Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

189 (U613.231) ー おお愛しのメイ

あの人は室内ばきでうろうろ

第189投。613ページ、231行目。

 

hes going about in his slippers to look for £ 10000 for a postcard U p up O sweetheart May wouldnt a thing like that simply bore you stiff to extinction actually too stupid even to take his boots off now what could you make of a man like that Id rather die 20 times over than marry another of their sex of course hed never find another woman like me to put up with him the way I do know me come sleep with me yes

 

あの人は室内ばきでうろうろUPしょうべんたれの絵葉書のことで10000ボンド請求しようとおお愛しのメイなんてもんじゃない死ぬほどうんざりするはなしよじっさい狂って靴もぬげないんだからどうしたらああなるんだろうあの男と結婚するくらいなら20回死んだほうがましもちろんうちの人はわたし以外の女をみつけるのははむりだったろうわたしは彼でがまんしているんだし今みたいに帰ってきて寝たらわかるでしょうええ

 

最終章。第18章。ブルーム氏の妻のモリ―の寝床での心中の声。一つの章がピリオドもコンマもない単語の長大な連なり8つでできている。ここはその1つ目の終わりのほう。

 

ブログの第153回で、モリーは友人でブルーム氏の元カノだったジョージ―・ポーエルとブルーム氏と3人でいた場面のことを思い出していたが、ここはそこの続きのところ。冒頭の ”hes” は “he is” で、“he” は現在ポーエルの夫になっているデニス・ブリーンのこと。うしろのほうの”hed” は “he had” で、“he” はブルーム氏のことになる。

 

第112回でふれたように、デニス・ブリーンは、今朝、”U.P”とだけ書いた匿名の葉書を受け取っており、彼は名誉棄損で損害賠償請求をしようと町を右往左往した。

 

 ”U.P” が何を意味するのかは謎で、諸説ある。わたしは “you pee”  つまり「しょんべんたれ」だろうとおもう。(柳瀬氏の説。P.82『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』 岩波新書、1996年)

 

「狂って靴も脱げない」と言っているには、ここの少し前のところで、ブリーン氏が靴を履いたままベッドに入ったということを思い出していることから。

 

“sweetheart May”というのは Sweetheart May(1895年)という歌のタイトルから来ている。レスリー・スチュワート(Leslie Stuart)の作曲のミュージックホールナンバー。

 

有名な男装芸人 ヴェスタ・ティリー(Vesta Tilley 本名 Matilda Alice Powles, Lady de Frece 1864 –  1952) が歌ったことで有名となった。

 

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この歌のストーリーは「わたしが18歳のころ、8歳のメイに大きくなったら結婚してと申し込む。その後わたしは海外に行くことになる。10年後、わたしは18歳になったメイに会いに行くと彼女は別の男と結婚することになっていた。」というもの。

 

モリーは、ブルームの恋人だったジョージ―が別の男と結婚したので、この歌のことを思い浮かべたのだろう。歌の一節に “marry another” 出てくるのでこの歌を思いついたのかもしれない。

 

Sweetheart May! when you grow up one day,

You may marry another and my love betray, but

I'll wait for you and then we shall see,

What you will do when I ask you to marry me.

 

愛しいメイよ!いつかあなたが成長したら、

あなたは他の誰かと結婚して私の愛は裏切られるかもしれない。でも、

私はあなたを待ち続ける。そして、

私があなたに結婚を申し込んだときに、あなたはどうするだろう。

 

この歌は「航海や出征など何らかの事情で長らく家庭を不在にした男が、女のもとへ不意に帰ってくると妻は別の男と暮らしている」という類型の話になっている。このパターンの話で思いつくものを第23回で挙げたことがある。

 

そもそもこの小説『ユリシーズ』の下敷きになっている『オデュッセイア』が「出征したオデュッセウスが長年の遍歴を経た末、求婚者に迫られている妻ペネロペイアの元に帰還する」という話である。

 

ヴェスタ・ティリー( 1900 年から 1916 年に撮影された写真)

"Vesta Tilley 1900-1916" by Unknown authorUnknown author is marked with CC0 1.0.

 

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188 (U50.246) ー マリンガ―からの便り

2通の手紙と1枚の葉書が床にあった。

 

第188投。50ページ、246行目。

 

 Two letters and a card lay on the hallfloor. He stooped and gathered them. Mrs Marion Bloom. His quickened heart slowed at once. Bold hand. Mrs Marion.

 

 —Poldy!

 

 Entering the bedroom he halfclosed his eyes and walked through warm yellow twilight towards her tousled head.

 

 —Who are the letters for?

