Ulysses at Random

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をランダムに読んでいくブログです

100 (U22.116)

ティーヴンはいがいがする喉から声を出して答を言った。

第100投。22ページ、 116行目。

 

 Stephen, his throat itching, answered:

 —The fox burying his grandmother under a hollybush.

 He stood up and gave a shout of nervous laughter to which their cries echoed dismay.

 A stick struck the door and a voice in the corridor called:

 —Hockey!

 ティーヴンはいがいがする喉から声を出して答えを言った。

 ―狐がおばあちゃんを柊の下に埋めている、だ。

 立ちあがりぎこちなく笑い声をあびせると生徒らの面食らった喚声が跳ね返ってきた。

 スティックが戸を叩き、廊下で声が響く。

 ―ホッケーだぞ。

 

記念すべき100回目。難しいところに当たりました。

 

第2章.午前10時。スティーヴンはデイジー校長の私立学校で小学生くらいの生徒を相手に教師の仕事をしている。

 

彼が、自分が出したなぞなぞの答えを明かしたところ。スティーヴンのなぞなぞは『ユリシーズ』のうちでも代表的なの謎だろう。そして生徒たちはホッケーの試合をしに表へ出ていくという場面。

 

 

A. なぞなぞ

なぞなぞはこういうものだった。

 

The cock crew

The sky was blue:

The bells in heaven

Were striking eleven.

’Tis time for this poor soul

To go to heaven.

(U21.102-)

 

雄鶏一声

空、快晴

鐘は天界

打つ十一回

哀れな魂

召される天界

原文に即して韻を踏みました。柳瀬尚紀さんの和訳では、なぜか cock を「雌鶏」と訳しているが間違いでしょう。(『ユリシーズ』河出書房、2016年)

 

このなぞなぞには世に知られた原型があり、こういうもの。スティーヴンは微妙に修正している。

English As We Speak It in Ireland, by P. W. Joyce(1910)CHAPTER XII. 参照

 

Riddle me, riddle me right:

What did I see last night?

The wind blew,

The cock crew,

The bells of heaven

Struck eleven.

’Tis time for my poor sowl to go to heaven.

 

(answer)

The fox burying his mother under a holly tree.

 

なぞなぞ、なぞなぞ、解けるかな

夕べはなにを見たのかな

風が吹いた

雄鶏鳴いた

鐘は天界

打つ十一回

哀れな魂召される天界

 

(答え)

狐が母親を柊の下に埋めている

 

 

ティーヴンのなぞなぞの答えがどうして「狐がおばあちゃんを柊の下に埋めている」になるのかがよくわからない。今のところの考えを書いてみます。

 

B.なぜ答えは狐なのか

これは『イソップ寓話』からきているのではないか。時を告げる鶏(時を告げるのは雄鶏)と狐が出てくる話がある。

 

252 犬と鶏と狐

 

犬と鶏が友だちになって、一緒に旅をしていた。・・・

夜が過ぎ、曙光がさして、鶏はいつものように大きな声で時を作った。

狐がそれを聞き、これを食ってやろうと、やって来て木の下に立つ・・・

鶏が答えて言うには、

「兄さん、木の根っこの所にいって、用心棒に呼びかけてごらん、戸を開けてくれるよ」

狐が声をかけに行ったところ、いきなり犬が飛びかかり、むんずと摑まえるなり、ずたずたに引き裂いた。

中務哲郎訳『イソップ寓話集』(岩波文庫、1999年)

 

 

                             

"aesops fables Milo winter 1919 ill the dog, cock and fox" by janwillemsen is licensed under CC BY-NC-SA 2.0.

 

イソップを持ちだすのはそれほど不自然な話ではない。第11章、ホテルのバーでレネハンが女給に歌う。「狐がコウノトリに会った。嘴をのどに突っ込んで骨を抜いてよ」。

 

She took no notice while he read by rote a solfa fable for her, plappering flatly:

 —Ah fox met ah stork. Said thee fox too thee stork: Will you put your bill down inn my troath and pull upp ah bone?

