahl_lowres_color.jpg
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