 

 He looked at them. Mullingar. Milly.

 

 —A letter for me from Milly, he said carefully, and a card to you. And a letter for you.

 

 

 2通の手紙と1枚の葉書が床にあった。かがんで拾う。ミセス・マリアン・ブルーム。期待した気持ちが急に萎えた。太てえ文字。ミセス・マリアンか。

 

 ―ポールディー。

 

 寝室に入り目を細めつつ暖かい黄色の薄明かりのなか乱れ髪の妻の方へ進んだ。

 

 ―手紙は誰あて。

 

 郵便を見た。マリンガ―。ミリー。

 

 ―手紙はぼく宛でミリーから。よく考えて言った。葉書は君宛。もう一通の手紙は君宛。

 

第4章。ブルーム家の朝の場面。ブルーム氏の描写と、寝室にいる妻のモリー(マリオン・ブルーム)との会話。ポールディー(Poldy)とはレオポルド(Leopold)ブルームの呼称。ここは英語は難しくないが、よくわらない点がいくつかある。

 

ブルーム氏は朝食用の豚の腎臓を肉屋で買って帰ってきたところ。玄関を入ると床に郵便物が落ちていた。出かける時は気が付かなかったのだから、彼が買い物をしている間に配達されたと考えられる。

 

ブルーム家の住所であるエクルズ通り7番地(7 Eccles Street)にあった住居の扉はジェイムズ・ジョイスセンター(James Joyce Centre)に保管されている。扉の中央に縦に開いた郵便受けがあるので、ここから投函されて床に落ちていたのだろう。

 

"7 Eccles Street" by ralpe is licensed under CC BY-SA 2.0.

彼が寝室に「半分目を閉じて」“halfclosed his eyes” 入って来るのはなぜなのか不思議だ。室内は日よけが下りていて薄暗いので、まぶしいわけではない。暗がりで文字をよむため目を細めているのだろうと考えた。

 

次の疑問。彼が誰宛の郵便物なのか 「注意ぶかく」“carefully”  言った、というのはどういうことだろうか。

 

手紙の一通は、娘のミリーからブルーム氏宛てたもの。ミリーは現在、ウェストミーズ郡のマリンガ―の写真館に住み込みで働いている。15歳の誕生日祝いにもらった帽子の礼を手紙で述べていることが後の場面で分かる。(U54.397)

 

まず、英国では手紙の封筒には差出人の名前をかかないらしい。

イギリス人は手紙の封筒には差出人を書くことはない。これはもう、国民的コンセンサスであると言ってもよい。(略)手紙を受け取った方は、つまり、開封してみなくては誰の手紙か分からないということである。ということは、宛名として明記されている人だけが、それを開封する権利を持ち、その権利を持っている人だけが「誰からの手紙か」を知ることが出来る、ということである。封筒に差出人を書くという事自体、すでにプライバシーの放棄である、とイギリス人は考えるのである。

林 望『大増補・新編輯 イギリス観察辞典』より「プライバシー」 平凡社ライブラリー(1996年)

 

そうするとブルーム氏宛の手紙の封筒にミリーの名はなかったはずで、ミリーの名前を見たのは葉書(card)のほうだろう。手紙の差出人も消印と宛名の字体でミリーだと分かったのだと思う。

 

葉書はミリーからモリーに宛てたもので、後の場面でやはり誕生祝の礼状であることがわかる。(U50.260)なぜモリー宛は葉書なのかが疑問となる。そう考えるとこれは絵葉書であろと思う。

 

英国で、片面が絵でもう片面にメッセージと宛先を書く絵葉書は、1902年に導入されたという。意外に遅い。小説の現在(1904年)はまだめずらしいものだったのではないかと思われる。絵葉書の郵便料金は1/2ペニー。手紙は1ペニーだった。

→ History of Postcards in the UK 

 

もう一通の手紙は、モリーの愛人のボイランからモリーに宛てたもの。もちろんボイランの名前は書かれていない。しかしブルーム氏は誰からの手紙かは瞬時に察知しただろう。ボイランは歌手であるモリーの演奏会の興行を担当している。今日そのプログラムを持ってブルーム家に来るということ書かれている。そのことは後の場面でわかる。(U52.352)

 

以上のことから、ブルーム氏は「葉書はミリーからモリー宛だ。俺宛の手紙もミリーからと推測できる。もう一通の手紙は、モリー宛だが、誰から来たのかは分からないことにしなければならない」と頭を働かせた。それで、彼は “carefully” に言ったとされているのではないかと思う。

 

ボイランの手紙の宛名は “Mrs Marion Bloom” となっている。

 