 He droned in vain. Miss Douce turned to her tea aside. 

(U245.248-)

 

これは『イソップ寓話』中の「狼と鷺」(「狼とコウノトリ」、「狼と鶴」ともいう)の狼を狐と取り違えたもの。わざわざ狐にしたのはジョイスのヒントかもしれない。

 

                                   

"aesops fables Milo winter 1919 ill the wolf and the crane" by janwillemsen is licensed under CC BY-NC-SA 2.0. 

 

つまり狐のおばあさんは犬と雄鶏に殺されたと考える。

 

このあとの、第3章、スティーヴンは砂浜で犬を見て、「おばあちゃんを埋めている」と、なぞなぞのことを思い出す。そして、「豹、パンサーが屍を引き裂く」とイメージする。

 

His hindpaws then scattered the sand: then his forepaws dabbled and delved. Something he buried there, his grandmother. He rooted in the sand, dabbling, delving and stopped to listen to the air, scraped up the sand again with a fury of his claws, soon ceasing, a pard, a panther, got in spousebreach, vulturing the dead.

(U39.359-)

 

ここは狐が犬に殺されたたということをサポートする一節と思う。

 

C.狐は誰なのか

ここの少し後にこの一節がある。「母(she)は行ってしまった。はかなく生きただけで。哀れな魂は天国へ行った。」「狐が地面を引っ掻く。」スティーヴンの母は1年前に病気で亡くなっている。

 

She was no more: the trembling skeleton of a twig burnt in the fire, an odour of rosewood and wetted ashes. She had saved him from being trampled underfoot and had gone, scarcely having been. A poor soul gone to heaven: and on a heath beneath winking stars a fox, red reek of rapine in his fur, with merciless bright eyes scraped in the earth, listened, scraped up the earth, listened, scraped and scraped.(U23.144)

 

ティーヴンは、自分を狐、狐のおばあちゃんは母と、なぞらえている。彼は母の死に際しつらいことがあり、母を祖母に置き換えた。

ティーヴンは、この小説の前の時代を描く『若い芸術家の肖像』の第5章でこう言う。この小説の有名な台詞。

 

ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも藝術のある様式で自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るためのたった一つの武器として、沈黙と流寓とそれから狡智を使って。

丸谷才一訳 集英社文庫、2014年)

 

I will not serve that in which I no longer believe, whether it call itself my home, my fatherland, or my church: and I will try to express myself in some mode of life or art as freely as I can and as wholly as I can, using for my defence the only arms I allow myself to use—silence, exile and cunning.

 

沈黙と流寓と狡智は狐にふさわしい。

 

D. 狐を殺したのは誰なのか

第15章.娼婦の館の場面。ブログの68回で当たった所。酒が出せなくなる時間である夜の11時に、スティーヴンは朝のなぞなぞを思い出す。なぞなぞは少し変形されている。

 

STEPHEN: (At the pianola, making a gesture of abhorrence.) No bottles! What, eleven? A riddle!

(U454.3561-)

・・・

 STEPHEN:

  The fox crew, the cocks flew,

  The bells in heaven

  Were striking eleven.

  ’Tis time for her poor soul

  To get out of heaven. 

 (U455.3576-)

 

その少し後、彼は、「のどの渇いた狐、おばあちゃんを殺した。たぶんそいつが殺した」という。のどの渇いた狐は酒を求めるスティーヴンのことになるが、彼がおばあさん(母親)を殺すわけがないので。「見殺しにした」とか「殺したようなものだ」という自責の思いを表しているのだろう。

 

 STEPHEN: Why striking eleven? Proparoxyton. Moment before the next Lessing says. Thirsty fox. (He laughs loudly.) Burying his grandmother. Probably he killed her.

(U456.3508)

 

第1章で、同居人の友人マリガンが、「自分の叔母はスティーヴンが母を殺したと思っている」とスティーヴンに告げている。このことが彼の心に響いているだろう。

 

He turned abruptly his grey searching eyes from the sea to Stephen’s face.

