―何でしょう、父上。
第183投。33ページ、86行目。
—Yes, sir?
—Malt for Richie and Stephen, tell mother. Where is she?
—Bathing Crissie, sir.
Papa’s little bedpal. Lump of love.
—No, uncle Richie...
—Call me Richie. Damn your lithia water. It lowers. Whusky!
—Uncle Richie, really...
—Sit down or by the law Harry I’ll knock you down.
Walter squints vainly for a chair.
―何でしょう、父上。
―リチーとスティーヴンに酒をだせって、母さんに言ってくれ。母さんはどこだ。
―クリシーを入浴させてます、父上。
パパの幼いベッドの友。愛の塊。
―おかまいなく、リチーおじさん。
―リチーと呼べ。リチア水なんか飲めるか。体に悪い。ウヰスキーだ。
―リチーおじさん、ほんとに…
―座ってくれ。ええい、でないと力ずくだぞ。
ウォルターが斜視の目であるはずがない椅子を探す。
前回に引き続き、第3章。スティーヴンは第2章でデイジー校長の学校で教師をしたあと、サンディマウントの海岸にやってきた。彼は母の兄弟のリチー・グールディングの家に行こうとしたが結局いかなかった。グールディング家はストラスバーグ・テラスに(Strasburg Terras)ある。
〇 ストラスバーグ・テラス
⇒ スティーヴンの行路
Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898
彼はここでグールディングの家にいった場合のことを空想している。または過去に行ったときのことを回想している。
リチーの妻がセアラ(Sara、Sally)で夫妻の息子がウォルター(Walter)。クリシー(Crissie)はウォルターの妹だろうか。
リチーとウォルターとスティーヴンの会話で、台詞の1行目と3行目がウォルター、2行目、6行目、8行目がリチー。5行目と7行目がスティーヴン。例によって誰が誰に言っているかは明示されない仕方で書かれている。
リチア水は、ブログの第75回で見ました。1880年代から第一次世界大戦にかけて、大流行したミネラルウォーターで、天然の鉱泉水ではなく水に炭酸水素チリウムを加えたものであった。
“whusky” は綴りが変だが、”whisky” の方言だろうか。検索ではわからなかった。
“by the law Harry” は “by the Lord Harry” の間違いだろうか。後者は「誓って,きっと」の意と辞書にある。
さて、ウォルターの目は ”squint”とある。
ジョイスは目が悪かったからか目の描写に特徴がある。”squint” は小説全体にわたり大事な単語として使われているように思う。
辞書でみると次の通り、微妙に異なる意味がある。 → wiktionary
1.An expression in which the eyes are partly closed.(目を細めた状態)
2.The look of eyes which are turned in different directions, as in strabismus.(斜視)
3.A quick or sideways glance. (横目で見る)
4.A short look; a peep. (ちらっと見る)
5.A hagioscope.(ハギオスコープ:キリスト教会堂建築において、死角部分から聖体を見ることを目的とし、壁・ピアを斜めにくり抜いた窓のことを指す。)
それではこの小説での使われかたを順に見てみよう。
①第3章、まず今回の個所。
少し前に、下の記述あり、”skeweyed” は「斜視」なので、ウォルターは斜視と考えられる。
And skeweyed Walter sirring his father, no less! Sir. Yes, sir. No, sir.
(U32.67)
②第6章。ディグナムの葬儀に向かう馬車のなかで、スティーヴンの父のデッダラス氏が葬儀屋のコーニー・ケラハーは “squint” という。後の⑩と考えあわせると、ケラハーは斜視と考えられる。
—Corny might have given us a more commodious yoke, Mr Power said.
—He might, Mr Dedalus said, if he hadn’t that squint troubling him. Do you follow me?
(U74.93)
③第8章。ブルーム氏が少年時代のことを回想している。通りかかりにいつも “squinting in” したやつの名前を思い出そうとしている (ちなみにPendennisではなくPenroseだった)。目が悪いと言っているので、これは「目を細めて」だろう。
Stream of life. What was the name of that priestylooking chap was always squinting in when he passed? Weak eyes, woman. Stopped in Citron’s saint Kevin’s parade. Pen something. Pendennis? My memory is getting. Pen ...?