Wikipediaによると

「伝統的には、ミセスは、既婚の女性に対して、Mrs John Smithのように夫のファーストネーム・ラストネームとともに使用された。」「女性のファーストネーム(略)に対してミセスをつけるのは稀だった(例:John Smithと結婚したJane Millerという女性の場合、Mrs Jane Smith(略))。これらは、特に20世紀初頭の多くのエチケット評論家によって、誤っていると見なされた。」とある。

 

当時は、Mrs Leopold Bloomと書くのが礼儀ということだった。それでブルーム氏は違和感を抱いているのだ。

 

ブルーム氏は、今日ボイランが家に来るということを知り、午後は家に帰らないようにする。

 

   

1907年にマリンガーから投函された絵葉書。

 

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187 (U595.1908) ー 欧州多国籍企業網

ルドルフ・ブルーム(故人)について最も過去の思い出とは何か。

 

第187回。595ページ、1908行目。

 

 

 What first reminiscence had he of Rudolph Bloom (deceased)?

 

 Rudolph Bloom (deceased) narrated to his son Leopold Bloom (aged 6) a retrospective arrangement of migrations and settlements in and between Dublin, London, Florence, Milan, Vienna, Budapest, Szombathely with statements of satisfaction (his grandfather having seen Maria Theresia, empress of Austria, queen of Hungary), with commercial advice (having taken care of pence, the pounds having taken care of themselves). Leopold Bloom (aged 6) had accompanied these narrations by constant consultation of a geographical map of Europe (political) and by suggestions for the establishment of affiliated business premises in the various centres mentioned.

 

 ルドルフ・ブルーム(故人)について最も過去の思い出とは何か。

 

 ルドルフ・ブルーム(故人)は彼の息子レオポルド・ブルーム(6歳)に対し、自分の移住と定住地の回顧的整理について述べた、即ち、ダブリン、ロンドン、フィレンツェ、ミラノ、ウィーン、ブダペスト、ソンバトヘイの各域内およびそれらの間であるが、彼は満意の表明(彼の祖父はオーストリア皇后兼ハンガリー女王マリア・テレジアを見たことがあった)と商業上の金言(小銭を大切にすれば大金はおのずから集まる)を付言した。レオポルド・ブルーム(6歳)はこの叙述に接するに於いて都度ヨーロッパの地図(政治的)を参照し言及された様々の中心地において商業施設を支店として設置することを提案した。

 

第17章は、始めから終わりまで問いと答えの形式により進行する。深夜自宅に帰ったブルーム氏は戸棚の引き出しを開ける。父にまつわる物品がありそれをきっかけに父の回想となる。

 

ルドルフ・ブルーム(Rudolph Bloom)はブルームの父親。ハンガリー王国ソンバトヘイ (Szombathely) で生まれたユダヤ人で、ハンガリーから移住し、最終的に、当時は英国に属するアイルランドのダブリンに定住。エレン・ヒギンズ(Ellen Higgins)と結婚。ダブリンに来たのはブログの第5回で見たところから、1865年と考えられる。

 

1866年にレオポルド・ブルームが生まれた。ルドルフはクレア郡エニスのクイーンズ・ホテルを経営していたが、1886年に自殺した。死んだ歳は70代というので(U595.1893)、1807年から1816年の生まれとなる。ルドルフはハンガリー生まれの作曲家・ピアニストのフランツ・リストFranz Liszt 1811 - 1886)と同世代の人だ。

 

左端にクイーンズ・ホテル

クレア郡エニス、アベイ通り(Abbey Street, Ennis, County Clare)1910年頃 

File:Abbey Street, Ennis, County Clare (28011405100).jpg - Wikimedia Commons

 

 

マリア・テレジア Maria Theresia, 1717 - 1780)は、オーストリア女大公(在位:1740 - 1780)。ハンガリー女王(在位:同)・ボヘミア女王(在位:1740 - 1741 1743 - 1780)を兼ねた。

 

ルドルフの祖父がマリア・テレジアを見たとして時代的におかしくない。

 

”retrospective arrangement” とは何か。「回顧したことを整理する」という意味と思う。「遡及的に並べる」というようにも取れる。これは紅茶商のトム・カーナン自慢のお気に入りのフレーズのようだ。この小説に7回出てきて目を引く。順に見てみましょう。

 

第6章。葬儀に向かう馬車の中。マーティン・カニンガムが、前の晩にトム・カーナンがベン・ドラードの歌唱を褒めたのを真似する。パワー氏がそれを受て、“trenchant” “the retrospective arrangement” はカーナン氏の愛用(dead nuts on)の語句という。(なお ”immense”カニンガムの愛用の語のようだ。)

 

 —Tom Kernan was immense last night, he said. And Paddy Leonard taking him off to his face.