 —The aunt thinks you killed your mother, he said. That’s why she won’t let me have anything to do with you.

 —Someone killed her, Stephen said gloomily.

(U5.85)

 

さらにマリガンは、スティーヴンの母の死後「母親がひでえ死に方をしたデッダラス」と口にした。これをスティーヴンは侮辱とらえ、2人の決裂は決定的となった。

 

—You said, Stephen answered, O, it’s only Dedalus whose mother is beastly dead.

(U7.198)

 

ティーヴンは、母を殺したのはマリガンと見立てていると思う。

 

第1章、居候のイングランド人、ヘインズは前の晩「黒豹」の夢を見て銃を振りまわしたらしい。先のB項、第3章の引用の箇所でスティーヴンは「豹が死体を引き裂く」とイメージしていた。これは、マリガンと合わせてヘインズも加害者と見立てているということ思う。

—He was raving all night about a black panther, Stephen said. Where is his guncase?

(U4.57)

 

『若い芸術家の肖像』の第5章、友人のクランリー(ブログの22回で触れた)との会話で、スティーヴンはいう。犬、馬、銃器、海、雷雨、機械、田舎の夜道が怖いと。

 

 Stephen, struck by his tone of closure, reopened the discussion at once by saying:

 —I fear many things: dogs, horses, firearms, the sea, thunderstorms, machinery, the country roads at night.

 —But why do you fear a bit of bread?

 —I imagine, Stephen said, that there is a malevolent reality behind those things I say I fear.

 

犬と銃は彼の敵なのだ。

 

E. なぜ鐘は十一打つのか

11時は、第6章でブルームが参列する友人ディグナムの葬式の時間であり、11は10の次ということで、復活を象徴する数字であると、こういう説明がある。しかし、夜でも昼でも、11時に鶏が鳴くというのはどうも変だ。

 

このあいだ、エリザベス女王の葬儀(11時開始!)で、歳の数である96回鐘が鳴らされるのを見て、気がついた。お葬式では歳の数の鐘を鳴らす習慣があるのですね。

 

ユリシーズ』の時代(1904年)の王様、エドワード7世の葬儀(1910年)でも歳の数である68回ビッグベンの鐘が鳴らされている。

“Big Ben, the bell in the nearby clock tower, was rung 68 times, one for each year of Edward VII's life.”

 

狐の歳が11歳だったのではないか。狐の寿命は10年程度という。だから死んだ狐はおばあちゃんなのだ。

 

F. 柊の意味

 

これまでサンザシ(17回)とヤドリギ37回)のシンボリズムをみた。ヒイラギのシンボリズムを見てみよう。

  • (古代ケルト
    ヒイラギはキリスト教以前、ドルイドにより聖木とされた。古代ケルトでは冬至から夏至までの半年間をオークの王が統治し、夏至から冬至までの残りの半年をヒイラギの王が統治する。
  • 古代ローマ
    古代ローマにでは12月のサトゥルナリア(サトゥルヌスの祭日。農神祭)にこの木を供え犠牲のロバを殺した。
  • キリスト教
    クリスマスにヒイラギの緑の葉と赤い実を飾る習慣は,サトゥルナリアの祭式がキリスト教に採り入れられて生じたといわれる。
    ぎざぎざの葉は、十字架で処刑されたキリストの冠のイバラ、赤い実はキリストの流した血を表す。
    ヒイラギは魔力があると信じられていて、同じく魔力を持つと信じられていたアイビーとともにクリスマスの飾り付けに用いられた。
    ヒイラギの赤い実は血の象徴と女性を意味し、白い実をつけたセイヨウヤドリギは男性のシンボルとして、二つ合わせてクリスマスに飾ることで新しい生命が生まれると信じられた。

ヨーロッパではヒイラギは、古来より不死と再生の象徴と考えられた。狐のおばあちゃんは再生と復活を期してヒイラギの下に埋められた。

 

         

             セイヨウヒイラギ Holly

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ilex_aquifolium_Atlas_Alpenflora.jpg

 

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