(U128.177)
④第10章。スティーヴンの妹のケイティーが台所で “with squinting eyes” 鍋をのぞく。ここは目を細めてだろう。
Katey went to the range and peered with squinting eyes.
—What’s in the pot? she asked.
—Shirts, Maggy said.
(U186.207)
⑤第12章。この章の語り手が、酒場のカウンターにおいてある男性向け雑誌に載ってる女性の写真を ”give us a squint” という。これは「ちょっと見せろ」だろう。
―Give us a squint at her, says I.
(U266.1167)
⑥第13章。海辺で子守をしている少女たち。ガーティーがイーディーのことを “squinty” という。
She knew right well, no-one better, what made squinty Edy say that because of him
cooling in his attentions when it was simply a lovers' quarrel.
(U287.127)
ここの少し前に下のようにあり、イーディーは近視であることが分かる。目が悪いので目を細めてみるのだろうか。他の個所をみてみよう。
―I know, Edy Boardman said none too amiably with an arch glance from her shortsighted eyes.
⑦同じく第13章。イーディがガーティーを ”squinting” する。イーディーは眼鏡 “specs” をかけている。やはり「目を細めて見る」だろうか。
Edy Boardman was noticing it too because she was squinting at Gerty, half smiling, with her specs like an old maid, pretending to nurse the baby.
(U295.521)
⑧同じく第13章。浜辺にいるブルーム氏は少女たちを眺めている。ブルーム氏はイーディが眼鏡をかけていて、“squinty one”であると描写している。遠くからみているのだから、斜視であるとはわからないだろう。やはり「目が悪い」という意味だろう。だからイーディーは近眼で目が悪いことをもって "squint" と描写されていると考える。
Hot little devil all the same. I wouldn't mind. Curiosity like a nun or a negress or a girl with glasses. That squinty one is delicate.
(U301.777)
⑨第15章。ベラ・コーエンの娼館のゾーイがブルーム氏をSquintingする。“with sidelong meaning at”が「流し目」なので、Squintingは「目を細めて」か「横目で」と思う。
ZOE: (Makes sheep’s eyes.) No? You wouldn’t do a less thing. Would you suck a lemon?
(Squinting in mock shame she glances with sidelong meaning at Bloom, then twists round towards him, pulling her slip free of the poker. …
(U417.2299)
⑩同じく第15章。ブログの第124回で見た通り、娼館を出たブルーム氏とスティーヴンは英国兵にからまれるが、葬儀屋のコーニー・ケラハーの馬車で助けられる。ケラハーは “asquint” と描写されるので「斜視」と考えられる。しかも彼は、“drawling eye” 「たるんだ目」(片目だけ?)をしている。(U87.685)(U493.4813)
BLOOM: No, in Sandycove, I believe, from what he let drop.
(Stephen, prone, breathes to the stars. Corny Kelleher, asquint, drawls at the horse. Bloom, in gloom, looms down.)
(U495.4887)
⑪第16章。馭者溜まりで、馭者が新聞を読み上げるとそこにいた水夫が “Give us a squint at that literature”という。これは⑤と同じで「ちょっと見せて」だろう。
―Give us a squint at that literature, grandfather, the ancient mariner put in, manifesting some natural impatience.
(U538.1669)
⑫第17章。ブルーム氏が11歳の時に新聞の懸賞に応募して作った詩の一節。“squint at my verses”とある。ここは単に「見る」だろう。”print”と押印するため特殊な単語の “squint” を使っているのだ。
An ambition to squint
At my verses in print
(U554.396)
『ユリシーズ』に登場する斜視の人物は2人、スティーヴンの母方のいとこウォルター・グールディングと葬儀屋のコーニー・ケラハー。
19世紀オランダの牧師の肖像
このブログの方法については☞こちら