 —O, draw him out, Martin, Mr Power said eagerly. Wait till you hear him, Simon, on Ben Dollard’s singing of The Croppy Boy.

 —Immense, Martin Cunningham said pompously. His singing of that simple ballad, Martin, is the most trenchant rendering I ever heard in the whole course of my experience.

 —Trenchant, Mr Power said laughing. He’s dead nuts on that. And the retrospective arrangement.

(U75.150)

 

第10章。闊歩するトム・カーナン氏の心中の描写。18世紀末前後の動乱の時代、アイルランドの英国への蜂起の歴史について回顧している。“retrospective arrangement”の言葉を使っている。

 

 Mr Kernan approached Island street.

 Times of the troubles. Must ask Ned Lambert to lend me those reminiscences of sir Jonah Barrington. When you look back on it all now in a kind of retrospective arrangement. Gaming at Daly’s. No cardsharping then. One of those fellows got his hand nailed to the table by a dagger. Somewhere here lord Edward Fitzgerald escaped from major Sirr. Stables behind Moira house.

(U198.783)

 

ちなみにこの小説でアイルランドカトリックの英国への反乱の歴史に興味をもって調べているのは、元プロテスタントのカーナン氏とプロテスタントの聖職者のラヴ師(ブログの第50回)であるという皮肉な設定となっている。(青字:2025年1月10日追記)

 

オーモンドホテルのレストランで食事をするブルーム氏の心中の描写。サルーンでピアノを弾くファーザー・カウリーに “retrospective sort of arrangement” を話しかけるトム・カーナン。ベン・ドラードの歌唱の回想についてだろうか。

 

 Bloom ungyved his crisscrossed hands and with slack fingers plucked the slender catgut thong. He drew and plucked. It buzz, it twanged. While Goulding talked of Barraclough’s voice production, while Tom Kernan, harking back in a retrospective sort of arrangement talked to listening Father Cowley, who played a voluntary, who nodded as he played. While big Ben Dollard talked with Simon Dedalus, lighting, who nodded as he smoked, who smoked.

(U228.798)

 

産院で場面。チャールズ・ラムの文体模写でブルーム氏が少年時代を回想するのが描写される。“retrospective arrangement” しているのはブルーム氏だろうか、小説の語り手だろうか。

 

 A score of years are blown away. He is young Leopold. There, as in a retrospective arrangement, a mirror within a mirror (hey, presto!), he beholdeth himself. That young figure of then is seen, precociously manly, walking on a nipping morning from the old house in Clanbrassil street to the high school, his booksatchel on him bandolierwise, and in it a goodly hunk of wheaten loaf, a mother’s thought.

(U337.1044)

 

第15章。夜の町へやってきたブルーム氏。幻想場面で、元カノのジョージ・パウエル(今はブリーン夫人)に会い、過去を回想する。ブルーム氏が、“retrospective arrangement” というのは、①の場面でカニンガムがカーナンの真似をするのを聞いたからだろう。

 

 BLOOM: (Seizes her wrist with his free hand.) Josie Powell that was, prettiest deb in Dublin. How time flies by! Do you remember, harking back in a retrospective arrangement, Old Christmas night, Georgina Simpson’s housewarming while they were playing the Irving Bishop game, finding the pin blindfold and thoughtreading? Subject, what is in this snuffbox?

(U363.443)

 

第17章。馭者溜りで会話するブルーム氏とスティーヴン。ブルーム氏はパーネル失脚について回想し論じる。 “retrospective kind of arrangement”という言葉を使っているのはブルーム氏か小説の語りか定かでない。

 

 Looking back now in a retrospective kind of arrangement all seemed a kind of dream. And then coming back was the worst thing you ever did because it went without saying you would feel out of place as things always moved with the times. Why, as he reflected, Irishtown strand, a locality he had not been in for quite a number of years looked different somehow since, as it happened, he went to reside on the north side.

(U5321401)

 

今回の個所。

やはりここも、“retrospective arrangement”という言葉を使っているのはブルーム氏か小説の語りか定かでない。

 

「回顧的整理」(retrospective arrangement)がカーナン氏愛用の言葉であることは、①を読んだだけではよくわからない。小説のあとの方を読んでようやくそのことが分かるようになっている。つまり「回顧的整理」は小説を「回顧的整理」しないと意味がわからないように書かれている。そしておよそ『ユリシーズ』は「回顧的整理」しないと読めないように書かれている。

 

マルティン・ファン・マイテンス(Martin van Meytens ) の描くオーストリア皇后マリア・テレジア(Empress Maria Theresia of Austria)(1759年)

File:Kaiserin Maria Theresia (HRR).jpg - Wikimedia Commons

 

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186 (U606.2294) ー 天井の惑星軌道

一時期的不在が企図または実行された場合に於ける男性的目的地の何処

第186回。606ページ、2294行目。

 

 How?

 

 By various reiterated feminine interrogation concerning the masculine destination whither, the place where, the time at which, the duration for which, the object with which in the case of temporary absences, projected or effected.

 

 What moved visibly above the listener’s and the narrator’s invisible thoughts?

 

 The upcast reflection of a lamp and shade, an inconstant series of concentric circles of varying gradations of light and shadow.

 

 

 如何にしてか。

 

 一時期的不在が企図または実行された場合に於ける男性的目的地の何処、所在の那辺、時間の何時、期間の多少、及び客体の如何に対する女性的詢問の反復により。

 

  聴者と話者の不可視の想念の上方に可視的に動いたものは何か。

 

 ランプと傘の上方に投影された反映、即ち光と影の幾次段階的変化による不規則な同心円の重なり。

 

 

第17章の終わり近く。夜中の2時過ぎ、ブルーム氏は帰宅しベッドに入った。妻のモリーとブルーム氏は会話を交わしているようだ。

 

この章の文章は幾何学的な構成となっており、言うまでもなく下は対句。

feminine - masculine
visibly - invisible
listener's - narrator's

 

以下は頭韻になっている。

lamp and shade - lighit and shadow 

 

また、この章は初めから終わりまで、質問と答えの形で書かれている。ここはブルーム氏の行動が妻または娘により、どのように制約されているかを問う問いと答えになっている。

 

第2の問いに出てくる、話者とはブルーム氏のことで聴者とはモリーのこと。ランプとはブログの第69回にでてきたランプだろう。このランプは別の問答で次のように説明されている。円錐台型の傘のついた灯油ランプa paraffin oil lamp with oblique shade)と考えられる。

 

 What visible luminous sign attracted Bloom’s, who attracted Stephen’s, gaze?

 

 In the second storey (rere) of his (Bloom’s) house the light of a paraffin oil lamp with oblique shade projected on a screen of roller blind supplied by Frank O’Hara, window blind, curtain pole and revolving shutter manufacturer, 16 Aungier street.

(U576.1171)

 

円錐台の傘のついたランプの昔の画像をみつけるのは案外難しい。

 

Farmor Manufacturing Co.(USA)のオイルランプの公告(1937)

 

傘のついたランプの光が天井に同心円を描いているのだろう。これまでにみたように第17章は天体と光に関わるモチーフを多く含んでいる。この同心円も惑星の軌道をイメージしているにちがいない。

 

Astronomie Populaire en Tableaux Transparents(透かし絵による一般天文学

Bruxelles Kiessling & Cie., [1858]

 

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185 (U72.9) ー 瞑目する家並

これで全員だね。

 

第185投。72ページ、9行目。

 

 —Are we all here now? Martin Cunningham asked. Come along, Bloom.

 

 Mr Bloom entered and sat in the vacant place. He pulled the door to after him and slammed it twice till it shut tight. He passed an arm through the armstrap and looked seriously from the open carriagewindow at the lowered blinds of the avenue.

 

 ーこれで全員だね。マーティン・カニンガムが尋ねた。さあさあ、ブルーム。

 

 ブルーム氏が乗車し空いた席に座った。扉を自分の方へ二度打ち付けてきっちり閉めた。揺れ止めの帯に腕を通して、開いた馬車の窓から神妙な顔で外を見た。道沿いの家並みの日よけが下ろされている。

 

第6章。午前11時ごろ。ブルーム氏は友人のディグナム氏の葬儀に参列するため、ダブリンの南東部、ニューブリッジ通り(Newbridge Avenue)のディグナム家から、馬車で市の北西のはずれ、グラスネヴィン墓地へ向かおうとしている。

 

〇 ディグナム家はこのあたり

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

 

ここは第6章の冒頭で、アイルランド総督政庁に勤務するマーティン・カニンガム、警察隊に勤務するジャック・パワー、小説の主人公であるスティーヴンの父サイモン・デッダラス、そしてもう一人の主人公であるブルーム氏の4人が馬車に乗り込む場面。

 

カニンガム、パワー、サイモンの順に乗り、最後にブルーム氏が乗る。

 

ブログの第54回で詳しく見たように、4人は下の位置に座ったと考える。ドアの取っ手は現代の自動車と逆で、進行方向上の前のほうに付いている。

 

 

“armstrap” というのが何か分からない。

 

馬車の画像は数多あれど、内部の画像というのはなかなかみることができない。検索してようやく"Carriages of Britain"というweb サイトを見つけた。

 

下のリンク先の画像を順に送って見てもらうと馬車の内部の画像がある。座席の脇に付いている帯のようなものが、“armstrap”のことではないだろうか。①の馬車の説明では、“hand holder”と呼ばれている。②の馬車の説明では、“swing holders”と呼ばれている。馬車が揺れるのでつかむためのものではないかと。

 

①Travelling Chariot

②Travelling Chariot

 

彼らの乗っている馬車は、だいたいこういう感じのものと思う。

 

イタリア、コゼンツァ国立博物館所蔵のランドー型馬車。

File:Carrozza landau betau, xix secolo.jpg - Wikimedia Commons

 

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184 (U569.632) ー ウェックスフォードの少年たち

道路工事人:(2人の英国兵をつかんで、よろよろ進む)

 

第184投。369ページ、632行目。

 

 THE NAVVY: (Gripping the two redcoats, staggers forward with them.) Come on, you British army!

 

 PRIVATE CARR: (Behind his back.) He aint half balmy.

 

 PRIVATE COMPTON: (Laughs.) What ho!

 

 PRIVATE CARR: (To the navvy.) Portobello barracks canteen. You ask for Carr. Just Carr.

 

 THE NAVVY: (Shouts.)

 

     We are the boys. Of Wexford.

 

 PRIVATE COMPTON: Say! What price the sergeantmajor?

 

 PRIVATE CARR: Bennett? He’s my pal. I love old Bennett.

 

 THE NAVVY: (Shouts.)

 

    The galling chain.

    And free our native land.

 

 (He staggers forward, dragging them with him. Bloom stops, at fault. The dog approaches, his tongue outlolling, panting.)

 

 

 道路工事人:(2人の英国兵をつかんで、よろよろ進む)さあさあ、英国の軍人さん。

 

 カー兵卒:(後ろから)こいつ狂ってるにちがいねえ。

 

 コンプトン兵卒:(笑って)なんだよ。

 

 カー兵卒:(道路工事人に)ポートベロ兵舎の食堂にカーを訪ねてきな。カーでわかる。

 

 道路工事人:(大声で)

    僕ら。ウェックスフォードからやって来た。

 

 コンプトン兵卒:特務曹長のざまはどうだ。

 

 カー兵卒:ベネットのことか。よく知ってる。いい人だよベネット殿は。

 

 道路工事人:(大声で)

       …憎き鎖。

    祖国を解放せん。

 

 (2人を引っ張ってよろよろ進む。ブルーム氏はとまどい足を止める。犬が寄って来て。舌を垂らしあえぐ。)

 

第15章。夜中の12時過ぎ。ブルーム氏は酔っ払ったスティーヴンとリンチの2人を追って、娼家街へやってきた。このブログの第25回第140回のちょうど間のところ。

 

ブルーム氏は、この章の終わりの方に登場し、スティーヴンともめ事を起こす英国兵のカーとコンプトンを目撃する。当時ダブリンは英国の都市なので英国兵がいるわけで、英国兵は赤い制服を着ている。

 

ブログの第39回でみたとおり、ジョイスは彼らに個人的に因縁のある人物の名を付けている。

 

カーは、ジョイスチューリヒにいたころ立ち上げた劇団で主役に抜擢した英国領事館の職員で、出演料などでジョイスと紛争になったヘンリー・カーから取られている。

 

コンプトンは劇団の仕事をしくじった経営マネージャーの名前から。

 

ベネットとは、小説の現在1904年6月16日から1月ほど前、5月22日に行われたボクシングの試合のボクサーの名。この小説上の架空の試合で、アイルランド出身のキーオウが、英国特務曹長ベネットを打ち負かした。劇団の立ち上げの承認を求めたジョイスに横柄な対応をした英国領事、A・パーシー・ベネットから取っている。

 

ポートベロ兵舎(Portobello Barracks)はダブリンの南側に、1810年~1815年の間に建設された英国軍の兵舎。後に教会(1842年)と食堂(canteen)(1868年)が増築されている。アイルランド独立戦争終結後はアイルランド国防軍の部隊が駐留しておりカハル・ブルハ兵舎(Cathal Brugha Barracks)と呼ばれる。

 

道路工事人は英国兵をもぐり酒場へ連れて行こうとしているようだ。

 

彼が歌っているのは「ウェックスフォードの少年たち」The Boys of Wexford (1872年)の一節。1798年の英国政府に対するアイルランドの反乱、特にウェックスフォードの反乱を題材としたアイルランドのバラードである。ロバート・ドワイヤー・ジョイス (Robert Dwyer Joyce)が作詞、アーサー・ウォーレン・ダーリー (Arthur Warren Darley)が作曲し

→ 歌詞

→ ♪ YouTube

 

We are the Boys from Wexford

Who fought with heart and hand

To burst in twain the galling chain

and free our native land

 

僕らはウェックスフォードからやって来た

わが心わが身で戦いて

憎き鎖を断ち切りて

われらの祖国を解放せん

 

この歌は第7章、新聞社の玄関口で新聞配達の少年が歌っていた。

 

The noise of two shrill voices, a mouthorgan, echoed in the bare hallway from the newsboys squatted on the doorsteps:

We are the boys of Wexford
Who fought with heart and hand.

(U106.427-)

 

 

1900年ごろのポートベロ兵舎

Portobello Barracks in Rathmines

 

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183 (U33.86) ー 没落の家

―何でしょう、父上。

第183投。33ページ、86行目。

 

 —Yes, sir?

 

 —Malt for Richie and Stephen, tell mother. Where is she?

 

 —Bathing Crissie, sir.

 

 Papa’s little bedpal. Lump of love.

 

 —No, uncle Richie...

 

 —Call me Richie. Damn your lithia water. It lowers. Whusky!

 

 —Uncle Richie, really...

 

 —Sit down or by the law Harry I’ll knock you down.

 

 Walter squints vainly for a chair.

 

 ―何でしょう、父上。

 

 ―リチーとスティーヴンに酒をだせって、母さんに言ってくれ。母さんはどこだ。

 

 ―クリシーを入浴させてます、父上。

 

 パパの幼いベッドの友。愛の塊。

 

 ―おかまいなく、リチーおじさん。

 

 ―リチーと呼べ。リチア水なんか飲めるか。体に悪い。ウヰスキーだ。

 

 ―リチーおじさん、ほんとに…

 

 ―座ってくれ。ええい、でないと力ずくだぞ。

 

 ウォルターが斜視の目であるはずがない椅子を探す。

 

前回に引き続き、第3章。スティーヴンは第2章でデイジー校長の学校で教師をしたあと、サンディマウントの海岸にやってきた。彼は母の兄弟のリチー・グールディングの家に行こうとしたが結局いかなかった。グールディング家はストラスバーグ・テラスに(Strasburg Terras)ある。

 

 ストラスバーグ・テラス

⇒ ティーヴンの行路

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

彼はここでグールディングの家にいった場合のことを空想している。または過去に行ったときのことを回想している。

 

リチーの妻がセアラ(Sara、Sally)で夫妻の息子がウォルター(Walter)。クリシー(Crissie)はウォルターの妹だろうか。

 

リチーとウォルターとスティーヴンの会話で、台詞の1行目と3行目がウォルター、2行目、6行目、8行目がリチー。5行目と7行目がスティーヴン。例によって誰が誰に言っているかは明示されない仕方で書かれている。

 

リチア水は、ブログの第75回で見ました。1880年代から第一次世界大戦にかけて、大流行したミネラルウォーターで、天然の鉱泉水ではなく水に炭酸水素チリウムを加えたものであった。

 

“whusky” は綴りが変だが、”whisky” の方言だろうか。検索ではわからなかった。

 

“by the law Harry” は “by the Lord Harry” の間違いだろうか。後者は「誓って,きっと」の意と辞書にある。

 

さて、ウォルターの目は ”squint”とある。

 

ジョイスは目が悪かったからか目の描写に特徴がある。”squint” は小説全体にわたり大事な単語として使われているように思う。

 

辞書でみると次の通り、微妙に異なる意味がある。 → wiktionary

 

1.An expression in which the eyes are partly closed.(目を細めた状態)

2.The look of eyes which are turned in different directions, as in strabismus.(斜視)

3.A quick or sideways glance. (横目で見る)

4.A short look; a peep. (ちらっと見る)

5.A hagioscope.(ハギオスコープ:キリスト教会堂建築において、死角部分から聖体を見ることを目的とし、壁・ピアを斜めにくり抜いた窓のことを指す。)

 

それではこの小説での使われかたを順に見てみよう。

 

第3章、まず今回の個所。

 

少し前に、下の記述あり、”skeweyed” は「斜視」なので、ウォルターは斜視と考えられる。

And skeweyed Walter sirring his father, no less! Sir. Yes, sir. No, sir.

(U32.67)

 

第6章。ディグナムの葬儀に向かう馬車のなかで、スティーヴンの父のデッダラス氏が葬儀屋のコーニー・ケラハーは “squint” という。後の⑩と考えあわせると、ケラハーは斜視と考えられる。

Corny might have given us a more commodious yoke, Mr Power said.

—He might, Mr Dedalus said, if he hadn’t that squint troubling him. Do you follow me?

(U74.93)

 

第8章。ブルーム氏が少年時代のことを回想している。通りかかりにいつも “squinting in” したやつの名前を思い出そうとしている (ちなみにPendennisではなくPenroseだった)。目が悪いと言っているので、これは「目を細めて」だろう。

Stream of life. What was the name of that priestylooking chap was always squinting in when he passed? Weak eyes, woman. Stopped in Citron’s saint Kevin’s parade. Pen something. Pendennis? My memory is getting. Pen ...?

(U128.177)

 

第10章。スティーヴンの妹のケイティーが台所で “with squinting eyes” 鍋をのぞく。ここは目を細めてだろう。

Katey went to the range and peered with squinting eyes.

—What’s in the pot? she asked.

—Shirts, Maggy said.

(U186.207)

 

第12章。この章の語り手が、酒場のカウンターにおいてある男性向け雑誌に載ってる女性の写真を ”give us a squint” という。これは「ちょっと見せろ」だろう。

Give us a squint at her, says I.

(U266.1167)

 

第13章。海辺で子守をしている少女たち。ガーティーがイーディーのことを “squinty” という。

She knew right well, no-one better, what made squinty Edy say that because of him

cooling in his attentions when it was simply a lovers' quarrel.

(U287.127)

 

ここの少し前に下のようにあり、イーディーは近視であることが分かる。目が悪いので目を細めてみるのだろうか。他の個所をみてみよう。

―I know, Edy Boardman said none too amiably with an arch glance from her shortsighted eyes.

 

同じく第13章。イーディがガーティーを ”squinting” する。イーディーは眼鏡 “specs” をかけている。やはり「目を細めて見る」だろうか。

Edy Boardman was noticing it too because she was squinting at Gerty, half smiling, with her specs like an old maid, pretending to nurse the baby.

(U295.521)

 

同じく第13章。浜辺にいるブルーム氏は少女たちを眺めている。ブルーム氏はイーディが眼鏡をかけていて、“squinty one”であると描写している。遠くからみているのだから、斜視であるとはわからないだろう。やはり「目が悪い」という意味だろう。だからイーディーは近眼で目が悪いことをもって "squint" と描写されていると考える。

Hot little devil all the same. I wouldn't mind. Curiosity like a nun or a negress or a girl with glasses. That squinty one is delicate.

(U301.777)

 

第15章。ベラ・コーエンの娼館のゾーイがブルーム氏をSquintingする。“with sidelong meaning at”が「流し目」なので、Squintingは「目を細めて」か「横目で」と思う。

ZOE: (Makes sheep’s eyes.) No? You wouldn’t do a less thing. Would you suck a lemon?

(Squinting in mock shame she glances with sidelong meaning at Bloom, then twists round towards him, pulling her slip free of the poker.

(U417.2299)

 

同じく第15章。ブログの第124回で見た通り、娼館を出たブルーム氏とスティーヴンは英国兵にからまれるが、葬儀屋のコーニー・ケラハーの馬車で助けられる。ケラハーは “asquint” と描写されるので「斜視」と考えられる。しかも彼は、“drawling eye” 「たるんだ目」(片目だけ?)をしている。(U87.685)(U493.4813)

BLOOM: No, in Sandycove, I believe, from what he let drop.

(Stephen, prone, breathes to the stars. Corny Kelleher, asquint, drawls at the horse. Bloom, in gloom, looms down.)

(U495.4887)

 

第16章。馭者溜まりで、馭者が新聞を読み上げるとそこにいた水夫が  “Give us a squint at that literature”という。これは⑤と同じで「ちょっと見せて」だろう。

Give us a squint at that literature, grandfather, the ancient mariner put in, manifesting some natural impatience.

(U538.1669)

 

 

第17章。ブルーム氏が11歳の時に新聞の懸賞に応募して作った詩の一節。“squint at my verses”とある。ここは単に「見る」だろう。”print”と押印するため特殊な単語の “squint” を使っているのだ。

 

An ambition to squint

At my verses in print

(U554.396)

 

ユリシーズ』に登場する斜視の人物は2人、スティーヴンの母方のいとこウォルター・グールディングと葬儀屋のコーニー・ケラハー。

 

19世紀オランダの牧師の肖像



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